積み重なる策略3
緊急の会議の最中、柴田は医療施設を訪れていた。
普段の生活に支障はないといえ、異世界人から受けた傷をそのままに決戦を迎えるわけにはいかない。それに参加すると決めている柴田は緒方から聞いた情報の元、完璧な医療形態を誇る施設へ向かったのだ。
とてもビルの中にあるものだとは思えないほど広く綺麗な施設はエレベーターで少し下りたフロアにある。広いと言える理由が、その階のフロア全てが医療施設となっているからである。それを見ただけでも施設というより一軒の病院と言った方が近いのかもしれない。
どうやって集めたのか最新医療器具を取り揃え、幾多の病気や手術にも対応できる。その様はまるで近年建てられた大学病院にも負けていない。
勿論そこまで大きいわけではないが、ビルのその階全てのフロアでそこまでの設備が整い、利用するのは主に実行部隊の怪我人などだから贅沢な施設と言わざるおえない。
エレベーターから出た柴田を迎えたのは受付のある待合室だった。依頼屋組織だけの病院という仕様の為、待合室には誰も居なかった。その光景に少し唖然としながら柴田は受付へと足を進めた。
「柴田俊樹様ですね? 社長から話は聞いています。直ぐに診察をしますので奥の診察室へどうぞ」
受付の女性は軽く笑みを浮かべながら柴田に目を向ける。
勿論の事、保険証など必要なければ、医療費も個人負担ではない。依頼屋がどれだけ儲けているのか想像もつかない柴田は苦笑しながらその言葉に従い奥へ進んだ。
診察室の扉を叩いたあと、どうぞという男性の声で扉を開けた。
机の前で回転式の椅子に座り何やら書類を作成していた男性はその手を止め、椅子ごとクルッと回り柴田に微笑んだ。
「初めまして。僕が医者の一人、幸村です。どうぞ座って」
幸村は変哲もない丸椅子に促し、そこに座った柴田は改めて幸村に視線を向ける。
服装は黒のシャツとスラックスに白衣を羽織っている。年齢は三十代だろうが、髪は短く髭もきちんと剃って処理している。中年太りなどもなく体つきも引き締まっているような感じだ。
医者は清潔感が大事だと言われれば、正にそのお手本となるような男性である。
見た感じでは好印象。しかし正式な病院でない以上、医療の腕に関しては怪しいものがある。少し医療をかじっただけの医者だという考えもあれば、下手し医師免許すら持っていないという可能性だってある。
緒方が勧めるほど内部では信頼されているようだが、此処に来てまだ一日しか経っていない柴田ではそこまで信用することは出来ないのだ。
「えっと……柴田君。キミ、どこか骨に異常あるよね?」
書類を見ずに記憶から柴田の名前を掘り起こし、柴田の悪い部分を口に出した。それは極当たり前だと思うかもしれないが、柴田にとっては驚きを隠せない。
「……何故それを?」
この依頼屋本部に来てからまだ一日。誰にもどこを怪我しているかは伝えていない。緒方には怪我をしていることは伝えてあるが、どこを負傷しているかは教えていない。知っているのは杉田と綾華だけだが、その二人も言っていない筈である。
ならば何故幸村はそれを知っているのか、という疑問を柴田は感じていた。そして柴田があれこれ考える前に、幸村は微笑しながら口を開く。
「いや、キミの動作に若干の違和感があってね。内臓の損傷ならもうちょっと違和感は強いし、それなりに痛みもある筈だからね。じゃあ骨かな、と思っただけだよ」
受付の女性が緒方から聞いていると言っていたので、それは幸村の耳にも入っている。しかし、緒方に怪我の個所を言っていないのだから当然幸村の耳にも怪我人が行く、程度の内容しか伝わっていない筈である。普段の生活程度なら支障はないと思っていた柴田だが、それでも幸村の目に映ればどこに問題があるかは経験上見極められてしまっていた。そんな幸村の洞察力に対して、この人の腕は本物だと本能的に理解した。
