揺るぎない心
突然の戦慄が研究所を襲い、逃げ惑う人達がパニックを起こす。他人を突き飛ばしてでも出口に向かう男や泣き叫ぶ女性。転ぶ老人やうろたえる青年。
そんな混乱の中ひとつの声が飛び交う。
――悪魔が来た!!
拳銃を握り淡々と歩く悪魔の前に位置する者はその雰囲気に負け、反抗することも、口を開くことも許されない。ただひたすら通路を歩く悪魔に黙って道を譲る。そして通り過ぎた後に逃げ惑う。
しかしその悪魔は無闇に発砲することはない。実際撃ったのはD、Cランクの戦闘員であり、全員脚や肩を撃たれただけで、命に別状はない。
それこそ無惨に殺していれば本当の悪魔になれるだろうと、張本人である浩介は微笑する。
その微笑でさえ、周りからしてみれば不気味な笑みであり異質だと認識される。そして視線を合わせないようにその場から離れる。
「貴様!!」
しかし勿論のこと、この研究所には例外もいる。
刹那、前方の通路の角から再び拳銃を持った男達が飛び出し浩介に狙いを定めるが、すかさず脚を撃たれ二人同時に平伏していく。そして発砲しながら残りの男達の脚を撃ち、銃では遅れを取る局面では距離を詰め一人残らず殴り倒す。
浩介は男達から弾のカートリッジを幾つか奪い、持っている銃の残弾と交換しながら何事も無かったかのように歩を進める。
男達が弱いわけではない。素早い行動と反応、的確な攻撃をする浩介が強いのだ。それ故一撃も貰うことなく浩介はエレベーター前で足を止めた。
二つあるエレベーターはそれぞれ上の階と下の階から向かってくる。まだボタンを押していない浩介は中に敵が乗っている事を懸念し、近くの非常階段へと向かう。
扉を開け人の気配が無いことを確認した浩介は迷うことなく階段を降りた。
今いる一階は兎も角、他の階の職員はパニックをおこさないよう行動を制限されており、その所為で非常階段には人がいないという状況も浩介にしてみれば助かっていた。
秘密の研究がされているのは恐らく地下だろうという憶測で降りる選択を取った浩介の考えもはずれではない。しかし、非常階段を使うことなど常識的な知識でもあり、案の定下から迫る足音で浩介も警戒しながら降り続ける。
そして階段の曲がり角の壁に息を潜めた浩介は、何も知らず登ってきた男を掴むと顔を殴る。その後ろを着いてきていた仲間を、掴んでいる男の体で激しくぶつけ合わせ、男は受け身も取れず壁に衝突し気絶した。
すかさず、掴む男を階段から蹴り落とし後続の仲間を巻き込ませる。
ただでさえ狭い非常階段である為、為す術なく男と共に階段から転げる。まだ動けそうなやつには脚を撃ち、密集して横たわる男達を軽く飛び越えた浩介はそのまま地下へと向かった。
この研究所の感想を言え、と問われればそれはただ広い、という言葉しか出て来ない。
今の所特別なセキュリティーも無いし、格別に綺麗というわけでもない。内装からしても大きな病院と大差ない。
しかし一番の違いは人の多さである。白衣を着た研究者、作業服の肉体労働者、私服のシステムエンジニア。そして拳銃を装備した警備員だ。
警備員といってもそれは表向きの言葉に過ぎず、正規の警備員が拳銃を所持している筈がない。極秘に政府に雇われたD、Cランクの闇の職業なのだからそれが当たり前となっているこの研究所では、それを疑問に思う人はいなかった。
そして何よりその人数が多いのだ。まだ一階の廊下を歩いただけの浩介もすでに三十名は倒している。質よりも量で攻めてきてはいるが、如何にこの研究所を重要視しているかが浩介にも伝わり、そしてある程度の情報がこの場所で知ることができると期待していた。
地下三階に歩を進めた浩介はその考えに疑問を抱く。
