崩落の果てに1
長い一夜を過ごした浩介達はそれから三日間情報を集めた。
とはいっても確実な情報源は襲撃してきた男の一人から手に入れたカードひとつである。それは浩介と柴田ではどうにも出来なかった為、全てを綾華に任せ二人は岸部三郎の自宅の捜索、住民への軽い聞き込み、さらには刑事である杉田からも事件の進展を聞き出そうとしていた。
岸部の自宅からは長時間調べることなどさすがに出来なかった為、幾つかの手帳や書類などを身内から許可を取り譲り受けた。
住民の聞き込みは、想定していがやはり有力なことは得られなかった。
そして今、杉田から再び事情聴取がしたいと連絡があったのでそれを利用して何か聞き出せれば、という思いであった。
呼ばれたのは浩介だけだったので、譲り受けた手帳などを柴田に任せ、浩介は指定された喫茶店へ出向いた。
その喫茶店は偶然にも綾華と行った白ヶ丘駅近くの喫茶店であり、扉を開けるとこれも偶然なのか浩介達がいつも座っている奥側の席に杉田は座っていた。
浩介の姿を視界に捉えた杉田は笑みをつくり右手を上げた。
「こっちだ」
浩介は表情を変えることなく真っ直ぐ杉田のもとへ歩き、向かいの席に座った。
「いいんですか? 署じゃなく喫茶店で事情聴取なんてして?」
浩介はホットコーヒーをマスターに注文し、煙草を吹かす杉田にそう言った。
「事情聴取と言うが、今回はそんな堅苦しいものじゃない。単にもう一度君と話がしたいと思った私のわがままだよ。だからいいのさ」
そう言う通り今日はスーツではなくジャケットを羽織り、浩介とそんなに大差ないカジュアルな格好をしているところを見るとそれが本音なのだろうと思えた。
杉田は注文していたホットコーヒーを飲み干し、浩介のコーヒーを運んできたマスターにおかわりを注文する。そして、煙草の箱を浩介に向け、器用に動かし一本だけフィルター部分を箱から出した。
「吸うかい?」
「……俺、未成年ですよ?」
その言葉に杉田は微笑する。
「今時二十歳になったから吸うという若者は少ないだろう。さっきも言ったが今日は私の個人的な誘いだ。そんな些細な事を咎めることはしないさ」
まるで浩介が吸うことを前提とした言葉に自然と笑みを浮かべる。
浩介が吸わないかも……という考えは全くない。それこそ吸うということを知っているのだ。
「自分の持ってきているんでいいですよ」
杉田の差し出した煙草を手で制すると、浩介はポケットから煙草を取り出し躊躇なく吸い始める。
それに満足するように杉田は煙草を自分の手元へと置き直した。
「それで? 何が聞きたいんです?」
「いや、三日前に事情聴取した後、もう一件事件があってね」
間違いなく公園での出来事だと瞬時に理解する。
「住民が近くの公園から発砲音を聞いて通報して来たんだ。私も直ぐに向かったが、その光景に驚いたよ」
「……何があったんです?」
何も知らない、という口調だが、浩介の頭の中にその光景はリアルに思い浮かぶ。
「五人の男が血を流し横たわってたよ。どうやら拳銃で撃たれたみたいだ」
視線を向けてくる杉田から顔を逸らし、コーヒーに口をつける。
「……つまりその事件について何か知らないか、ということですね?」
「まあそういうことだ」
頷きながら杉田も運ばれてきたコーヒーを飲む。
「すみませんが分からないですね。あの後、直ぐに帰りましたから発砲音も怪しい人物も見ていません」
その言葉で杉田はうんうん、と納得したかのように顔を動かす。
「そうだろうとは思っていたよ。すまないね、こんなとこまで呼び出して」
「……いえ」
浩介は煙草を灰皿へ押し潰しコーヒーカップに口を付ける。
一方の杉田はリラックスするように椅子にもたれかかり、ひとつ息を吐いた。
「それにしても妙な事件だ。ダイナマイトといい、五人の男の死体といい……何か関連があるのか全く分からない」
杉田はそう言って苦笑するが、それを聞いた浩介はピクリと眉を動かす。
「死体……?」
浩介が思い浮かべていたその時の光景では理解し難い単語であった。
確かに脚は撃ったが致命傷となるものではない。現に二人の男は浩介が銃ではなく素手で気絶させたのだ。死んでいる姿など想像もつかない。
しかしそれが本当ならば浩介達が公園を去り、警察が駆けつけるまでの僅か数分で彼等の命を奪った第三者の存在がいたことになる。そしてその人物もまた浩介達の敵だと容易に推測できる。
「そう、死んでいた。それがどうかしたのか?」
杉田はその反応に確かな手応えを感じ意味深な笑みで尋ね返す。
「……いえ、ニュースでもやってなかった事件だったので」
そして話が長くなると感じた浩介は二本目の煙草に手を伸ばす。
実際ニュースでは商店街の事件ばかりで公園でのことは全く報道されてなかった。生きたまま捕らえられ、少なくとも情報が手に入れば、と考えていた浩介にとっても報道されなかったのは想定外だった。
