真実のその先へ3
喫茶店のカウンターに座る三人の姿。闇に纏われた根源を知ろうとする三人の顔は回答者であるマスターに向けられる。
ゴポゴポと沸騰したお湯が音を鳴らすなか、マスターもまた三人の顔を注視する。
人が居ない喫茶店だからゆったり出来るのだが、表の扉に準備中という札を掲げることでそれは確かなものに変わっていた。
そしてマスターは口を開いた。
「五十年前、突如としてヤツらは現れた。その時接触したのは政府の連中だけだが、依頼屋の創立者である緒方誠一もその中の一人だった。結論から言えば今の政府を操っているヤツらは別の惑星から来た異世界人だ」
「異世界人!?」
思わぬ言葉に三人は驚き、顔を合わせる。そんなことが現実にありえるのか――いや、ありえたからこそ今の状況になっていると考えを纏める。
理解出来ない――確かに浩介が言っていた言葉の意味がやっとわかった気がした綾華は、マスターに顔を移し口を開く。
「でもどうしてそれが依頼屋をつくる切っ掛けになるの?」
「ヤツらの提案に緒方誠一が疑問を抱いたからだ。その提案は異界の技術を教えるから一緒に日本の支配する惑星にしよう、というものだった」
「随分強引な提案ですね」
柴田がコーヒーを飲みながら呟いた。
「今の状況ではそう思うだろうな。だが、異界の者からの提案に政府の連中はその気になった」
現実では考えられない異世界の人間が来たのだ。全ての可能性がうんと広がったと直感した政府の連中は大変喜び、興奮した。更には科学技術を貰えるうえにこの地球を日本人のモノに出来るという。普通なら無理だと笑い飛ばすところだが、何せ相手は異世界人だ。絶対に出来ると確信し、抱くことのない欲を抱いてしまったのだ。それが彼らの狙いとは知らないで。
「だが、緒方誠一は底知れぬ不安を感じ胸に刻んだ。うまい話には裏があると直感したんだろう」
「彼は冷静だったんだな」
杉田の呟く言葉にマスターは頷く。
「それからヤツらが立ち去ったあと仲間を集めた。彼は対策を考える中でお金が入り、かつ情報を得る目的で新しい世の中の在り方を思い付いた。それが依頼屋という組織の始まりだ」
異世界人はすぐに何かしらの行動をとると予測していた緒方はこんなにも平行線を辿るとは思っていなかった。しかし、必ず動くと確信があった為にここで解散など出来るわけがなかったのだ。依頼屋は緒方の確信と執念で築かれた賜物であった。
世界の在り方といっても、やはり人を殺す依頼も数多い。それを世界の在り方のひとつとして良いのか、と杉田はふと思う。
答えは否である。
理由はどうあれそれは殺人。全てを許していては法など成り立たなくなる。
だがそれは一般人の考えなのだろうか、と再び頭をよぎる。何も知らない一般人ではそう考えるものの、緒方は常識を一変した出来事に遭遇したのだ。法を犯してまで組織の拡大とヤツらへ対抗する力を求めた緒方の判断は間違っているのか、と考えると絶対の否定は出来なかった。この世の末を垣間見た緒方の抵抗は今も尚続き、そこに頼ろうとしている自分達がいるのだ。
「それが緒方さんの正義なんでしょうね」
杉田はマスターに向かって微笑み、マスターも頷く。
一般人は勿論、警察組織にも知られずここまで組織を拡大できたのは、法を犯す決断をした緒方の精一杯の償いなのだろうと理解したのだ。
依頼屋組織の存在を一般に知られてしまえば、それこそ日本は混乱する。
『何が正義で何が悪か見極めろ』
その根本となる意味がようやくわかったような思いで杉田は笑った。
何も知らない一般人には悪だが、ヤツらの狙いにいち早く感づいた緒方には正義となる。
少なからず今の現状からして杉田には緒方の正義が何であるかを掴むことが出来た。
「そして数十年の時を経て今の依頼屋がある。大体こんな感じだ。わかったか?」
