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迷宮世界  作者: 傍観者
37/40

依頼屋の攻防2



「柴田君……大丈夫なようね」


 柴田の様子を見にきた綾華は、ベッドの上で健やかな眠りを見せる姿に安堵の息を吐く。


 別の階の個室に移動させられた柴田は、呼吸器なども付けず、麻酔が効いているのか寝返りをする事もなく静かに寝ていた。それを見ても柴田の容体は安定しているといえる。


 綾華は近くの椅子に腰掛け、深い溜め息を吐いた。


 こうやってゆっくりしていられる時間は今だけだろう。依頼屋は内部からの発端で慌ただしく動いており、捨て身の覚悟でバラリアに戦いを挑む勢いだ。


 ただ柴田が目を覚まさない以上、この依頼屋本部に置いておくことは危険極まりない。 この場所が戦場になる可能性がある内は、柴田をどこか安全な場所へと運ぶ必要があるのだ。


「安全な場所か………」

「安全な場所なんて、今の日本には何処にもないわよ」

「―――!!」


 独り言を呟いた筈だったが予想もしなかった返答が後ろから聞こえ、綾華は咄嗟に立ち上がり、拳銃に手を掛け振り返る。


「へぇ……良い動き」

「あなたは……!」

「お久しぶりね……楠木さん」


 微笑みを浮かべるその女性は、腰に手を当て凛とした姿勢で綾華に視線を送る。


「烏丸玲奈……」

「名前まで覚えてもらってるなんて、お姉さんは感激よ」


 忘れる筈がない。学校の屋上で東野和樹と一緒に去って行った女性。そして、浩介を仲間に勧誘してきた女性だ。それは綾華の記憶に根強く残っている。


「どうして……ここに?」

「野暮な事聞かないでよ。ここは依頼屋本部よ。わたしが所属する場所なんだから、此処にいるのは当たり前でしょ?」

「そうじゃなくて……今は大変な状況でしょ?」

「だからこそよ。内部に裏切り者がいるからこそ、一刻も早くその人を突き止めなくてはいけない。それがわたしの役目……」


 烏丸はゆっくりと歩を進めると、綾華の座っていた椅子に腰掛け柴田を眺める。


「この子があなた達の仲間で、幸村が命を掛けてまで手術を成功させた人、か……」

「命を掛けて……?」


 銃から手を離した綾華は、哀愁漂う烏丸に目を向ける。


「そう。医師全員殺されている中でこの子だけ無事だった。それは幸村が命を掛けて守った証拠。ほんと……馬鹿なのか、優秀なのか分からないわね」


 綾華の記憶にある烏丸とはまるで違う。今の烏丸は弱々しく今にも折れてしまいそうな程の姿である。


 それが彼女の本当の部分なのかもしれない。


 強がっているように振る舞い、決して弱音を吐かないような堂々としたイメージは烏丸が作っているもう一つの姿なのか。だとしたら自分と何も変わらないと共感に似た思いが綾華にはあった。


「烏丸さん……もしかして、幸村さんのこと……」


 烏丸がこうも悲しそうな顔をするのは、もっと深い理由があるのではないかと、同性である綾華は感じていた。


「そんなんじゃないわよ。ただ……幸村はわたしを認めてくれた数少ない人だから、こんなにも早く別れが来るとは思ってなかっただけ」


 烏丸は柴田の手を取り、両手で包み込む。


「でも、それはわたしだけじゃない。彼は依頼屋の全員を認め、時には敵である政府にも同情していた。心の奥では復讐に燃えながら実際には命を尊重していた。矛盾が嫌いな幸村自身がその矛盾を抱えていた。そしてこの子は幸村が最後の最後まで信念を貫き通した証でもある」


