事の始まり2
全校集会が開かれた理由。それはやはり生徒が殺された事件の影響であった。
基本的には校長先生の長々としたお悔やみの言葉を聞くだけだったが、多くの生徒が号泣し、その声や鼻を啜る音が体育館に響き渡る。
それがまた殺された彼女の人柄の良さを教え、それと同時に事件が嘘ではなく現実だと証明している。
殺された生徒は加藤沙耶。浩介と同じ二年だ。
昨日の夜に襲われ、心配した両親が発見しそのまま救急車で運ばれたが助からなかった。
こんな形で生徒を失った学校側も、他の生徒への影響も大きいということで明日から土日を含む四日間は休校になり、今日の授業も中止となった。
最後に、夜はなるべく出歩かないこと、当分は複数人で帰宅することなどを強要し、全校集会は終了した。
「高崎くんはこれからどうするの?」
教室でのHRも終え生徒達が続々と帰宅する準備をしているなか、愛理は浩介の机の前に来た。
「そうだな…。特にやることもないしこのまま帰るけど、なぜだ?」
「…ううん。なんとなく」
愛理は軽く顔を左右に振り、なんでもないよ、とアピールする。
一緒に帰りたかったが誘うことが出来なかった。
浩介がいれば危険は少なくなるというのも確かにあるが、それは愛理の心のほんの一部でしかなかった。
高校から知り合った仲だが、今まで出会った男性の中で一番心地良いと感じることができた。
優しい笑顔と抜群の運動神経、頭の回転のキレも良く顔も整っている。
時折、他人を寄せ付けない険しい顔付きの時もあるが、それも浩介のミステリアスな部分ということで納得され、密かに女子の中では隠れファンもいるほどだ。
愛理もその中の一人だが、ファンというよりも確かな恋心を抱いている。
だからこそ一緒に帰りたいというのが本音だったが、よく考えればこの事件を利用して浩介に近付こうとしているのではないかと脳裏をよぎる。
不安、恐怖は確かにあるが、これをきっかけに浩介と親密な関係になっても何かスッキリしない。
元々愛理はそんな簡単に割り切れる性格は持ち合わせていなかった。
――あたしって、最低……
そんな矛盾ともいえる複雑な心境を自分で処理できる筈もなく、先走って浩介に予定を聞いてしまった愛理は、上手く笑顔が作れているか不安になりながらも浩介に背を向け帰ろうとする。
「駅まで送ろうか?」
「え!?」
予想外の浩介の言葉に驚き、足を止め振り返る。
愛理の視界には至って真剣な顔を向ける浩介がいた。
「で、でも、遠回りになるんじゃ…?」
「別に予定がある訳じゃないし、そのぐらい何も問題はない」
浩介は学校から家まで徒歩で通っているが、愛理は白ヶ丘駅から二駅先に実家がある。校門から出て直ぐ前が十字路になっているが、その交差点を左の道へ進むと浩介の家。真っ直ぐ進むと白ヶ丘駅だ。
つまり、どう頑張っても浩介が遠回りになるのは否めないのだ。
それでも浩介が『駅まで送る』と言ったのは、暇つぶしや恋愛感情からではない。
愛理は『なんでもない』と笑顔を見せたが、その笑顔には悲観や哀傷などの感情が表れていたのだ。
泣きそうな面持でぎこちない笑顔を向けられた浩介には、そのまま帰るという選択肢を選ぶことを躊躇せざる負えなかった。
愛理は一度思い詰めるとなかなか立ち直れない性格だと浩介は知っていた。
一度、同時に二人の男子から告白を受けた事があった。愛理は両方断ったのだが、その後二人の男子は悲観の気持ちをお互いにぶつけ、殴り合いの喧嘩になったのだ。
愛理は自分が断ったからだと責任を感じ、一週間もの間悩み続けていた。
その時は浩介や友達も必死になって慰めたが、一度そこまで落ちた愛理は何を言っても上の空状態で手に負えなかった。
恋心までは気付いてないが、状況的にそうなる可能性のある愛理を放っておくことなど出来なかったのだ。