色気の無いコンクリートの壁に覆われた地下はほんのり薄暗い。電灯はあるもののその光は全てに行き届いているわけではなく、ひんやりとする空気とその雰囲気がまるでお化け屋敷にいるような気分にさせる。それはまあいい、と割り切れるのだが、未だ特別なセキュリティーなども無く、何より手薄である。
ここが極秘の殺戮兵器を研究、開発しているフロアだとは到底思えない。非常階段から簡単に入ることができ、待ち構える警備の人間もいない。
浩介は考えを誤ったかと思いつつも先に進んでいった。
「社長……侵入者です」
とある地下の一室で報告を受けた倉谷ノルベール研究所社長、倉谷敏弘はフンッ、と鼻で笑う。
「知っている。もうお得意さんにも連絡した。直ぐに駆け付けてくれるだろう」
地下の一室とは思えない豪華で広い部屋。少し小太り体型の倉谷はお気に入りのこの社長室で紅茶を啜りながら光沢感のある黒いソファーに短い足を組み座っている。
報告に来たスーツ姿の男はソファーの横に立ち、突如として笑い出す倉谷に首を傾げた。
「……どうされました?」
「いや、たったひとりで来るとは思ってなかったのでな。面白い奴だと思わないか?」
倉谷は男に顔を向け満足げに紅茶を啜る。
「油断は出来ません。彼はSランクをひとり殺しています。あのグランもてこずったとか……」
「多勢に無勢だよ。例え彼がこの研究所を抜け出せたところで状況は変わらない。まあ尤も、抜け出せるかどうかも分からんがな」
倉谷は立ち上がると壁に付けるように設置される棚、その上に置いてある一メートル程のひとつの模型を、まるで息子を撫でるかのように優しく触れる。
「知っているか、松井? コイツは五十パーセントの出力でアメリカを塵に出来る。フル出力ではまさしく全世界を沈められる。その製造を任せられた第一人者がこの私だ」
倉谷の側に立つ松井は一度頷く。
「ええ、知っています。政府から要請を受け各研究所に飛び回り製造の指示を与えて、ここまで極秘に働き続けていたあなたのことも」
倉谷は満足げな表情で松井を見る。
「ですが、細かなことは私も存じ上げません。これ程の殺戮兵器を造ることが出来るエネルギーと知恵は彼らがいるから成り立つとは聞いていますが、その彼らは一体何者なんです?」
倉谷はほくそ笑む。
「それはじき分かるだろう。腰を抜かすぞ。全ての人間の想像を超えるのだからな」
「想像を超える……ですか? その彼らの目的がそのまま私達の望みとなるなら私はそれ以上は聞きませんが、彼はあのままでいいんです?」
松井はその部屋の壁に掛けられた大型テレビに顔を向ける。そこには監視カメラに映し出される浩介がいた。
「何故そう思う?」
「その者達の一人を殺し、一人と対等に戦った。その実績からして私は危険と判断しますが……」
「心配はない。言っただろう。私はこの殺戮兵器の第一人者だと。その事実があるだけで私は彼らに護られる」
それだけの期待に応え、それだけのものを確実に造り上げた倉谷の功績は彼らも評価している。実際身の安全は保証するという契約書にサインをしているので危険という思考は頭の中にない。
それでも松井は渋い表情を変えなかった。
「しかし、万が一彼が此処まで到達してしまった場合あなたは確実に殺される。一応非難された方がいいのでは?」
依然不安を口にする松井に倉谷は疑問を抱く。
「随分あの男に肩入れするんだな?」
「そういうわけではありません。ただ危険な芽は早めに摘み取っておくほうが良いかと……」
倉谷は暫く考え、君がそこまで言うのなら、と呟き、扉に顔を向けた。
「カイザー! 入ってくれ!!」
その声で扉が開き、真っ赤な短髪の男が姿を現す。
「何でしょう? 倉谷さん」
