うたかたのような2
何かから逃げている時、その人は果たして何を思って逃げているのか……
例えば喧嘩を売られた相手から逃げる時。
例えば自分で抱えきれない問題に直面した時。
例えば嫌な事を押し付けられた時。
そんな時、逃げるという選択肢を選ぶのだから、大半の人はそれらに関わりたくない思いであろう。逃げ切ってしまえば自分にそれらは降りかかってこないと内心願っている筈だ。
そしてそれは決して間違いとは言えない。
逃げなければならない事から乗り切れ、幸せな生活を取り戻すこともあれば、逆に端から悪い方向に進むこともある。成功法がある以上逃げることは間違いだと断言できないところである。
そして浩介の場合、どちらを選んでもそれは間違いなく後者になる。
逃げ切ったとしてもその先良いことなんて一つも無い。浩介の状況においてこの件から逃げる道がないのだからそれは当然のことである。
浩介は近付いてきた警官から逃げた。応援を呼ばれ、浩介が生きていると世間に教えることが明白な状況を、逃げるという選択肢を選んだ浩介自身で作り上げてしまったのだ。逃げなくてもそうなる状況下にはあるのだが、浩介の選んだ選択はその行動だったということになる。
そうなってしまった場合、大半の人はひとまず立て直しを謀るため落ち着ける場所へと移動する。それがその人にとって家なのか、誰も居ない森の中なのかは各々あるが、今の浩介で考えればフィーガルということになる。
仲間もいて絶対に見付からない場所である為、浩介にしてみれば何とも都合のいい拠点なのだ。
ところが浩介はフィーガルに戻るという選択肢を敢えて選ばず、今も尚アウェーである街中にいる。
「ねぇ、フィーガルに一度戻ったほうがよくない?」
走ったことで体温も上がり、普通に顔をさらけ出して歩く浩介とは違い、依然ナーシェはネックウォーマーとニット帽で顔を隠したまま浩介に尋ねた。
歩いている場所は街中といっても人通りの少ない入り組んだ裏路地であり、偶に事情を知らない歩行者とすれ違う程度だったのでそこまで気にすることもなかった。
「その選択は無しだ。相手は俺が生きていると知って血相を変えて捜しているだろうな。悪いがこのピンチを収穫無しに終わらせるつもりはない」
このままフィーガルに戻ったとしても結局は攻めに打って出れる局面を待つしかない。ヤツらが動いてからこちらも動くという後手の戦略から逃れられない。
ナーシェ達の存在をヤツらに知られたくない以上、それは致し方ないと思っていた浩介だったがその考えは瞬時に変わった。
あくまで今の現状を逃げで終わらせるつもりなど毛頭ない。それを言葉にするならば“逃げ”ではなく“撤退”に変わる。
見付かってしまったことで後ろ向きな考えを持つ前に、浩介は戦略的撤退という思考に変わったのだ。
相手が急遽動くであろう今の状況下の中、その僅かな隙を狙う逆手の戦略を思い描いたのだ。
だが当然リスクは背負うことになる。
「それで、ここはどこ?」
何も分からず浩介について行ったナーシェは、過去から置き去りにされたような虚無となった建物を視界に捉えた。
一方の浩介は戸惑いなくその敷地内へと入っていく。
「今はもう使われていない廃墟だ。そして、俺が初めて人を殺した場所でもある」
「えっ!」
それは綾華達と別れるきっかけを作った出来事であり、浩介の中で大きく道を変えることになった忘れられない場所でもある。
「コソコソ人の後を付け回すような奴から話を聞くにはいい場所だろ?」
それは警察から逃げた時から感じている気配。どれだけ走ろうがしつこく一定の距離を保ちながら付け回すその気配の正体を知るには敵だろうと味方だろうとこのまま野放しにしておくことなど出来ない。
「執念深いというか、用心深いというか、そんなのほっとけばいいのに……」
「言っただろ? 何か新しい情報が欲しい俺達にはうってつけの状況だ。それに敵さんだった場合、いつかは対立することになるんだから早めに潰しておいたほうが良い」
「それはそうだけどさ…――ん?」
