魔女と指輪④
「おかえり、お姉ちゃん。」
そう言って笑う少年は、なぜ二階から私が帰ってくるのか疑問には思わないらしい。少年の中では私は今も『砂漠の向こうからきた何でもできる人』だ。
「ただいま。あの指輪なんだけどね、貴族の人もう持ってなかったよ。王族の人にあげちゃったんだって。」
「王族の人に!? すごーい!」
少年は目を丸くしながら私の前にスープを置いた。今日はミルクが入っているらしい。
「王族の人ってことは・・・お姫様かな? お姫様があの指輪をしてるのかな?」
嬉しそうな少年の顔に少し戸惑う。
「・・・嬉しいの?」
「うん。だって、お姫様が母さんの指輪をしてるだなんて素敵じゃない。」
少年は夢見るように言ったが、どこが素敵なのかは私にはわからなかった。
「じゃあ・・・もう取り戻さなくていいの?」
「うーん、どうだろう・・・父さんは取り戻せって言ってたけど・・・お姫様が喜んでるなら取り上げるなんて可哀想だよね?」
いつの間にか少年の頭の中には可愛いお姫様が指輪を喜んでいるというストーリーが出来上がっているらしい。
「まあ、あんたがそう言うんならいいよ。」
「うん! あ、それよりね、聞いてお姉ちゃん。明日から新しい料理を教えてもらえることになったんだ。今までは下ごしらえだけで帰ってたけど、遅くまでお店にいてお料理するんだって。お給料も少しあがるらしいよ。」
少年はにこにこと話を変えた。どうやら少年にとって指輪はもう大した話ではなくなったらしい。
念のため翌日開店前のお店を覗くと、最初の頃少年を怒鳴ってばかりいた男が居なくなっていた。どうやら人が足りなくなって少年を頼ったらしい。少年は楽しそうに働いている。それを店の外から眺めていると店主の女に声をかけられた。この女とは何度か会ったことがあった。給料は安いが何もできなかった少年を雇ってくれた人だ。
店主は少年はよく働いてくれていると言った。
「・・・あの女の子はウェイトレスですか?」
少年と仲良く話している女の子を指さして聞くと店主は苦笑した。あれはウェイトレスであり、自分の姪で、歳は5つ離れているがあの二人はまるで兄妹のように仲がいいと。
そう言った後、店主は悪戯っぽく笑った。
「あの二人、結婚するかもしれませんよ? 実は姪がベタ惚れで。」
「結婚? 本気ですか?」
「ええ。あの子はちょっと幼いけれど性格もよくて頑張り屋だし、姪はしっかり者だしいい夫婦になると思います。お姉さんも見守ってもらえると。」
もちろんと私は答え店を離れた。家に戻ると少年が朝から張り切って作り置きしてくれたスープがあった。冬の間は大丈夫だろうが、夏もこんなことをしてたらきっと昼過ぎには腐ってしまうだろう。
「潮時だな。」
私は台所に火を入れながら呟いた。これから少しずつ生活に必要なことを教えて行こう。それでもあの子が一人で生活するのは難しいかもしれないが、寄り添ってくれる誰かがいるなら大丈夫だろう。
スープをかき混ぜながら考える。急に砂漠の向こうに帰らなくてはいけなくなったと言えば少年は納得してくれるだろうか。いや、納得してもしなくても周りにそのまま言いふらす可能性が高いな。これ以上馬鹿だと思われるのは避けたい・・・
ふつふつと揺れるスープの表面を見ていると、上着のポケットに入れっぱなしだった指輪を思い出した。指でを摘まみ上げると、貴族の持ち物らしく複数の色石がゴテゴテと金の指輪につけられている。これを見せて、結婚するから私だけ引っ越すと言ってみるのはどうだろう。遠くに引っ越す、私から手紙を出すといえば少年なら納得しそうな気がする。
器にうつした熱いスープを少しずつ掬って飲む。少年は店で賄いを食べているが、それがない成人女性の夕食はスープだけでは足らないという事も教えないといけない。
もっともこれは旅の最中にお金を使っている所を見られたくなかったため、私が始めたことでもある。面倒な奴らに目をつけられないようにする為だった。私一人なら誰に絡まれても平気だが、少年の前では魔法を使いたくなかった。その為少年はよくお腹が空いたと虚ろな目をして眠りについていた。食べ盛りだっただろうに気の毒な事をした。
