想いを乗せて2
商店街は静寂に包まれていた。
誰一人口を開く事なく、誰一人動く事なく、まるで時間を止められたかの様に制止している。
そんな中、ハサミが地面に落ちる音が微かに響く。
「どうやら、生き長らえたようだな」
「寿命は縮んだけどね」
浩介は深く息を吐き出し、綾華は壁にもたれ掛かりながら座り込んだ。強烈なプレッシャーから解放された瞬間だった。
「よくもまあ、造った奴の心理を読んだものじゃな。長年多くの人を見てきたが君のような逸材を見たのは初めてじゃ」
老人は残り四秒で止まったタイマーを見ながら感心するように呟いた。
あのプレッシャーの中、あれほどの推論を立てれる人が果たして何人いるだろうか。老人が生きてきた人生の中で唯一答えの出た瞬間に、類い希なる可能性を感じずにはいられなかった。
「運が良かっただけだ。今回は遊び心のある奴で助かったが、大真面目な奴なら解除も出来ずにあの世行きだった」
浩介は苦笑いを浮かべそう言った。あくまで解除出来る線を用意してくれていたから助かったと理解しているからである。
「君なら、そうだとしても最善の手を考えついたと思うがな」
「その時はあんたを置いて逃げてるさ」
解除したからと言っても、ダイナマイトを巻き付けられたままじゃ落ち着かないだろうと思い、老人の体に巻かれた導線をハサミで切り離した。
「立てるか?」
ダイナマイトを取り外し完全に自由の身となった老人に手を差し伸べた。
「すまんが老人の身体には少々厳しかったようじゃ。このまま座らせといてくれるかの?」
「それもそうだな」
一度は死を覚悟した心境で心神共に衰弱している老人の言葉に納得し、差し出した手を戻した。そして隣に座る綾華に目を向け、同じ様に手を差し伸べた。
「綾華はどうだ?立てるか?」
「うん。ありがと」
綾華はその手を取り立ち上がった。
「さて、面倒な事になったな」
浩介の言う面倒な事とは決して老人を助けた事を言っている訳ではない。その後の対処法の事を言ったのだ。
現に浩介の目線は遠く離れた野次馬の方に向けていて、あれほど静寂の空気に包まれていたのが嘘であるかの様に歓声が飛び交っている。そして駆け付けた警察がこちらに向かって来るのは時間の問題であったのだ。
警察署で取り調べという面倒な事を避けるべく、この場を去りたいという気持ちもあったが、何しろ目撃者も多い中、顔をさらけ出し制服を着ていた事を考えるとそれが最善の方法とは思えなかった。身元が割れて不用意に怪しまれる事はそれ以上に避けたいものだった。
「まあ、私達は偶々通り掛かって善意で助けたって言えば問題無いわよ」
「実際その通りだからな。それでいこう」
二人にとって面倒ではあるが重要性は無い。だからこそこの簡単なやり取りだけで済ませる事が出来るのだが、問題はこの老人の方であろうと察していた。
老人はこの事件の全てに関与しているが故に詳しい取り調べが行われる事は明白だった。
「あんたはどうすんだ?」
「そのような事を考えるだけ無駄な事じゃ。最低限は話すが重要な所は話しても分かって貰えぬ」
老人は俯き溜め息をついた。
「一度動き出した歯車を止めることなど出来ん。ワシの人生は後悔の塊じゃ」
「そんなこと無いみたいよ。後悔は理想があるから芽生えるもの。少なくとも一つの理想は叶えられたみたいね」
綾華は老人を促すように野次馬の方へ視線を向けた。そこにはこちらに走ってくる警察官。その警察官に追われるように少女と一人の青年が疾走していた。
警察の包囲を振り切って向かって来ているのは一目瞭然だが、その少女に見覚えがある綾華はクスっと笑った。それに老人も気付いたらしく目を見開いた。
「おじいちゃーーん!!」
「ま、舞……!?」
「おじいちゃん!!」
少女は走ってくるなり老人に抱き付いた。老人も力一杯それに応え少女を抱き締める。
「舞!会いたかった……」
「おじいちゃん……おじいちゃん……」
少女は老人に抱き締められながらそう呟いて泣いていた。
久々に会う祖父がこんな形で命の危険に晒されていたことを考えると少女の心境としては辛いだろう。だが、この少女はそれ以上に老人の置かれている危険な立場を分かっているのではないだろうか。いや、分からずとも感じていると言った方がいいかもしれない。浩介は何となくだがそんな思いを抱いていた。
