8話 からかってるとしか
豊浦家でのアレから1週間。わたしたちは場所や時間をその都度変えて──人にバレないように、あるいは趣向を変えるように──、毎日欠かさずにキスをこなし、キスフレという関係性を確立しつつあった。
そして今日は、
「……ぷはっ。やば、背徳感やっばぁ……」
お昼休み、昼食を摂って3人衆と談笑し、そこから残った短い時間で、わたしはお花を摘みに行くと見せかけてさりげなく豊浦さんの机の横を通りつつ、合流の旨を記した1枚の紙きれを置き、空き教室の片隅に密かに集合していた。
「毎日よく飽きないよね、藤咲さん」
「そりゃあ飽きませんとも! だってこんなに気持ちが良いんですもの!」
「欲望に忠実だね」
「それが人間のあるべき姿では? 食べたいときに食べる、寝たいときに寝る、キスしたいときにキスする、人間ってのは意外と単純なのよ」
雰囲気などいらず、キスは単に唇をくっつけるだけだと思い込んでいたわたしですが、現在絶賛アブノーマルな環境でのキス──そもそも女とのキス自体アブノーマルなんだけど──にハマってしまいつつあった。
他のみんなは普通にお喋りでもしてお昼休みを過ごしているというのに、一方のわたしはこんなひっそりとした場所で豊浦さんという美少女とキスに興じている……。
やっぱり経験者だけあって雰囲気の重要さを豊浦さんは分かっていた。だからわたしに諫言してくれたのだろう。
ちょっと後悔かしてるかも。お触りなんてしてみたらこれよりもっと気持ちよくなれたり……。
……いやいや、なんてね? もし本当にそうなるんだとしても豊浦さんにお触りなんてしない。誘惑にわたしは屈しないのだ。
一時の快楽に惑わされてあるべき理性さえ失ってしまったら一寸先は闇、きっと大変な事態になってしまう。
「にしても大胆だよね。こんな真っ昼間から誰かに見られるかも分からないこんな場所でさ」
「ぷぷっ! 臆病だなぁ、豊浦さんは。こんなとこ誰も来ないってぇの」
と、時間も残り少なくなってきていたので、わたしは再度唇を押し付けた。
今日の豊浦さんのお口はいつにも増して甘い。なんだかフルーティーな味がする。お昼ご飯のデザートとしてフルーツでも食べたんだろうか。
なんて、わたしもそろそろキスを五感全体で楽しめるようになってきたとちょっぴり感心したりする。
わたしはキスする時、手を豊浦さんの肩に置くことを心掛けている。それはある程度の距離を保っておくための、言わば安全装置みたいなもの。やっぱり頭とか首とか腰に手を回したりなんかしたら、えっちな雰囲気になってしまうのは目に見えるから。
椿の言う通り、わたしはチョロい。それは確かに自分でも是認するところであり、そのためもし少しでもそういう雰囲気になってしまったら、わたしのような女は流れであれよあれよという間に豊浦さんにぺろりと平らげられてしまうことと相違ない。
だから、どれだけ快楽に酔っていても、そこだけは理性を保って徹底しなければ。
これからも末長くキスフレを続けていくために。
「……ふはぁ、やっぱ豊浦さん上手いよね、キス。やり慣れてるだけあるよ、うん。ホントに遊び人って感じだね」
「そう見える?」
「見えるも何も。キスする時のその余裕のある態度とかからね、それはもうひしひしと伝わってきますよ」
「……そりゃどーも」
「豊浦さん的にはさ、やっぱり男と女でキスの感覚は違うわけ?」
何気なく思いついた疑問を性の生き字引たる豊浦さんへ後学のためぶつけてみた。
ちなみに、一応わたしが豊浦さんにキスをせがんだ理由に牽連して翼くんとの件を既にダイジェストでお送りしている。
ただ、豊浦さんは「災難だったね」と一言だけ。豊浦さんにとって男と女の別れなんてありふれたことだろうし、反応が薄いのも理解できる。
「一応、わたしもどっちとも経験してるわけだけど違いがあんまり分かんないんだよね。こう個人差って感じじゃなくてさ、性別の差による違いみたいな。あったりする?」
わたしの言葉に、豊浦さんは急に神妙な顔を作って、
「……藤咲さんには話してもいいかな」
「えぇ? なんですか、やけに改まって。怖いんですけど?」
少し間が空いて。
この隙にもキスができたのに、なんて思いつつ、しかしどことなく豊浦さんは様子がおかしかったので仕方なく唇を塞がず待ってあげた。
そして重々しくも、口を開くと、
「……あのさ。私、男の子とキスしたことない」
「……」
沈黙。
ただそれも数瞬、わたしは耐えられなくなって、堰を切ったように、
「わははははは! どんな冗談なの、それ!」
爆笑も爆笑、大爆笑である。
確かに豊浦さんは人をからかうのが好きらしいけど、その冗談はいくらなんでも突飛すぎていておかしい。
そもそも、豊浦家であんなキスをしておいて、さらにその先をやろうとも目論んでいたのに、それなのに今まで男の子とキスしたことないだって?
