第8話 異国での立ち位置
ライオンの姿で身を寄せ合っていた時は平気だったのに、こうして改めて抱きしめられると恥ずかしさのあまり頭が沸騰しそうになる。相手は同じ人なのに一体なぜ?
「へ、陛下。どうかお体をお放しください。まだ正式な夫婦になったわけではないのですから」
「嫌だ。放さない。あなたが自分を蔑ろにするのをやめるまで放さない」
そんなことを言われても……とロザリンドは途方に暮れた。これは癖のようなものだ。長年の慣れすぎて苦にもならない。むしろ、なぜレグルスがそこまで躍起になるのか、その方が不思議だった。
「陛下のお心は嬉しいですが、今までの習慣を急に直すのは難しいのです。私も懸命に努力しますから今日のところはお許しください」
レグルスはやっと体を放したが、なおも釈然としない表情を浮かべていた。言葉が通じなくてやきもきしているように見える。どうしたら納得してもらえるか、ロザリンドは頭を悩ませた。
「分かった。今日のところはここまでにする。でも忘れないで。あなたはここで私に愛されて幸せになるんだ。いいね?」
真剣なレグルスの眼差しを受けて、ロザリンドはこくこくと首を縦に振るしかなかった。
この時はそれで済んだのだが、後日雲行きの怪しくなる知らせが飛び込んできた。
「先日の話を受けて、国内の強硬派から結婚式を延期にするように言われた。その……実に忌々しい、かつ無礼極まりない話なのだが……」
口ごもるレグルスにロザリンドは励まして先を促した。
「私なら大丈夫です。ありのままを教えてください」
「あなたの身元について疑義が上がった。その……一旦平民の期間があっただろう? それを必要以上に問題視する輩がいて……すまない。国というのはなかなか一枚岩にはならないんだ。全ては私の力不足だ」
「そんなことをおっしゃらないでください。そんなことかと拍子抜けしましたわ。だって本当のことですもの」
「いやそんなことは」
「取るに足らないことですわ。それより私のせいで陛下のご威光を損ねることにならないかと、そればかりが心配で」
「頼むからやめてくれ。あなたは進むべき先を照らす灯台の明かりだ。もっと自信を持ってほしい。もしかして今でも肩身の狭い思いをしてるのかい?」
レグルスは、ロザリンドに全幅の信頼を置いてくれている。それはありがたいのだが、同時に、分不相応に思えて落ち着かない。なぜ身代わりにされるような価値のない自分をそこまで大事に思ってくれているのだろう? それが不思議でならなかった。
「そんなことありません。新しいメイドとも仲良くしてるし、タルホディアの方はみな優しいです」
「本当にその通りならいいのだが……。でも、どの世界にもいい人間がいれば悪い人間もいる。この国の皇帝という立場だからこそ分かるが、タルホディアもいい人間ばかりではない」
むしろ皇帝だからこそ嫌なものも見て来たのだろう。彼の台詞からは言葉以上のものが感じられた。
「ここに嫁いだ以上、あなたが嫌な思いをしないよう極力努力するが、私の目が届かないところもあると思う。そういう時は、すぐに教えて欲しい。私を信じてくれるなら些細なことでも隠し事をしないと約束してくれ」
レグルスは大きな両手で、ロザリンドの華奢な手をすっぽりと包み込んで、目を覗き込んで言った。青の瞳に見つめられて思わずぼうっとしてしまう。それだけでなく、ごつごつした手が男性のものであると意識させられて頬を赤く染めた。こんなことを考えていると知られたら、はしたない女だと思われるだろうか?
「ええ、お約束します」
「よかった。安心した。式のことは何とかするからどうか心配しないでくれ」
こう言い残してレグルスは去って行った。約束するとは言ったが、本当に包み隠さず打ち明けられるだろうか? ちっぽけな自分にそんな勇気があるのだろうか? 彼が去った後もその場に立ったまま、ぼんやり考えていると、ハンナがいそいそと寄って来た。
「ロザリンド様、愛されてますね」
「やだ、ハンナ。聞いていたの?」
「ごめんなさい、だって色々心配なんですもの。でもレグルス様が後ろ盾になってくだされば何も心配ないですよ。初めての土地で一人ぼっちで心細いと思いますが、遠慮なく私たちを頼って下さい」
「ありがとう。私なんかのためにみんなよくしてくれる……。本当にこの国はいい人たちばかりだわ」
「実際はそこまで単純ではありません。余り怖がらせることを言いたくありませんが、外国人ということで当たりがきつくなることもあるかもしれません。タルホディアにも様々な勢力がありますから」
確かにハンナの言う通りだろう。ロザリンドはまだこの国のことがよく分かっていない。たくさん知れば知るほど、いいことばかりではないことに気付くのだろう。
「せっかくだから、その『様々な勢力』というのを聞かせてくれない? ここで生きていくには必要な知識だと思うの」
ハンナは一瞬躊躇したものの、いつか知らなければいけない知識だと判断したようで、詳しく説明してくれた。
「大昔、私たちは、人間とは異なる、高度に発達した文明を築いていたと言われています。しかし、固有種は繁殖力が弱く、寿命も短くて、人間より数の点で劣っていました。この世界で人間が増えて勢力を広げるようになり、衝突が起きるようになりました。血を血で争う激しい戦いが長らく続きましたが、双方疲弊するようになり、やがて、争いをやめて人間のよい部分を導入して融和策を取ろうという考えが獣人の間に生まれたんです。そこで、積極的に混血政策を推進したり、人間の文化や風俗を導入したりして、現在では殆ど変わらない生態になりました」
「そうよね。それなのに、カルランス人の間ではまだ誤解も多いわ」
「ええ、残念ながらそれは否定できませんね。国内でも『人間にかなり譲歩して混血政策を進めたのに、未だに差別が解消されていない。これ以上我慢する必要はない』と主張する強硬派が存在するんです。強硬派は、皇帝の婚姻についても獣人を娶って血脈を守るべしと主張しています。ですから、今回の婚姻にも正直いい顔をしていないのです。皇帝は人間との共存を目指す融和派で、前の奥様も人間でしたから……」
ロザリンドは、前に見た肖像画を思い出した。確かに、あの絵には獣の耳は描かれてなかった。
「強硬派の言い分も分かるわ。ここに来る前、カルランスで色々言われたもの。根拠のない偏見だと本当はみな分かっているはずなのに、あんなことを日々言われ続けたら、人間に恨みを持つのも仕方ないと思う」
「でもここに来たら、ロザリンド様が同じ目に遭われる恐れがあるのです。確かに私たちのことを思って下さるのはありがたいですが、どうぞ過分な情けはかけていただかなくて結構です。道理に合わないことはきちんと主張してください」
確かに、この地では自分は少数派なので差別されることもあるかもしれない。しかし、祖国でも同じ立場だった。自分が自分らしくいられる場所がこの地上に存在するのだろうか、ふとそんなことを考えてしまった。
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