話し終えたマスターは乾いた喉を潤すかのように、カップに入った残りのコーヒーを飲み干した。
「分かりました。ありがとうございます」
爽やかな笑顔を見せる柴田に対し、綾華は怪訝な表情になっていた。
「でも大丈夫なの? 今現在で各地の依頼屋がそこまで壊滅状態だと考えれば、政府は極秘にしていたその依頼屋の情報を掴んでいるっていうことでしょ? それに力もヤツらのほうが上。そんなんで勝ち目はあるのかしら?」
例えこの三人が協力するといっても、それは微々たるものにしかならない。五分五分の戦力になるとは考えられないのだ。
「痛いところをつくな、お嬢ちゃん。確かにヤツらのほうが力はあるし、依頼屋の戦力は削られるばかりだ。だが……」
マスターの言葉に思わず息を呑む。何か秘策があるのでは、と期待したのだ。
「逃げれないだろう。その為につくられた組織なんだからな」
「………精神論、ってわけね」
期待してしまった気持ちのぶん、綾華は落胆しながら呟いた。
「しょうがないですよ。彼らが何故理解出来ない力をもっているのかも分かりましたし、何より地球の武器なんて彼らからしたら数段劣っているでしょうから」
「……柴田君は前向きね。でも、それが事実、か……」
一度彼らと戦ったことのある柴田だからこそ説得力があった。それ故、如何に戦闘に特化した人員を育てた依頼屋でさえも苦戦するのは納得できる。
そんなんで彼らの狙いを阻止することは出来るのか、と不安の気持ちを抱く綾華。
それを読み取ったのか、柴田は綾華に笑みを向ける。
「大丈夫ですよ。異界の者だろうと彼らも人間です。倒せないことはありません。実際、浩介君がそれを証明しているのですから」
それを聞いた綾華は胸が痛んだ。
綾華の叫びを無視し、“それ”を実行に移した浩介。その時の戦慄と別れの際の浩介の顔が鮮明に思い出される。
だが何も知らなかったあの時とは違う。今なら全てを理解し浩介を支えることが出来る。
「浩介………どこにいるのかな?」
そして綾華の口からでた言葉は真っ当な思いだった。
研究所の事件以降、浩介の詳細が不明なのは各日の報道で知っている。大量の血痕が近くの路地裏で発見されていたのもあり、浩介の死亡説も流れているが死体が無い為それも定かではない。尤も、この三人がその説を信じることはないが。
「あいつのことだ。どこかで身を隠しているんだろう。警察に見つかるヘマはしないさ」
そう言って笑う杉田だが、それは綾華に対して言ったのが半分、自分にそうだと言い聞かせる為に言ったのが半分である。
それだけの不安と期待を持っているのは、浩介の力を認め共に歩む仲間と認識しているからである。それは勿論杉田だけでなく、綾華、柴田も同じ想いだ。
「そうですね。依頼屋との接触はこれで解決しましたし、あとは浩介君の居場所を知ることが出来ればより良いのですが――」
刹那、激しい音が喫茶店を包み、柴田は言葉を紡ぐのを止め入口を振り返る。あまりに咄嗟の出来事で綾華、杉田、マスターも何事かと注視する。
そこにあるべき筈の扉はガラス共々無残に壊れ落ち、かわりにひとりの男が立ちはだかる。
男の顔は無表情でその雰囲気は鳥肌がたつ程殺気立っている。
ただ事ではない。それは皆同じ気持ちだが、一切状況が掴めない現状に為す術は無い。
しかしその顔、その雰囲気に見覚えのある綾華は全身から血の気が引いていくのを感じた。
「――あ、あなたは!!」
何故この男が此処に、と思う気持ちと焦りの気持ちが入り混じり、綾華は冷静ではいられなかった。
「何者だ?」
「悪いねぇ。高崎浩介がよく現れる喫茶店と聞いて来てみたんだが、どうやらいないようだな。とは言っても違う収穫を見つけたみたいだ」