そして、どうりで周りから信頼があるわけだ、と柴田は一人納得し、幸村に対して笑みをつくる。
「その通りです幸村さん。一度病院には行ってますが、肋骨が数本折れていると言われました。今はその治療もあってか痛みとかはないですけど、流石に今回の戦いに参加出来る身体じゃないみたいです」
「そりゃそうだろう。普通なら絶対安静だ」
「……やっぱりそうですか」
すぐに良くなる怪我ではないことぐらい柴田も分かってはいる。だが、いつ何が起こるか分からないこの状況で一人戦力外というのはあまりにも情けない、と柴田は思っていた。緒方が宣戦を決断したばかりなのでそれは尚更強くなる。
その中で何か治療法があれば、と少なからず期待をしていた柴田は落ち込みを隠せない。
そんな柴田を見た幸村は一層笑みを強くする。
「柴田君。僕は“普通なら”と言ったんだ。全治一ヶ月は掛かるだろうその身体を、僕が三日で普通通り動ける身体にしてあげるよ」
その口調は自信に溢れ、不確定な言葉は使わず絶対の確信が詰まったものだった。
落胆していた柴田も思わず顔を上げる。
「本当ですか!?」
「冗談に聞こえたかい? 僕はこう見えて“そういった怪我”の治療には自信があるんだ」
その言葉に柴田は、ああそうか、と理解する。
幸村は依頼屋組織専属の医者だ。依頼屋の仕事のリスクを考えても、同じ状態の怪我人など幾多もいただろう。“そういった治療”も既に確立していれば、幸村の腕と経験だって培われている。それだけの大口を叩ける腕は持っていると気付いたのだ。
「でも、それはある意味強引に治すといっても過言ではないんだ。同じ個所を怪我した場合の痛みは計り知れない。下手すれば命の保証も出来ない。最終的に決めるのは君自身だが、僕は一ヶ月間ゆっくり治す方法をお勧めするよ」
「構いません。治療をお願いします」
躊躇無く答えを出す柴田に少し驚くも、“こういった事”も慣れているのかすぐに笑みを浮かべる。
「よしわかった。検査をしてから今日中にでも手術をしよう」
了承を得た柴田は幸村にお礼を言い、安堵したように微笑み返す。
「ところで、君がそこまで戦いたい……いや、言葉が悪いな。戦わなければならない理由は何なんだい? 別に依頼屋組織の人間ってわけじゃないし、ヤツらに何か恨みがあるわけでもなさそうだけど……」
幸村は机に向かい、紙に検査項目と手術内容を書きながら柴田に聞いた。柴田は少し考えたあと口を開く。
「簡潔に言えば、それが正しい気がする、からでしょうか」
「正しい気がする……?」
ペンを走らせていた幸村はその手を止め、首を傾げて柴田を見る。
「はい。正しい気がするからです」
そんな幸村に少し困ったように苦笑いを浮かべ同じ答えを口にした。
「何に対して正しいの? いや、あんまり言いたくないなら別にいいんだけどね」
「僕の今後に対して……っていうのもありますし、仲間がいるからっていうのもあります。勿論世界の在り方に対してっていうのもあります。色んな意味で後悔しない道かなって思うからでしょうね。まあ、そんなところです」
「………そうか。なら、僕は君が後悔しない為の手助けとして頑張らせて貰うよ」
笑顔で言う幸村に柴田は信頼を込めて手を差し出す。
「宜しくお願いします」
その手を幸村が握り返す。
「任せといて」
柴田が医務室という名の病院へ向かったあと、綾華と杉田は緒方と一緒に社長室へと移動した。
秘書の中村が三人の前にお茶を置き、そのお茶を一口飲んでから緒方が溜め息を出す。
「ゆっくり出来る時間がなくて君達には申し訳ないな。柴田君の調子も万全ではないのに」
「構わないわよ。元々私達もゆっくりする為にここに来たわけじゃないし、柴田君もヤワじゃないし」
綾華の言葉に杉田も頷く。
「ああ。あいつも高崎並みにプライドが高いからな。怪我は治らなくても必ず参加するだろう。勿論、無茶はさせないがな」
