第3話 ひとりぼっちの花嫁
昔から熱が出ると嫌な夢を見た。その夢が、国王が母を詰問したり、母が処刑された時の場面に変わったのはいつからだろうか。これだから病気になるのは嫌だ。忘れてしまいたい昔の思い出を強制的に引っ張り出してくる。
そんなことを考えながら高熱の中もがいていると、ふと、もふもふとした体毛に全身がくるまれた。張りつめていた神経が一気に弛緩して、優しい温もりの中にどこまでも沈み込みそうになる。人肌の温かさに触れるなんて何年ぶりだろう。余りに久しくてこの感覚をずっと忘れていた。しかしこれは動物の体毛のようだ。どうして動物がいるのだろう、そんなことを考えているうちに、ロザリンドはいつの間にか意識を手放していた。
次に目を覚ましたのは翌々日になってからだった。目を覚ますと、窮屈なドレスからゆったりしたネグリジェに着替えられ、知らない部屋のベッドに寝かされていることに気付いた。ぼんやりした頭で、タルホディア皇国の宮殿に到着した途端倒れたことを思い出す。
やってしまった。あんなに、「お前は国の代表だからくれぐれも粗相がないように」と言い含められたのに、着いた早々やらかしてしまった。どうしよう。もしかしたら罰せられるかもしれない。ロザリンドはふかふかした布団を頭からすっぽり被り、じたばた手足を動かした。
しかしいつまでもこうしてはいられない。やっと諦めてベッドサイドにある呼び鈴を鳴らすと、すぐにメイドがぱたぱたと足音を立ててやって来た。
「ああ、お目覚めになられたのですね! どこかご気分の悪いところはありませんか?」
ぱっと顔を輝かせてそう言ってくれたのは、カルランスから連れてきた侍女ではなく、タルホディア人のメイドだった。見た目は人間と殆ど同じだが、頭の上に獣の耳が付いている。どうやらウサギの耳のようだ。これが唯一にして決定的に人間と違う点だった。
「え、ええと、大丈夫です。ありがとうございます」
「よかった! カルランスの方々にも知らせてきます。別棟に滞在しているので少々お時間かかりますが。きっとお喜びになることでしょう!」
「あの、ええと、私が臥せっていた間、あなたたちが看病してくれたの?」
「ええ、一緒に着いて来た方はまだこの土地に不慣れなので別の場所で待機してもらったんです。私たちの方がてきぱき動けると思ったので」
それを聞いてロザリンドは苦笑した。カルランスから連れてきた5人の侍女は、きっとロザリンドの看護を嫌がっただろう。そもそも、タルホディア行きが決まった時から、この世の終わりのように嘆いたと聞いている。故郷を離れなければいけないだけでなく、良家の子女の彼女らにとって平民の女の下に付くなんて言語道断だったのだろう。道中も、ロザリンドの不調には無頓着で、高級なドレスが汚れることばかり気にしていた。
「そう……ありがとう。来たばかりなのに迷惑かけてしまってごめんなさいね」
「いえ、そんな! 当然のことをしたまでです、お礼なんておっしゃらないでください!」
そのメイドは耳をぴょこぴょこさせながら、顔を真っ赤にして恥ずかしそうに答えた。小柄な体系にウサギの耳が付いているのがかわいい。愛くるしいメイドにロザリンドも思わず笑みがこぼれる。
カルランスの5人の侍女がやって来たのは、それから10分ほど経ってからだった。そして、こう言うのが我々の仕事ですからと言いたげに、ご回復されてよかったですと声をかけた。
「高熱を出している時に、動物がそばにいたみたいなんだけど。あなたたち何か聞いてない?」
「いえ、私たちは離れた場所に隔離され、ロザリンド様には近づけませんでしたから。特別な話は聞いていません」
やはり、さっきのメイドに聞いてみないと分からないようだ。そんなことを考えていると、侍女の一人が口を開いた。
「これからは、ロザリンド様のお世話は私たちが担当致します。こちらにいてもカルランスの者で周りを固めますのでどうかご安心ください」
別にロザリンド自身は、タルホディア人に一片の警戒心もないのだが。むしろ、この5人の侍女の方が精神的な距離がある。もちろんそんなことは言えなかったので「分かりました」とだけ答えておいた。