天地がひっくり返っても信じられませんって。
「ふっふふ、へへっ。あー、そうなんだぁ、へぇー」
笑い声を溢しつつ、わたしが茶化すようにそう言うと、豊浦さんは俯いた顔、上目遣いでわたしの手を握ってきて、
「冗談じゃ……ない……。本当」
そこには、自信ありげで凛としているいつもの豊浦さんの姿はなかった。
「いやぁ……。え、えぇ? そんな真面目な顔で言われましても……にわかに信じられないのですが……。そんなの豊浦さんの自己申告だし、またわたしをからかってるとしか……」
握られている手は熱を帯びていて、温かさが伝ってくる。
……演技にしては迫真だなと思う。
実際、わたしは豊浦さんのその普段見せない、しおらしい姿に少なからず動揺してしまっていた。
そこまでしてからかってもわたしの反応は別に面白くないだろ……。
「……証拠になるか分かんないけど」
と、豊浦さんはスマホを取り出して、いくつかのSNSをスクロールして見せてくれた。
わたしが見た限り、男のアカウントは影もなく、それどころか家族と同年代くらいの人物が数人くらいしか登録されていなかった。
いや、豊浦さんが古き良き、礼節を重んじる文通派だったり、あるいはちょっとトリッキーに伝書鳩派だって可能性もないこともない。
が、やはりこの便利な現代社会でそれらを嗜む人口はあまりにも少ない、少なすぎる。
となると豊浦さんは本当に遊び人ではない……のか?
いやいやいやいやいや、そんなはずが……。
「じゃ、じゃあ命さんのあの噂は? 火がないところに煙は立たないんだよ? わたし、命さんが遊び人って知って声かけたんだけど?!」
「……私、中学の頃、何人もの男の子から告白されたんだよ。でも別に恋愛なんてのに興味はなかったから全部断って……なのになんでか知らないけど、気づかない間に私が遊び人っていう風評が流れてた」
やけにリアリティのある話だな……。
一応考察してみると、顔が良くてモテすぎるがゆえに女の嫉妬や怨念を一身に背負ってしまったというところだろうか。
心の醜悪な女たちが豊浦さんを貶めるために、そして男子たちを近寄らせまいとするために、無理矢理にも火をつけた、みたいな。告白の様子を拡大解釈されてデマを流されたと見える。
「なんで否定しなかったの?」
「張本人が言ってもどうにもならないでしょ」
多勢に無勢。
そもそも豊浦さんは感情表現が苦手でそのせいか人付き合いが得意じゃないようだし、中学時代も友達も少なかったらしいし、抵抗のしようがなかったのかな。
それにしてもまさか高校までそんな噂が流れてくるとは……。
女の恨み辛みは怖いな。
「……って、ええ? 待って待って。……じゃあもしかしてわたしとのキスが初めてだったの? あの日の、アレが?」
「そう」
「わたしが豊浦さんのファーストキス奪っちゃったってこと?」
「そう」
「いや、『そう』じゃなくて! もっと思うことあるでしょーが! 女のわたしが、しかもすっごい不純で軽薄な気持ちのわたしが奪っちゃったんだよ?! わたしが言うのもなんだけど初めてってのはもっと大切にしなよ?! なんで断んなかったのよ! お人好しなの?!」
「藤咲さんなら別にいいかなって思ってたよ」
「んなっ……!」
藤咲さんなら、とかわたしは特別みたいな感じ醸し出すのやめてほしい。
そりゃあ嬉しいんだよ? 麗衣に名指しして可愛いとか言われるのと同じでさ、豊浦さんみたいな美人に特別感を抱かれるのは嬉しい。
けどわたしなんか平々凡々で俗物的、ただのいやらしい女でしかないんだよ……。
「いやいやいや、というか! というかさ! あの状況見たらわたしが奪ったってよりわたしの方が奪われたみたいだったけど?! めっちゃリードしてくれたじゃん! それで未経験だなんて、どういうことなの?!」