杉田と綾華は大人しくさせとこうにも拒否をする柴田を想像して苦笑し合う。
それを見た緒方も立ち上がりながら苦笑し、机の引き出しから一枚の紙を取り出しソファーへと戻る。
「高崎浩介君か……。出来るものなら仲間として共に戦って欲しかったのだが」
緒方が見ている紙は、依頼屋の情報網を駆使して纏めた浩介の情報である。
その紙を机の上に置くと、すぐに二人が目を通す。
「すごいな……これだけの情報を集めるなんて……」
「……そうね」
杉田が驚いたのは全ての情報からだが、綾華は一部の情報からである。
紙に書かれている情報の三分の二は、一度綾華自身が調べ上げた内容に酷似したものである。浩介と初めて会話した時の事を懐かしく感じながらも、綾華では調べる事が出来なかった残り三分の一の情報に目を通していく。
それは浩介がフリーの依頼屋として請け負った内容である。
・暴力団三澤組の壊滅
・とある男性の浮気調査
・ホームレス狩りの犯人探し
・麻薬売買の代役受け取り
・悪徳企業の証拠調査
・誘拐された社長令嬢の奪還
それを見た綾華も杉田も思わず唖然とする。まだ記憶に新しい事件もあれば、ニュースにもならない探偵のような依頼も請け負っている。そしてその全てに依頼成功と書かれている。
「浩介、なんて依頼をこなしてるのよ……」
「それはほんの一部の筈だ。まだまだ彼が受けた依頼はある筈だが、調べていっても全て成功しているだろうな」
驚く二人に対し、緒方は冷静にそう言ってお茶を飲む。
「俺が知っている事件も多々あるが、どれも誰が解決したのか分かっていない事件ばかりだ。三澤組の壊滅なんて組員全員がボコられた状態で捕まったし、麻薬密売組織も誰かの通報で一網打尽にされた。社長令嬢の誘拐に至っては、事件から三日後に娘が急に帰ってきたっけか。勿論犯人はすぐに捕まったが、まさか高崎が関わっていたとは……」
「ははは。驚くのは無理もないよ。現に依頼屋組織の社長をしている私だって驚く内容だ。誰にも知られず依頼を遂行する、そして成功させる。この内容を見ても一人で同じ事が出来るやつはこの本部にも居ない。典型的な依頼屋の天才だよ、彼は」
浩介の存在を緒方が知ったのはあの通り魔事件の時だった。それから浩介の情報を集める度に驚かされる内容が緒方に届いていたのだ。
もう少し早くその存在を知っていれば間違いなく今打てる手も変わっていただろうと思えてならなかった。
当然その時スカウトしても浩介が仲間になったかと言われれば頷くことは出来ないが、それでも今の状況は防ぐ事が出来たのだ。
依頼屋組織は徐々に戦力を削られ、祥三を殺され宣戦しなければならない状況も起きなかっただろうし、浩介もノルベール研究所を無謀にも襲うことは無かった筈だと考えていた。
緒方がどれだけ悔やもうとそれはあくまで結果論に過ぎず、最早どうすることも出来ないとわかっている。
決して現実逃避をしているわけではないが、緒方からしてみれば今は最悪な状況の一歩手前まで来ているのだ。
浩介の行動は無謀だった。
倉谷ノルベール研究所は依頼屋組織としても簡単に手が出せる場所ではなく、警戒のみの対策しか行えなかった。それ故ヤツらのペースに合わせるしか出来なかったのだが、浩介がたった一人でそれを打開した。
その情報を聞いた依頼屋の大半は歓喜して震えたが、それに引き換え高崎浩介という人材も失った。
現在浩介は行方不明となっている。ニュースでは生死不明で流しているが、かなり負傷していることは確実である。例え生きていたとしてもそれは仲間にしたかった依頼屋としては不都合な点が大きい。
実績としては誇れるものであるが、結果としては無謀だったと言わざる終えない。そこに依頼屋組織の実行部隊を同席していればまた結果は違っていたのだろうと緒方は悔やんでいたのだ。
