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迷宮世界  作者: 傍観者
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守りたいもの1

 電子音が一定のリズムで響き渡り、緊張感に包まれた室内では静かに作業が行われていく。


 今では体が覚えているほど慣れた作業であっても、決してそれを軽んじたりすることはない。人体を扱う以上、それに伴う責任と重要性を知っているからである。


 命に関わる危険性が高いわけではないが、いつも以上に真剣な幸村がそこにいた。

 勿論いつも真剣に手術はしているが、それでも柴田を手術する重みは違っていた。


 何故かは正直幸村にもわからない。


 十年前の事件で同じ境遇を辿っていたことでの親近感かもしれないし、もしくはただ単に分かり合える友人としてかもしれない。折れた肋骨の接合手術はそれ程難しい手術でないにもかかわらず、幸村は多少のプレッシャーを感じていた。


「ふぅ……。接合完了だ」


 手術服の幸村は大きく息を吐き出し、安堵した表情を見せる。


 従来の手術である最終段階を無事にクリアし、全身麻酔で眠っている柴田の容体も良い。普通ならば今からメスで開いた皮膚の縫合に入るのだが、幸村の手術はもう一段階ある。その為幸村の表情も再び真剣なものに変わった。


「今から溶接に入る。気を緩めるなよ」


 それは助手のメンバーに向けられた言葉だが、実は自分にも言い聞かせる為の言葉でもあった。


 溶接手術とは、骨と強力に粘着する特殊な素材を使い無理矢理くっつける手術である。それを使えば瞬間接着剤のように簡単に繋ぎ合わせることができる。

 当然だが只の接着剤より耐性は高く、従来の骨の強度並みの粘着力を持つので、正に骨の為の接着剤といえるのである。


 しかしその接着にはかなりの神経を使わなければならない。


 幸村が溶接と言ったように、その特殊な素材は粘土のような固体である。それを折れた骨の箇所に付け、小型の溶接器具を使って溶かすことで骨を接着させるのだ。


 その作業には針の穴を通すような手先の器用さが重要になり、接着させる箇所、溶かす温度とそのタイミングを少しでも間違えば骨そのものにダメージを与えてしまう。


 一般ではまだ認められていないその医療法を幸村はこの場所で確立させていた。通常一ヶ月掛かるところを三日で治すと言えたのもそれが理由である。


 だがその手術にはやはりリスクも付いて来る。接着させた箇所に再び強烈なダメージを受けた場合、ただ骨が折れるだけでは済まず、硝子が割れた時と同じ様に骨が粉々になって砕けるのだ。

 そうなれば完全に治せる見込みはゼロになり、それ相応の激痛が訪れる。あくまでその事については柴田も了承済みであるが、実際恐いのはそうなってしまった時だ。


 その幸村の手術を受けた者は今まで数十人いるが、再びその箇所を怪我した者の死亡率は四十パーセントを超える。手術を受けた箇所にもよるが、その時の激痛でのショック死、または普段の生活すら困難になる後遺症で酷く後悔するかのどちらかとなる。


 それを知っている幸村だから強制はしないようにしているが、手術前に考え直す人は依頼屋という職業柄非常に少ないといえる。それが人間の愚かな部分と言ってしまえばそれまでだが、その時手術をするのかしないのかはその人の意志を含めた時、正解なのか間違いなのかは幸村に判断は出来ない。


