2.命の価値(マリア)
弟子、なんで弟子なんてとったんだろう。
初めてルビーに会ったとき、ルビーはまだ魔法の使い方もよくわかっていなかった。ちょっとぐらいなら教えてやろうと思って、けれど名乗るのは面倒くさいから師匠と呼べと言った気がする。もうあまり覚えてないけれど。
私の初めてで最後になるはずの弟子は、疲れた顔でベッドの真ん中で眠っていた。普段なら隅へ押しのけて横に眠るが今日だけは少し気の毒だ。この女は数時間前、最愛の男を殺したのだから。たとえそれが勝手な悪魔の理屈によるものであっても、この女が数百年同じ魂を追いかけていることには違いない。
仕方がないので眠るのを諦めて私は庭へ出た。外は薄っすらと明るくなっており、もうすぐ陽が昇るんだろう。朝の空気は涼しいを通り越して少し寒かった。
私が悪魔になる前、私が普通の子どもでいられた頃、家の近くには砂漠があった。初めて見た砂漠は果てがなくてただ圧倒された。少し遠くまで行けるようなってからは、歩けど歩けど景色が変わらないことに恐怖すら覚えた。
この世界は私には広すぎる。そんな事を本気で思ったもんだ。
時は経ち、私は魔法で簡単に砂漠を超えられた。パルがしばらく滞在していたのでおおまかな位置が把握できていたこと、直接パルと話したことで具体的なイメージが湧いたこと。その二点だけで私は砂漠を超えられた。この世界は私には狭すぎたようだ。
だが海は広い。見渡す限り青いし、常に表面が動いているのも面白い。今度はこの海とやらを超えてみようか。果てがあるのかを見に行こうか。海の終わりには壁がそびえていたら面白いな。
そんな事を考えていたら太陽が海から顔を出した。なかなか奇麗な朝焼けだった。山の中にいるとこういう景色は見られない。平等主義も一区切りついたんだし本当にしばらくこの町に滞在してもいいかもしれない。適当な男でも捕まえてしばらく一緒にいるのもいいだろう。
地平線のオレンジが消えるまで私は海を眺めて立ち上がった。お腹が空いた。だがこの家に食べ物がないことはわかっている。町になら朝食を売る店はあるだろうか。
ぶらぶら町まで歩いていると、一人で海を見ている男がいた。気配を消して後ろを通り過ぎようと思った時、男の右手がないことに気が付いた。
「あ」
思わず声をあげると、男が私を見上げて仰け反った。
「ボス! なんでここに!?」
何でと言われても・・・この男の名前なんだったかな、昨夜パルが言ってた気がするけど思い出せないな。
「なっ、なんで・・・俺今はなんにもしてねえよ! それどころか、ほら! 見ろよ! こんな腕のせいでろくな仕事もありつけねえ! 困ってんだよ! なんとかしてくれよ!」
いきなりよく喋る奴だ。私は無言で通り過ぎようとしたが、追ってきた男に腕を掴まれた。睨みつけると男は慌てて手を離しへへっと笑った。
「あ、すみません・・・久しぶりに会ったので嬉しくて・・・」
嬉しい? やっぱりこの男の言う事はよくわからない。
「あの、ボスは魔女なんでしょう? この手治せませんか? 働こうにもこれじゃ難しくて・・・」
「・・・今はどうやって暮らしてるんだい?」
「今は荷運びを主にやってます。ただ重いものは運べないので給料も値切られて・・・手さえ元に戻ればまたちゃんと働けます。またボスの右腕として働けますよ!」
この男が私の右腕だったことなどない。人違いかもしれない。
「左手がまだあるだけいいだろう? それともなにかい? 左手も切り落として物乞いで暮らしたいのかい?」
男の顔が強張った。
「なんでそんなこと言うんですか・・・元々この右手だって冤罪なんですよ!? 何で俺の話を誰も聞いてくれないんだ・・・」
男は地面にしゃがみ込んで泣き出した。泣き真似だろうがここで泣き真似をしようという気持ちがわからない。魔女に泣き落としが通用するとでも?
