2.再会
朝は準備する時間が惜しいので、膨らまない薄いパンにジャムをつけてお茶を飲む。お茶は紅茶だか緑茶だかウーロン茶だかハーブティーだかよくわからない味がする。とにかく砂糖を入れて今日一日に備える。
「そろそろ雨降ってくれないかな」
とボヤキながらタイチは農園へ行った。とにかく暑いのは辛いので農園の朝は早い。時計はないがきっと4時とか5時とかだろう。明るいけれどまだ涼しい内に力仕事をやっつけるのがここでの生活のコツだ。
私は冷めた灰を食器やフライパンに振りかけてささらで擦る。昔は灰で洗濯してたと聞いたし多分たぶん大丈夫だと思う。洗った食器は風通しのいい所に置き、鉄のフライパンは一番日当たりにいい所に置く。多少錆びても気にしない。
今日は洗濯をするので張り切ってタライに水を貯めた。本当に家のそばに井戸があるって素晴らしい。水の中にもやっぱり灰を撒いてから家中の洗い物を集める。タイチの服や私の下着、リネン類をかき集めて汚れが少なそうなものからじゃぶじゃぶ洗って絞る。当然柔軟剤などないので乾いたら全てゴワゴワになるが、最近はゴワゴワがいいとすら思うようになってきた。
無心で洗っていると手元に影が落ちた。顔を上げるとパルがこちらを見下ろして微笑んでいた。
「忙しそうだね。」
なんとなく恥ずかしくなり急いで立ち上がる。パルだってこちらの庶民風の服を着ているのだから恥ずかしい事なんて何もない。ただ以前を知っている人に今の私を見られることはなんだか嫌だった。やっぱりこの服はスースーする。
「ああ、気にしないで。元気かなって見に来ただけだから。」
パルは穏やかに言った。
「なんで、ここが?」
「狭い町だからね。・・・あの子は農園?」
パルが遠くを見たので頷いた。ここの農地はそれなりに広い。姿は見えないがきっとどこかで作業をしてると思う。
「そう。向こうの国の話、聞きたい?」
パルの言葉に眩暈がした。頭の中に黒いしみが広がる。きっとすぐに大きくなって私を飲み込んでしまうだろう。
「タイチと・・・一緒に、聞きたいです。」
絞りだした声は掠れていた。パルは頷き夜にまた来ると言って消えた。立っていられずその場にしゃがみ込む。ついに現実が追い付いてきてしまった。しゃがみ込んだまま動けずにいると、タイチが帰ってきた。昼ご飯はおろか、洗濯だってまだ途中なのに。
私はタイチにパルが来たことを話した。夜にまたくると言われたことも。パルはわかったとだけ言って昼食を作り始めた。タイチはこれまで料理なんかしたことがなかった。けれどこの三か月で色々できるようになった。私がすぐ体調を崩したり、火傷して何もできなくなったりするから、全部一から覚えてくれた。
三か月、たった三か月だ。夢のような時間だった。この夢のような記憶だけで、生きていけるほど。
私は溢れ出した涙を拭い、洗濯を再開した。以前の私ならきっと夜までなにも出来なかっただろう。でも今は、自分が手を動かさないと何も動かないことを知っている。
昼食を食べた後、私たちは手をつないで二人でベッドに横になった。
「---このまま、二人だけの世界に行けたらいいのにね。」
私がそう言うとタイチは笑った。
「漁に行く人がいないと魚が食べられなくなるよ。それともミカが毎日魚釣りしてくれる?」
「釣れる気がしないなぁ・・・」
「じゃあ毎日夏はトマトとナスだね。」
「うーん、魚もだけど香辛料がなくなる方が辛いかも。」
「食材が変わらないと味付けって大事だよねぇ・・・」
「うん。秋は・・・キノコが取れるって言ってたな。あと山菜も取れるらしいよ。」
「キノコって毒があるやつもあるんでしょ? 見分けつく?」
「全くつかない。おじいさんに教えてもらわないとね。やっぱり二人だけってのは難しいね。」
「その内覚えるよ。あ、栗の木があったから秋はきっと栗が食べられるよ。あれなら茹でるだけで美味しいよね。」
