3.久しぶりの恐怖(ルビー)
目が覚めると夜だった。確か寝たのも夜だった気がするから、寝すぎたのか全然寝てないのか・・・いや、朝方師匠がわざわざ同じベッドに入ってきて起こされたから今はたぶん次の日の夜だ。寝すぎた。
起き上がって耳を澄ましても家の中に人の気配はなかった。どこに行ったのかと思いながら家の中を歩いていると、庭にパルがいるのが見えた。ベンチの残骸らしきものに座って暗い海を見ている。
「おはよ、パル。なんか見えるの?」
「おはよう。・・・暗い海っていうのもなかなかいいもんだよ。」
草木がぼうぼうの庭を苦労してパルの横に行く。残念ながら私の座る場所はなかった。
「ああ、今日は月が明るいから少し見えるんだね・・・生きてるみたい。」
月明かりだか白波だかはわからないが、暗い中に波打つ白が見える。まるで巨大な生き物の様だ。
「あと一ヵ月もしない内に嵐がくるんだって。海全体が荒れ狂って襲い掛かってくるらしいよ、楽しみだね。」
パルはにこにこと言った。濡れない場所で見るなら確かに楽しそうだ。
「・・・ねえ、ミカに会いに行くんでしょ?」
「ん? ああ、そうだね。ルビー起きないから僕一人で行ったんだけど、後にしてくれって言われたんだった。一緒に行こうか?」
「なんで一人で行ってんの? 私が行きたいって言ったのに。」
「だってルビーの口から聞くのミカが気の毒だと思って・・・まあいいんじゃない? 結局ルビーの口から話すことになったんだから。」
パルは笑いながら私の腕をとった。
「ちょっと待って。私こんな恰好で人に会いたくない。」
「我儘だなあもう・・・まあ昼間師匠も服がないっていって僕が買いに行かされたから、あるよ、服。着替えたらいこう。」
私はまだ少し不機嫌だったが着替えてパルに連れていかれるままに暗い農園に移動した。蛾が飛び回る暗い外で私はミカと話をした。
私が話し出すとミカの目の色が変わって、私に殴りかかってきた。私としては事実だけを先に伝えて、あとから実は私がやったんだと言うつもりだった。なのにミカは突然殴りかかってきた。
『あなたが・・・全部やったの?』
そう言った時のミカの真っ白な顔が忘れられない。表情がなかった。どうしてミカはあれだけの情報で私がやったとわかったんだろう。後からパルに確認したけど私の言葉選びは間違えてなかったらしいのに。
『なんで殺したの! ユウマが好きだったんじゃないの!? どうして助けてくれなかったの!』
これは今思い返しても意味がわからない。誰からユウマを助ければよかったんだろう。私から? 私が私をユウマから助けるべきだったの?
『あなたが愛されない理由はね、愛と執着の区別がついてないからよ。人間と玩具の区別がつかないんでしょ!』
人間と玩具の区別は・・・確かに難しいな。どっちも代わりがいるし。でもユマの魂だけは特別、ユマの魂だけは代わりがない。
私は一人でミカとの会話を反芻しながらミカの家から町に向かって歩いた。パルにこれ以上はやめとけと言われて追い払われたからだ。釈然としないものはあったがミカに害になると言われれば引き下がるしかなかった。明かり一つも持っていないが、月が明るいのでそれなりに道は見える。
ミカがつけた傷はいずれも浅いものばかりで、どれもすでに治してある。今の私にあるのはやりたくない義務を果たした少しの達成感と高揚感だけだった。だからたぶん、油断していた。気配を殺さず町を歩くなんて。
通りを歩いていると突然近くの扉が開いた。飲み屋らしく中からは酔っ払いの声が聞こえた。暗い通りに眩しい明かりが広がり、私は立ち止まって目を細めた。
「おい! あの女だ! あの女がヤスールを殺したんだ!」
扉から出てきた男が私を指さした。ヤスールって誰よ?
「・・・ほんとに銀髪だな。初めて見た。」
「マジかよおい。二日酔いの夢じゃなかったのか?」
あっという間にわらわらと私を五人の男が取り囲んだ。全員酒臭い。
「見ない顔だな。おい、どこから来たんだよ。」
一人の男が酒臭い息を吐きかけながら私の肩を抱こうとしてきた。身をよじって逃げると違う男に背後から押される。ちょっと面倒なことになった。
「おい、やめとけよ。こいつヤスールを殺したんだぞ。」
最初に私を指さした男だけが少し離れて私を見ている。だからヤスールって誰よ。
「こんな細い女一人で何ができるんだよ。精々俺らを楽しませてくれるだけじゃねえの!?」
下卑た男の声に全員が笑った。ちょっとイライラしてきた。どうせ師匠と間違えてるんだろうけど、こんな美少女とあんな年寄を見間違えるなんて失礼すぎる。
「・・・どいてくんない?」
一応丁寧に頼んでみる。だが帰ってきたのは嘲笑だけだった。ああ、言葉通じないタイプか。人数は六人、全員殺しとくか。
私の腕を掴んでどこかへ引っ張っていこうとした男の腹に魔法をぶつけようと手をかざした。だが私の手からは何も出なかった。
「ん? なんだぁ?」
男は一瞬変な顔をしただけでズルズルと私を引き摺っていく。
え、なんで? 魔法が使えない?
手から色んなものを出そうとしたが全く何もでなかった。魔法が使えない、それに気が付いた時、私の全身に鳥肌がたった。
魔法が使えないということは、これから何をされても抵抗できないという事だ。嫌なことをされても、痛い事をされても、どれだけ頼んでも私の意志などなかったことにされるということだ。
髪の毛が逆立ったような気がした。嫌だ。痛いのは嫌だ。二度とあんな惨めな思いをしない為に、私は悪魔になったのに。
視界が歪んで全ての音が遠くに聞こえた。嫌だ。私は生きたい、二度と辛い思いなんてしたくない、誰か、助けて。
------まあ、誰も助けてなんかくれないよね。
私の中で何かが爆発した。視界が赤い。これは血なのかそれとも燃えているのか。誰かの悲鳴が聞こえる。私の悲鳴じゃなくて良かった。私は生きてて良かった。惨めに許しを乞うのはごめんだ。二度とやらないと決めた。一方的に人を踏みにじる立場に居続けると、遠い昔に誓った。それができないなら、誰か私を優しく殺して。
気が付いたら床に座り込んでいた。どこの家だろう、波の音がするからパルの家っぽい。ここじゃダメだ、もっと遠くまで行かないと。でも私には家がない。帰る場所が、ない。
全部自分で壊してきたから。
優しくされても酷くされても、全部後ろ足で蹴って全てを壊してきた。何もいらないと思っていた。ユマが手に入らないなら、なにも。
頭がガンガンと痛かった。たぶん熱もある。悪魔は病気にならないから私はもう人間なのかもしれない。嫌だ、殺されるのは嫌だ。
数百年ぶりに本気で死にたくないと思った。昔と違うのは怒りよりも恐怖が強いということだ。恐怖は何もかもを強張らせる。この世界に死ねと言われている気がした。