 烏丸は柴田の手を離し、布団の中にそっと戻す。


「だからこの子は死なせない。それがわたしの信念……かしらね?」


 疑問詞で終えた烏丸はクスッと笑い綾華に顔を向ける。


「そんな驚くことかしら? わたしだって今の日本を変えたいと願う一人よ」


 驚くというよりも、烏丸のギャップに戸惑っていた綾華は、以前烏丸が言っていた言葉の意味を理解した。


「あなたがわたし達の前に現れた時、強い仲間が必要だと言った」

「ええ……言ったわ」

「それは今の現状を想定した意味だったのね」

「今の現状よりもっと酷くなるんじゃない? 依頼屋だけの抵抗なんて、彼等からしたらたかが知れてるわ」

「そしてあなたはこうも言った。わたし達は飼われているだけだと。その言葉の意味を考えればあなたの覚悟も今なら分かる」

「……よく、覚えていたわね」


 烏丸は前に言った自分の台詞を覚えていた綾華に苦笑する。


「わたしは籠の中の鳥として生きてきた。だからわたしは戦い続けなければならないの」

「あるべき姿の日本に変えるのね」


 そこで烏丸は首を振る。


「日本は変わらないわ。変えることなんて出来ない。諦めている訳じゃないけど……それが難しいことだと分かってる」


 彼らの力は強大である。それは依頼屋として見てきた烏丸のほうが一番よく知っている。


 それでも産まれた時から依頼屋として育ってきた烏丸には逃げ道なんてある筈もない。


 依頼屋が完膚なきまでに潰されるその時まで彼女は依頼屋である。


 そのような意味合いの台詞に対して今の綾華に労いの言葉は思い浮かばない。だが、その言動はあまりに彼女らしくない。


「なに、その弱気な発言? 誰もその為に依頼屋に依存してる訳じゃないでしょ? 誰もが変えたいと願ってここにいるはず。なら変えなければならない。変わらないわけがない。あなたも、このまま終わるわけじゃない」