あとは・・・何だろう。私が面倒だから、都合が悪いからといって教えなかった常識の数々。本来は親から教えてもらうべきだった生活の知恵。
感傷的になってきたので冷めてきたスープを一気に飲み干した。親がいない子供なんて沢山いる。この歳まで生きられただけいいじゃないか。
冬の間、私は少しずつ少年に物事を教えた。思ったよりも少年はしっかりしていて、多めのお金を渡しても無駄遣いしなかったし、破れた服を繕う事も、家の中を掃除してきれいに保つこともすぐ覚えた。
「そっかー、今までお姉ちゃんが魔法で何とかしてくれてるって思ってたんだけど、こんなに大変だったんだね。」
少年がニコニコと冬の寒空に洗ったばかりのシャツを干した。掃除や簡単な洗濯は店でやっていたらしいが、自分の家でもやるという発想がなかったらしい。ちなみに私は全部魔法でなんとかしていた。
「まあね。あとお姉ちゃんはとっても少食だからね、他の女の子は沢山食べるからね。」
「わかってるよ。これからお店に行って沢山食材買ってくる。お店で覚えた料理、作ってあげるね。」
少年はニコニコしたまま買い物に出かけて行った。この近所の店であれば顔見知りなので一人で行っても釣銭を誤魔化されないから問題ない。今日は勤め先が休みで女の子を夕飯に招待したというので少年は朝から張り切っている。
夕方、緊張した女の子が少年に連れられてやってきた。店で何度か話したことはあるが、家で会うとまた緊張するらしい。食事は和やかに終わり、帰りがけに女の子は少年に聞こえないようこっそり私に言った。
「私、いつかこの家に住みたいです。」
ここは小さな家がひしめき合っている地域で、壁も薄く日当たりも悪い。近所の赤ん坊や子供が四六時中泣き叫んでいるような所だが、彼女は気に入ったらしい。それとも恋は全てを薔薇色に見せるのか。
「いつでもおいで。」
そう言って微笑むと、女の子はほっとしたように笑った。女の子を家へ送っていくという少年を戸口で見送る。遠ざかっていく二人はお似合いのカップルだった。
春、桜がつぼみをつけだした頃、私は結婚するから家を出て行くと少年に告げた。
「どうして一緒に住まないの?」
少年は不思議そうに首を傾げた。少年にとって家族とは一緒に住むものらしい。まあ王都は家賃が高いからそういう家は多いけど・・・この場合はそういう話ではない。
「私は砂漠の向こうに帰らなくてはいけないんだ。わかるだろう? 私は元々こちらの人間じゃないんだよ。」
少年の目にはみるみる涙が溜まっていった。少年の涙を見るのは久しぶりだ。昔店で泣いたらこっぴどく怒られたのでそれ以降泣かないようにしていたらしい。私が面倒で教えなかったことも誰かが教えてくれた。この子はもう私が居なくても大丈夫だ。
「僕も、僕も行く・・・」
「ダメだ。あんたはここに残りなさい。あの娘と一緒になるんだろう?」
少年は泣きながらもほんのりと頬を赤く染めた。
「でも、お姉ちゃんと離れるなんて・・・」
「じゃあその指輪をちょうだい。」
私が少年の右手を指すと、少年はきょとんとした顔で涙をぬぐった。
「これ? これはダメだよ。父さんの形見なんだから。」
「それをあんただと思って持っていくから。それに・・・」
私は小さな手鏡を出すと少年に渡した。
「あんたの目は母さんにそっくりだ。指輪なんかなくったって鏡を見たらいつでも母さんに会えるよ。」
少年は鏡を覗き込むとまた泣き始めた。
「ほんとだ・・・母さんに似てる。母さんはこんな所にいたんだね・・・」
「そうだよ。母さんも父さんもいつでもあんたのそばにいる。指輪なんてもういらないんだよ。」
少年はしばらく泣いた後、指輪を外して私に渡してくれた。
「わかった・・・家族はいつも一緒にいなくちゃいけないって母さん言ってたもんね。お姉ちゃんは誰にも似てないから、僕の指輪をあげる。」
渡された指輪は少し大きかったが、手の中で魔法を使いサイズを調整した。右手にはめた緑の指輪を見せると、少年は嬉しそうに笑った。
「これで僕たちはずっと一緒だね。」
そうだったら、いいね。




