依頼屋の攻防4
――ランクS
村田と広岡は噂で聞いていただけに過ぎない。異世界から来た訪問者であり、今の日本を牛耳っているのは間違い無く彼等だと。
比較的安全と言われている今の地域に配属され、戦ってきたのは全て政府の暗部か警察組織だ。ランクSがどのような人物なのか、会った事がないのでそれは噂を聞き想像の中で出来上がってしまっていた。正直、正面で拳銃を向けることぐらい出来るだろうと。
――それは甘かった
拳銃を向け敵意を晒した瞬間に自分の命は無いだろう。それを理解させられる程この男から恐怖を感じる。見たこともない剣を持ち、今自分達の前にいるこの男こそが怪物だと嫌でも分かる。現に体は震え立ち上がる事すら困難に思える程だ。
「俺が道を作る。その間に逃げろ」
唯一、この男と向き合っている東野から発せられた言葉は二人にとって頼りになる一言だった。
だが、それは難しいものがある。
「はは……無理じゃんよ。脚が震えて立ち上がれねぇ……」
「じゃあ此処で死にてぇのか!?」
目を合わせる事無く響いた東野の声。それは今まで聞いたことのないほど厳しい声だった。
「どの道お前らは此処で殺す!」
「――!!」
その東野の罵声がスイッチとなり、赤髪の男が動いた。
素早く、無駄の無い動きで東野の正面から間合いを詰めた後に振るわれる銀色の剣。横一閃に軌道を取るその剣を東野は咄嗟にバックステップで跳躍し、その間に持っている短剣ではない予備のナイフを腰に付けた専用のベルトから一本取り出し、男に向かって投擲する。
依頼屋トップクラスと言われている東野の高い反射神経と運動能力がそのカウンター攻撃を可能にさせた。
だが、東野の素早い攻撃さえも男は左手一つでナイフを器用に掴み取る。そして、東野が着地をする前にという思惑でそのままナイフを投げ返した。
思いもよらない男の攻撃を東野は短剣で弾き、無傷で着地することに成功する。
「お前も俺を軽く見るか……」
男にとってナイフでの攻撃は有効打とするものではなかった。その証拠に、投げた瞬間にも地を蹴り東野へと追撃を仕掛けていた。
今度は上から振り下ろされる剣を息を付く暇もなく地面を転がりながら避け、起き上がり様にもう一本ナイフを投擲する。男は狂いもなく顔に向かって来るナイフを躱し再び追撃へと向かう。その男の行動を知っていたかのように東野は既に短剣を突き出している。
ガキン――と鳴る金属音。
東野の突いた短剣は男の剣に防がれた。
「まるで一度侮辱されたような言い方だな」
「俺の汚点だ。こんな星の人間に遅れをとってしまったことは……」
剣と短剣が均衡する中、東野は素早く後ろへ跳躍し男との距離を取る。男の持つ剣と東野の短剣を比べれば、あのままの状態では些か分が悪い事は理解している。
「つまりはお前……一度負けてんだな? 地球人に」
男は剣を下げ東野を睨みつける。
「ああそうさ。だからこそ俺はお前ら地球人に復讐をすると誓った。お前らは全員……皆殺しだ!!」
「あーあー、それでお前から憎悪のような威圧感を感じる訳か……。こりゃ笑えるな」
言葉とは裏腹に鋭い表情で東野は駆け出した。
右手には短剣、左手にはナイフを持ち、そのナイフを瞬時に投げる。剣との間合いを解消するにはそれが一番効率が良いと考えた結果である。
男がそのナイフを剣で弾いている間に、距離を詰めた東野の短剣が男に繰り出された。
「チッ!」
軽く舌打ちをした男は、それを躱すことしか出来なかった。次々と繰り出される素早い攻撃は反撃を許さない。懐に入ることに成功すれば、東野の得意とする短剣での攻撃の有効さを発揮出来る。
「剣は使わせねぇよ!」
男が無理やり剣での反撃を試みた瞬間、東野の左拳が男の腹部にめり込む。短剣を使えない間合いで反撃に転じた男の行動は賛辞に値するが、肉弾戦をも得意とする東野にとっては関係ない。
確かな手応えのある感触が東野の左腕を包む。致命的な一撃を喰らわせた――その筈だった。
「何かしたか?」
「――なっ!?」
男の顔はまるで苦痛を感じていない。寧ろ何事も無かったかのように平然と立っている。
「ぐはっ――!!」
お返しと言わんばかりの男の拳が東野の腹部にめり込む。後方に倒れ込みながらも、東野は腹を押さえ上半身を起こした。短剣を手放さなかったのが奇跡だと思えるぐらいの衝撃に、東野は咳き込みながら男に目を向ける。
「………これはこれで悪くない」
追撃をすることなく、男は握り締めた左手を見ながら納得するように呟いた。
「この身体ならば……“アイツ”を簡単に殺れる」
そう言って男の顔は喜びに満ち溢れていく。今にも声を出して笑い出すかのような満面の笑みだった。
その奇妙な言動をしている男を東野は見逃すつもりなど一切無い。正直言って隙だらけである。東野の存在さえも、それどころか戦いの中だということも忘れ去っている様子だ。
ナイフを一本手に取った。
これで残すナイフはあと一本しか残されていない。その事が頭を過ぎり少しばかり躊躇する。
――決めるなら……今しかない!
