第26話 制御の訓練
魔王城の地下訓練場は、昼でも薄暗い。
石壁には古くからの訓練の痕が刻まれ、かつての暴走や実験の跡が黒く残っていた。天井から垂れる鎖が、わずかな魔力振動で軋んだ。
その中央で、イーリャは膝をついていた。
荒い呼吸。
掌は震え、石床に赤い滴が落ちる。
「立て」
冷静な声が落ちる。
そこに立つのは、次兄のキース。
知に長け、常に理で動く男。
その手に握られた細身の剣は、寸分の揺らぎもない。
イーリャは歯を食いしばり、ゆっくりと顔を上げる。
「お前は感情で暴走した」
淡々と告げられる言葉は、責める調子ではない。ただ事実を述べる声音だ。
「守りたいという欲求が、吸収衝動を増幅させた。理屈は分かるな?」
イーリャは息を乱したまま、頷く。
分かっている。
頭では、理解している。
だが、あの瞬間。
恐怖と焦燥が胸を締め付けたとき、身体は勝手に求めた。
「精気は『触れた量』ではない」
キースの剣が、すっと持ち上がる。
「心の揺れで流量が変わる」
切っ先が、イーリャの喉元で止まった。
「恐怖、焦燥、喪失感。それらが引き金だ」
冷たい刃の気配に、喉がひりつく。
「……僕は……奪ったんだ……」
かすれた声が、地下に落ちる。
あの温もり。
触れた瞬間、流れ込んだ生命。
自分が望んだわけではないと、言い訳はできる。
だが奪われた側にとって、それは事実だ。
「結果だけを見るな」
キースの声は低い。
「制御できなかった。そこが問題だ」
剣が下ろされる。
代わりに、圧縮された魔力が訓練場を震わせた。
空気が重く沈む。
「半魔であることは利点でもある。人の繊細さと魔族の膨大な容量。その両方を持つんだ」
視線が射抜く。
「だが中途半端は、最悪だ」
言葉が胸を穿つ。
優しさだけでは守れない。
力だけでは壊す。
「今日から、お前は『奪わずに触れる』訓練をする」
イーリャは顔を上げる。
「そんなこと……」
「できる」
即答だった。
迷いのない断定。
「できなければ、お前はまた誰かの時間を奪う」
その言葉は、刃より鋭い。
逃げ場はない。
イーリャはゆっくりと立ち上がった。
脚は震え、膝が軋む。
だが、瞳は揺れていない。
「……お願いします、兄上」
一歩、前に出る。
自ら刃の間合いに入る。
キースは、わずかに目を細めた。
「甘さは捨てろ」
一拍。
「だが優しさは捨てるな」
矛盾。
だがそれこそが、半魔の宿命。
触れれば奪う存在でありながら、
触れなければ守れない。
鎖が鳴る。
再び魔力がぶつかる。
石壁に新たな焦げ跡が刻まれる。
ーー奪わずに触れる。
それは技術ではない。
生き方の選択だというのなら……
イーリャは剣を構える。
己を制すために。
地下訓練場に、再び衝撃が走った。