 真剣な顔を向ける綾華に、烏丸はキョトンと目を丸くした。そして、それは次第に微笑みへと変わっていった。


「ふ……フフフ……アハハハハ――!!」


 仕舞いには声を出して笑い出す烏丸の様子に、綾華はバカにされたと思い怪訝な表情に変わる。


「間違った事言った?」


 少し怒気を込めた綾華の言葉に、烏丸が笑いながらも首を振る。


「いいえ……まさかあなたに説教されるとは思ってなかっただけ」

「説教なんかじゃ……」

「でも、あなたが正しいわね。わたしは自分の運命に酔ってただけ。他の仲間達がそうだとは限らない。――あなたは強い。その強さをいつまでも見せてくれることを願うわ」

「あなたの話を聞いてると、依頼屋は絶対勝てないように聞こえるんだけど?」

「勝てない――と言ったらまたあなたに怒られるでしょうね」

「だから怒ってなんて……」

「だから、勝つのは難しい……と言っておこうかしら。異世界人を相手にしているのは事実だけど、それによりわたし達は日本自体敵に回していると言ってもおかしくないのよ」


 いつしか烏丸の顔から笑みは消え、何かを訴えるような表情を綾華に向けている。


「それは、政府も彼らの味方だから?」

「政府含め……全部よ」


 烏丸は腕時計に目をやり、スッと椅子から立ち上がる。


「そろそろ任務に戻るわ。悠長に構えている時間も少ないわけだし」


 軽く手を振る烏丸に対し、綾華は思考を巡らす。


 特にやるべき事もない。柴田の様子を確認出来たので目を覚ますまでこの部屋に居続けるのは無駄な時間ともいえる。


「わたしも一緒に行くわ」


 出て行こうとする烏丸にそう声を掛け近付いていく。


「どうせ今まで収穫なんて無かったんでしょ? それなら二人で知恵を出し合ったほうが効率良いし」


 どうやら図星のようだ。


 実際に事件を知らされてすぐ、警備隊の人や他の仲間にも接触したがめぼしい情報は得られていない。聞き込みだけで犯人を特定するのは難しいと烏丸自身も思っている。

 尤も、だからこそビルを隅々まで歩き調べた過程で今この部屋にいるのだが。


「じゃあ……お願いしようかしら」


 少し驚いた表情を見せた烏丸だったが、それはすぐに微笑みへと変わった。


「当然の答えね」


 断られた時の不安もあったが、予想以上にすんなりと即決された事により、安堵のような表情を浮かべながら微笑み返す。


「じゃあ行くわよ」


 そして綾華は直ぐに次の行動に移ろうと、部屋のドアの取っ手に手を掛けた。



「行くって言っても、何処へ向かおうというの? わたしだって目的地なんて決めてないわよ?」


 闇雲に本部をさ迷っているだけなので当然と言えば当然の反応である。

 だが、綾華はドアを開けながらニヤッと笑う。


「わたしの仲間に元刑事がいるの。賺さず事件現場に向かったからもう何か手掛かりを掴んでいるかもしれない。適当に回るよりそっちから調べたほうが手っ取り早いわ」

「刑事……杉田満則ね。あなたが言うんだから優秀な人なんでしょうね?」


 これで使えなければ怒るわよ――というような口調で冷ややかな視線を綾華に向ける。


「まあ優秀かどうかは分かんないけど、頼りにはなるわ。なんせあの浩介が認めた人なんだから」

「高崎……浩介………」


 それは杉田と喫茶店で直に話をした時のこと。帰ってきた浩介から出た言葉が『あの刑事(ひと)は信頼出来る』だった。


 綾華も柴田も、浩介は信頼してくれていると思ってはいるが、言葉にしてくれた事は一度もない。あまりそういった感情を言葉にしない浩介だからこそ、その時放った一言がやけに印象に残っている。


「ほんと、わたしの仲間は頼りになる人ばかり。なんかわたしがお荷物みたいな感じだもの。これでも一般の女子高生よりは特殊な人間だと自負してたんだけどなぁ……」

「ふふっ」


 烏丸は軽く笑いながら、綾華の開けたドアから退室していく。


「心配しなくていいわ。わたしから見たらあなたも似たり寄ったりだから」

「……それ……誉めてんの?」


 そして、少し怪訝な表情の綾華はパタンとドアを閉めた。








「手掛かりないですね……」


 杉田と共に手術室をくまなく捜索していた唐山は落胆の言葉を出す。


 手掛かりとなるのは最初に見つけたナイフのみ。それ以外、散乱した室内には何一つ残っていない。


「まあ駄目もとの捜索だから、予想内ですよ」


 時間にして十分。杉田でもめぼしい物は見つけれず頭を掻いた。


「どうしますか?」

「無いものはしょうがない。一旦、落ち着ける場所へ行きましょう。ところで……唐山さんは緒方さんの招集に参加しなくていいのですか?」


 そしてふと思った事を口にする。


「ああ……わたし達医師のメンバーと警備隊は無理に参加しなくてもいいのですよ。今回は仲間の弔いもありますし、参加しても役に立つ局面が違います。後にその詳細が書面で送られて来ますので、それさえ目を通しておけばいいのです」


 淡々と唐山は説明する。その内容からすると、警備隊も似たような理由だと思われる。

 全員が参加しない訳にはいかないが、警備隊を纏めている上の立場の人物が参加するだけで、後はその内容を部下に言葉で説明すれば簡単だ。何より、警備隊という役職柄、全員が参加して本部の警備を疎かにする事も出来ないのである。


 納得した杉田は唐山の言葉に相づちを打ち、手術室を出ようと足を進める。


「ん……?」


 しかし、そこで杉田は自らの頭に浮かんだ疑問に足を止めた。


――あの時の集会で緒方さんは何を言った?


 祥三(マスター)の死を知った時、緒方は戦いを決意し皆を集めた。集会に参加した杉田はその時緒方が何を言ったかすぐに思い出す事ができた。そして柴田は集会に参加せず、幸村の診察を受けていたのだ。


 つまり、その時点では柴田が手術を受ける段取りは整っていない。決まっていない事を緒方が言う筈もなければ、皆が知っている筈もない。


「唐山さん……今回の手術は誰が知ってました?」


 眉間に皺を寄せた杉田はそう尋ねた。


「我々医師のメンバーと社長の緒方さん、そしてあなた達じゃないですかね……」


 そして、唐山の返答で満足するかのように一度頷く。


「もし手術がなくても幸村さんはこの階にいた。その時は幸村さん一人で?」

「いいえ。我々医師はシフト制で夜勤も動けるようにしています。今夜は手術をしていたメンバーが夜勤でしたので、もし手術が無ければ事務所で待機していたでしょう」

「ということは、幸村さんが一人になるということは――」

「ないでしょう。幸村はとても慕われていました。そういう夜勤の暇な時間を利用して談話してましたから。仮眠を取っている時以外は常に誰かが彼の周りにいましたよ」

「その事務所を見せて貰ってもいいですか?」

「ええ……こちらです」


 唐山は手で杉田を促し、手術室を後にした。









「やっぱりそうか……」


 事務所を見て回ったことで杉田の考えはより明確になり、その一室を出た時にはそう呟いていた。


「何がです?」


 事務所をただ案内しただけの唐山には杉田の考えが分かる筈も無く、彼の呟きに対して首を捻る。


 尤も、犯人であるスパイの絞り込みには大きな手応えを感じたものの、その人物を特定するにまで現段階では繋がっていない。

 寧ろ依頼屋のメンバーを全員知っている訳ではない杉田にとって、一時間足らずの捜索で見知らぬ犯人を特定するには無理があった。


「いえ……少し考えが纏まりつつあるだけです。それより唐山さん、何処かコーヒーでも飲みながら落ち着いて話の出来る場所とかありませんかね? それについて唐山さんの意見も聞きたいのですが……」