「いや、随分捜しましたよ。岸部さん」
少女と一緒に向かってきた青年が老人に声を掛ける。
老人が依頼を頼んだ相手だと写真の少女を連れて来た時点で分かっていた浩介と綾華も青年の言葉に耳を傾けた。
「すまんのぅ。こんな事になってしまってな……」
老人は孫娘である岸部舞の頭を撫でながら青年に返した。
「じゃが、この二人のお陰で命を長らえることが出来た。お嬢ちゃんの言う通り、死ぬ前に孫に会うという願望は叶えられた。なんと礼を言っていいか……」
「俺達はあんたに依頼を受けた訳じゃない。俺達が勝手にした事だ。だから今は孫を連れてきたその人に礼を言うんだな」
「……そうじゃな」
老人は青年に顔を向けた。
「舞に合わせてくれてありがとう」
真っ直ぐな言葉に青年は照れを隠すように顔を背けた。
「僕も依頼を受けたからそうしただけです。そこまで感謝されても困ります」
青年も依頼だからと主張した。
二人の謙虚な言葉に老人は声を出して笑った。
今の世の中、若者達の軽はずみな言動が問題視されることも多く今後の未来が不安だという声もあるが、二人を見ているとそんなことはないと自然に思えてくることが嬉しく、そして期待出来るという確信に心躍っていたのだ。
まだ希望はゼロではない――と。
そんな中、ようやく数名の警官がその場に駆け付けた。大多数は交番などでよく見る制服を着た警官であったが、その中でスーツに身を包んだ男がそれぞれの警官に指示を与えている。それを見てもそれなりに権限を持ち、重い事件を扱う刑事だと浩介は理解した。
刈り上げの髪に鋭い目つきのその刑事は一通り指示を出し終えると浩介達と向き合いパンパンと注目させるように手を叩いた。
「はい、君達。取り敢えずこのダイナマイトは爆弾処理班が片付ける。ちょっと移動願おう」
刑事の目線は野次馬のいる商店街の外れへと向けられた。
爆発はしなかったものの、世間的には大事件である。それを証明するかのようにその場にも多くの警官が配置され、パトカー、救急車、消防車などの赤いランプが夕方の空と交わっている。そして爆弾処理班が最大の防御を身に纏いこちらに近付いてくるのも異常な光景の一つである。
「舞、舞。先に逃げときなさい。おじいちゃんは手を貸してもらわなければ動けないんじゃ」
依然老人に抱き付いていた少女は老人の言葉と頭を撫でられる感触で顔をあげ、真っ赤な目でしっかりと頷いた。
「さあ、舞ちゃん。行きましょう」
こういう時は同性の方が落ち着かせる事が出来る。綾華は率先して少女に手を出し、少女もその手をぎゅっと握り返した。
「俺達も行こう」
浩介は依頼屋の青年と共に歩を進め、老人も警官の手を借りながらゆっくりと立ち上がった。
ピピピッ!
微かに、しかし確かに音が聞こえた。それは少し離れた浩介達には届かず、老人と老人を支える警官にしか聞こえない程の音量だった。
「なんだ? 今の音?」
その警官には気付く事の出来ない違和感を老人は瞬時に悟った。
それは、地に足を着けた時に何か小さな石を踏んだような感触だった。
しかしそうではないと確信した老人は瞬時に肩を貸している警官を突き飛ばした。
「うわっ!」
思わぬ老人の行動で地面に転倒した警官はそのまま驚きの顔で老人を見上げた。老人は全く変わることの無い体勢で立ち竦み、肩で息をしていた。
その顔は血の気が引き呼吸も荒い。それはまるでホラー映画のワンシーンのようであった。
突き飛ばされた警官の声と物音にふと後ろを振り返った浩介はそこでの異様さを目の当たりにする。
「……何してる!?」
明らかに老人の行動がおかしいことは見て分かる。だが音の聞こえなかった浩介が分かることはそれだけだった。
浩介の声に全員が振り返り、その場に硬直する。そしていち早くスーツ姿の刑事が老人に向かい足を踏み出した。
「おいあんた!! 気が狂ったか!?」
「ワシに近寄るでない!!!」
警官が突き飛ばされた状況を見るだけでも非があるのは老人の方だ。最悪公務執行妨害で逮捕することも有り得る程の行為であるが、それすら老人の怒鳴り声が打ち消した。