「え、茹でるの? 焼くんじゃないの?」
「どっちでもいいんじゃない?」
「そっか、そうだね。どっちでも、いいか。」
私たちは顔を見合わせてクスクス笑った。どんなことがあっても二人なら大丈夫、そう信じたかった。たとえ奈落に落ちたって、いつかは這い出てくるのだ。生きていれば。
そのまま眠ってしまい、二人で目覚めたのは夕方の遅い時間だった。もうすぐ陽が沈むので完全に寝すぎだ。
夜っていつだろうと言いながら二人でご飯を作り洗濯ものを畳む。お腹が空いたので外でチビチビとお酒を飲みながら食事をしていると、完全に陽が沈んで真っ暗になってしまった。仕方なくランタンをつけてパルが来るのを待つ。
「来なかったらどうする? そもそもパルが来たのもミカの白昼夢だったりして。」
「夢・・・ではないと思うんだけど。」
でもちょっと自信がない。いや、たぶん夢ではないと思うんだけど。
少しずつでも飲んでいれば酔っぱらう。なんとなく体が緩んで気が楽になってきた。
「・・・タイチは戻りたいって思ったこと、ある?」
この三か月何度か聞こうとして一度も言えなかったセリフだ。
「ないよ。」
タイチが即答してくれてほっとした。
「あの国では・・・王族とか元王族として生きるのはしんどかったと思う。うちの親とかドーナー家に頼って生きるのもなぁと思ってたし。もちろんそれしか道がなければそうするつもりだったけど。」
グラスを傾けるタイチの顔は赤い。私の顔よりも赤いんじゃないだろうか。
「今もしんどいけど色んな作物が少しずつ大きくなってくのを見るのは楽しいし、昨日の続きを誰にも邪魔されずにできるのも楽でいい。俺は都会よりこういう田舎の方が向いてたんだと思うよ。」
タイチの家は祖父母の代までが貴族で、国に爵位を返還した後も丁寧に元領地の行く末を見届けた。その後一家はドーナー領に移住し両親は商売を始めてそれを成功させている。タイチは勉強より体を動かす方が好きだったため志願して近衛として勤めていたが、たぶんお金で苦労したことは一度もない筈だ。
「そうだよね、生まれた場所が自分に一番合ってるかどうかなんてわかんないよね。」
「うん。俺はここでの暮らしが気に入ってる・・・だからこのままずっとここでミカと暮らしたいよ。」
テーブル越しに手を握られてなんだか照れる。
「それでさ、子どももいっぱい欲しいよね。ミカに似た子とかさ、俺に似ててもそこそこ可愛いと思うよ。家族たくさんで、みんなでこの家に住むんだ。」
タイチは完全に酔っぱらった顔でニコニコと杯を重ねた。たくさんって、私の体持つかしら・・・18から産み始めればそれなりに人数産めるかしら。
「---楽しそうなとこ悪いけど、お邪魔するよ。」
パルの声がして急に現実に引き戻された。慌ててタイチの腕を叩くがタイチは既に眠りそうになっている。無理もない、普段なら寝ている時間だ。
「彼氏寝ちゃってんの? ちょっと見ない間に農夫って感じになったねー。」
パルの後ろからルビーがぴょこんと顔を出した。ルビーまでこちらの国風の簡素な服を着ている。ルビーの輝く銀の髪には全く似あっていなかった。
「ルビーこそその服全然似合ってないけど。なんで男物の服着てるの?」
「だってパルこれしか持ってないっていうから。裸で来た方が良かった?」
嫌味のつもりで言ったのにきょとんとした顔で返事をされ言葉に詰まる。やっぱりこの子は猫のルビーだ。人を馬鹿にしたような顔で見つめてくるくせに、妙に人懐っこい。
取り合えず二人に椅子を勧めた。ここは自然に囲まれているせいか夜はひんやりしていて寒いぐらいだ。蚊はいないが蛾はランタンの周りを飛び回っている。
二人は座ると持参してきたらしいワインを開けて飲み始めた。コップまで持ってくるとは用意がいい。
「じゃあ、再会を祝して乾杯。」
パルが言うのでなんとなく私も杯を上げた。パルが持ってきたワインは上等で懐かしい味がした。