「浩介は大丈夫よ。また必ず私達の前に現れてくれる」
緒方の心境を表情で悟った綾華は確証のない言葉を紡いだ。
「何故そう言える?」
今の緒方としては確証ある証拠が欲しかった。
「私の勘」
「………」
「俺もそう思う。俺達は高崎を信じてる。あいつがこんなとこでくたばるなんて想像出来ない」
綾華に賛同した杉田もそう口にした。
その真剣な顔を見せる二人に、緒方は気持ちを切り替え微笑んだ。
「じゃあ私もそう信じよう。そして今は自分達でこの状況を打開する方法を考えないといけないな」
その言葉で二人は頷き、綾華が思っていたことを口に出す。
「そのことで、緒方さん。あなたも気付いていると思うけど、この依頼屋内部にスパイがいる可能性があるわよ」
その言葉は微笑む緒方を険しい顔つきに変えた。
「………どこでそれを知った?」
緒方の低い言葉に杉田が答える。
「マスターの話を聞いた時です。ヤツらは的確に依頼屋支部を攻撃しているようですね? その数、その正確さを考えても情報が漏れているとしか思えない」
「盗聴器とか仕掛けられただけならまだいいけど、仕掛けられる行動が簡単に取れる場所じゃないし、最悪仲間が潜んでいると考えた方がいいでしょうね」
この広いビルの至る所に盗聴器を仕掛けるリスクを考えるとスパイを送り込んだ方がより簡単である。
「それは支部が攻撃されていくにつれ私も思った事だ。君達ではないとわかってるから言うが、今日の緊急会議はその人物を暴く為の作戦だ」
「それじゃあ、ヤツらと抗争はまだしないということですか!?」
「そうじゃない。明日……とかではないが、近々として考えている」
「あれだけ人数も多ければ絞り込むことも出来ないってことね?」
「そういうことだ。厳しい言い方になるが、事務班や処理班が解散しようとも今の状況で困ることは何もない。多くの戦闘部隊が出払っている今、残るか残らないかの選択肢を与えても痛手は少ないんだよ」
「スパイなら必ず残る。そういうことね……」
そう呟き、綾華はお茶を啜った。
「人数の減った仲間の中からならスパイも見つけ易い。それはわかったが、もし実行部隊にいたとしたらどうするんだ?」
杉田は刑事の顔つきで緒方を見る。
「それは無いと推測している。実行部隊は何かあれば適当に人選をして送り出している。つまり常に正確な情報が全員にすぐに伝わるわけではないんだ。だから実行部隊にスパイはいない、寧ろ相応しくないんだよ」
「成る程な。じゃあ明日以降が本当の勝負所になってくるってわけか」
「何人残るかわからないが、そうなってくるだろうな。柴田君にも言って早く安心させてあげたほうがいいか。明日にでも抗争が起きると思って焦っているかもしれないからな」
「じゃあ俺が言うよ。ゆっくり治せってな」
杉田が苦笑しながら立ち上がり、綾華と緒方に視線を合わせた後、扉の横に立っていた秘書の中村に医療施設の場所を聞き部屋を出た。
杉田を見送った緒方は、足を組んでお茶を啜る綾華に目を向けた。
「楠木さんはどうする? 流石に戦うことは出来ないだろうから――」
「いやよ。私も参加するわ」
「だがそれは……」
「危険って言いたいんでしょ? でもお生憎様。流石に浩介や柴田君みたいに戦うことは出来ないけど、戦況のサポートぐらいなら出来るわ」
護身術は習っていたし、父の影響で銃の扱いも慣れている。Sランクを相手にすることは出来ないが、その他のサポートなら力になれると思っていた。何よりそうしなければ浩介に会えない、という心境もあった。
真剣に言う綾華を止めることは出来ず緒方も頷く。
「なら、君にも武器を与えとこう。着いて来なさい」
海外から集めに集めた依頼屋組織の真骨頂である武器庫に綾華を連れて行く決心をした緒方は立ち上がりそう言うと、笑みを見せた。
後に合流した杉田と共に武器庫に入った二人は、その武器の多さに言葉を失うのだった。