綾華に聞いたマスターの問いに答えたのは紛れもないその男本人だった。
口調はおどけたような軽さであるが顔は依然無表情である。少しでも気を緩めればもう光は拝めないと三人は理解する。
「あんたに聞いちゃいない。それに扉の修理代は払って貰うから覚悟しとけ」
三人の緊張を無視するかのように男を睨むマスター。
それに対し、男は表情を緩めた。
「修理代? 残念ながら金は持ってない。そうだな………あんたが死ねば修理代も必要ないよな?」
ニヤリと笑う男の反応に、綾華の身体は震えだす。
「やめてマスター! この男は私達の学園を襲った張本人よ! ただの人間じゃないわ」
「何だと!?」
それに反応したのは杉田だ。実際に見たわけではない杉田は、学園の惨状を思い返しながら再び男に目を向けた。
「ああ、あんたあの学園にいたのか。なら話はわかるよな? 俺は高崎浩介を捜してる。あんたらも仲間なら何か知らないか?」
「それはこっちも聞きたいですね。どこにいるのか僕らも知りません。尤も、知っていても教えることはありませんが」
「はっ! 自分の命は大切にしろよメガネ君。俺を温厚な人間だと思ったら大間違いだからな」
柴田の返しで更に笑みを深めるグラン。
グランが此処に来た理由はただ一つ。高崎浩介の抹殺である。
既に二人も彼によって殺されている現実に、グラン含め彼らも見過ごすことの出来ないところまできているのだ。そしてその仲間は誰だろうと殺す。それがグランの決定事項であった。
「落ち着いて、柴田君! 今の私達じゃあいつに勝てない。逃げるわよ!」
睨み合う柴田を必死に止めに入る。今は逃げなければいけない。綾華の思考はそれだけで一杯だった。
「嬢ちゃんは賢明だな。まあ、逃がさないけどな」
「……無駄だ楠木。コイツの眼は本気だ。逃げることも困難だろう」
立ち上がった杉田は二人に背を向けグランの正面に立つ。
綾華は勿論柴田も怪我の影響で今は戦える状態じゃない。そうなれば自分がどうにかするしかないと覚悟を決めた。
「二人は先に逃げてくれ。ヤツは俺が足止めする」
「何言ってるのよ! それなら私も残る」
「僕も同じです。こうなったからには三人でやるしかないですよ。杉田さんひとりに任せることは出来ません!」
まずは綾華、次に柴田と杉田の隣に移動する。
「お前ら、死ぬぞ」
二人の行動は嬉しかったが、杉田とて容易に承諾はできない。例え三人掛かりで向かっても万全でない柴田とあくまで一般の綾華では死闘は免れない。それだけのプレッシャーと力の差がグランを見るだけでも伝わってくる。
死闘にすらならないかもしれない、と思うものの口に出すことはない。何故なら今はそれでも動かなければならないからだ。結果がどうであろうと、今は生き残れる確率が高い道を選ばなければいけない。それが杉田一人で足止めという方法であった。
そんな杉田の横で柴田はいつもの笑みを向けた。
「それでも、です。ここで杉田さんを一人残すという選択をするならそれはもう仲間ではありません。例えこの身が千切れようが傷痕ひとつぐらいは付けてやりますよ」
「それはちょっと言い過ぎだけど私も思いは一緒よ。こんな時に一緒にいるのが仲間でしょ?」
「………お前ら………後悔するなよ」
杉田も思わず笑みをつくる。
相手は強大。武器は無い。万全でない柴田。場所は動きにくい室内。状況は最悪である。それでも覚悟は出来た。脆くも散るなら潔く散る、という開き直りに近いものはあるが後悔はしたくない。その為なら後には引けないと三人はグランを見据える。
「……話は纏まったようだな。じゃあ、遊んでやるよ」
グランのプレッシャーが明確な殺気に変わる。その確かな殺意はいっそ自害してしまいたいと思うほど気を揺るがすものだ。
グランが僅かに重心を下げた。
――来る!!