一方、浩介の心配を知る由もない愛理は、本来の笑顔を取り戻していた。
「じゃあ、帰るか」
「うん!」
並んで教室から出て行く二人を残っていた男子生徒は怒気の眼差しで見送り、愛理の恋心を知っている友達は歓喜の眼差しで見守っていた。
駅まで付いた二人はそのまま別れることなく近くのファミレスへ入っていた。
時間的にもお昼前であったし、朝から何も食べていない浩介の提案に愛理が断る筈もない。
浩介は生姜焼き定食、愛理はマカロニグラタンを食べ終え、それぞれコーヒーとメロンソーダを追加注文した。
「へぇー。高崎君って一人暮らししてるんだ」
食事の時から何の変哲もない話題で盛り上がっているが、殆どは愛理が浩介に質問し、それを答える、というなんとも尋問のような会話であった。
「そんな大層なことじゃないだろ。実家から学校まで遠いから近くで一人暮らししてる。それだけだ」
実際、浩介の両親も反対することなく、成長できるから、という理由で寧ろ進めてきたぐらいだ。
「お金は?」
「最低限は親から仕送りがあるが、あとは――まあ、親から送って貰ってるな!」
しまった!と浩介は冷や汗を流し、動揺を隠すようにコーヒーをゴクゴクと飲んだ。
バイトをしている、と口にしようとしたが、今の流れからして愛理がバイトについて質問してくるのは目に見えて明らかだった。それは浩介にとって避けて通りたい道でもある。
「そうなんだ。いいなぁ」
そう呟いたことから上手くごまかせたんだろう、と浩介は安堵した。
その後も、一人暮らしってどう?とか、なんで白ヶ丘学園にしたの?とか、好きな食べ物は?などと質問の嵐だった。
バイトの件以降、浩介も下手な事を言わないよう考えてから口に出すようにしていた為、ファミレスに入って二時間、疲れ果てながら店を出るという結果になった。
駅で愛理を見送った後、帰ろうと思った浩介だったが、背後から迫る女性に声を掛けられ阻まれる事になる。
「初めまして、かな?高崎浩介君」
突然の出来事に咄嗟に振り返る。
そこに立っていたのは、見慣れた制服に身を包んだ女性だった。
根本から毛先まで少し茶色がかった色に染め、腰近くまであるサラサラとした長い髪が風に靡いている。
小さな顔とモデルのようなスラッとした体型で女性としては身長も高い。
誰が見ても綺麗、と言わざるをえない容姿だ。
現に、横をすれ違う他人からは二度見をする者までいる。
そんな美少女が何故話しかけてきたのか?そして同じ学園の生徒だろうが浩介には見覚えが無い。間違い無く初対面なのに何故疑問系で尋ねたのか?などと疑念を湧かしていた。
「えっと、君は…?」
至って冷静に口に出す。女性はそれにクスクスと笑みを浮かべ答えた。
「楠木綾華。あなたと同じ二年なんだけど…。噂通りの人ね」
「噂?」
一体どんな噂が流れているのか?と浩介に嫌な汗が流れる。
「他人にはあまり興味が無いってことよ」
少し皮肉を込めた笑みで右手を自身の腰に置く。
その凛とした姿が一段と威圧感を感じさせる。
実際、浩介は人の名前を覚えない。
友人や、何度か会話を交じらせた人なら記憶に留まるのだが、少し顔を合わせた程度だと直ぐに記憶から消去してしまうのだ。
その為、入学してからの一年の時のクラス全員を把握したのは実に半年近く掛かっていた。
浩介自身もそれは自覚していたし、無理して覚える必要もないということで改善することは無かった。
それが噂になっているとは知らない浩介は何も言えず苦笑いを浮かべた。
「それは悪かったな。何度か会ってたか?」
「廊下ですれ違ったぐらいよ。安心して」
それぐらいで浩介が覚える筈無いと分かっていたし、改めて思い知った綾華は溜め息を吐いた。
「まあそんなことはどうでもいい。そろそろ本題に入ろうか」
浩介にとってここからが問題であった。
何故声を掛けられたのか?
