5 神社の裏側
息を呑む。
俺は、神社の鳥居の前に立っていた。
ひぐらしの鳴き声が森中に響き渡る。時刻は十八時頃だろうか。辺りが暗くなってきているし、日が落ちかけているのは間違いない。
何より鳥居の向こう側、ライトは必要ないだろうが、今いる場所より数段暗く見える。
でも、それもそのはず。向こうは森で、木々に囲まれているのだから。
人気のない森、幽霊が出るという神社。雰囲気の所為だろうか、いつの間にか、俺は鳥肌が立っていた。
別に、俺は幽霊に会いたいわけではない。
ただ、生きている意味が分からなかった。俺には記憶がない。家にいてもやることがなく、日常だけが過ぎていく。
俺が死ねば、妹や祖母が悲しむのは分かる。だが、そのためだけに、一生こんな生活が続くのだろうか。
俺は目覚めてからずっと、そんなことを考えていた。それを変えてくれる何かを、俺は求めていたのかもしれない。
ここに来れば、何かが変わるような、そんな予感がした。
だからだろう。家に帰ると言ったものの、俺は無意識のうちに、ここに来てしまっていた。
鳥居をくぐり、階段を上がった。
けれど誰もいないし、何もなかった。当然だ。幽霊なんて、いるわけがない。
「何やってるんだ俺は……」
俺はため息と同時に、思わずそんな言葉を吐いていた。
さっさと家に帰ろう。そう思った。
しかし、その直後だった。何処からか、薄気味の悪い声が聞こえてきた。それも、小さな子どもの声。
「一匹……、二匹……、三匹……」
その子どもは、確かに何かを数えていた。
俺の脳裏に皿屋敷が過る。ひぐらしが鳴いているというのに、自分の鼓動がはっきりと聞こえた。
そして暫しの時を経て、一ヶ所だけ、見ていない場所があることに気がついた。本殿の裏である。当たり前のことだが、表からは裏の様子が分からない。
俺は意を決して覗くことにした。
「……!?」
俺は息を詰まらせた。
そこには白い服を着た小さな女の子が、俺に背を向けてしゃがみこんでいた。
「一匹……、二匹……、三匹……」
あまりの怖さに、俺はゆっくりと後退りをした。
しかし、次の瞬間、それを後悔することになる。
バキッ…
足元を見る余裕がなく、木の枝を踏み折ってしまったのだ。不運過ぎる。いや、噂を信じてこんな場所にきた俺が悪いのかもしれないが。
とにかく、俺は恐怖で頭がいっぱいだった。
その音を聞いた所為なのか、偶然なのか、カラスが一斉に飛び立った。
そして有ろう事か、少女がこちらに振り向いた。
俺は咄嗟に身構える。
「………」
「………」
しかし特に何も起きず、少しの間沈黙が続いた。
ふと我に返ると、自分が妙な姿勢になっていることに気づく。
何も起きないことを願いながら、俺はスッと身構えていた体を元に戻した。
「誰……?」
最初に言葉を発したのは少女だった。聞き逃してしまいそうなほど小さな声。首を傾げながら、ずっとこちらを見ている。
幽霊なのか人間なのか分からない。
俺がどう返していいのか逡巡していると、
「……お姉ちゃん!」
少女が俺を見ながらお姉ちゃんと言った。
いや、少女は既に、俺を見ていなかった。その言葉を聞いて、俺は振り返る。
すると、真後ろに一人、女の人が立っていた。目の前に集中していたせいか、全く気配を感じなかった。
辺りは薄暗く、あまりよく見えない。しかし、その容姿には見覚えがあった。
「朝霧、なのか……?」
恐怖と混乱の中、俺は確かめるように問いかける。
しかし、彼女は何も応えず、ただ黙っていた。
その後、ふっと笑みを浮かべ、低めの声で言った。
「やっぱり、来たのね」
その言葉を聞いた瞬間、背筋が凍った。まるで、知っていたかのような口振りだ。
空気が重く、圧迫感がある。心臓が一段と強く拍動し始め、暗いはずなのに、視界が白くなってゆく。正直、立っているのがやっとだった。
「フッ、アハハハハッ」
急に彼女は腹を抱え、笑い出した。いつの間にかひぐらしが鳴き止んでおり、静かな神社に彼女の笑い声だけが響き渡った。
「いや、ごめんなさい。余りにあなたの反応が面白かったから、つい笑っちゃったわ」
一通り笑い終えると、彼女は話し出した。
しかし、俺には彼女の言っていることが、何一つ理解できず、更に恐怖が募った。
「面白い……?」
俺は何とか言葉を絞り出し、聞き返した。
「ええ、面白いわ。だって、昼間は『幽霊信じるタイプ?』とか言ってたのに、まるでヘビに遭遇したカエルみたいな顔になってるんだもの」
「………?」