倉谷のボディガードであるその男は物静かに倉谷を見る。
特徴であるつり目が睨んでいるかのように見受けられる男からは彼らと同じく異様な雰囲気を醸し出している。
入室する際に席を外したカイザーとすれ違った松井も、何者か分からない心境もあり未だ慣れないでいた。
「松井が心配性でな。すまんが侵入者を排除しに行ってくれ」
「……わかりました。では暫くあなたの元を離れます」
「分かっている。間もなく助っ人達も来るだろう。巧いことやってくれ」
カイザーは一度頷くと松井をチラッと見ながら部屋を出た。
「これで良いだろう?」
ニヤリと笑う倉谷は再びソファーに腰を下ろし、紅茶を啜る。
完全に不安を拭い去れない松井は渋々ながらも頷く。
今まで暗殺など狙われたことが無かったのだから、倉谷にいつも付き添っているカイザーの強さは知らない。特に不満があるわけではないが、何よりカイザーを心から信じることができないのだ。
それは彼らが何者か知らないという疑心の感情もあり、ひとりの人間としてあまり近付きたくないという嫌悪もあった。
カイザー含めその彼らが人の欲に付け込むやり方を松井は何より納得出来なかった。
「まだ不安そうだな? 悩みなら聞くぞ?」
松井の顔を見た倉谷は苦笑いを浮かべそう言った。それならば、と松井も口を開く。
「私は彼らをあまり信用出来ません。恐らく力は本物でしょうが、やり方が好きになれません。人を上から見下ろすような彼らのやり方が――」
「そこまでにしとけ」
松井の言葉を倉谷は低い口調で止めに入る。
「彼らを疑うな。彼らの不満を言うな。そして彼らに反抗しようと思うな」
倉谷は立ち上がり松井を見る。
「君は優秀なサポートメンバーだから言うが、君を失うには勿体無い。いいか? 彼らは特別な存在だ。私達ちっぽけな人間に成し得ない筈の欲を与えてくれた。上から見るのは当然だ。全ての権限を掴んでいるのは紛れもなく彼らだ。それを忘れるな」
倉谷は諭すように言い、松井の肩に手を置く。
「君が心配することは何も無い。間もなくこの世界は変貌する。それを高みで見ていようじゃないか」
そして倉谷と松井はモニターに映る浩介を見る。
「ッチ!」
奥に進むにつれ追っ手は増える一方である。その男達全員を拳銃で倒していくのも困難になってきた現状に浩介は思わず舌打ちをする。
「いたぞ! 撃て!!」
「これ以上進ませるな!!」
「そっちから回り込め!!」
次々と溢れ出る男達に、太刀打ちできない浩介は先もわからない地下をひたすら逃げ回る。
既に地下三階まで降り立っていたのだが、一階より二階、二階より三階と追っ手の増える現状で間違いなく進路は合っていると確信する浩介は、少しでも状況を良くしようと後ろを振り返り天井に設置されているスプリンクラーを撃ち抜いた。
大量の水と警報で一瞬たじろぐ前線の男達を撃ちながら駆け出す。その駆け出した方向は浩介の進んでいた道ではなく、男達の方向だった。
突如向かってくる浩介に驚きながらも銃を撃とうとするが、逆にそれすら遅いといわんばかりの銃弾を受ける。
しかしそれで倒せたのは五人止まり。尚も五人が拳銃を撃ち、その男達の後ろからは十人程向かって来ている。
浩介は的を絞らせないようにジグザグに走行しながら男達との距離を詰める。更には一緒に銃を撃ってくるのだから男達の銃弾は焦りと比例し当たることはなかった。
距離を詰めた浩介を倒すのは至難の業だ。近くのひとりを残りの男達へと投げ飛ばし態勢を崩させる。その隙に銃を撃ち放つ。更には弾の少なくなった自分の銃を捨て、男達の持っていた銃を二つ拾い上げると向かってくる十人に両手で撃ち続ける。