 だからこそ幸村は今、柴田の意志を尊重してこの場所にいる。


「よし。次が最後だ……」



 精神力が磨り減るような手術を完璧にこなし続け、あと一カ所で完了というところまできた幸村はその集中力を維持したままその作業に取り掛かろうとした。


 ところが、手術中にもかかわらず扉が開くと同時にとある人物が入室し、幸村含め助手のメンバーもそちらに視線を奪われた。


「……あなたですか。どうかされたんですか?」


 その顔を知っていた幸村は、入ってきた事への疑念を感じつつも意識を柴田へと戻す。それを見た助手のメンバーもそれぞれの仕事を始めた。


 その人物は幸村の近くへ移動すると、患者である柴田へと視線をむけた。


「どんな感じかしら?」

「……そうですね。柴田君の状態は安定してますし、手術も問題無いです。この調子でいきましたらあと三十分程度で終える事ができるでしょう」


 その人物――その女性が聞いてきた内容は柴田の状態なのか、または手術経過なのか読み取ることができなかった幸村はどちらにせよ対応できる返答を返した。


「そんな事を聞きに来たのですか? 心配されなくても完璧に終わらせますが?」


 凛と立つその女性に幸村は手を休めることなくそう告げた。


 今の依頼屋組織が、戦力となってくれる柴田達を如何に歓迎しているかは幸村も知っている。その女性も柴田の怪我を心配して来ているのだと幸村は思っていた。


 だが、女性の口からは幸村の思いとは裏腹な答えが返ってくる。


「それはそうでしょうね。あなたの医療の腕は本物ですから」


 台詞染みた言葉だった。


 ならば何故此処に来たのか? 幸村がそれをそのまま尋ねると、女性は軽く笑みをつくった。


「再確認したかったの。今の依頼屋組織に必要なのは強い戦力に変わりないけど、それを再生させるあなたの力も絶対に必要なのだと」

「幸村さんっ!!」


 (おもむろ)にナイフを出した女性の行動に助手の一人が大声をあげ、その声で手を止めた幸村は咄嗟に振り返り女性に顔を向けた。


 驚愕以外何ものでもない。


 女性がそんな行動を取る理由も分からなかったし、何より今まで勝手に抱いていたイメージからかけ離れていたからだ。


 予想外の出来事に対処出来なかった幸村は、自分に近付いてくるナイフを躱すことも出来ない。


「止めろ!!」


 そんな幸村を庇うように、先に大声で幸村に異常を知らせた男がナイフを持つ女性の腕を掴みその場に倒した。


「――ッ! 邪魔よ!!」


 暫くもみ合った後、女性は男に蹴りを入れ、男が怯んだ隙にナイフを突き刺した。


「うっ!! ……あ……ぁぁっ……」

「山下!!」


 刺された男――山下は無残にもその場に崩れ、微かな呻き声をあげたあと動かなくなった。


 血が床に広がる中、女性は直ぐに立ち上がり再び幸村にナイフを向けた。そのナイフにはべっとりと血が付着し、その場にいる他のメンバーにも戦慄を与えるには十分な効果があった。


 悲鳴の上がる手術室。混乱した助手の女性人は当然のように手術室から出ようと逃げ惑う。他の男性も動揺しているのが見受けられ、適切な行動を取れる者は一人もいなかった。


「逃がすわけ、ないでしょ」


 主導権を握った女性は殺人鬼に成り果てた。


 手術室というのもあって、この部屋一帯は防音設備がされている。それが(あだ)になるとは誰も予想だにできず、その考えも結果論に過ぎない。


 適切な行動が出来る者がいれば、間違い無く壁に設置されている緊急ベルのボタンを押すか、同じく取り付けられた内線電話で助けを求めただろう。


 ただ残念な事に、医療部隊である面子にそういった訓練をさせたこともなければ、争いに慣れている面子でもない。幸村を含めそんな現場になってしまった時、冷静な判断を下せる人間は一人もいなかったのだ。


「そ、そんな……」


 悲鳴で溢れていた手術室は一気に静寂へと変わった。


 扉の横で重なり合うように倒れている仲間達からの声はもう聞こえない。


 今部屋にあるのは、血なまぐさい臭いと、仲間達の無残な姿。そして返り血を浴びた殺人鬼の姿。


 佇むことしかできなかった幸村は次第に恐怖を覚えていった。


「なぜ……なぜ、あなたがこんなことを………?」


 返り血を浴びた女性はその血を拭うこともせず、微笑みながら幸村に顔を向けた。


「何故? そんなの簡単よ。今日が記念すべき始まりの日だから。私は元々日本を変えたいと思っていた。変わればいいと願っていた。今日がその日よ」

「依頼屋組織は、あなたの所属する組織はそれを担っている筈だ! なのに何故……」

「あなた達はいつもの日本に戻そうとしているだけ。だけど私の願いは違う。根本から変わらなければ意味が無い。破壊と殺戮を行使して今の日本は変われるのよ。それを手助けしてくれるのは依頼屋じゃなく、異界の人達よ」