「まだ分からない?別に幽霊なんていないのよ。あなたが一人で私の言葉を信じて、怖がってるだけ」
「は……?」
その言葉に、俺は唖然とした。彼女の言っていること自体は理解できる。しかし、状況が整理できない。
つまり、幽霊は存在せず、彼女の嘘だったということだろうか。そう考えると、さっきまで不気味に感じていたはずの周囲が、急に現実味を帯びて見えてきた。
しかし、それでも胸の奥にある不安は消えない。
「じゃあ、あの少女は……?」
そう。幽霊でないならば、今俺の目の前にいるあの少女は、一体何者なのか。俺はそれを確かめるため、再び彼女に問いかけた。
「ああ、この子ね。私の妹」
「え……?」
「だから、私の妹なのよ。楠、そろそろ帰るわよ」
「はーい」
彼女の呼び掛けに、少女は応えた。そして、彼女の元へとやって来る。
「お姉ちゃん、この人誰?」
少女の質問は素朴なものだった。本当に幽霊ではないのだろうか。
「この人は私の友達よ」
「ふーん」
少女の自然な返事を聞いて、少し安堵した。しかし、「友達」という説明にはいささか疑問が残る。朝霧とは今日会ったばかりだし、特に何をしたわけでもない。それなのに、「友達」と呼べるのだろうか。
「友達……なのか?」
「何?嫌なの?嫌なら別にいいけど。」
「嫌というわけではないが……」
「じゃあいいじゃない」
「………」
少し違和感は残るが、彼女の動じない姿勢に、言い返す気も起こらなかった。俺はしばらくその場に立ち尽くし、頭の中を整理する。
結果、大きく二つ、疑問が生じた。
一つは、この少女が一体ここで、何をしていたのかということ。そしてもう一つは、彼女が言った『やっぱり、来たのね』という言葉の意味だ。
「なあ、二つ質問してもいいか?」
「別にいいけど、何かしら」
「この子は、ここで何をしてたんだ?」
俺は我慢できず、彼女に質問した。
「この子、変わってるでしょ。虫が好きらしいんだけど、最近、蟻地獄の観察にハマってるの。小学校が終わったら、毎日走ってここに来てるわ。まったく、誰の影響を受けたのか……」
「蟻地獄……?ってなんだ?」
「え、うそっ。知らないの?薄翅蜉蝣の幼虫のことよ。日本人なら全員知ってると思ってた」
「………」
薄翅蜉蝣。正直言って、それすら知らないが、これ以上バカにされるのは嫌だ。虫好きらしいし、恐らく昆虫のことを指しているのだろう。
結局のところ、あの一匹、二匹と数えていたのはその昆虫だったということか。まったく、紛らわしい。
「じゃあ、『やっぱり、来たのね』って言ったのは?」
「それは、あなたが怖がってたから、不気味な言い回しでもっと怖がらせようと思っただけ」
「最低だ……」
「失礼ね。昼間のお返しよ」
そう言って、朝霧は俺を見ながら笑みを浮かべ、その後一息ついて、真剣な口調で話し始めた。
「それと、一応行っておくけど、ここに来ない方がいいって言ったのは本当よ。五年前、ここで幼い少女が亡くなったってことも事実だし、色々と変な噂が多いのよ」
「変な噂、か。その噂の原因はこの妹じゃないのか?」
「……否定は出来ないわね。でも、それだけじゃないわ。言わなかったけど、五年に一度、ここに訪れた人が死ぬのよ」
「……おい、流石に嘘だろ。もう騙されないぞ」
その話を聞いて、背筋がゾッとした。でも冷静に考えると、流石にあり得ない。
「いいえ、残念ながら本当よ。ただの偶然か、何かの呪いなのかは分からない。けれど、偶然も続けば人はそれを恐れるし、何かの責にするものでしょ?」
「………」
俺は返す言葉が見つからず、何も応えられなかった。
「まぁ、私は呪いとか噂とか信じないし、全く気にしないけどね」
すると、彼女はフッと表情を和らげ、微笑んだ。
「まぁ、今日は遅いし、もう帰った方がいいわ」
「……確かに」
周囲を見渡すと、辺りはすっかり暗くなっていた。ひぐらしの代わりに、虫の音だけが響き、静寂に包まれた神社を支配している。
「私たちももう帰るわ。じゃあね」
「ああ、またな」
「お兄ちゃんバイバイ」
それから俺は、二人と別れの挨拶を交わし、家に帰った。
結局、幽霊は存在せず、何も得られなかった。俺は何をしに来たのだろうか。分かっていた筈なのに、何かに縋ろうとしていた自分が、急に馬鹿馬鹿しく思えた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
少しずつですが、物語が動き始めました。
来週で第一章が完結予定です!