激しい銃声が鳴り響いた地下三階の通路が静寂に包まれた時、計二十人の男が平伏し、浩介は先へ進んでいた。
「治らないな……こりゃ」
ズキズキと痛む左腕から血が流れる。銃を撃った反動で再び傷が開いたのだ。
元から左腕に不安を抱いてはいたが、この先を考えればかなりのリスクとなる。重要な場面で左腕が動かなくなるなど絶対に避けたいと考える浩介は、取り敢えず止血はしようと視界に捉えた扉を開けた。
「ここは……?」
中に誰も居ないことを確認しつつ、室内の環境にも目をやる。
部屋はそれなりに広く、扉の正面にはまず三台のデスクトップが目に入る。その机には大量の書類が散乱し、回転式の椅子も三つ。中央にはガラステーブルとソファーも完備されている。左側には小さなキッチン、右側には幾つかの棚が並び、本がびっしりと陳列されている。
簡単な休憩室、または調べ物をする時の図書館的な役割があるのだろう。どちらにしても浩介にとって有り難い部屋に変わりない。
医療用品が無かったのは残念ではあるが、まだ使われていないであろうきれいな布をキッチンの戸棚から取り出し水に濡らす。
回転式の椅子に腰掛けた浩介はパソコンの電源を入れ、その布を左腕の傷部分に強く結び付けた。これで暫くは左腕に対する不安は払拭できる。
そして煙草に火をつけ開いたパソコンに保存されているファイルを調べていく。
だがどれも浩介が知りたい内容ではなかった。政府の狙い、グラン達の正体、殺戮兵器の情報などが知りたいのだが、どのファイルにもそれらしい情報は載ってない。
仕方なくそれ以外のアイコンをクリックしていく。
コンピューターを得意としているわけではない浩介にとって手当たり次第というのはしょうがないことだった。少し触ったことがあるレベルの分、手際が悪く時間も掛かる。
こんな時に綾華が居れば――と思いつつも、断ち切ったのは自分が選んだことなのでそれは考えないようにする。
そしてその手法でついに当たりを引いた。
パスワードを入力して下さい、という文と入力欄が表示されたのだ。
パスワードがいるという事はそれなりの極秘ファイルだと予想した浩介は微笑み、今ひとつだけ思い浮かぶ単語をそこに入力する。
『バラリア』と――
簡単に認証された画面はやはり重要な事のようで、見出しには『バラリア計画』と題されている。
そして、概要・歴史・兵器・計画、と次々とクリックしていきその全容を頭に入れた。
「……マジかよ」
浩介は椅子に深く腰掛け天を見上げた。
それは正に政府の狙いそのものだ。残念ながらグラン達のはっきりとした情報は記されていなかったが、ある程度の仮説を立てていた浩介にはそれで充分だった。
浩介は頭の中を整理し、机の引き出しを開け始める。手に取ったのはUSBメモリーで、その中にバラリア計画の内容をコピーする。
これから地下の奥に向かおうとも考えたが、浩介ひとりではリスクが高い。殺戮兵器も分担して造られていると知っているので奥に行っても完成品が拝めるわけではない。ここで粗方の情報が手に入ったので、代表者と顔を合わせる必要もない。地下はコンクリートで覆われているので簡単に破壊は出来ない。
それじゃあ退散するかと思考を纏めた浩介は扉の前の廊下が少し騒がしい事に気付く。
――見つかったか!
コピーし終えたUSBをポケットに突っ込み、拳銃を手に持ちキッチンへと向かう。そしてガスを外気に出した。
危険な賭だが、この部屋から逃げ切るにはそれしかない。
ガラステーブルの下に引かれていた三畳ほどの絨毯を掴み上げ、扉から距離を取り顔を向ける。
刹那、扉が蹴破られ赤い髪の男が淡々と部屋に入ってくる。
驚愕するのは男自身ではなく、手に持っている武器だろう。
