1.幸せな暮らし
海といえば前世の高校生の時に入ったのが最後だ。
女友達5人で海に行くことが決まった時、私はそれなりにはしゃいで準備した。当日はいい天気で、水着に着替えて海に入ろうとしたとき友人の一人が私の腕を掴んで囁いた。
「毛、はみ出てるよ。」
私は急いで更衣室に戻って服を着た。その日は一日中暑い海辺で死にそうになりながら楽しそうな友人たちを見ていた。いや、精神的には死んでいた。当時通っていた高校にはプールがなく、水着を着ること自体が久しぶりだった・・・なんて多分いい訳にもならない。ちゃんとした女の子は水着を試着した後全身を鏡で確認するんだろう。ピカピカな女の子にはムダ毛すら生えないのかもしれない。ハハッ。
自嘲気味に笑ってため息をつく。なんで生まれ変わってまでこんな事を思い出すんだろう。こんなの異世界でなんの役にも立たないというのに。
寄せては返す波はどちらの世界でも同じだった。気候が良ければずっと眺めていたいが、今は真夏なので暑すぎて無理だ。
麦わら帽子と袖のないワンピース。まったく体を締め付けるものがない恰好は、最初はスースーして落ち着かなかった。けれど暑い時にはこれが大正解だ。
「こんにちわー。」
港では男たちが持ち帰ってきた魚を捌く女の人たちがいた。最初近くを通った時は生臭くて思わず顔を顰めてしまった。でも今は笑顔で挨拶できるし、愛想よくしておけば安く魚の加工品を譲ってもらえたりすることもわかっている。お金がない私たちにはそういうのはとても重要だ。
魚と少しの野菜を買ってオリーブの木に囲まれた我が家へと戻る。街はずれのこの農園は近くに家すらない。私とタイチは町で出会ったおじいさんにこの農園の管理を任されている。おじいさんは膝を悪くして農園を諦めて町に住んでいたが、たまたま仕事と住む家を探していた私たちと出会いここを紹介してくれた。おじいさんの代わりに農作物を育て販売する、私たちは従業員という形で初日から給料をもらっていた。少ない金額ではあったが現金も信用もない私たちにはとてもありがたかった。
私はとても運がいい。井戸のそばで魚のうろこを取りながら考える。
着の身着のままで家を出たのに、飢えることも寒さに震えることもなく毎日平穏に暮らしている。とても幸せだと思いながら、時々王城がどうなったかと考えると泣きたくなる。
実際夜中に何度も泣いてタイチを困らせた。タイチからは考えても仕方ないからしばらく考えない方がいいと言われている。どんな結果でも受け止められる日が来るからと。
魚の頭を切り落とし内臓を取り除く。人によってはそのまま食べるらしいが、私はお嬢様育ちなので取り合えず取り除く。取った内臓は瓶に詰めて塩漬けにしているが、食べれられる気はしない。なんとなく無駄にはしてないですよーのアピールだ。自分に対しての。魚の頭はどうしたらいいのかわからないので取り合えず燃やしている。
さて、ここからあまりやりたくない作業だ。この気温30度以上ありそうな野外で火を熾さなくてはいけない。とはいえ細い枯れ枝が沢山あるので火自体はマッチ一本でつく。鍋で魚を軽く炒め、上からオリーブオイルをどばどば入れる。適当な野菜と塩を放り込んで軽く煮込む。なんて名前の料理なのか、作り方が正しいのかはよくわからない。でもそれなりに美味しいからいいんだろう。前世の自炊の知識が役に立っている。
元々料理は嫌いではなかった。とはいえ普段から魚を捌いたりはしていなかったので今も小さめの魚をなんとなく調理しているだけだけど。以前にわとりを丸々一羽貰った時は捌けなくてタイチに頼んだ。ちなみにタイチもよくわかっておらずとにかくぶつ切りにしようとしたので、くれたおじいさんが笑いながら捌いてくれた。まああれもいつかは出来るようになると思う、心の準備がすごく必要なだけだ。
