事の始まり1
「これで依頼は完了だ」
白ヶ丘学園に通う高崎浩介は、高級住宅街にある一軒家の玄関前に来ていた。
滅多にお目にかかれないような銀色に輝く突起のある大きな門。付近に監視カメラも設置され、遠隔操作で開閉される設備を見てもかなりのセキュリティーだと想像できる。
門をくぐればきちんと手入れされた芝生が一面に広がる大きな庭。大きく茂る木や、鯉のいる小さな滝付きの池などが目に付く。そして門から玄関先まで大理石が地面に埋められ、まるで家までの目印かのように一直線に繋がっていた。
家の外装も白で統一され、三階建て。百メートル以上はあろうかという長さで、入口から一寸の狂いもない左右対称で出来ている。造りもお城をイメージさせるデザインだ。
一方、浩介を出迎えたのは派手なドレスに身を包んだ五十代の女性。
化粧も厚く、真っ赤に塗られた口紅が異質な雰囲気を醸し出している。香水やら何やら混じって異様な臭いを発しているものの、当の本人は気付いていない。
これで会うのは二度目の浩介だが、それでも顔は引きつってしまう。
正直、二度と会いたくない人物だったが、依頼を受けたからには仕方のないことだったのでそこは割り切った。
「どこ行ってたのドリー?心配したんだからぁ」
浩介から受け取った猫を抱えると、頬吊りをする。
『ドリー』とセンスの無い名前を付けられたシャム猫は嫌がる様子で暴れ出す。
不自由な生活や虐待などはされてないだろうが、この猫にとってこの場所、このご主人では満足出来ないのだろう。
毛を逆立て、女性の腕の中でもがいているその途中、浩介と目が合うとピタッと動きを止めた。
助けてくれ!と訴えているような眼差しだ。
そう直感した浩介はどうしようもない、という意味を苦笑いで返した。
再び暴れ出す猫を見て、次逃げ出した時はそっとしておこうと心に誓った浩介であった。
「あなたもたった二日でドリーを見つけるなんて、本当に助かりましたわ!よかったら紅茶でもどうかしら?」
猫を抑えきれなくなった女性は家の中へ放すと、浩介を室内へと勧めた。
「いや、俺はこれから学校なんでこれで失礼する」
今は早朝。これから学校というのは嘘ではないが、それよりも早くこの依頼人から離れたい、というのが本音であった。
「あらぁ、残念ね。じゃあこれ依頼料ね」
大袈裟に残念そうなリアクションをした後、ひとつの封筒を差し出す。
浩介はそれを直ぐに受け取りお札を数え始める。
「おい。少し多いぞ…?」
逃げた猫を捕まえる、という依頼を十万で引き受けたのだが、封筒の中には十五万入っていた。
「こんなに早く見つけてくれたんですもの。感謝の気持ちよ」
軽くウインクするように、気持ち悪い顔を向ける女性に目は合わせない。
「そうか、じゃあ有り難く貰っておく」
朝からコンビニへ出掛けた時に偶々(たまたま)見つけたのだが、それがこういう形で返ってきたのだ。
浩介も顔が緩むのを抑え、あくまで冷静さを装って封筒をブレザーの内ポケットへしまうと、踵を返すように背を向けた。
そして庭の中央まで行ったところで振り返る。
「因みに、今度逃げた時は違う奴に頼ってくれよ。俺はどんなに金を積まれても二度と引き受けないからな!」
女性が笑顔で手を振るのを確認すると、苦笑いを浮かべその場を後にした。
その三時間後、再び猫が逃げ出し大騒ぎになったのはまた別の話。
浩介は白ヶ丘学園に入学してから、依頼を受け、やり遂げ、金を得る、という俗に言うハンターのような仕事をしている。
勿論、漫画に出てくるようなモンスターなどではなく相手は人間だ。
その為、ハンターよりも賞金稼ぎと言ったほうが近いかもしれない。
そしていつしかそれを『依頼屋』と名付けられていた。
一般人にはあまり知られてはいないが、世界各国には同じような仕事をしている依頼屋が確かに存在している。つまりは闇社会の職業だ。
麻薬や武器の運搬、敵対組織の情報集め、依頼によっては暗殺などもある。そのリスクの大きさによって報酬も変わるのだ。