ナーシェも納得しかけたその時、今まで付け回していたヤツの気配が強くなったのを感じその方向へと目を向ける。
「早速来たな」
二人の立っている場所は廃墟となってその周辺をフェンスで囲まれた丁度中央の位置。サッカー場でいえば丁度キックオフするハーフラインのセンターサークルの位置である。つまり人一人隠れることが出来る瓦礫はあるが、それを含めても見通しの良い位置に立っているので強襲を受けようともそれらに対応出来る余裕もある。
そしてその気配の持ち主は諦めたように二人の前方にある瓦礫から姿を現した。
「お前一人か?」
「そうだ。何か問題でも?」
見た目からして日本人。年齢は三十代後半といったところで、服装は黒のダウンジャケットにベージュのメンパンといったラフな格好である。
中肉中背、その男の落ち着きようは探偵のような雰囲気もあるが、敵か味方か区別は付かない。ひとつ言えることはただ者ではないということだけだ。
そしてその口調からも浩介は警戒心を強めた。
「強いて言うなら俺をつけていた理由だけだ。お前は何者だ?」
「色んな人から追われているキミならこんな展開も慣れたものだろ? 高崎浩介君?」
「質問に答えろ。それとも、死にたいのか?」
「情報通りの性格だな。まあそう身構えんな。俺だってお前と同じなんだからよ」
いつでも攻めれるよう僅かに態勢を整えた浩介を見て、男はクスッと笑みをつくる。
「同じ……?」
「そう、同じだ。俺は客から依頼を受けた依頼屋、折町真司。あんたと同じフリーの依頼屋だよ」
「依頼屋……」
浩介は身構えた体勢を少し緩め、考えを纏めながらコートのポケットにある煙草を取り出した。
「ということは、その依頼があったから俺を追跡したと?」
口に煙草をくわえたまま苦笑し、火を付ける。
「まあそういうことだ。あんたを見付けることが依頼内容だったしな。その依頼主もすぐに来るだろうから警戒は解いてほしい」
折町は携帯電話を手に持って浩介に見せる。
瓦礫に隠れていた時か、それとも追跡している途中か。どちらにしても依頼主にはこの場所を知らせており、今も向かっている最中ということだ。
折町という男を敵だと断言出来ればそれを敢えて待つことなどしないが、折町の言動を見ても嘘を言っているようには思えない。ならば危険はあるが、その依頼主が何故自分と接触しようとしているのかわからない浩介はその依頼主を待ってみることに決めた。
「ま、いいだろう。当然依頼主の正体を教えるつもりはないんだろ?」
依頼屋をしている者には幾つか決められた暗黙の了解というものがある。その一つが“依頼主の情報は漏らさない”というものだ。
依頼が完了した後なら問題はないので、浩介を見付けるという依頼そのものは既に終わっているのだが、もし言うつもりなら浩介が身構えた時に言っている筈なのだ。
中にはそんな暗黙の了解など守らない依頼屋もいるが、それは殆どが覚悟など微塵もしていないような半端者ばかりである。そしてこの男はそれに該当しないと言い切れる実力を持っていて、言わないのも何か考えがあるからだと浩介は思っていた。
「まあ今の段階なら教えてもいいが、依頼主が来てるなら直接依頼主に会って聞いたほうがいいだろ。顔見知りみたいだしな」
当然浩介の考えを熟知している折町も軽く笑って答えた。
「……顔見知りか。選択肢が多そうで全く浮かんで来ないな」
幾つかの顔を思い浮かべるが、わざわざ依頼屋に頼んでまで浩介を捜す顔ぶれでもない。ましてやその理由もわからなければそのことで悩むのは時間の無駄だと瞬時に切り捨てたのだった。
「にしても、あんたも大変だな」
そして不意に折町が声を掛けた。折町は瓦礫を椅子代わりにして座ったまま浩介に視線を注ぐ。
「研究所の社長、倉谷だけでなく特殊部隊までも全滅させ、今や史上最悪の犯罪者としてその身を追われてる。世間でも悪魔やら異端者やら騒がれる始末。正直今の心境はどうよ?」
その悪意を感じるような質問にも浩介は表情を変えない。
「気にするだけ無駄なことだな。世間にどう思われようが俺のやるべきことは一緒だ。それに世間の言う通り、俺は悪魔なのかもな」