煮込んでいる鍋を横目で見ながらボウルに小麦粉と塩とオリーブオイルを入れて混ぜる。この農園のメインはオリーブなのでオリーブオイルだけはケチらなくていい。この生地をしばらく休ませて、あとで焼いたら簡単なパンの出来上がりだ。
時間はまだ昼には早い。火もいい感じにとろ火になってきたので少し離れた場所に椅子を置いて休憩することにした。この家は小柄な人が家事をしやすいように色々な大工仕事がされている。真夏に家の中で火を使わなくてもいいように外にかまどがあるし、その上には屋根まである。井戸も近いから洗い物も楽だ。ただ全てが低い位置にあるのでちょっと腰が痛いけれどもう慣れた。たぶんおじいさんの奥さんが小柄だったんだと思う。
家の中の台所も全ての棚が低めに作ってあるし、大きな収納の片隅には小さな踏み台が置いてある。少し色褪せたワンピースもあったので、おじいさんに確認して私の普段着にさせて貰った。ひざ丈の服なんて王立学園の制服以来で少し照れ臭い。
座って奇麗な木々の緑や奇麗な青空を眺めていると、まるで何もかもが夢の様だ。かつて姫と呼ばれ王城で生活していたことも、スーツを着て仕事をしていたことも。
それでも目を瞑ると誰かの悲鳴が聞こえる。あの時城にいた人たちは無事逃げられたんだろうか。
また目を開けて空を眺める。相変わらず空は青く美しい。もうこれだけでは涙はでなくなった。こちらの国では向こうの国は”存在は知っているけど遠すぎていけない国”だ。魔法使いが沢山いる夢のような国とも、きつい労働ばかりさせられて一部の人間だけが肥え太っている国とも言われている。だがほとんどは興味すらもっていないらしい。私たちは南の国のよその町から駆け落ちしてきた夫婦ということになっている。
ここにいて向こうの国の状況を知る術は私たちにはない。パルならきっとわかるのだろうけど、初日以来会っていないしどこにいるのかもわからない。意外と何もかも上手くいっているのではないかと考える時もある。父はちゃんと王としての務めを果たし、母もその父を支え、弟も次期国王になるべく努力し、王家はみんなから愛され・・・
「・・・ミカ、ミカ?」
近くでタイチの声が聞こえて慌てて目を開いた。いつの間にかうとうとしてしまっていたらしい。
「あ! 焦げてるかも!」
飛び起きて鍋を火からおろす。鍋掴みは忘れない。以前素手のまま鍋を掴んで火傷してしまった。幸い井戸水で冷やし続けたら数日で治ったけれど、薬もなくヒリヒリした痛みが続くのはちょっと辛かった。人はこうして学習する。
「ん、大丈夫。焦げてない。パン焼くから先に食べててね。」
器に煮込みをよそうと弱くなっていた火に薪を追加しフライパンを温める。本当は魚の煮込みは少しだけ底が焦げていた。食べられないほどではないが後で焦げをこそぎ落とすのが大変だ。
タイチはワインをチビチビと飲みながら料理をする私を待っている。冬はまだ来ていないので知らないが、真夏は暑いので昼過ぎの一番暑い時間帯は作業をせずにしばらく休むのだ。だから私たちは長い時間をかけてゆっくり昼食を楽しむ。
タイチは以前より日に焼けて体も一回り大きくなった。今は刈っても刈っても伸びてくる雑草が大変らしい。そう言って笑うタイチはもちろんカッコよくて、私は幸せだなと思う。
青い空と美味しい食事、そして横で笑う最愛の人。幸せ過ぎて怖いぐらいだ。いつまでも続くなんて、到底信じられないほど。だから次の瞬間地面が割れて奈落に落ちても不思議ではないと思う。
そういうあやふやなものの上に、私はいる。