サーベル、日本刀、そんな物ではない。銀色に輝く両刃の剣だ。滅多に体験することはできないその武器で浩介の額から冷や汗が流れ落ちる。
「随分と物騒な物を持って来たんだな? 俺一人殺すのにご苦労なことで」
「それが俺の任務だ」
赤髪の男は表情を変えず返答する。
「任務……ねぇ。そろそろ化けの皮を剥がす時じゃないのか?」
「………」
「まあいい。お前達とは話し合いで解決出来ると思ってない。お互い命で決着をつけるしかないんだ。そうだろ?」
「その通りだ」
「じゃあ始めようか」
浩介は持っていた絨毯を男に投げつけ、拳銃を向ける。
「――ッ! お前もか……」
男の視界を絨毯で遮ったと思った浩介だったが、男は一瞬にして浩介の真横に位置し剣を横に振るう。
バックステップで距離を取るが、やはり剣となればリーチは長い。避けきれなかった浩介の胴体に掠り、剃刀で切った時のような痛みが走った。
それを気にする間もなく男は軽々と剣を操る。それらを躱し、区切りとなる時に浩介も攻撃を繰り出す。
銃はまだ使えない。浩介は己の肉体だけで剣に立ち向かっていく。
だからといって浩介が押されているわけではない。浩介の攻撃が当たることは少なかったが、同じく赤髪の男の攻撃も最初に掠めた胴体以外全て躱されている。代わりに壁や家具などに当たり、最早部屋は滅茶苦茶状態である。
男の横になぎ払う攻撃に床を転がりながら避け、その浩介に剣を振り下ろす。身を翻しそれを躱した浩介は横たわりながら剣の柄の部分に強く蹴りを入れる。
「クッ!!」
男が初めて見せる渋い顔。男の握力では保つことの出来なかった衝撃で剣は床を転がった。
剣に目を向けた男の足を引っ掛け、床に跪いた男の顔面に更なる蹴りを入れた。思わず苦痛の声をあげ床に倒れる。
賺さず立ち上がった浩介は上から再び顔面目掛けて拳を出した。しかし身を翻した男にその攻撃は届かず、床を殴る結果となる。
「……あと少しだったんだが」
床を殴った衝撃で痺れる手をフラフラと振りながら男に平然と目を向ける。立ち上がった男は暫く睨み、その場から消える。
「鬱陶しい」
その言葉と同時に放った裏拳は現れた男の顔を捉え、赤髪を掴み壁に二回顔面を打ち付け続いて腹部に一発、顎に一発、額に一発と拳を繰り出した。
吹き飛んだ男は近くの家具もろとも巻き込み、激しい音と共に倒れた。
「な……ぜ……はん、のう……できる……」
「……まだ意識があったか。あんたも頑丈だな」
虫の息で血塗れの顔を向ける男に冷たく言い放ち、再び赤髪を掴み無理矢理立たせる。
「あんたが消えた時の俺の反応か? 教えてやるよ。やり方は知らんがまずそれが使えるのは体勢が整っている時のみ。倒れている時なんかはあんたもグランという男も使っていない。そして消えながら動ける訳じゃない。目標とした場所に現れてからやっと動けるんだろ? その分俺の方が早く行動出来る。 ……ああ、その顔は何故現れる場所がわかるかって聞きたいんだな?」
男の虚ろな目をみながら浩介は微笑む。それは優しい笑みではなく悪魔のような笑みだ。
「お前等の考えが浅はかなのと、後は俺の勘だ」
浩介は掴んでいる赤髪を放し、崩れ落ちる男を無視して剣を掴む。
「案外軽いんだな……」
少し振ってみるが、変な違和感などはない。
「これは戦利品として貰っておく」
そして戦闘中に置いた拳銃を左手に持ち扉へと目を向ける。
そこには追っ手の男達が攻撃するわけでもなくただ呆気にとられていた。
「俺を……生かす……のか?」
「さあ、どうだろうな……」
浩介は曖昧な返事を男に返し、再び絨毯を手に取り呆気にとられている男達の方へ歩み寄る。
「ッ!!」
一斉に銃を構えるその緊迫感の中、ひとりの男の声が木霊する。
――撃てっ!!