それでも依頼屋の存在を知っている金持ち連中からの依頼もある。
それが浩介が受けたような依頼だ。
基本的にリスクは少なく、それなりの報酬が貰えるのが特徴だが、猫探しで十五万の報酬は異例中の異例だった。
依頼によっては命も落とす。そんな闇社会に浩介は足を踏み入れていた。
「た……き君、高崎くん!」
「……ん?」
誰かに体を揺さぶられたことにより、緩やかに意識を覚醒させた浩介は、眠りを覚ました張本人に顔を向ける。
「白木か。どうした?」
「どうした?じゃないよ!今から全校集会だから体育館に行くよ!!」
もう!と言わんばかりに頬を膨らますのは白木愛理だ。
浩介とは幼なじみ、という訳でもなく恋人、という訳でもない。高校から知り合い、何度か話すうちに気の合う友達、という存在になっていた。
少し茶色のサラッとしたセミロングの髪に可愛らしい笑顔、喜怒哀楽がはっきりしている性格で男子生徒から絶大な人気がある。
少し小柄な体型だが、胸も大きく頭も良い。それもまた男性を惹きつける要因だったりする。
早めに学校に行き、机にタオルを置いてそれを枕代わりにして爆睡していた浩介は、状況を把握しようと周りを見た。
愛理の言うとおり、廊下は体育館へ行こうとしている生徒がぞろぞろと移動していた。早くも浩介の教室には数人しか残されていない。
次に左腕に付けている時計に目を移す。
時間は一限目が始まる時間を指していた。
「なにも聞いてないぞ。急に決まったのか?」
普通なら生徒に前日には連絡するのだが、浩介にはその記憶がない。
「うん。そうみたい。管先生が来て直ぐに、全校集会あるから今から体育館に集まれって」
管先生は浩介達のクラスの担任だ。
気は弱く、痩せ型の為あまり威厳はない。しかし、性格は優しく何事も一生懸命なことでクラスからの評判は良かった。
「はぁ、なにかあったのか?」
めんどくさい、とうなだれる浩介をよそに、愛理は少し寂しげな表情に変わった。
そう言えばいつも笑顔を振り撒いている愛理だが、今日はそれが無い。
「ん?どうした?」
浩介は愛理の変化に気付き、椅子から立ち上がる。
「高崎君は、今日のニュース見てないんだね…」
「ニュース?」
実際、朝から外出していたのでニュースは見ていない。
今日のクラスの話題もそのニュースの内容が飛び交っていたのだが、爆睡していた浩介の耳に届くことはなかったのだ。
「昨日の深夜に、うちの学校の生徒が殺されたんだって……」
「殺された?」
「…うん。私達と同じ学年でD組の加藤さん」
その名前に覚えはなかったので、別の思考へと変える。
「例の通り魔か?」
ニュースを見ていない為詳しい情報は知らないが、真っ先に思い浮かぶのが今、世間を騒がせている通り魔だった。
「わかんないけど、そうじゃないかって言われてる」
恐らく評論家がそう言っていたのだろう。
ひったくりや軽い暴行など被害は様々だったが、人の命まで奪ったのは今回が初めてだ。それが同一犯とは断言できないが、元々これまでの通り魔事件自体、複数犯か同一犯かも断定できてないのだ。更に言えばただ単に恨みを持っている身近な人の犯行、という可能性もあるが、やはり真っ先に思い浮かぶのは通り魔ということに違いなかった。
ここで色々と詮索しても憶測しか出てこないし、時間もあまり無いことから浩介は頭を切り替えた。
「兎に角、俺達も体育館へ行こう」
「…そうね」
愛理は同じ学校の生徒が殺されたことのショックと、自分も殺されるかも、という恐怖に少なからず怯えていた。
なるべく普段と変わらないように務めようと努力するが、性格上難しいものがあった。
浩介は愛理の心境を察知し、優しく頭に手を置いた。
クラスメイトが居れば間違いなく怒気の目線で見られる行為だが、今は二人以外誰もいないのでその心配はない。
愛理は頬を赤く染めながら浩介を見上げるが、優しい笑顔を向けている顔を直視できず、逆に俯くこととなった。
――通り魔、か。
愛理の頭から手を離した浩介は心の中でそう呟き、鋭い視線へと変え窓から見える街の景色へと移した。