そう思った矢先、グランが顔を逸らした。
今の流れからすればあまりに不自然な行動だったが、顔を逸らしたグランの後ろの柱に包丁がドスッと突き刺さる。
「………ほう」
体勢を整えたグランの口から関心の声が漏れる。
その目線は三人の更に後ろを見据えていた。
「マスター………」
それは正にマスターの一投だった。
「俺の店で勝手な行動は謹んで貰いたい。先ずは店の責任者に話をつけるのが常識だろ、小僧」
そしてマスターもグランを真っ直ぐ見据える。
そこにいつものマスターの面影はない。
「はは、これは失礼。まさかあなたがこんな挨拶してくるとは思ってなかったよ。楽しくなりそうだ」
「生意気なこと言ってんな小僧。お前なんぞと楽しむ趣味はない。潔く故郷へ帰りな」
「それはできないねぇ。この星の住人に世の中の原理を教える時だからね。あんたも自分の愚かさを知るといい」
「だからお前は小僧なんだ。何も成し得てないうちにそんな大口を叩くな。お前はただの使いっぱしりに過ぎん」
「……口に気をつけろよジジイ。無知なあんたがどうこう言うのは俺を倒してから言うんだな」
「勿論そのつもりだ、小僧。粋がったお前ごときに遅れをとるつもりはない。愚かさを知るのはお前だ」
マスターはカウンターの中から出てくると柴田にとある紙を手渡す。
「これは……?」
「依頼屋本部の場所だ。裏にもう一つ出口がある。君達はそこに向かえ」
それはグランに届かない小さな声だった。だがグランから目を離しているものの、マスターには一切の隙がない。流石は依頼屋として働く中で培った実力だと賞賛を贈りたいものであった。
「しかし……」
しかし、そのマスターひとりでグランに勝てるのか、と考えると答えは明確ではない。もしかしたら、という期待の気持ちも正直あるが、それでも現役ではないマスターがグランを倒すビジョンが全く思い描けないでいた。
「すまんな。送ってやると言ったが俺はヤツに教えることがある。そんなに心配する必要はない。君達は今他に成すべきことがある筈だ。ならこんな所で立ち止まるな」
三人の表情からマスターは心情を悟り、そして道を示した。君達はここで終わるな、と。
「それから、仲間の荷物も持って行ってくれ。この場所も無事では済まんだろうからな」
マスターの目線が浩介から預かった荷物へ注がれる。
「最後に、あいつに伝えといてくれ。お前が取りに来るまで預かれなくてスマンと。そしてここはコインロッカーじゃないと」
そう言ってマスターは軽く笑った。
「………行け。そんなに長く待ってはくれない」
その笑顔を一瞬で消したマスターは顔をグランに移す。
いつ向かってくるかという油断できない殺気は増す一方である。
「………行きましょう」
納得は出来ない。だがそれ以上に入り込む余地はないと柴田は感じる。
マスターに加勢しても結果として足を引っ張るのは明らかだ。それだけ力の差があるのは悔しいが、それを納得するしか方法は無かった。
三人は一度頷く。
「マスター………」
「言葉はいらん。今の俺に出来ることは若い芽を摘ませないことだけ。これからの時代を担うのは君達だ。俺達はその道筋を築いていくだけに過ぎん。全力で生きろ。がむしゃらに生きろ。それだけだ」
胸に突き刺さるような言葉だった。
マスターを呼びはしたもののその先の言葉が見付からない。
スミマセン。――何を?
ありがとう。――軽い?
死なないで。――何様?
今の気持ちを言葉に出来ない。言葉は気持ちを越えられないと実感する。だから良いことばかりの人生は送れないのだと直感する。
だがマスターはそれすら考慮出来た。言葉に出来ない気持ちを伝える方法はお互いの気持ちでの疎通なのだと。
三人はマスターに深々と一礼する。
そして裏口に向かって走り出した。
「行かせないよ」
それを易々と許す筈がない。
グランはその場から消え三人のすぐ背後に現れた。手を伸ばせば余裕で捕まえられる距離であり、何の戸惑いもなく実行する。
だがそれは出来なかった。
手を伸ばそうとした瞬間、服を掴まれ無造作に投げ飛ばされたのだ。
テーブルの上に飛ばされたグランの体でメニューや塩、紙ナプキンなど置いてあった物を撒き散らす。
そしてそのままの体勢でマスターを睨む。
「まさかあんたも反応出来るとはな」
「その様子じゃ、あんたらの捜してる“彼”も反応出来たんだな」
見えなくなった三人を完全に諦め、グランはテーブルから降り服を払う。
「一回目でここまで反応したのはあんたが初めてだがな」
「教えることがあると言っただろ小僧。お前には思い通りにいかない現実を教えてやる」
「……教えて貰おうか!」