皆驚きを隠せない。突如として変わってしまった老人に頭がついていかない状態だったのだ。
そんな中浩介だけが老人に近付き、十メートルの距離を取り向き合った。
「……何があったんだ?」
老人は依然血の気の引いた顔で息を深く吐き出した。
「浩介君……だったな。奴らはやはりワシを生かしておくことはしなかったようじゃ」
「どういうことだ?」
「ダイナマイトの……第二のスイッチが……今ワシの足の下にある」
「何だと!?」
直ぐにダイナマイトの繋がった箱のタイマーを見るが残り四秒で止まったままだ。
この状況で老人が嘘をつくなど考えられない。
となればまだ起動していないだけで、何かをきっかけに作動する仕組みになっていると考えられた。
「重さで反応する遠隔装置か!?」
考えられる選択肢はそう多くは無い。その中から一番今の状況と繋がる選択肢がそれだった。
老人の靴の底には何らかの方法で重さを感知するスイッチのような役割があり、地を踏んだ事によりスイッチを押した状態になっていたのだ。
そして靴を上げ、重さを感知しなくなった瞬間にダイナマイトが再び起動する仕組みだ。
凹凸タイプのスイッチを思い浮かべれば説明がつく。凹状態の時をオフと考えれば、押しっぱなしではオンにはならない。離した時に初めて凸状態、つまりオンになるのだ。
結果、老人が一歩でも動いてしまえば残り四秒が動き出す。
そう考えれば一歩も動かない老人の違和感も、警官を突き飛ばした行動も納得出来る。
そして浩介の考えに同感するかのように老人が頷いた。
「恐らく、そうじゃろう」
「何とか出来る方法は?」
「思い浮かばんよ。ワシの重さで起動したのなら、靴を脱いだところで結果は同じじゃろう。それに少し動かしただけでもスイッチが入ってしまうかもしれんからのぅ……」
「打つ手無しか……クソッ!!」
浩介は自らの失態だと拳を握り締め悔やんだ。
確実に殺す事を目的と考えれば導線だけでは役不足である。解除された時の次の一手も読まなければならなかった。何よりゲームのような方法と手の込んだダイナマイトなら尚更のことだ。
「おい!!どういうことなんだ!?」
そのやり取りに付いていけなかった刑事が堪らずに口を開いた。
「……ダイナマイトが再び爆発する可能性がある。ここにいる警官全員を今すぐ避難させるんだ」
「な、何だと!?」
「……時間が無いんだ。早くしてくれ」
静かな口調で言う浩介は込み上げる感情を必死で抑えていた。
それを悟った刑事は大声で警官に命令をして避難させた。
「あなたはどうするんです!?」
騒然と逃げて行く警官をよそに、動こうとしない浩介の姿を見た依頼屋の青年が尋ねた。
「出来ることを考える。あんたも逃げてくれ。綾華もその子を連れて先に行っててくれ!!」
少し離れた所で戸惑っていた綾華に聞こえるようにそう言うと、綾華も少女を抱え急ぎ足で避難していった。
「………」
青年は迷っていた。自分にも何か出来るのではないか、このまま逃げていいのだろうかと。
浩介は無言で佇む青年に一度だけ深く頷いた。
――何も出来ない……
青年はそう感じ取り、苦虫を噛んだ。
青年だけではない。それは浩介も同じで、寧ろ浩介がそれを青年に教えていた。
青年に悲観の隠った笑みを浮かべ頷いたからだ。
青年がそのまま走り去って行くのを少しだけ見送り、浩介は老人に向き合った。
「これでゆっくり話が出来るのぉ」
老人は屈託の無い顔でそう言った。それがまた浩介の心を痛めさせていた。
「爆弾処理班もいる……まだ何とかなるかもしれない!!」
「今は、じゃよ。前に言ったがどの道ワシは殺されるんじゃ。それが今か…もう少し後か……それだけじゃ」
爆弾処理班がダイナマイト自体を解除出来る可能性もあった。靴の底の仕掛けが解ける可能性もあった。
しかし、いずれも老人は選択せずこの道を選んだ。
「君を残したのは、今を逃せばもう二度と話せなくなるからじゃよ」
そして浩介をこの場に留めた。
言葉がなくても浩介がそれを察知したのは警官を突き飛ばしてからずっと老人が視線を送っていて、そして刑事が口を開く直前に、先程浩介が青年にしたように老人も笑みを浮かべたからである。