「おー恐いねぇ。それでその可愛らしいお嬢ちゃんは紹介してくれないのかい? 出来れば顔ぐらいちゃんと見たいんだが」
折町の目が浩介からナーシェへと移り変わる。そしてナーシェが口を開くより先に浩介がフォローを入れる。
「悪いけどあんたに見せる理由がないな。彼女はこう見えて結構シャイなんでね」
「あーそりゃ……残念だな」
ナーシェを見て苦笑した折町があっさりと引き下がった後、ナーシェが小声で浩介に呟く。
「もうちょっと他に理由はなかったの!? なんかわたしが残念な人みたいに思われてる!!」
「しょうがないだろ。下手な事言えないんだから」
ナーシェの言い分もわからなくもないが、浩介としては咄嗟に出て来た言葉だったのでどうしようもない。
ふてくされた顔で浩介を見ているあたり、フィーガルに帰ったら大変そうだと思い溜め息をついた。
「それじゃあ質問を変えよう」
そして折町は再び二人に視線をぶつける。
「彼女がキミを匿った協力者ということで良いのかな?」
そしてその質問は的を得たものだった。
「あんたが何故そんなことを気にする? その情報をどこかに売るつもりか?」
「滅相もない! 今ニュースで騒がれている凶悪犯が目の前にいるんでね。ただの興味本位だと思ってくれていい」
折町は少し真剣な顔でそう言った。
「その興味本位がいつか命を落とすことになるぞ」
「俺を殺すのか? 倉谷のように」
「――ッ!」
浩介が睨んだのを見て折町は苦笑する。
「まあ質問の答えは分かったよ。それで間違いないようだ」
そう言って折町は笑みを浮かべたまま瓦礫から立ち上がった。
「……そういうことだ。あの後彼女に助けられた。顔を隠してるのもそのためだ。悪いがシャイなんかじゃないぞ」
「はは、それはそういうことにしておこう。――そろそろかな?」
携帯電話で時間を確認した折町は浩介達に背を向け、この廃墟と街に繋がる一本道に顔を向けた。
そして折町の言った通り、その道から一人の女性が肩で息をしながら懸命に走ってくる姿があった。
「ハァ…ハァ……!! 高崎君っ!!!」
その女性は浩介の姿を視野に入れそう叫んだ後、最後の力を振り絞って走り出した。
「……し、白木?」
依頼屋を使ってまで浩介に会おうとしていたのは他でもない愛理だった。
愛理はそのまま折町の横をすり抜け浩介に飛びついた。
「高崎君!!」
「白木……どうして……?」
咄嗟に抱き締めた浩介は自分の胸に顔を埋める愛理を見て驚きを隠せなかった。
乱れた髪と寒い中で額に滲み出る汗を見れば、如何に必死で走って来たのかが窺える。
そんな愛理の乱れた髪を手で撫でるように直しながら、浩介はもう一度愛理に尋ねた。
「白木、なんで?」
「心配だったの!! ニュース見て、高崎君の指名手配を知って……怪我してるかもしれないと知って……いてもたっても………いられなくて!!」
「それで依頼屋に?」
愛理は浩介の胸の中でコクンと頷く。
何故愛理が依頼屋を知っているのか疑問に思った浩介だったが、今は愛理の心境を察してあげることを優先した。
「心配……かけたな。すまない」
その言葉で愛理は首を横に振る。
「………怪我は?」
「この通り、全然問題無い。大丈夫だ」
「そう………よかった………」
そこで浩介にしがみつく腕に力を込めて、さらに強く抱き締めた。そんな愛理から鼻を啜る音が頻繁に聞こえてくる。
「白木、泣いているのか?」
「ご……めん……。もう少し、このまま………いさせて………」
「ああ。ありがとう」
その浩介の言葉で、愛理はついに声を出して泣き始めた。そして浩介は愛理の頭を優しく撫でることで自分を心配してくれていた愛理に感謝を伝えた。
「いやー、感動の再会ってとこかな。泣けるねぇ」
折町はその光景を茶化すかのようにケラケラと笑う。勿論泣くような仕草は無く、そんな感情すら微塵も感じていない様子であった。
「もう用がないなら帰ったら?」