その声と同時に浩介は入口から離れ、絨毯を被り壁の隅へ身を屈める。
怒濤の如く唸りをあげる銃声。恐怖に負けた男達の狂気。そして臭いに気付かなかった男達の末路はただひとつ。
盛大な爆発音が部屋を包み、行き場のない熱風を帯びた圧力は扉を抜けようと男達を襲う。
男達の放った銃弾は正面のパソコンに当たり、部屋に充満していたガスに引火した為に起きたガス爆発。
これだけの短時間ではガスの量もそんなに多くはなく、それを絨毯ひとつで耐えた浩介は直ぐに部屋を抜け出し、その場から離れ去った。
圧力に押された男達は幾重にも重なり呻き声をあげる。扉の前に集まっていた為それも致し方ない。
赤髪の男についてはガス元に近かったこともあり、結末は予想出来る。
「生かしておくわけないだろう」
浩介は走りながらそっと呟いた。
カイザーの敗北。それは倉谷と松井にとっても予期出来ない事態であった。その部屋の前に設置されていた監視カメラからの映像は爆発の衝撃で今は砂嵐が映るだけだ。
松井の不安は的中した。いや、それをも通り越す出来事だ。
不安を口にする松井に負け、Sランクのカイザーを送り出した。その判断に間違いはなく、寧ろ今出来る最大限の判断なのだ。
部屋の中で何が起きたかは監視カメラでは捉えきれない。だが、爆発の直後違う監視カメラが捉えたのは走り去る浩介の後ろ姿のみである。カイザーの姿が映らない事を考えれば、やはり敗北という二文字が脳裏を過ぎるのだ。
「なっ……ば、バカなっ!!」
倉谷は砂嵐となったモニターから後ずさる。
「彼を逃がしてはいけません! まだ切り札はあります。私もそこに向かいます!!」
松井は拳銃を握り締める。
「わ、私も行こう」
「社長! 正気ですか!?」
「勿論だ。あの男と少し話がしたい」
倉谷は額に脂汗を浮かべながら、緊張と恐怖を押し殺しそう決意する。
「……わかりました。行きましょう」
松井にその決意を止める術はなく、渋々頷き倉谷と共に社長室を出た。
来るときは逃げながらだったので帰り道を覚えていない浩介の視界に非常階段を捉えた。時間は掛かったがこれで抜けられると安堵した浩介は息を切らしながら胸を押さえる。
走った所為で胴体を斬られた傷がジンジンと痛み、血も溢れ出る。その痛みと闘いながらペースを落とし階段に近付く。
刹那、一発の銃声が響く。
その衝撃で浩介はよろめき、壁に背を預けた。
「がっ……ハッ……!!」
痛みの走った左肩を押さえると、浩介の右手は真っ赤に染まる。
――撃たれた…か。あぶねぇ……
それがあと少し下ならば確実に心臓を撃ち抜かれていた。
「ゴフッ――」
浩介は吐血を吐きながら非常階段の方へと顔を向ける。
そこに現れたのは特別な訓練を受け、武力に対抗する為にある機動隊の面々だった。
その数は七名。銃を向けながら陣形を組み近付いてくる。
「警察……?」
陣形の中央に位置するひとりの男は周りの機動隊員より軽装であり、その組織の指揮をとっている人物でもある。
「そう、警察だ。侵入者がいると通報を受けた。それが君なんだろ?」
「それは――」
「その通りですよ! 遠藤さん」
浩介の言葉を遮って声を出したのは後方にいる倉谷である。
浩介は倉谷に顔を向け睨む。
「お前が、責任者か……」
血塗れの浩介を見た倉谷は余裕の表情を向ける。
「はっ! いいザマだな。私がこの研究所の社長、倉谷敏弘だ。随分暴れてくれたようだな?」
「クッ!!」
浩介は倉谷から機動隊の指揮官である遠藤久へ顔を向ける。
「侵入したのは俺だが、あんた等はこの研究所の真意を知らない! 今何が起こっているのか、何が起きようとしているのか、この研究所で造られているのは何か! そこに目を向けないと世界は大変なことになる!!」
「………」
遠藤は何も言わない。
血を吐きながらも訴える浩介は鋭い視線を遠藤に向ける。
「俺を捕まえるなら好きにしろ。だがその前に現実を知るんだ! 全ての情報がここにはある!!」
「………言っただろ。俺は侵入者がいると通報を受けた。私の仕事はきみを始末することだ」
慌てることのない遠藤に浩介は苛立ちを隠せない。
「それがお前等の正義か!? 何の為に訓練をしてきた!? この国の治安を守る為だろ! 悪を許さない心があるからだろ! この研究所は、いや、この国の政府が今しようとしていることは……―――!!」