無事に助かる事が出来ても次浩介と二人で話が出来る時に自分が死んでいたら意味が無かった。老人はそれを懸念して此処で終わる覚悟をしたのだ。
「……俺に何かを託しても、何も出来ないかもしれない」
「かまわんよ。ワシも何も知らん一人じゃからの。しかし、遅かれ早かれ知る日がくるじゃろう。なら君には話しておこう。浩介君にその覚悟があれば、じゃがな?」
覚悟――それは政府から命を狙われる覚悟である。
「話を聞こう」
無論、浩介としても後には引けない。
「いいじゃろ。ワシも限界に近い。単刀直入に言おう」
老人の言った通り動かせない脚はプルプルと震え、体力的にも限界だと感じられた。
「まず、ワシが研究所で知った事実じゃ。今の日本政府は殺戮兵器を造っておる」
「殺戮……兵器……」
「理由は分からん。研究所も各地に在り、部品の製造と研究をそれぞれ細かく担っておる。ワシは偶然その事実を知ってしまった。核の数倍の威力を持つ殺戮兵器をじゃ」
一カ所で造らないのは労働者に知られない為だ。新作の機械の部品だとでも言えば誰一人疑いを持つことは無い。
「それが良いことに使われることは無いじゃろう。恐らく兵器も完成間近じゃ。近々必ず何かが起こる」
老人は真剣な表情から笑顔へと変えた。
「そして君なら、全ての真実に辿り着くと思えてならないんじゃよ。長年の勘じゃがな」
そして老人は深く息を吐き出した。全てを話し終えたのだと理解した浩介も溜め息を出した。
「真実……か。この世界は、どこに向かっているんだろうな? あんたを殺してまで隠さなければならない研究、兵器、政府。人を殺してまで成り立つ依頼屋。そして俺自身。一体どんな意味があるんだろうな?」
答えの出ない問いを微笑み混じりに呟いた。
「……それは君が生きていくことで少しずつ知っていくものじゃ。じゃが、君には重いものを背負わせた。すまんかった」
「やめてくれ。俺は自分の意志で関わったんだ。あんたに謝られても困るだけだ」
浩介は頭を掻きながら避難した人達の方へ振り返った。
「それに、これから辛い思いをするのはあんたの孫娘だろ?」
今も遠くからおじいちゃん、おじいちゃんと叫ぶ少女の声が商店街に響き渡っていた。
「君も結構無理をしてきたように見えるんじゃがな?」
「もうそんな無茶はしないさ。綾華に怒られるからな」
浩介は軽く笑うと、再び老人と向き合った。
「俺は高崎浩介。あんたの最大の後悔は俺が引き継ぐ。話が聞けて良かった」
浩介は老人に手を差し伸べた。
「岸部三郎じゃ。ワシも浩介君に会えてよかった」
老人も浩介の手を握り返した。
「それじゃあ……ありがとう」
さよならとは言わなかった。
言ってしまったら老人の意志が消えてしまうように思えたのだ。老人の意志は今は浩介の中にある。だからありがとうでよかった。老人もそれには笑顔でしっかり頷いた。
浩介は老人と手を離し、背を向けて歩き出した。
「浩介君」
呼び止められた浩介は老人へと振り返る。
「『バラリア』という言葉、覚えときなさい」
「バラリア……? 分かった」
軽く頷き、また歩き出した。
今度は止める事なく浩介の背中を見守った。
気付けば脚の震えは治まり、気分も楽だった。だが失われた体力は最早限界を超えている。
理想があるから後悔がある
老人は綾華の言葉を思い出していた。
――ワシの後悔は希望へと変わった。どうか、平和な世の中を生きてくれ。
そして老人は綺麗な放物線を描くかのように後方へと倒れていった。
それを見ていない浩介もドサッという老人の倒れる音で拳を握り締める。
地面から靴の底を離した事により、僅かな期待を打ち破るように四秒で止まったタイマーは誤差なく動き出した。
そしてついに誰もが耳を塞ぎたくなるような爆発音が商店街に響いた。ダイナマイト近くのガラス、壁、地面、横たわる老人を関係なく破壊していき、雨除けの屋根も爆発で吹き飛び噴煙が舞い上がる。
絶望のシンボルとも思える噴煙の舞う暗い空から、老人が握り締めていた孫娘の焼け焦げた写真がヒラヒラと落ちてくることには誰も気付かなかった。