 どれだけ内部の人間を把握しているか分からないが、少なからず自分よりは知っているということで杉田は唐山にその推理を聞いて貰うことに決めた。


 正直言って犯行のしやすさで言えば、犯人は医師の中にいる可能性が高いと杉田は踏んでいる。勿論、候補として唐山もその中に含まれる。


 だが、杉田は唐山という候補を頭から切り捨てた。


 刑事としてその考えは甘いのだろう。新米の頃は大した根拠もなく白黒決め付け、上司の向井に怒鳴られたこともあった。


 だが、今大事なのは明確な根拠でも絶対的なアリバイでもない。


 誰が正義で誰が悪なのか、次のアクションを起こされる前に解決しなければ依頼屋は内部から崩壊してしまうことになる。下手な詮索が始まれば、今まで運命を変えようと手を取っていた仲間の絆が次々と切れていってしまう。そうなれば異世界人や日本政府云々ではない。


 人を信じること――その区切りは多種多様にある。杉田にとって唐山が手術室で見せた感情は信ずるに値するものだった。

 あれが演技であるなら杉田の人を見る目は、新米だったあの時から何一つ成長していなかったということだ。


「それなら上の階に食堂兼カフェがあります。まだ社長の説明が続いていると思いますので、人は誰も居ないでしょう」


 杉田の要望に応じ、唐山は上の階のカフェを提案した。それに同意した杉田は、唐山に案内されるまま来た道を引き返していく。


 そしてエレベーターがある受付フロアまで戻った時、チーンと鳴るエレベーターの音を耳にする。偶然にもこの階で降りる人がいたのだろうと対して意識はしていなかったが、開いた扉からは見知った顔の女性の姿があった。


「楠木? 何故この階に?」

「あ、杉田さん……丁度良かった。わたしもやることなくなったから手伝おうかなと思って」


 出て来たのは綾華と烏丸である。綾華はそのまま杉田の元へ直行していき、烏丸は綾華に遅れてゆっくりと歩を進める。


「烏丸さんも一緒ですか?」


 そんな烏丸に唐山が声を掛ける。


「ええ。見回りしてたらその娘と会ってね。スパイ探しに協力してくれるって言うから此処に。唐山君は?」

「あなたと同じようなものです。尤も、協力を申し出たのは僕の方からですけど」


 唐山はそう言って苦笑する。


「唐山君は幸村を慕ってたからね。………大丈夫?」

「僕は心配いりません。そういうあなたこそ……大丈夫ですか?」

「誰に向かって心配してんの? あなたは自分の心配をしてなさい」

「相変わらず素直じゃないですね。でも……その表情からすると、一応は大丈夫なようですね」


 知らずの内に軽く笑みを向けていた烏丸は、それを隠すことはせず苦笑する。


「ええ……一応はね………」


 幸村を失った心の傷は大きい。それでもまだ涙すら流さず笑みを浮かべられるのは、それを実感できていないからなのか、綾華に渇を入れられたからなのか、同じく幸村を慕っていた唐山に会ったからだろうか、今の烏丸には分からないでいた。