「彼らは手助けなんてしようとしてない!! 自らの欲望の為にこの地球を乗っ取ろうとしている!! 緒方さんの近くにいたあなたなら知っている筈だ!!」

「勿論知ってるわ。でもそれが悪い事なの? 日本人に任せているより異界の者に任せた方がよっぽど信頼できるわ」

「地球上にいる人類が消え去ってもか!?」

「それでも、よ」

「……あんたは狂ってる!」


 幸村は震える拳を抑えようと強く握り締めた。


「結局最後に笑うのは支配した側の人間よ。所詮この世は弱肉強食。あなたもそう思わない?」

「思わない。あなたは命の尊さを知らないからそんな事が言えるんだ。僕等の生きてきた世の中は努力すれば報われる!」

「命の尊さなら……私だって知ってる。知ってしまったからこそ、今の日本を変えたいと願った」


 女性の雰囲気が一気に弱々しくなり、その顔からは悲しみすら感じられた。


「……知っているならそんな考えにはならない筈です。過去に何があったかは知りませんが、ヤツらが地球を支配した時、あなたが無事でいられる保証はありませんよ」


 再び顔を上げた女性は笑みを浮かべていた。


「構わないわ。命なんていずれは朽ちるもの。今の日本を変えてくれるなら私は生にしがみつくことはしない」


 それは女性の本心であり執念でもあると幸村は感じた。


「………何があったんですか? あなたをそこまで追い詰めるまでの理由はなんですか? 今の日本の何に不満を感じているのか、良かったら話して下さい」

「フフッ。今度はカウンセラーのつもり? だけどあなたに話すことは無い。お喋りが過ぎたわ。悪いけどこれは決定事項。死んで貰うわ」


 ナイフを構え近付く女性に、幸村は近くにあったメスを咄嗟に掴み上げた。


「僕を殺しても何も変わりませんよ。依頼屋組織はそんなに脆くない」

「いいえ、あなた達は負ける。だって彼等には勝てないから」


 そこで素早く女性が動いた。突き出したナイフに戸惑いなんてなく、ただ幸村を殺すことだけを目的とした殺意ある行動だった。


 メスを握っているとは言え、戦闘経験などない幸村は必死になってそれを躱す。


「それでも、僕は彼らと戦う道を選ぶ!」


 柴田から離れるように回避する幸村の体が戸棚や机に置いてある医療器具などを薙ぎ倒し、それを気にかける余裕もなく追ってくる女性から逃げ回った。


「それが愚かだと言ってるのよ! 彼らなら必ず違う日本を作ってくれる!」

「その期待こそ間違いです! 辿り着く先は僕らの世界ではなく彼らの世界に変わる。日本もアメリカも関係なく彼らの星になってしまう!」


 徐々に追い詰められていった幸村は壁際で逃げ場を失う。


「私は彼らに忠誠を誓った。彼らに支配される星になれば本望よ!!」


 女性は幸村との間合いを詰める。幸村も咄嗟にメスを振り回したが、女性のナイフがメスを弾き飛ばし、幸村は無防備な状態へと変わった。


「――ぐあッッ!!」


 鋭い痛みが幸村の身体に伝わる。


 密着するように目の前にいる女性のナイフは、幸村の腹部に深々と突き刺さったのだ。


「あ、アァ……」


 苦痛に顔を歪める幸村の耳元へ女性は口を近付ける。


「あなた以外の医者は、もう全員殺したわ」

「!!!」


 僅かに目を見開いた幸村は、微笑む女性から後方の柴田へと視線を移した。


 ここで幸村が倒れてしまえば、麻酔で眠っている柴田を殺すことなど容易に出来る。それだけは避けなければならない。


「ああァァァァァーー!!!!」


 自分を奮い立たせるように叫んだ幸村はそのまま女性の肩を掴み、力の限り押していった。


「なッ!!」


 予想外の幸村の行動で、足がもつれながらも体勢を維持する女性は背中を向かいの壁にぶつけられた事で顔をしかめた。


 格好でいえば先程と真逆の展開となり、幸村が女性を襲っているようなポジションである。


「あなたの、好きにはさせないっ!」


 女性が背中を付いた壁の横には出入り口の扉を開ける認証キーがある。外側からは暗証番号を入力するか、カードキーを通す事で開閉する仕組みだが、内側からは『開』というボタンを押すだけで開くようになっている。