ランクSの男が今以上に隙を見せる展開など考えられない。これを外せば勝機はもう無い。だからこそ外さない攻撃を今仕掛けるべきだと心を決める。
短剣を専用のベルトにしまい、最後のナイフも引き抜く。
両手にナイフを持った東野は自分を落ち着かせるように息を吐き出し、そして――放った。
一本目のナイフは男の心臓。タイミングを僅かに遅らせて放たれたナイフは男の頭へと軌道を取る。
警戒していても絶対に躱せないタイミング。一本目を剣で弾かれても、その瞬間二本目が突き刺さる軌道。
放った東野の手には完璧な感触が残された。そして気付くのが少し遅れた男の反応も予想通りである。
幾多の戦場で敵を葬り去ってきた東野の中距離攻撃に咄嗟に手を加えた新技。ナイフを二本、タイミングを遅らせて放つなど初めての経験だった。頭の中で考え、体が覚えている投擲の技術を応用した結果、最高の攻撃が出来上がった。
その筈だった。
完璧な感触を覚えた東野が笑みを浮かべることもままならないコンマ数秒で、男に向かっていたナイフは二本とも弾き飛ばされたのが目に映る。
そして笑い声を上げたのは、東野ではなく赤髪の男だった。
――何が起きた?
唖然とする東野は心の中で呟く。正確には、何が起きたかは目で見ている現実を受け入れるしかないのだが、今起きている現実を脳内で処理出来ないほど混乱していた。
簡単に解釈すれば、赤髪の男の周りに突如として炎の渦が現れた。その炎がナイフをいとも簡単に弾き飛ばしたのだ。
――異世界人の魔法
その事実を依頼屋は知らない。
ランクSが偶に依頼屋支部を襲う事はあった。その情報によれば魔法など使った痕跡はない。寧ろ使っていたとしても生き残りが誰一人としていないのだから、正確な情報など皆無であり、痕跡が残っていたとしてもそれが魔法だと解釈することも出来なかったであろう。
ランクSの正体も創立者である緒方誠一の言葉と、依頼屋が独自に入手した政府内部の情報からである。それにより異世界人が間違いなく存在することを確信することは出来たが、魔法の存在や個々のプロフィールも知らなければ、支部を回っている東野でさえ今まで一度もお目にかかったことはない。
最初に放たれた炎の玉はロケットランチャーなんかではなく、この男の技だったのかと東野が理解した時には既に男の笑い声は消え、東野に対し冷ややかな目が向けられていた。
「怖いか? 無謀な人間よ」
自分に意識を向けてみれば手が震えていた。それ程までにこの男に恐怖を覚えたのだろうか。勝てないと心が折れてしまったのだろうか。
炎を操るランクSの異世界人を目の前に、東野は唇を噛み締めた。
「ちッくしょぉぉォォォーー!!!」
そして震える右手で地面を殴りつけた。
「……お前が望のなら痛みを感じさせず、一瞬で殺してやる。だが、その前に一つ聞いておこう」
「………」
東野は両手を地面に付け、俯いたまま動かない。
「タカサキコウスケを捜している。お前は知っているか?」
「高崎……を……?」
ふと顔を上げた東野に男は口を吊り上げ笑みを浮かべる。
「そうか……知っているか。ならばお前にはアイツを誘き出す餌となって貰おう」
「……どうだかな。あいつとは二、三度会っただけだからな。別に仲間でも友達でもねぇんだよ」
そう言ってゆっくりと立ち上がる。
「噂は聞いてる。研究所に一人で侵入し、そのトップである倉谷を殺した。その後は生きているか死んでいるかも分からない。まあ、お前の言ってる事を踏まえれば生きているんだろうな」
その浩介をここまで殺したがってる赤髪の男。浩介とこの男の間で何があったのかある程度推測出来る。
それは浩介と自分の差を感じさせるものであり、東野はゆっくりと立ち上がった。
相手がSランクの異世界人であろうが自分のやるべき事は変わらない。当然、東野には餌になるつもりなど無い。