「これ程の事件、何故ニュースにならないんです?」
「上層部の判断だ。今それを報道しても住民に不安を募らすだけだからな。通り魔、商店街爆破と続けばしょうがないことだ」
それは一理あることだが、だからといって報道しないことが警察として事件解決に繋がるとは、ある程度事情を知っている浩介としては考えられなかった。
「あ、あともう一つあったな」
そこで不意に杉田がポンと手を叩いた。
「これはニュースにもなったが、二人の行方不明者がいたな。ひとりは町外れの教会の牧師、もうひとりは白ヶ丘学園の教師……そういえば浩介君もその学園の生徒だったっけ?」
これは偶然だな、と驚いたような顔を向ける杉田の白々しさに浩介も苦笑いで返す。
「管先生ですね。僕のクラスの担任でもありました」
「そうだったのか。だがその二人は未だに見付かっていない。通り魔で捕まった男が浩介君の学園の女子生徒殺しを否定している。捜査を進めていくうちその先生も容疑者として浮かび上がっているのだが、どうにも行方が分からんからなぁ」
つまりは捜査が行き詰まっているということだ。
その二人の末路を知っている浩介は、そうですか、と返すだけで余計に踏み込むことはしなかった。心境としては過去よりも今。依頼屋よりも政府。その為に公園で対峙した男達の情報が欲しかった。
「随分あっさりしているんだね。キミも面識のある人物だろうに」
そしてその反応の薄さに杉田は踏み入った。真っ直ぐ真剣な視線を浩介にぶつける。
「生憎、そういう性格なもんで。そうでもなきゃあの場面でダイナマイトを解除しようとは思わないでしょ? 俺が普通の精神の持ち主なら逃げてますよ。どんな時も冷静に。それが俺自身のルールです」
「だがそう心掛けていても簡単に制御できる事じゃない。誰しも大きなコトにぶつかった時少なからず心を乱す」
「普通の人間ならね」
「きみは普通の人間じゃない、と?」
「商店街であなたが感じ取ったコトは何です?」
浩介の挑発的な表情と口調に杉田は息を呑む。そして正確に理解した。高崎浩介という人間性を。
「……君の頭脳、観察力、行動力、そして強靭な精神力。それらを引き出せる経験の差。それがきみという人間なんだな?」
「まあそんな風に自分を意識したことないので何とも言えないですね。ただ、今回のことは必ず真実を暴くと決めた」
「それは商店街の事件か? それとも公園での殺人事件か?」
「どっちもです」
そこで両者は間を空けた。
浩介はコーヒーを飲み、杉田は新たな煙草に手をつける。そしてふーっと煙を吐き一息つくと、ちらっと浩介に目を向ける。
遠回しだが確信をつくような質問をしたのに表情を変えることなく喫茶店のメニューに目を通している。杉田の言わんとしている内容は浩介も気付いている筈だが、それをストレートに言っても同じ様に逸らされるだろうと思い、杉田自身も深くは踏み込めない。
しかし幾つかのヒントは杉田も読み取っており、それが、どっちもです、という返事だった。
つまりは商店街の事件について真相を知ろうとしているなら、どっちもという内容から同じく公園での殺人事件も何かしらの繋がりがある筈だと思っていた。
「それで杉田さん。この二つの事件について何か進展はありましたか?」
大胆且つ唐突に、依然メニューに目を通しながら浩介が口を開いた。それには杉田も目を丸くする。
「……そんなこと、きみに言えると思うか?」
そしてその質問には刑事としての権限を使わざるを得なかった。
だが、浩介はメニューから目線を外し杉田に微笑んだ。
「話すでしょうね」
それは極当たり前で確信のあるような言い方だった。
「……その根拠は?」
「あなたは既に一般人の知らない情報を俺に与えている。それは何かしら俺に期待している証拠だ。その情報を俺に教える代わりに更なる情報、局面を知ろうとしている」
そこで浩介はコーヒーを口に含む。それにつられるように杉田も同じ行動をとった。
「だが、裏を返せば警察側も進展が起こり得るようなモノを持っていないということ。だからあなたは俺に期待した」
杉田は一時目を閉じ、再び浩介に視線を向ける。その顔はまだ主導権は渡さない、といった柔らかい表情だ。
「きみに期待したのは認めよう。だけど、これ以上の情報をきみに教えるというのはまた別の問題だ。それだけ察しているきみに易々と教えるのも刑事のプライドが許さないからね」
杉田がそう出るのは飽くまでも想定内。それだけの論理で話してくれるほどこの刑事は甘くないと理解していた。
互いにまだ詰めではない。だがこのまま平行線に向かおうとも浩介は思っていない。この杉田という刑事なら『こちら側』としても期待できると踏んでいるからだ。
「俺はただ駆け引きをしようと言っているんじゃない。情報交換をしよう、と言っているんです。あなたは今の流れを知りたい。俺は細かでも状況が知りたい。お互い得るものは大きい筈ですが?」