「やり方は知ってたから」
「はい?」
「私はただえろい女。そういうのにすこぶる興味ある」
そう言って、豊浦さんは制服のポケットから一冊の文庫本を取り出すと、カバーを外して見せびらかしてきた。
その表紙には淫らに交じわっている2人の半裸の女性。題名は……ちょっと読み上げる気にならない。
豊浦さんはクールキャラよろしく、内容が難解な海外の小説とか自己啓発本とかを読んでるのだとばかり思い込んでいた。
こんなのって言っちゃ悪いけど、こんなのをずっとすまし顔で堂々と読んでたのか……。
イメージ変わるな、大幅に。
……というか活字で見たものを、あっさりそのまま現実に落とし込めるものなのか? 読解力と想像力に恵まれてるならいけるのかな。
それでもよく初体験であんなのやろうと思ったな。
行動力の化身かよ。
「これ貸すよ。読んで」
「えっ、いいよ、悪いよ」
豊浦さんはカバーをつけ直してわたしに差し出してきた。
「私、これ何度も読み回してるから」
「えぇ……」
活字の海はわたしにとって睡眠剤の一種であって、特に小説だとかそういう類のものとは縁遠いのだが、断るのはどうにも忍びないので渋々ながら受け取り、ポケットに挿し込んだ。
「……にしてもアレ、初めてには思えないお点前でしたけど?!」
「藤咲さんの前で恥かきたくなかったから……張りきっちゃった」
え、可愛い……。可愛いんだけど?!
普段のクールな雰囲気とのギャップがやばい……。
今までも本当は遊び人じゃないということがバレないように必死に演じていたと思うと、なんだかいじらしいな……。
「……まあ分かったよ、分かった。豊浦さんは遊び人じゃないんだね? で、信じたところでわたしはどうすればよいのですか? てかなんで言ってきた? 別に言わなくても何も変わることはないでしょ?」
「ファーストキスの責任を取ってもらおうと思って」
「いやぁ……そこ突っ込まれるとわたしなんも言えなくなるからぁ……。確かに乙女のファーストキスをこんな女が貰ってしまったのは大問題だけども! 責任を取れと言われましてもわたしとキスするのを最終的に決めたのは豊浦さん自身であってぇ。そもそもわたしたちは……」
単なるキスフレ、と続く言葉がどうしてか出てこなかった。
「なんてね。うそうそ、うそだよ。藤咲さんからかい甲斐あるからつい」
「なんだぁ、うそかぁい……」
「ホントはさ。これから豊浦さんとは長い関係になるだろうから隠し事はなしでって思っただけ」
「よ、よかったぁ……」
「「……」」
気まずい。続く言葉が思い浮かばない。
今度はわたしが何か秘密を告白するターンなのか?
もういっそのこと、このままキスを再開してもいいのだろうか。
ふと、逃避的に時計を見る。
「……げげっ! もうこんな時間じゃん! 早く戻んないと!」
時計の針は授業開始5分前の時刻を指し示していた。
「次の授業、移動教室」
「急ごう!」
わたしたちは駆け足で教室に引き返し、そして──もうみんな教室に残ってないとは思うけど──念には念を入れて、曲がり角で豊浦さんを取り残し、時間差を作ってわたしが先に向かっていった。
そして、軽く息を切りながら教室に入ると、麗衣がわたしの机の近くで荷物を持って佇んでいた。
「あぁ、ごめん! もしかして待っててくれてた感じ?」
「……随分遅かったね」
「えぇ? あー、えっへへ。まあ、お腹痛かったからね。昨日、賞味期限が1ヶ月過ぎてるバターを3切れ一気食いしちゃったからね、仕方ないよー」
「もう平気なの?」
「平気も平気、超平気! 完全復活の深喩ちゃんでぇーす! よし、早く移動しよ! 遅れちゃう!」
「……そうだね」
「いっくぞー!」
と、わたしは麗衣の背中を半ば強引に押して、後ろを振り返らせないように移動を急かした。