「強かっただろう? アイツは」
学校の屋上で命を賭けたあの時の楽しさが蘇り、いつの間にかそんな台詞を吐いていた。
自分の知らない所で高崎が一歩先へ行っているなら、自分もそれに追い付かなければあの時の楽しさを二度と味わうことは出来ない。
「だが、俺も負けねぇ」
再び東野に闘志が宿る。
短剣を右手で握り直し、低く構える。それを見た赤髪の男は怪訝な顔付きに変わる。
「力の差を知りながら、無謀にも俺に挑むか……」
「力の差を感じたのはお前じゃねぇよ」
その時、男の手の平から炎が湧き上がる。暗く染まった辺り一面が男の炎によって赤く照らされ、為す術無くその様子を見守る村田と広岡はゴクリと唾を呑み込む。
車が一台も通る事のない寂れたT字路を照らすのは男の炎と僅かな街灯だけである。静寂の中、張り詰めた緊張感だけが伝わり、東野と赤髪の男との視線がぶつかり合う。
「ちょっと君達、何してる?」
その緊張感を破るような声だった。
全員が予期せぬ声の方に視線を向けると、自転車に跨り真っ直ぐ東野達へ向かってくる男が二人ほど視界に映る。
「そこから動くな! 武器を捨てて全員手を頭の上へ」
素早く自転車を降りた二人の警察官は、拳銃を構えながら東野と赤髪の男へと近付いていく。
東野は燃え盛っている依頼屋支部の建物に視線を向け軽く舌打ちをした。
近くに民家が無い事は不幸中の幸いであるが、あれだけの大きな爆音が夜中に鳴り響けば、誰かが通報していてもおかしくない。
その事を懸念していなかったからこそ今の事態に陥っている。
「頭の上に手を上げろ!」
警官による二度目の警告が告げられる。唐突だった事もあり、一回目の警告では誰もその行動は取っていない。
「……面倒だ」
東野が手を上げようとした時、そんな言葉が聞こえてくる。
要らぬ邪魔が入ったというぐらいの軽い失念を漏らした男は無表情のままは警官に近付いていく。
「止めろ! 彼らは何も知らない!」
その男がしようとしている事を止める為、東野は咄嗟に声をあげた。
「俺には関係ない」
見る限り事情に精通していない一般の警官である。適当に振り切ればいいと思っている東野の意志はこの男には伝わらない。
「動くな! 撃つぞッ!!」
近付いてくる男の言動に警官は戸惑う。男から感じる威圧感と同じ人間とは思えないような冷徹な目は二人の警官から余裕を奪うには十分であった。それでもジリジリと後退りしながら拳銃を構え、精一杯ながら職務を全うさせようとするその姿勢は賞賛に値する。
「お前ら逃げろ!!」
だが、東野にしてみればそれは自分の命を捨てているだけに過ぎない。
警官二人にそう叫び、短剣を握り直してから自分に背を向けた男に走り出す。
「あ……あ……」
それでも東野の言葉通り瞬時に行動できる精神状態ではなかった警官は、震える腕で拳銃を握る手に力を込める。何がなんだか分かっていない怯えるような顔で男と東野に視線はさ迷う。
そして――
深夜の空に響く一発の銃声。
撃ったのは男の威圧感に負けた警官の一人。弾は銃口を向けていた男へと真っ直ぐな軌道を取るがその男の行動も早かった。
前もって想定していたのか、弾が発射される瞬間には魔力を練っており、それを瞬時に発現させる。
目の前に突如として現れる炎の渦は銃弾を呑み込み、消滅させた。
「なっ……化け物……」
無論、一般人に過ぎない警官の反応は分かりきっており、見たこともない炎の魔法に警官は驚きながら尻餅をついた。
「そうだ。俺達は化け物だ。だからお前らなんぞ簡単に殺せる。フ……フフフ……フハハハハハ!!」
走り出す東野が何かを叫ぶ。
赤髪の男は高々と笑い声を上げる。
それでも警官の二人は何も耳に入ってこなかった。
時間が、まるで世界が止まったかのようにその絵図だけが脳裏に焼きつく。
そして警官の二人は炎に包まれた。