「じゃあやっぱり、きみはこれらの事件に深く関わっているんだな!?」
疑惑が確信に変わり、杉田の口調が大きくなる。前のめりになりながら問い詰める様子にも浩介は至って冷静に口を開く。
「俺は何も知りません」
「そんなわけ――」
「例えば! あのじいさんが何か重大な事を知ってしまったら」
言葉を被せた浩介の強い口調で杉田も冷静さを取り戻し、椅子に深く座り直す。
「その組織が口封じの為じいさんを殺したとしたら。公園で殺された男達はその組織の追っ手だとしたら……流れは見えてくるでしょう?」
暫く沈黙が続く間、浩介は空になったカップを見てコーヒーのおかわりを二つ注文し、煙草に火を付けた。杉田は未だ頭の中を整理している。
「……つまり、君達がその追っ手に――」
「『僕ら』は何も知りません。これはただ単に俺の憶測です」
「……そうだったな。つまり、その組織は商店街で何かを知った可能性のある『人物』を口封じの為追っ手を出し、逆に返り討ちに遭った。そして更なる口封じの為何者かが追っ手を殺した、ということか……」
「そう考えた方が辻褄が合うでしょうね」
運ばれてきた熱いコーヒーを啜りながら頷く。
「その組織とは一体……」
「まあ、並みの組織じゃない事は確かでしょうね。野蛮な連中の集まりだと考えた方が良い」
杉田はまた暫く考え込み、俯いた状態で目を瞑った。
一旦は浩介達の立場は置いておかなければならない。というのもある程度は把握はしたが、本人が何も知らないと言っている以上問い詰めようもないし、証拠もない。本気で捜査すれば追い詰めれるがそれをする時間も無ければ余裕も無い。その間に浩介達は警察が手出し出来ないような立場にいる筈である。そしてそれを優先すべき時ではないと浩介の説明が物語っていた。
浩介達の不利にならないギリギリのところまで杉田に話している辺り、警察が動ける範疇を完全に把握しながらその先の行動まで制限させている。つまり今後杉田がしなければいけない事は浩介達の粗探しではなく、その事件、または組織の解明を優先することだ。
――やはり彼は別格だな
改めて浩介を評価すると同時に杉田は浩介に顔を向けた。
「先ず、殺されていた追っ手の五人。脚に銃弾が撃たれていたのは返り討ちにあった時だろう。死因は五人とも頭に一発ずつ銃弾を受けたことだ。これは全く違う銃で撃たれていたことから別の人物が撃ったとして調べている。因みに五人いる中、銃は三つしか回収出来なかったという点も一応伝えておこう」
それは浩介と綾華が一つずつ持ち帰っているので当然のことだ。
「男達の身元は?」
「それは今捜査中だ。その彼等を殺した奴の特定も難しいだろうな。何一つ証拠を残していないからな」
落胆するように溜め息を吐き浩介は今日何本目かの煙草に火を付ける。
「吸い過ぎじゃないか?」
「吸っても良いと言ったのはあなたですよ」
杉田は軽く笑う。
「そうだな。まあそう落胆するな。きみの『憶測』を聞いたお礼に有力な情報を教えてやる」
その言葉に浩介はピクリと反応する。
「岸部三郎の働いていた仕事場が分かった」
そして気持ちの高揚を覚えた。
「どこです?」
「倉谷ノルベール研究所。地下三階、地上六階建ての大きな研究所だ。そこの職員は軽く千人を超え、全員が住み込みを強制される。一度悲報を伝える為電話したのだが、直接会うことは拒否された。こちらとしても大変残念な事件だが今は大きな研究を抱えていて寝る暇もなく忙しい、とかなんとか言っていたな。きみの『憶測』が正しければ、岸部さんが何らかの情報を知ったとすると怪しいのはまず其処だろう」
「倉谷、ノルベール研究所……か」
浩介は頭に刻むようにもう一度呟いた。
「ひとつ言っておこう。『君等』だけで無茶をしようと思うな。怪しいのは確かだが、確証なく突っ込めば立場が危うくなるのは君達だ」
「分かってます。直ぐに動くつもりはありません。他に情報は?」
「今のところ君の知りたい情報はそれだけだ」
「そうですか」
浩介はそう言うと煙草を灰皿で消し、残りのコーヒーを一気に流し込んだ。
「また何か分かったら連絡しよう。これが俺の番号だ」
切り上げようとする浩介に杉田は名刺を渡す。その裏には携帯の番号が記載されていた。
「いいか? 『何か』あったら直ぐに連絡するんだ。多少は力になれると思う」
「ありがとうございます。多分こちらから連絡すると思いますので」
その名刺をジャケットの内ポケットに入れ、浩介は一礼してから店を出た。
ひとりになった杉田は椅子に深く座ると煙草を吸って一息ついた。
「あいつ……容赦なく俺に奢らせたな……」
テーブルの上に置いてある伝票に目を向けながらもう一度溜め息混じりに息を出した。そして、呼び出したのは俺、相手は学生、と何度も心の中で呟き自分に言い聞かせるのだった。