浩介はそこで気付いた。
――この男に何を言っても無駄なんだと。
そして一気に脱力感が浩介を襲う。それは信じる者に裏切られたかのような脱力感である。
勿論そこまで他人を信じることはしない浩介でも、やはりそれは予想外の現実だった。
そんな浩介を襲った脱力感の次は、底知れない笑いが込み上げてくる。
「ははっ………成る程、そういうことか……」
浩介は笑みを浮かべたまま、遠藤と視線を合わせる。
「今、悪は俺というわけか……」
浩介の言葉には誰も反応しなかった。
暫くの静寂。そんな中倉谷が口を開く。
「君を失うのは惜しい。どうだ? 私と共に来れば良い世界を見れるぞ?」
「……そんな世界に興味は無い」
浩介は倉谷に拳銃を向けるが、機動隊の弾丸が浩介の左腕を捉え銃を落とす。
撃った男を睨むと、機動隊はじわりじわりと浩介に近付く。
「まあ、君はよく戦ったと思うよ。もう楽になれ」
それは終焉の合図だった。
遠藤は機動隊に殺せと命じ、じわじわと近付くひとりが浩介のこめかみに銃を突き付けた。
「恨みはないが、死んでくれ」
引金に掛かる指がぴくりと動く時、浩介の眼に活力が戻る。
咄嗟に左腕で男の銃を弾くと、右手に持っている剣で腹を突き刺した。
空気が一気に張り詰める。そして激しい銃声を皮切りに浩介は再び闘争に身を差し出した。
くし刺しにした男を盾に、背を突き破った剣先でもう一人の男を刺す。その男を蹴飛ばし銃を撃っていたひとりを巻き込ませると、最初に刺した男の拳銃で倒れた男を撃ち抜く。
脚や肩などではない。紛れもなく頭に一発喰らわせたのだ。
くし刺しにした男に身を隠し残りの三人へと突進し、銃でひとり、剣でひとりと倒していった。
残りのひとりも最後まで応戦するが、銃で脚を、そして男から完全に引き抜いた剣で喉元を突き刺した。
動脈を切った男から大量の血が噴出し浩介の全身を濡らす。
――まだ終わりじゃない
浩介に銃弾を放った遠藤に目線を向け、顔を反らしながら剣を投げつけた。
銃弾は浩介の額を掠め、剣は遠藤の胸に突き刺さる。
その後、二発の銃声で幕は閉じた。
外は既に闇と化し、右手に剣、左手に銃を持つ浩介は研究所の敷地を出た裏路地までが限界だった。
あの銃撃戦の中、男ひとりで全ての銃弾を防ぎきれる訳もなく、脇腹と右太ももにも傷を負った。
それだけで済んだのも奇跡だが、気力と根性でここまで来たこともある意味奇跡である。
座り込んだ浩介は壁に背を預け、血に染まる手で煙草に火を付けた。
静寂に包まれる夜の裏路地で自分の心臓の音だけがやたら大きく聞こえる。紫煙の舞い上がる空を見つめ生きていることを実感する。
今日得たものは多く、失ったものは僅かな希望と自分自身の余裕だけである。
なら良いか、と思いつつ浩介は煙草の味を噛み締めた。
「美味いな、こんな夜は特に……」
そう呟き、煙草を持った右手が地面に落ちる。
地面に広がる血溜まりで煙草の火がジュッという音と共に消えるが、浩介が動くことはなかった。
後にこの戦いは『聖域の攻防』として語り継がれる。
決して揺るがなかったその心は見えなくとも確かに時代の礎を築いたと。
そして今、新たな礎を築く足音が浩介に近付く。
「高崎浩介君、か。ごめんなさい。ここまで巻き込んじゃって……」
その女性は優しく浩介の頬を触る。
「私達でどこまで改善出来るかわからないけど、やれるだけやってみるから。多分、この世界は迷宮となるだろうけど、それも許してね」
女性は浩介の口に何かの液体を入れ飲ませた。
「さて、どうしようかな……?」
女性は長い髪を背中に流し、浩介の姿を眺めた。
読んで頂きありがとう御座います。
いかがだったでしょうか?
この話は一話で終わらすつもりだった為に少し凝縮したのですが、読者様に伝わりにくくなっていましたらすみません。
わからない所などご感想いただけたら答えますし訂正もさせて頂きます。
とまあ、かなり物語の確信をつくような話となりましたが、早めに想定出来るのもぐだぐだ進むより良いかなとは思っています。
勿論まだ続きます。
わかりにくい文章だと思いますが、興味を持っていただけましたら幸いです。
これからも『迷宮世界』を宜しくお願いします。