「唐山さん……そちらの方は?」


 綾華との情報交換を最低限で終わらせ、杉田は唐山の側へ行き烏丸へと目を向けた。


「ああ、彼女は――」

「烏丸玲奈。依頼屋情報部の所属よ。宜しく、杉田満則さん」


 大人の品格漂うような艶やかな笑みを見せ、烏丸は相手の出方を伺うような口調でそう言った。


「情報部の人間には自己紹介は必要ないんですかね?」

「そうでもないわ。あなたを前もって知ってたのはわたしだけ。高崎浩介の動向を探っていた時に知っただけよ」


 思わぬ所で浩介の名前を聞いた杉田は一瞬驚くが、すぐに笑みを浮かべた。


「やっぱりあれ以降監視してたのね!」


 杉田に代わって声を張り上げたのは綾華だった。


「その時じゃないわ。彼がノルベール研究所を墜としてからよ」

「――!!」

「何か知っているのか!?」


 あれ以降、浩介の姿は確認されていないとニュースで流れていた。生きていると信じている二人にとっても聞いておきたい内容である。


「結論から言えばわたしにも彼の行方は分からない。いえ……わからなかった、と言った方がいいかもね」

「………そう」


 期待を裏切られたかのように落ち込む綾華を見た烏丸は溜息を吐く。


「まあその事は時間があったら聞かせてあげるわ。それよりも、今は優先すべき事があるんじゃなくて?」


 烏丸の言葉に唐山が頷く。


「そうですね……杉田さん。彼女は信用出来る人物です。一緒に来てもらっても構いませんか?」


 今度は杉田が頷く。


「ええ勿論。それに、情報部所属ならば私からお願いしたいぐらいです」

「………?」


 杉田の笑みに烏丸は首を捻る。


「ではカフェに行きましょうか」


 予定通り唐山はカフェへ行くためにエレベーターのボタンを押した。


「……カフェ?」


 その言葉に今度は綾華が首を傾げた。










「へぇ、唐山さんコーヒー淹れれるんですね」


 唐山と綾華の自己紹介も済み、カフェへ行く経緯も聞いた綾華が感心の言葉を出す。


 カフェに来たはいいが、従業員も出払っているので勝手に持ってきてくれることもない。自動販売機のドリンクでいいかと杉田が尋ねた時、待ったを唱えたのは唐山だった。


「幸村がコーヒーには五月蠅くてね。これは彼に教えて貰ったんです」


 白衣を脱ぎ、カッターシャツの腕を捲ってコーヒーを淹れる唐山の姿は中々様になっていた。


 ここのカフェはドリップ式のコーヒーを提供しており、その器材を使いこなし、今では三人分のコーヒーがサーバーに滴り落ちていた。


「普段どんな人がこのカフェで働いているんです? まさかそれだけの為に依頼屋内部で雇っているわけではないですよね」


 それこそ無駄にメンバーを集めていると言えるので、まさかとは思いつつも杉田は唐山に尋ねた。


「勿論それはないです。普段ここで働いているのはシステム部所属の人達ですよ。人数が多い割に、何かトラブルがあった時以外は五名いれば回る部署ですから、皆さん副業のような形でこういう仕事をしています。そのお陰でわたし達は毎日美味しい物を食べれていますので有り難い存在ですね」


 唐山は軽く笑いながら、烏丸用の紅茶の茶葉を蒸しにかかる。


「そう考えたら、何でもあるわよね……本部って」

「無いものもあるわよ」


 綾華は依頼屋本部の利便性に賛辞の言葉を出したが、烏丸がそうでもないと嘆息を漏らす。


「酒よ、酒。ここまで揃えるなら居酒屋ぐらい作って欲しかったわ」

「はは……それは無理でしょう。酒に呑まれたら何も出来ない」

「呑まれる方が悪いのよ。二十四時間年中無休の仕事よ。少しぐらいアルコールを置いてくれなきゃやってやれないわ」


 烏丸がそうボヤいたところで、四人分のドリンクを運んできた唐山が笑いながら口を開く。


「烏丸さんは酒豪ですからね。確か、そのお陰で東野君と仲良くなったと聞いてますが?」


 烏丸は前に置かれたティーカップの取っ手をバツが悪そうな顔を浮かべながら指に掛ける。


「忘れたわ……そんな昔の話……」


 そう言って紅茶を一口含む。


 烏丸と東野はこれといって仲が悪いわけではない。そして、仲良くなった事を烏丸が後悔しているということもない。要は仲良くなった過程を話されるのが嫌なわけである。


 所謂、酒の席の失敗談というものだ。


「何だかんだ言って、あなたも結構楽しんでいるのね……――あ、これ美味しい!」


 綾華はコーヒーに口を付け、烏丸をからかった後、再び話題を逸らし唐山に目を向ける。


「ありがとう御座います。そしてそろそろ本題へ入りましょう。そんな悠長な時間も無いのでしょう?」


 唐山は杉田へ視線を移し、杉田はその言葉に頷く。


「そうですね。そうしましょう」


 杉田は一度コーヒーを口に含み、懐から煙草を取り出し火をつけた。


「今から話すことはわたしの憶測であり、絶対そうだという確信はありませんが、現状を見ての可能性で言えば高いと思っています。それでもわたしや楠木では本部にいる全員を知っている訳ではないので、特定するには無理があります。ですので、唐山さんと烏丸さんで思い当たる節があれば色々と教えて頂きたい」