このタイミングで話し掛けられる場面を考えればそう多くは無い。間違いなく綾華は浩介の情報を少なからず持っている。それがどこまでの情報なのか、目的は何か、と思考すると冷や汗が流れた。
ただ単に友達になりたい。とか、一目惚れで愛の告白。とかなら浩介にとってなんの問題も無い。その為、その思考は直ぐに消し去った。
可能性が無い訳ではないが、綾華の態度を見ても辻褄が合わない。
浩介には異様な不安感があった。
「せっかちね。じゃあ言わせて貰うわ」
澄んだ目を向ける綾華に浩介はゴクリと唾を飲む。
周りを歩いている人の視線も気にならない。そんな雰囲気が二人を包み込んでいた。
「高崎浩介、十七歳。身長百七十六センチ、体重六十三キロ。好きな食べ物はラーメンで嫌いな食べ物はネギ。勉強成績は中の上。運動神経抜群であらゆるスポーツに対応できる。でも部活動はしていない。白ヶ丘学園入学に伴い、こっちで一人暮らし。今は充実した高校生活を――」
「お、おい!一体何が言いたい!?」
余りに予想とかけ離れた説明をする綾華を唖然と見つめていたが、ふと我に返り綾華の言葉を止めた。
綾華は一つ息を吐き、依然変わらぬ真剣な顔で視線をぶつける。
「もう薄々気付いてるとは思うけど、私はあなたの秘密を知ってる」
不安感が現実に変わった瞬間だった。
ある程度予想出来ていて心の準備も整っていた為浩介もそこまで驚くこともなかったが、綾華の目的が未だわからないこの状況に、眉間に皺を寄せ険しい顔を向けるだけであった。
「場所を変えよう」
しばしの沈黙の後、浩介は険しい顔を崩し口火を切った。
その提案に綾華も頷くだけの無言の肯定で承諾した。
駅前で通りすがりの人も多いし、何しろ綾華の容姿もあり見てくる人が多かった。
綾華自身、少なからず慣れているが気持ちの良いものではない。慣れていない浩介なんて以ての外だ。
話の内容のこともあり、少し長くなりそうだと感じた浩介の思いに、綾華は記憶にあった喫茶店へと誘導した。
駅前からちょっと離れた人気の少ない路地にお店はあった。
正直流行っているとは思えないこじんまりとした風貌であったが、全体が木造で出来ているお店からは安らぎを感じる事ができ、入口の周りには手入れされた観葉植物が多数置かれ、木造の建物との相性も良かった。
何より滅多に客が来ることのない場所というのが、今の二人には丁度良かったのだ。
出入り口の前にある、こちらも木で造られた三段の階段を上り扉を開けると、カランカランと昔ながらの鈴の音が鳴った。
「……いらっしゃい。好きな席へどうぞ」
落ち着いた低い声で出迎えたのは五十前後の強面の男性だった。
この店のマスターに促された二人は入って左奥にある窓際のテーブル席へと腰掛け、お冷やとお絞りを持ってきたマスターにアイスコーヒーを二つ注文した。
「楠木は――」
「綾華でいいわよ、浩介」
喫茶店に入って第一声を発したが直ぐに返された浩介はそうか、と呟くと咳払いをした。
「綾華はコーヒーで良かったのか?」
「なんか変?好きよ、コーヒー」
「いや、ならいい」
なんとも繋ぎようのない会話が終わると同時に、マスターがアイスコーヒー二つと灰皿をテーブルに置いた。
アイスコーヒー二つは注文した品だからわかるが、灰皿の意味が分からない綾華はマスターに顔を向けた。
その視線に気付いたマスターは無表情のまま浩介に顔を向ける。
浩介は苦笑いを浮かべながら上着の右ポケットから煙草とライターを取り出し机に置いた。
恐らくお店に入った時にチラッと見えたのだろう、と考え、灰皿を持って来たのは容認されたからだと理解した。
マスターはそのまま奥へ消えて行き、浩介はそのマスターに感謝した。
