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モップ令嬢シリーズ

【番外編SS】モップ令嬢の幸せな日常

【モップ令嬢の幸せな結婚 Nコード:N9309JD】こちらの番外編SSです。

先に上記の作品をお読みいただけますとありがたいです。



『……エルシー……』


ルーベンに呼ばれた気がしてハッと顔を上げると、机に突っ伏して眠ってしまっていたと気づいた。

柔らかい声が自分の名を呼んだのは夢の中だったのかと、エルシーは少し残念に思う。


「……これはルーベン様の……」


エルシーの肩に、ルーベンの上着が掛けられていた。

それを持って、二人の部屋を隔てている扉を小さくノックするとルーベンが開けてくれた。


「おはようエルシー、そろそろ眠る時間だけど」


手招きされて、エルシーはルーベンの部屋に入っていく。


「……申し訳ありません、ついうたた寝などを……。上着、ありがとうございました」


ルーベンが今日着ていた服が掛けられているラックのハンガーに、エルシーは上着を掛けた。

ここに掛けておけば、従者が引き取って処置をしてくれる。


「夕食後からずっと机に向かっていたの?」


「はい。湯浴みを済ませてから、歩兵の持つ槍斧(ハルバード)(パイク)の長さを、従来のものより短くする案をまとめておりました」


「実はさっき、少し読ませてもらったんだ。ハルバードの柄を短くする代わりに、頂端の槍部を従来のものより長くするんだね。それから、鉤部をもっと引っかけやすい形に変えると」


エルシーは、騎士団に貸与する武器の改良を手掛けている。

今は周辺国との間に表立った争いはない。

そんな平穏な時こそ、軍事力を見直す時だと国王からの提言があった。

平和を脅かす予兆があれば、鉄を始めとしてさまざまな物の値段が上昇する。その時に慌てて準備をするのは遅いということだった。

国王は鉄鉱石の鉱山を抱える貴族への支援を行い、エルシーは武器の改良チームに加わっている。

ルーベンがそのチームにエルシーを推薦したのだった。


「特に鉤部の改良が上手くいけば、これまでより馬上の敵を引きずり降ろしやすくなると思いまして……」


「僕の愛しい人は可愛らしい顔でコワイことを言う。エルシー、突っ伏していたせいか額が赤くなっているよ」


ルーベンがエルシーの額をそっと撫でると、額の跡より真っ赤になったエルシーは俯く。

挙式から半年が過ぎても、エルシーはそうしたルーベンの愛情表現にまだ慣れないでいる。

慣れないだけで嫌がってはいないので、ルーベンは二人きりになるとそうしてエルシーに触れるのだった。


「エルシー、眠る前のお茶を飲もうか」

「はい、いただきます」



ルーベンの部屋のソファセットは、白い優美な曲線を描いているものだ。

そこにルーベンが自ら縫った、控えめなレースがあしらわれたペールブルーのクッションが暑い季節限定で置かれている。

今のルーベンの部屋は、白の優美な家具とペールブルーの小物で統一されている。

フリルやリボンも控えめながら使われているが、それほど可愛らしさが前面に出ているわけでもない。

エルシーはルーベンの部屋でも、とても落ち着いて過ごせている。


(私の『可愛い』という感覚は、幼い頃のリーゼロッテのドレスから成長していなかったのね……)


実家であるクラーク侯爵家は第一子が男児、次に生まれたエルシーが可愛らしいものを望まなかったので、エルシーの母は末娘のリーゼロッテが生まれると長年抑えていた『娘に可愛らしい恰好をさせること』をここぞとばかりに発揮していたのだ。

とはいえ、リーゼロッテ本人も可愛らしいものが大好きで、二人ともエルシーの好みは尊重していたので平和だった。

フリルとリボンとピンク色が大好きだった幼い頃のリーゼロッテのドレスが、エルシーの中の『可愛いもの』という認識になっていた。


ルーベンの好みは、ピンク色にしても色味のトーンがやや暗めで、今の部屋のブルーも落ち着いた色だ。

そこに控えめなレース、細いリボンをさりげなくあしらっている意匠に、『可愛い』にもいろいろあるのだとエルシーは知った。


ルーベンが出してくれたティーカップは、白磁に細い線で白鳥が描かれており、持ち手だけがライトブルーになっている。ソーサーは持ち手と同じライトブルーで、白鳥の頭に載っている王冠と同じ模様が、ソーサーの中央に描かれていた。