折町の声は浩介にも届いていたが反応することはなく愛理の頭を撫でるだけだった。その代わりナーシェが嫌悪を込めた言葉を投げつける。
事情は詳しく知らないナーシェだが、少なくとも浩介を馬鹿にしているような彼の言動には腹立たしさを感じている。
だが折町はそんなこと気にしないというように微笑ましい顔をナーシェに見せた。
「やっと声を聞くことが出来た。可愛らしい声だな。益々キミが欲しくなってきた。その身体を、その心を、キミの全てを俺の物にしたい」
ニヤリと笑う折町を見たナーシェは引きつった表情で一歩下がる。
彼の実力に怯えたのではなく、ただ純粋に気持ち悪いという感情が支配したのだ。戦えば負ける気がしないナーシェでもこればかりはどうにもできず、ただ鳥肌が立つ程の寒気を感じていた。
「……どうやらお前は、愛理だけでなく俺の望んでいないモノを待っているようだな」
そのやり取りを聞いていた浩介がナーシェを庇うかのように口を開いた。
依然愛理は浩介の胸の中にうずくまっているが、浩介の視線は愛理ではなく真っ直ぐ折町を射抜いていた。
「と、言うと?」
「彼女の言う通り、帰らないのか?」
「まあ帰ってもいいけど、もう少しこの光景を見ていたいからな」
それこそ感情の無い言葉だと浩介は思う。
「いや、そうじゃない。あんたは間違い無く別の目的がある。危うくあんたの話術に騙されるとこだった」
「心外だな。俺が何か嘘をついたと?」
「嘘はついてない。だからこそ分からなかった」
「それこそ俺としてはわからんな。キミが何故俺を敵視しているのかが……。ははぁん、さてはあれだな? そこのお嬢ちゃんを俺に取られると思った嫉妬からかな?」
挑発に近い折町の言葉で、浩介は愛理を離しナーシェに預ける。そして表情を変えず折町と向き合った。
「あんたは依頼屋。これは間違いではない。白木から依頼を受けたのも、その依頼が俺を見付けるということも、興味で俺の成り行きを知ろうとしたのも、彼女に言ったことがあんたの性格からくるものだということも、全てにおいてあんたは嘘をつかなかった」
浩介は再び煙草を一本取り出し火をつけた。
「だが断言しよう。折町、と言ったか? あんたは最初から俺達の敵でしかない」
そこにはそう言い切った浩介に鋭い目を向ける折町の姿があった。
「勘だけで人を判断するのはやめてほしいな」
「勘じゃない。あくまで理論的な考えだ。じゃあ聞くが、白木からあんたに接触して来たのか? これまで同様嘘無く答えてくれよ?」
軽く笑う浩介に折町は思わず舌打ちをする。
嘘など言える筈がない。何より当事者である愛理がこの場にいるのだから、折町には逃げられない質問なのだ。
「いや、俺から接触した」
「だよな。依頼屋の存在を知らない白木があんたに依頼をすること自体有り得ない。じゃあ次の質問だ。何故あんたは白木に接触した?」
折町は質問の内容がどんどん確信めいてくることに焦りを感じていた。
「彼女が困っていたから――」
「困っていたら自ら依頼を受けるのか? 違うだろ。依頼屋というのは無闇やたらと一般人に教えていいものじゃない。それは暗黙の了解の一つで、勿論あんたも知っている筈だ。そんなあんたが白木に依頼を出させたのには必ず理由がある。違うか折町?」
吸っている煙草を右手の指で掴んだまま紫煙の上がる先端を折町へと向けた。
その顔、その声、そしてその態度に疑念はない。全てを把握しごまかしは言わせないという浩介の姿に、折町は笑みを浮かべ天を仰いだ。
「は、ははは。それがあんたの強みか。もう少し粘れると思ったがな」
込み上げてくる笑いを隠さず折町は浩介と視線を交わす。
「まあ後々バレる事だから俺も大雑把に対応したが、どこから気付いた?」
「最初にあんたは俺に対して『情報通りの性格』と言った。先ずひとつ情報源があるとしたらそれは白木だ。だが白木から聞いたとしても学生でいる時の俺の性格しか知らない。この流れの中で“情報通りの性格”と口に出すあんたは白木ではない別のところから情報を得た事になる。『死にたいのか』と言った事を俺の性格だと思い込み、そしてその俺の裏側を知っている別のところからな。果たしてそれはどこの情報だろうな? 選択肢はそう多くないぞ」