 幸村はそのボタンを押した。


「まだ、僕たちは諦めない……」


 女性の肩を掴む幸村の腕に力が入る。爪が皮膚にめり込むような感覚で女性の顔も苦くなっていく。


 その女性を強引に振り回し、廊下へ突き放した幸村は直ぐに扉を閉めロックする。


「いつか……あなた自身が救われることを……願っています」


 扉のむこうにいるだろう女性に、幸村は額を付けながらそう言った。


 彼女の持つ闇が晴れればその考えは間違っていたと気付けるのだと確信しているからだ。


 そして幸村は非常ベルを鳴らした。警報を知らせるサイレンがけたたましく鳴り響く中、背を扉に預け、ズルズルと崩れ落ちていった。


 脇腹に刺されたナイフは女性を突き飛ばした時、一緒に抜かれている。傷口から湧き出る血は幸村の太腿を赤く染め上げていく。


 止血をしなければ、と医者の幸村でなくても思うことだ。だが医者であるが故に、幸村にはやらなければならないことがある。


「柴田君……直ぐ、取り掛かるから……」


 それは柴田の残された手術である。


 皮膚を切り裂き、完全に骨を接着させてない状態で柴田の麻酔が切れれば、意識を取り戻した柴田は絶叫するだろう。


 幸村自身の怪我も致命傷に近いほどの重傷であるが、それでも柴田を優先したのは自分の限界を悟った直感と、自分にしかできないという責任感。そして柴田に嘘をつきたくないという決意からだった。


「僕が治すと……言ったからね」


 他の医者は全て殺したと聞いた時、幸村の頭の中に柴田の存在が浮かんだ。そして覚悟したのだ。僕しかいない――と。


 そもそも今の手術が出来るのは幸村しかいないが、それでも骨の接着だけ終わらせて、後の縫合は別の人物に任せるという選択肢は選べないのだ。


 自分の身体は自分が一番良く分かる、というのはこういうことを言うのだろうと、幸村は消えつつある自分の命を実感しながら柴田の元へ辿り着いた。


 寒気もあるし、意識も朦朧とする。当然痛みもあれば視界もぼやける。


 満身創痍の中で幸村は培った感覚と助けたいと願う気持ちだけで柴田の手術を開始した。


 あの時の父さんもこんな想いだったのかな? と、どこか懐かしさを感じながらも幸村は立ち続けた。





 十五分経った時、幸村の身体から全ての力が抜けその場に崩れ落ちる。


「僕はやっぱり………父さんと母さんの、息子だったよ……」


 まさか自分も最期の最後まで医者として終わる運命になるとは微塵も思ってなかった幸村は小さく笑った。無念さより満足感が強いのは、そんな人生を送った両親を見たからだろう。


「良かった……」


 これが本望だと言うように幸村は目を綴じた。




『この子には人を守れる強さと意志を持って欲しいの。だからこの子の名前は(まもる)でどうかしら?』

『守、か。いいんじゃないか。よし! 今日からこの子は守だ! 幸村守だ!!』

『フフ……そんなに乱暴に抱き上げたら守が泣くわよ?』

『心配はいらん。私達の子だぞ?』

『あら本当。守、笑ってるわ』

『お前は立派な医者になれるぞ、守!!』


 不思議と消えゆく意識の幸村にそんな両親の光景が浮かび上がる。


 そして幸村の頬を一筋の涙が伝っていった。





 享年三十三歳。平坦ではない短い人生だったが、幸せな想いを抱きながら幸村守の人生は幕を閉じた。


 その部屋には完璧に手術を終えた柴田が眠っていた。




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