そこでグランは“力”を使った。
一進一退の攻防。
最早ここを喫茶店と呼ぶのは無理のある悲惨な家屋。窓ガラスは粉々に割れ、内部など喫茶店の姿形も無いほど荒れ果てている。
そこで二人の激闘する姿があった。
マスターの服はボロボロで、あちらこちらで出血が目立つ。とはいえグランも無事ではない。同じように出血が目立ち、余裕ではない表情でマスターを見る。
マスターの拳が決まるとグランは地に伏せ、グランが力を使えばマスターは弾き飛ばされる。
序盤こそ、その攻撃さえ見切っていたマスターでさえも今は見切れる余裕も体力もない。
一進一退で続いていた攻防は、徐々にその形を変えていった。
「はっ!! キレが悪くなってきたな!」
「くっ!!」
年齢――それが明暗を分け始めていた。衰えた体力と身体の鈍りはマスターでも隠せない。
今のマスターにあるものは今まで培った経験のみだ。
最初は正に互角、またはそれ以上の動きを見せたマスターに正直グランは手こずった。地球に来てからここまで苦戦したのはこれで二人目。グランが驚くほどマスターは鮮麗な動きを見せた。それが依頼屋の中でトップクラスに位置したマスターの実力であった。
元々身体の衰えを懸念し依頼屋を辞めたマスターであるが、唯一の誤算は序盤で勝負を決めきれなかったことが全てだ。
持久戦となればこうなることは自身も知っていた。だからこそ最初から全力でいったのだが、それを耐えたグランが一枚上手だった。
「どうした? 何か教えてくれるんじゃなかったのか?」
グランは体勢を整えながらマスターに余裕の笑みを向ける。
「……流石は異世界人というべきか、簡単にはいかんな」
そう言ってマスターもグランと向き合う。
「まあいい。彼らを助けられたいま、俺の成すべきことは終わった。お前らは必ず負けるさ」
グランは鼻で笑う。
「笑わせるな! 俺達が負ける? 逃げるしか出来ない奴らにか? 言っておくがそれこそ期待外れの見解だな。精々逃げ回っていればいい」
「相手の力量、現状を理解するのも力のうちだ。彼らはそれを持っている。自意識過剰なお前は持っていないものだ」
「じゃあお前はどうなる? 俺の力量を知らないわけじゃないだろう?」
「物事には優先順位というものがある。この星の未来を考えれば彼らを生かすのが優先だ」
「あんたは悲しい運命を選んだってわけか」
「悲しいことなんて何もない。あんたらが負けると信じているからな。……緒方誠一、俺の父の築いた想いはまだ生きている。俺がその想いをここで形にしてみせる!」
元依頼屋としての誇り、そして父親である緒方誠一の生き様を抱え、マスターは最後の意地をグランにぶつける。
拳と拳のぶつかり合い。グランの力とマスターの執念。再び均衡するお互いの実力は激しく衝突する。
「――ッ! くたばれ!!」
グランの手から出される異能。まともにくらいながらも倒れないマスター。その執念はグランの余裕を奪っていく。
「お前などには負けん!!」
マスターの拳、蹴りが面白いほどグランに当たる。
両者に最早『冷静』という言葉はない。
殺るか殺られるか――ただそれだけの激闘。
意識が薄れる。
拙い、と思う時にはもう為す術はない。
グランに“負け”という言葉がよぎる。
膝を付くグランにマスターは最後だと言わんばかりの拳を振り上げる。
「――ッ!!!」
しかしその拳を振り下ろす前に体の機能が落ちる。
振り上げた拳を動かすことが出来ず、震える脚で硬直する。
人間の限界を超えた瞬間であった。
――動け……動いてくれ!! あと、あと一撃なんだ!!
マスターの切なる願いとは裏腹に全く動かない自分の身体。
グランはニヤリと笑い、マスターの顔の前に手を翳した。
「………残念」
そして異能を発する。
吹き飛んだマスターは無残に荒れ果てた床に打ち付けられ、動くことはなかった。
「ッチ! ムカツク連中だ」
完全な力が出ないこの惑星でも、自分達を超える奴らはいないと思っていたグランは腹立たしさを感じていた。
決してそんな連中は多くないとしても、浩介といいマスターといい満足出来るような結果ではない。
埃を払うように立ち上がったグランは、倒れたマスターの元へ歩み寄る。
「惜しかったな。全盛期のあんたなら、もしかしたら勝てたかもな」
マスターからの返答はない。
「確かに教えて貰った。お前等は侮れる連中じゃない、とな。だが結果は変わらない。誰が立ちはだかろうとも」
グランは再び倒れたマスターの顔に手を翳し、少し間を空けてから異能を発動させた。
鈍い音が静寂を包む。
そしてグランは静かにその場を離れていった。