 杉田は二人に目を向け、烏丸も自分の煙草を口にくわえた時にその視線に気付き頷く。


「そのつもりよ。続きを話して」


 そして烏丸の吐いた煙が消えていく時、杉田は口を開いた。


「まず犯人の狙いですが、これはやはり依頼屋の壊滅でしょう。その中で絶対的な医療の腕と信頼を得ている幸村さんを殺すことで内部の動揺を促した。状況的に言えばその時に柴田も殺すつもりだったでしょう」

「でも、幸村さんが抵抗したことでそれは叶わなかった……でも何で緒方さんじゃなく幸村さんと柴田君を? 依頼屋の壊滅が狙いなら直接緒方さんを消した方が早いんじゃない?」


 綾華は一つの疑問を杉田にぶつける。


「確かに直接緒方さんを狙った方が得策だな。だけどそれは何故今頃依頼屋本部を潰そうとスパイは動き出したのかを考えれば説明はつく」

「確かに……今頃ね」


 杉田の言葉に烏丸が同意する。


 依頼屋本部の場所を特定されているならばとっくの昔に潰されていてもおかしくない。確かに支部は次々と攻められてはいるが、本部にそのような攻撃は行われていなかった。


「俺は、依頼屋に対しての見せしめだと思ってる。いつでも潰せる、力ではこっちが上、そういう余裕の姿勢をとっているように思える。それなのに急遽動きを変えたのは……緒方さんが先に動いたからじゃないか?」


 煙草の紫煙が舞い上がる中、杉田は一旦コーヒーを飲み、そして話を続ける。


「マスター……祥三さんの件で緒方さんは皆を集め、そして後には退けない選択を伝えた。勿論それはスパイを通じてヤツらにも伝わった筈だ。依頼屋が表立って動くつもりなら、ヤツらだって動きを変える。それが今回の引き金になったと俺は思う」


 真摯に聞いていた三人は納得するような表情をしていた。


 杉田の推測でしかないにしても筋は通っている。依頼屋が動くならばバラリア勢もほってはおけない。それは分かるが杉田の推論ではそれまでだ。肝心のスパイを見つけ出すまでには至らない。


「ですが、それだけでは何も解決しません。果たして誰が裏切り者か……それが分からなければ我々は対処のしようがない」


 それを踏まえた上で唐山が口を開いた。


「確かに唐山さんのいう通りです。しかし、何故緒方さんじゃなく幸村さんを先に狙ったのか……これである程度わかる筈です」


 その言葉に、綾華が先に考えを纏めた。


「あの時に犯行を決意したのであれば、緒方さんを狙わなかったんじゃなくて、狙えなかった……そういうことね」


 綾華の閃きに杉田は笑みを浮かべ頷く。


「あれ以降、緒方さんの側には俺と綾華がいた。それにより犯人は手を出すことが出来なかった。これを踏まえると犯人は複数ではなく一人だけという可能性が高い」

「でも、戦闘に特化しない幸村でも一人になることはそうそう無い筈。犯人が一人だけならどちらを攻めても複数相手をすることになる」


 烏丸の言いたい事はわかる。成功の確率が高いのは戦闘経験のない医師達である。それでもそれだけで幸村を真っ先に殺すという考えには至らない筈なのだ。


「しかし幾ら複数とはいえ、その複数のメンバーが手術中だったとしたら?」


 それでも警戒の態勢をとれるわけでもない手術中なら話は変わる。


「そしてその手術の相手は柴田ときた。一度、異世界人と戦闘経験のある柴田と依頼屋の絶対的な医者、幸村さんを高確率で同時に抹殺できるチャンスがそこにあったら……俺だってその瞬間を逃さない」


 杉田の言葉に三人は黙り込む。


「そう考えれば経緯については繋がっていく。問題はそれを実行出来た不可解さだ」

「実行出来たことが不可解なの?」

「そうだ。さっきの話からいくと、犯人は幸村さんが手術を行う事も相手が柴田だという事も手術を行う時間も、全てを把握していたことになる。緒方さんが皆を集めた時にはまだ手術の段取りは決まっていない。つまり、それを事前に知っている人物は結構限られてくるんだ」