ロザリンドが寝かされていたのは、彼女が住む予定の宮殿らしく、このままここに居座ることになった。
辺りを見回して、部屋の装飾の違いに感心する。カルランスは、大理石を多用し、家具にも繊細な彫刻を施す優美な装飾で、職人の卓越した意匠が強調されている。一方ここタルホディアは、木目を生かした素朴な木造りの調度品が多い。技巧を凝らして加工するよりも、素材の良さを引き出すデザインが好まれているらしい。
ロザリンドはこれを見て、獣人の気質にも合っていて好ましいと思ったが、侍女たちの評価は散々だった。
「やっぱり獣人って不器用なのね。こんな原始的なものしか作れないなんて」
「人間の水準に近づけようと頑張ったらしいけど、所詮猿真似ね」
「その辺にフンが落ちてたらどうしようと思ったけど、さすがにそこまでじゃなかったわ。食事も普通だったし。でも、いつ本性をさらけ出すかしら?」
近くにいるので、どうしても彼女たちの会話が聞こえてしまう。せめて使用人同士の私語は、主人のいないところでして欲しいものだが、内心ではロザリンドを下に見ているので、どうしても油断するらしい。彼女たちは、周りのタルホディア人に対しても当たりがきついらしく、ロザリンドは心を痛めていた。
それより気になることがある。本来なら一番最初に会っておくべき人物にまだ会っていない。ロザリンドは、タルホディアの家臣に尋ねてみた。
「レグルス帝はどうされたんですか?」
「遠路はるばるお出で下さったというのに誠に申し訳ございません。先日、この国の領内で洪水が起きまして、被害状況の視察に向かわれました。皇帝陛下に代わり陳謝致します」
家臣からはこのような説明を受けたが、自分を嫌ってわざと会ってくれないのだろうかという疑念がどうしてもぬぐえなかった。自分みたいな女が嫁いでくるなんて、向こうからすれば侮辱されたと考えるのも不思議ではない。
(やはり、来て早々倒れたりしたから、こんな病弱な嫁では子孫を作れないと思われたのかしら? それともカルランスが信用されないとか? 私の身辺調査をして、こんな人間をよこすなんてと思われても仕方ない……どうやって申し開きをすればいいのだろう?)
ロザリンドが一人悶々としていると、侍女たちの会話がまた耳に入って来た。
「ねえ、レグルス帝がなぜ何年も後妻を取らなかったか知ってる? 何でも、前の奥さんをすごく愛してて、今でも忘れられないんですって。亡くなってもう5年も経っているのに律儀なことよねえ?」
「あらやだ。ロザリンド様に勝ち目ないじゃないの。そんなにきれいな人だったの?」
「今でも大きな肖像画が飾られているから見に行ってみれば? 目立つところにあるわよ。正面の大階段を上って右に曲がったところの突き当り。別の国から嫁いだ人間だけどすごく美人。うちのご主人様とは雲泥の差ね」
そして侍女たちがクスクスと笑い合う声が聞こえた。
正面の大階段を右に曲がったところの突き当り。ロザリンドは頭の中で復唱して場所を記憶した。目立つ場所に置いてあるということは、今なお、レグルスの中で重要な位置を占めているのだろう。十分あり得ることなのに、なぜかロザリンドは心がかき乱された。そして、すぐに前妻の肖像画を見に行った。
肖像画はすぐに見つかった。等身大の大きさに描かれた全身像で、椅子の背もたれに片手を乗せ、柔らかな笑みをたたえたその女性は確かに美しかった。会ったことがなくても、優しい人柄がにじみ出るような絵だ。ロザリンドはその絵を見上げながら、戦う前からすでに負けていると悟った。
(戦うってどういうこと? 別に勝ち負けの話じゃないのに。我ながらバカなことを考えるわね)
そう思い一人自嘲する。未だ会えずじまいの夫に何と思われようがどうでもいいはずなのに。唯一彼女を愛してくれた母は既にこの世になく、ずっと孤立無援の状態だったのに、今更何を期待するのだろう? 全て分かっているはずなのに、それでも寂しさを隠しきれなかった。
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