エルシーは、この白鳥のティーカップがとても好きだった。

ルーベンのカップは別の種類の物で、一緒にお茶を飲むからと言っていつも揃いで使わないといけないことはないという。

そんな自由なルーベンを、エルシーはとても素敵だと思っている。



「今夜はエルシーの部屋のベッドで眠ってもいいかな」

「は、はい、それは構いませんが、どうかなさったのですか」

「僕のベッドは、あのとおりなんだ」


エルシーがルーベンのベッドを振り返ると、そこには裁断してある布が並べられていた。


「あの三角形の布は、完成すると何になるのですか?」

「あれはパラソルになるんだよ。三角の布八枚を合わせて縫っていくと円形になってね。裏布も八枚あるから、ベッドを占領されてしまった」

「八枚を繋げると円形に……。なるほど、それを骨組みに留めると傘になるわけですね」

「そうだね。木の骨組みを枝に見立てて、裏布に花を刺繍しようと思っている。傘を開くと楽しそうだと思ってね」


外側になる布は白いレース生地で、裏布は空のようなブルーだった。

そのブルーの布に花を刺繍すると、木の下にいて花を見上げているようになるのかしらと、エルシーは傘を開いた様子を思い浮かべた。

ルーベンの発想はとても素敵だと、エルシーの口元が優しく緩む。


「あの……ご迷惑でなければ、その花の刺繍を八枚のうち一枚だけ私もやってみたいのですが、よろしいでしょうか……」

「もちろんだよ! まだどんな花にするか決めていないんだ。庭を散歩しながら、どの花を刺繍するか一緒に決めたいね」

「パラソルの一区画だけ拙い花になってしまいそうですが、王妃殿下が刺繍の時間にご一緒してくださって、この頃は、褒めていただくこともありまして……」

「僕も、『エルシーは真面目だから、そのうちルーベンよりも上手になるかもしれないわね』なんて言われたよ」


ルーベンによる王妃殿下の物真似に、エルシーは思わず小さな笑いをこぼしてしまった。

エルシーとの婚約が決まる少し前、刺繍が好きだというルーベンの趣味を知った王妃殿下は、寂しく思ってしまわれたという。

王太子となる立場のルーベンは、刺繍針を持つ時間はペンや剣を持つ時間に費やすべきだ、そう周囲に思われてしまうだろうと。

でもすぐに、趣味の本や楽器を手にするのと何が違うのだと思い直したと、エルシーは王妃殿下から直接聞いたのだった。


「ルーベン様よりも上手にというのは無理ですが、今よりもっと美しく刺せるようになりたいです」

「うん、好きなものを好きに刺繍していくうちに、気が付いたら上達しているものだよ」


そう言うとエルシーは微笑みながら頷いた。


「じゃあそろそろエルシーの部屋にお邪魔しようかな」


本当は裁断した布を片付けるのは造作もないことだが、ルーベンは何となくエルシーのベッドで眠りたい気分だった。


「どうぞ」


エルシーが二人の部屋の間にある扉を開ける。

こちら側の部屋は、グレーの壁紙で一面だけが紺色になっている。

壁にはハルバードが三本飾られていた。


「このハルバードは、いつ見ても武器というより美術品だと感じるよ。細身で繊細なレイピアではなく、ハルバードを飾ることに最初は驚いたけれど」


斧部に王家の紋章、鉤部には王家の花が彫り込まれている、騎士団に貸与されているハルバードだ。


婚儀の前にこの部屋を整えているとき、何か装飾として欲しいものはあるかと尋ねたら『畏れながら、先代のハルバードを一つ譲っていただくことができましたら……』とエルシーが答えた。

その後ルーベンが、騎士団団長の子息である護衛騎士に話してみると、先代のハルバードだけではなく、団長の家に保管されていた先々代のハルバードまで譲ってくれたのだ。

歴代ハルバードが、エルシーの部屋の壁に飾られているというわけだ。

騎士団団長は、王太子妃であるエルシーがこうしたものに興味があることに驚きながらも、大喜びだったという。


ルーベンが指輪を贈ったときと同じくらい、エルシーはハルバードを見て頬を染めて喜んだ。

そのことに若干の複雑な思いがしたが、ルーベンはエルシーの喜ぶ顔が見られたことで満足だった。

エルシーは剣を振ることはできてもハルバードを上手く扱うことは難しかったが、その造形が何よりも好きなのだという。

優美な花器でも繊細な彫り模様のある鏡でもなく、ハルバード。

実にエルシーらしいとルーベンは嬉しく思っている。



特に隠そうともしていなかったが、二人の周囲にいる使用人たちは繋がった二つの部屋のどちらを誰が主に使うのかを、すぐに理解した。

二つの部屋の主たちを、従者たちは微笑ましく見守っていた。

今はそんな従者たちも、部屋の外の当番騎士を残し従者棟に下がっている。


「じゃあ、明日は早いので僕はもう眠るけど、エルシーはまだハルバードの改良案とにらめっこするのかな?」


ルーベンはそう言いながら掛け物(デュベ)をめくり、ポンポンとマットを叩く。


「……はい、あの、私もそろそろ……着替えてまいります」


湯浴みの後に、一人でも脱ぎ着できる簡易な部屋着を着ていたエルシーがクローゼットルームに向かおうとすると、ベッドに横になっていたはずのルーベンに後ろから抱きしめられた。


「侍女が下がってしまったようだから、手伝い係に立候補しようかなと」

「いえ、あの、一人で大丈夫です!」


エルシーは緩んだルーベンの腕の中からしなやかに抜け出し、ビュッと小動物のようにクローゼットルームに入っていった。


「可愛いなぁ……うん、可愛い」


可愛いものが好きなルーベンは、目を細めてエルシーが入って閉ざした扉をみつめていた。



おわり

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