 そして杉田は唐山に目を向けた。


「唐山さんが言うには、先ず知っていたのは医師のメンバー。準備とかもあるから当然だろう。そして緒方さんと俺達だ」


 杉田の唐山から外された視線は綾華に向けられるが、嫌う素振りも見せず、綾華は視線を受け止め頷いた。


「つまりは情報部や警備隊の人達は犯人じゃない可能性が高いということね?」


 要約した烏丸は杉田に確認するように口にした。


「違うルーツで知った……という可能性があるから絶対とは言わないが……そうだと思う」


 そこで暫く無言の時間が続いた。頭を整理する中で杉田の言った推理も、狙うとする意図も分かった。


 それぞれが飲み物を口に含めカップを置いたその瞬間、やはりというべきか、先に口を開いたのはやはり唐山であった。


「社長がそのような行動を取るとも思えませんし、あなた方二人の犯行とも思えません。私から話が聞きたいというのは、ある程度医者メンバーに区切りを付けているからなんですよね?」

「……すみません、唐山さん。ただ、その可能性が高いので致し方ないんです」


 頭を下げる杉田に、唐山は笑みを浮かべる。


「責めているわけではありません。杉田さんの話は的を得ていて的確な推論です。それならばわたしもその可能性を認めなければいけませんね」

「………ありがとう御座います」

「それで、私は何を教えたらいいのでしょうか?」

「私が個人の情報を聞いても、犯人に繋がる事はないでしょう。ですから唐山さんにはそれに繋がる情報を聞きたいのです。例えば最近様子がおかしい人がいるとか、幸村さんを恨んでいた人がいるとか、小さい事でも構いません。何かありませんか?」


 杉田の問いに唐山は思考を巡らせたが、それはほんの数秒で終わった。


「……幸村を恨んでいる人なんて、居ないと思います。五年以上幸村と一緒に過ごしてきたメンバーばかりですが、そのような話も態度も無かったですし、勿論最近おかしな行動をしていた人もいなかったと思います」

「……そうですか」


 唐山が誰かを庇っているようにも見えない。杉田は手掛かりを得られなかった事に肩を落としそう言った。


「そうなると話が進まないわね」


 そして烏丸も紅茶を飲みながら呟く。


 万事休す――そんな重い雰囲気に包まれた四人は無言で飲み物を啜る。


「何か思い出したことがありましたら報告します。飲み物のおかわりでも入れてきますよ」


 空気を変える為に唐山はそう言って立ち上がる。三人は冷えてしまった飲み物をグイッと口に含み、唐山にカップを差し出す。


「何か悪いんでわたしも手伝うわ」

「ええ、ありがとう御座います」


 唐山だけに負担を掛けるのも悪いと思った綾華が立ち上がり、唐山と一緒にカウンターへ向かう。


 そしてコーヒーの豆を挽く音が響く中、杉田は烏丸へと話し掛けた。


「烏丸さんは何か知らないですか? 医者だけではなく、あなたの周りの人で?」

「そう言われても………特に思い当たらないのよね」


 分が悪そうに烏丸は溜息を吐く。


「烏丸さんは皆と和気あいあいと話すタイプではないですからね」


 挽いたコーヒー豆をフィルターへ入れながら唐山が割って入る。それにより烏丸は冷たい目線をカウンターにいる唐山へと投げかけた。


「悪かったわね。生憎、長いこと依頼屋に居座ってるから仕事量がハンパないのよ!」


 その言葉に嘘偽りは無いのだが、皆と打ち解けられないこととは関係無いだろうと杉田は心の中で思っていた。


「そう考えればあんたって依頼屋でいえばベテランになるの?」


 先程までのカップを洗いながら綾華はそう言った。


 烏丸が産まれた時から依頼屋にいるという事は知っている。年齢を聞いたわけではないが、少なくとも二十代半ばぐらいいっているだろう。そうなれば二十年は依頼屋で仕事をしていると考えても不思議ではない。