吸った煙を吐き出しながら、浩介は折町へと近付いていく。
「正解。俺は今警察に雇われている依頼屋だ。そして警察側の手回しは俺一人だと思わないことだ」
「捕まえたフリーの依頼屋を俺の捜索にあてさせている、といった具合か?」
「それも正解。勿論俺は警察に捕まるなんて馬鹿げたミスはしないけどな」
「……金まで積んでいるのかよ」
「お前は指名手配犯なんだぜ。そのぐらい当然だろ」
懸賞金を懸け浩介の情報を探る。その為には依頼屋だろうと使える者は使う、といった警察側の思想が手に持つようにわかる。
捕まえた依頼屋達は釈放を理由にでもすれば当然協力するだろうし、懸賞金を懸ければそれ以外の依頼屋も金目当てで動き出す。その一人が折町真司であるのだ。
「白木に声を掛けたのは、疑われずに俺と接触出来るからだな。事前に俺の交友関係を調べ、警察から情報を貰い嘘をつくことなく俺と会話して時間を稼ぐ。大した役者だ」
浩介は三メートルの距離を空け、折町に感心の言葉を送った。
「あんたには適わない。その目は最初から俺を信用していなかったという証拠だ。それどころかあんたは何一つ信用するつもりが無いだろ? まるで昔の俺を見ているようだ」
「信用するに値する世の中じゃない。それだけだ」
「本当にそうか? あんたは仲間すら信用していないように思える。一人になったのもその為じゃないのか? お嬢ちゃんも気をつけた方がいい。いつ裏切られるかわかったもんじゃないぜ」
折町の言い分は必然とナーシェに向けられた。
「……大きなお世話。あなたに心配される筋合いはないよ」
ナーシェは浩介の背中をちらっと見た後、折町に言葉を返した。その言葉で折町は苦笑する。
「ならいいがな。殺されてから後悔はすんなよ」
「そうやって俺を追い込む作戦か?」
ナーシェを惑わすような言葉を続ける折町に浩介は睨みながら口を開いた。
「俺は事実可能性のあるアドバイスをしてるんだ。信用してない者を信用するリスクは多大にあるからな」
「それは納得だが、今お前の意見を聞いている暇はない。そうやって時間稼ぎするのが目的なのは目に見えてるからな」
「こちとら仕事なんでね。役割を果たさないと金が出ないんだわ」
「悪いが金は諦めてもらう」
「こちらも悪いが俺は役割は果たし終えた」
「何?」
「到着したようだ。これであんたを奈落の底へ落とす方程式が完成する!!」
両手を広げた折町は高々と声を張り上げ叫ぶ。
第三者の気配などは無い。ここは廃墟となった広場の丁度中央付近。人が居ればすぐに気付くことができ、周りを囲まれるようなミスはしない。
だが折町は言った。“到着した”と。
それ自体が惑わす為の虚構なのか? 時間稼ぎのつもりなのか?
少しばかり焦りを覚えていた浩介から冷や汗が頬を伝う。
ナーシェですら愛理を庇いながら周りをキョロキョロと見渡している。
いつの間にか地面に落とした煙草からは紫煙が漂い、そして儚く消えていく。
この男の真意が全く掴めない。
最初から掴みにくい男だったが、何一つ情報を持っていない浩介としては、瞬時に真偽を問えと言われている今の状況は流石に難易度の高い注文だ。
「大丈夫! 誰も居ないよ!!」
それはナーシェも同じことであり、浩介が判断する前にナーシェが先にそう告げた。
実際浩介もナーシェと同意見であるが、そう決め付けるのは早い気がしてならない。焦りの中にも常に冷静さを持てるのが高崎浩介という人間性であり、それは今まで修羅場を何度もくぐり抜けてこれた原動力でもある。
そして折町真司という男が今まで一度も嘘をついていないということに気付けたのはその冷静な部分が教えてくれたのだった。
「いや、敵は来る! 油断するな!!」
何事も最悪な状況を考え打開してきた浩介も、今回ばかりは読めないでいた。それも全ては折町の頭の良さが関連してきていた。
その様子を楽しむかのように折町は両手を広げたまま笑みを漏らした。
「さあ、ショーの始まりだ」