第25話 帰る場所
魔王城は、相変わらず静かだった。
黒曜石の壁。
高い天井。
赤い絨毯が、長い廊下をまっすぐに伸びている。
重い門が開いたとき、衛兵たちのざわめきが広がった。
「……末子様」
その呼び名に、胸がひりつく。
ラドは一礼し、そこで足を止めた。
「ここから先は」
「うん」
イーリャは、ひとりで歩き出す。
足音が、広間に響く。
懐かしいはずの場所。
なのに、胸が苦しい。
「イーリャ?」
階段の上から声がした。
振り向く。
長い黒髪。
鋭さと優しさを併せ持つ瞳。
姉。
魔王の娘、エリン
イーリャは、言葉を探した。
けれど。
何も出てこなかった。
一歩、また一歩。
姉が階段を降りてきた。
「どうしたのです? その顔は」
その声音は、責めない。
ただ、心配しているだけだ。
その瞬間、何かが、切れた。
「……っ」
喉が詰まる。
視界が歪む。
「ボク……」
言葉が震える。
「がんばったんだ」
情けない声だった。
強くなりたかった。
橋でいたかった。
守りたかった。
「友達、できて……」
涙が落ちる。
「でも……いられなくなって」
止まらない。
姉の前で、膝が折れる。
「ボク、ちがうから……どっちにもなれないから……」
半魔。
人でもなく、魔族でもない。
「精気なんて、取るつもりなかったのに!」
嗚咽が漏れる。
城の広間に、小さな泣き声が響く。
姉は、しばらく何も言わなかった。
それから小さく息を吐く。
「……バカね」
その声は、どこまでも優しかった。
「きっと帰ってくると思ってたわ」
その胸は、あたたかい。
魔族の体温。
「人間界があなたを拒もうと」
髪を撫でる。
「ここは、拒まない」
イーリャは、声をあげて泣いた。
子どものように。
ずっと我慢していた分まで。
姉の衣が、涙で濡れる。
「悔しかったのですね?」
「……うん」
「怖かったですね」
「……うん」
「それでも守ったのですね」
その問いに、イーリャは頷く。
姉は微笑む。
「それで十分です」
広間の奥。
玉座の影が、静かに二人を見ていた。
魔王は、何も言わない。
だが、その瞳には静かな炎が宿っている。
イーリャは泣き続ける。
弱さを隠さず。
強がらず。
ただ、帰ってきた子どもとして。
魔王城の窓の外、赤い空が広がっていた。