「あんたねぇ、確かにあんたが裁かれた件は冤罪だったかもしれないが、罰を受けたのは周りの総意だよ。嫌われ過ぎてたんだよ。」
男は女への暴行容疑で掴まり私の前に連れてこられた。たぶん本当にその件は冤罪なんじゃないかとは気が付いていた。だが周りがあまりにも男を恨んでる風だったので、私は男の右手を切り落としたのだった。きっと過去に数えきれないほどの恨みを買っていたのだろうと判断してのことだ。
「なんでだよぅ・・・あれはあの女から誘ってきたんだ。ちっとも嫌がってなんかいなかったくせして・・・」
男は顔を伏せたまま泣き真似を止めない。そしてどうやら私の話も聞いていないようだ。ああ、そういえば前の時もそうだった。ちっとも会話が成立しなくて、私が最終的に面倒になってせめて局部じゃなく腕にしてくれという男の頼みを聞いてしまったんだ。泣き真似、通用してたな。
「あたしには年老いて体が不自由な親父がいるんですよぅ・・・立派な農園を持ってたのにどっから来たのかもわからない奴らにそれも取られちまって・・・もう、あたしの稼ぎで暮らしていくしかないんですよぅ。」
黙って聞いていると男の泣き真似はいつの間にか愚痴になっていった。つばを飛ばしながら世の中の悪口を言っている。その横顔を見ながらこの男だけはナイなと確信した。色仕掛けで簡単に落ちるだろうが、この男はナイ。
私は立ち上がってスカートの砂を払った。話が長いのでうっかり隣に座って聞いてしまったがこれ以上は時間の無駄だ。
「どこ行くんですか、ボス。あたしの右手は・・・いやなんでもないです。良かったら町を案内しましょうか? 昔より人は減ってるけどなかなかいい所なんですよ? うちの農園も見てくださいよ。ちょっと町から外れてるけどなかなか立派なんですよ。そうだ! ボスと一緒ならあの農園を取り戻すことができますね! 一緒に行って貰えませんか? なんか男の方が剣の使い手だっていうのであたしだけだとちょっと・・・ボスがいてくれるならすぐにでも追い出せますよ!」
「・・・その農園にいるって奴らは何者なんだい?」
「知りませんよぅ。なんか急に現れて勝手に親父の農園に住み着いたんですよ。若い夫婦みたいですがどうせ碌な奴らじゃないですよ。」
「・・・その夫婦の見た目の特徴は?」
「女は金髪でなんかお嬢様って感じでしたね、男は黒髪でがっちりした奴でした。親父が近づくなっていうから遠くから見ただけですけど・・・きっと男が悪い奴で女を攫ってここまで連れてきたんですよ。ボス、人助けだと思ってその女を助けに行きませんか?」
「・・・男を殺して女を助けたとして、あんたはその農園をどうする気なんだい?」
「そうですね・・・人を雇って世話させればなにもしないで金持ちにになれますね。そうか! 男を殺さずにこのまま農園の世話をさせて金だけぶん捕っちまえばこっちのもんですね!」
右手のない男はいかにも良い事を思いついたといわんばかりに顔を輝かせた。
「あんたはその女を嫁にして左うちわで過ごすのかい・・・いっぺん死んだ方がよくないかい?」
「誰がですか?」
「あんただよ。確かに片手がない状態で生きるのは辛かろうよ。いっぺん死んどくかい?」
男はしばし無言で目をぱちぱちとさせた。
「なぜ・・・あたしが死ぬんです?」
「あんたが生きてると迷惑な人間が多そうだからさ。どこに行っても嫌われて煙たがられてるんだろう?」
「そりゃあたしを嫌いな連中はいるでしょうけど・・・そいつらがわかってないだけですよ! あたしのことを好きな奴だっているはです!」
「具体的に誰だよ?」
男は一度口を開いたがすぐに閉じた。目玉だけががすごい速さで動いている。必死で自分のことを好きな人間を考えているんだろう。
「・・・もういいかな?」
しばらく待ったが一向に男が口を開かないので確認する。返事の前に右手を振り上げると男は尻餅をついた姿勢で後ずさった。
「いますいます! あたしの親父はあたしが死んだら悲しみますよ!」
「本当かい? バカ息子が死んでせいせいするんじゃなくて?」
「本当です! だから命だけはご勘弁を!」
男が地面に這いつくばった。
「・・・なぜそんなに死にたくないんだい? どうせまた生まれてくるのに。」
「また生まれ・・・いやいや、そんな奴会ったことないですよ!」
「大丈夫だ、目の前にいる。」
私はそう言って男に近づいた。首を切り落とそうと手を上げたら男が膝にしがみついてきた。
「お願いします! まだ死にたくないんです!」
今度は泣き真似じゃないようだ。けれどやはりそこまで死にたくない理由は私には理解できなかった。
「大丈夫だ。お前の人生になんか意味はない。」
私はそう言って男を蹴り倒して首を切った。派手に返り血を浴びてしまい顔を顰める。また服を買わなくてはいけない。
少し迷ったが男の死体は町に近い海の中へ移動させた。まあ見つかっても見つからなくてもどちらでもいい。そう言えばなぜ男はこんな街はずれに一人でいたんだろう、まあどうでもいっか。
歩くのも面倒で瞬間移動でパルの家に戻った。ワンピースを脱いで井戸の水を頭から被る。まったく、夏でよかった。
血の付いた服を暖炉に入れて燃やしていると、ルビーが寝ぼけた声で話しかけてきた。
「師匠・・・? なんで暑いのに火なんか燃やしてんの? 呆けた?」
失礼な奴だ。自分だって昨夜血の付いた服をこの暖炉で燃やしてたじゃないか。
寝ぼけているくせにまだ起きようとしないルビーをぐいぐい押して私も同じベッドに潜り込んだ。ルビーはむにゃむにゃと文句を言っているが知ったことではない。ああご飯食べ損ねたなと思いながら私は目を閉じて眠った。