「浩介…タバコ吸うの?」
綾華は少し驚いた顔をしていた。
「まあ、気休め程度だ。一本いいか?」
綾華が頷くのを確認してから煙草に火をつけた。
口から吐いた紫煙が天井に舞い上がり消えて行く。
「そんな情報は知らなかった…」
煙草の先からユラユラと昇る煙をを見詰めながら呟く。
「それで?俺の何を知っている?」
綾華の口から語られるまで自ら真実を話すような墓穴は掘らない。綾華が飽くまでも半信半疑で強攻策に出ている可能性があるからだ。
プロフィール程度の情報なら幾らでも手に入る。だがそれが依頼屋と繋がる事など絶対にない。それだけ依頼屋という存在自体が謎に包まれているのだ。
だからこそ浩介も綾華を警戒し隙も見せない。ちょっとした油断が身を滅ぼす事を浩介は知っていた。
しかしそれは直ぐに解決することになる。
「あなた、依頼屋でしょ?」
ニヤリと笑う綾華に、浩介は依然表情を変えない。
「何故そう思う?」
「見たのよ」
その言葉に浩介はピクリと眉を動かす。
「……何を見たんだ?」
「三ヶ月前、あなたは麻薬売買をしている小さな組織を壊滅させた。場所は隣町の二丁目、繁華街にある看板も出てないお店のような所からあなたは出て来た。他の人は記憶の片隅にも無いだろうけど私は違った。何しろそんな怪しげな場所から出て来たのが学校で見たことのあるあなただったもの。そして次の日、ニュースを見た私は確信した。あなたは依頼屋だとね」
全てが正解だった。
恐らく浩介の情報は興味本意で調べたのだろうと推測するとそれを言ったのは動揺させる、叉は全てを知っているという事を見せつけ優位に立てるようにしたかった戦略だと理解した。
まあその場を見ていたと言われれば反論するのも難しい事だ。
そこまで説明した綾華は少し氷が溶けたアイスコーヒーにミルクを入れかき混ぜた。それを一口飲み、喉の渇きを潤してから再び浩介を見る。
「あなたがあそこから出て来た理由、他に何かあるかしら?人違いとか見苦しい言い訳は止めてね。後はその組織の仲間だったっていうのもないわ」
私の勘だけどね、と付け加え浩介に向けて微笑む。
綾華自身によって言い訳が削除されていくが、元から浩介は言い訳など考えていなかった。
ここで必死に言い訳をして話をあやふやにしても、普段の生活から動きにくくなってしまい自分の首を絞める事になる。尾行などされたら堪ったものじゃない。それに綾華をこれ以上ごまかし続けるのは無理があると感じていた。それよりも綾華がどうしたいのかを聞いた方が得策だと判断する。
それに、これだけを言うために浩介に近寄った筈が無い。
浩介は吸っていた煙草を灰皿へ押し潰して消すと、また煙草の箱に手をやり火をつけた。
心が決まった浩介は椅子に深く腰掛け天を仰ぐように煙を天井に向け吐き出した。そして勝ったように微笑む綾華に視線を移した。
「降参だ。言い訳も何も無い。綾華の思ってる通り、俺は依頼屋として仕事をしている」
「失態したと思わないでね。偶々私が見てしまっただけだから。それも運命だと諦めなさい」
確かに浩介は失態を犯したという気持ちがあったが、それを綾華からフォローされ自然と笑みが零れた。
「そうだな。それで、綾華は何が目的なんだ?」
目的を聞かれた綾華は微笑みから真剣な眼差しへと変えた。
「殺人犯、もしかしたら私達の学園にいるかもしれない。手伝ってほしいの」
綾華の言葉に浩介は驚愕した。
殺人犯が学園にいる。それだけでも興味あるが、間違いなく綾華は何かを掴んでいる。
――おもしろい
浩介は短くなった煙草を灰皿で消すと、気持ちの高揚を抑えるように三本目の煙草を手に取った。