「ええそうね。十年前の事件からメンバーもかなり入れ替わったから、周りから見ればそうなるのかしら。そしてあなたより年上だということも忘れないで欲しいわね」


 後半は紛れもなく個人的な意見である。それに対し綾華は、あ、そう……と軽く相づちを打つだけで洗い物へと視線を戻す。


「幸村が入ったのが十年前。私が入ったのがその一年後ですのでもう九年になります。今思えばあっという間に感じますね」


 お湯を注ぎながら唐山は思い出に(ふけ)る。そして烏丸もつられるように口を開いた。


「十年前の事件以降、多くのメンバーが殺され多くのメンバーが去っていった。こんな私がベテランと言われるのもしょうがないことかもしれないわね」

「此処に来て思ったけど、確かに平均年齢は低いわよね? 五十年の歴史があるのに」

「やはり年配の方になるとこの仕事は無理があるんですよ。それも十年前の事件が切欠となっています」


 それまで黙って聞いていた杉田は、唐山の言う十年前という言葉に思い出す事があった。


「十年前の事件というと……あの都心で起きたビル爆破事件ですか?」

「………ええ、その通りです」

「杉田さん知ってるの?」

「いや……俺も聞いただけだから詳しい事は知らんが、当時は相当な騒ぎになったのを覚えている。確か犯人は見つからず、何故か一年も経たず捜査も中止となったとか……」

「たった一年で!? 何かおかしいんじゃない?」


 それ程の騒ぎになったにも関わらず、捜査が一年で終わりその後のニュースにもならないということに綾華は驚きの声をあげるが、烏丸は至って平然とした顔を見せていた。


「上からの圧力が掛かったのね。それは今やもう世間から忘れられた事件。あなたが知らないのも無理はないわ」

「まさか………!?」


 杉田の驚きに烏丸が頷く。


「ええ……そのビルは依頼屋の支部であり、犯人は異世界人。世に公表出来る情報じゃないわ」

「それにしたって………」

「ですが、それ以降社長の頑張りで多くの若手が依頼屋メンバーになったのも事実。幸村もその内の一人です」

「あなたの知る東野和樹もそうよ。確か……幸村と和樹は同期だったかしら?」


 烏丸は険しい顔の綾華に話を振り掛け、その後、確認するように唐山へと視線を変えた。


「そう言えばそうですね。その時のメンバーは実に優秀ですね」

「あら……最近の新人も結構な優秀者ばかりよ。とは言っても五年前入って来たのが最後ね。情報部の村田さんとか聞いたことあるんじゃない?」

「ああ……確かに可愛い顔してドSだと医師の間でも評判になりました。あの子は五年前入った方なんですね」


 笑みを含めながら、唐山は綾華と共に作り終えた飲み物をテーブルに置いていく。その言葉に対し烏丸は呆れ顔だ。


「あなた達の間ではどんな評判になってんのよ。あの子も結構頑張ってるわよ」

「となると、中村さんと同期ですね」

「え……?」


 予想外の烏丸の反応に、唐山は椅子に座りながら苦笑を漏らす。


「いやいや、怒られますよ。中村さんと言えば今や社長の秘書を任される程優秀な方ではないですか」


 社長の秘書。その言葉で杉田は明確に姿を思い浮かべる事が出来た。


「確か……中村ひかりさん、でしたね。そう言えば仕事が出来そうな方でした」

「ちょ――」

「でも、入ったのが五年前なんですね。顔に似合わず結構なベテランだと思ってたんだけど」

「彼女は天才なんですよ。何でも彼女の戦略で襲われてた支部を勝利に――」

「ちょっと待って!!」


 バンッとテーブルを叩きながら立ち上がる烏丸の姿に三人の目は点になる。


「ど、どうしたんです?」


 突如言葉を遮られた唐山は驚きながらも口を開くが、それに被せるかの如く烏丸は怒声を上げる。


「わたしとしたことが、すっかり忘れてたわ!」

「な、何がですか?」


 そして再び唐山が問う。今度は三人の顔を見回した後、静かに口を開いた。


「居るじゃない、一人。手術の事を知っていて犯行に及ぶことが出来る人が。そしてスパイとしては絶好の立場の人物がっ!!」


 そこで三人とも烏丸の言わんとしている事を理解した。


 そして――


「中村ひかり――。社長の秘書である彼女なら全ての推論に当てはまる!!」


 三人は息を呑む。そしてそれが正論だと頭が勝手に理解していく。


 暫くの沈黙の後、杉田は無意識に口を開いていた。


「緒方さんが……危ない!!」


 それが引き金となり四人は一斉に立ち上がり、そして駆け出していた。



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