4.少年の憂鬱②(シャルル)
そんな日々が続くのだと思っていた15の春、ルビーが突然俺の部屋に現れた。どうやらこの猫は好きなところに瞬時に移動できるらしい。
「シャルルどうしよう! 人間に戻れにゃくなっちゃった!」
「どうしたの? ユウマは?」
ルビーがユウマのそばを離れるなんて珍しいことだ。
「ユウマは閉じ込めてきた。そんな事よりほんとに困ってるんだけど!」
「ちょっと落ち着いて・・・閉じ込めたって何?」
「閉じ込めたからユウマは安全だってば! そんな事より私が大変にゃの!」
聞けばルビーは本当は美しい少女で、ユウマが王立学園に通いだす前に正体を告げたかったのだという。
「・・・気のせいだったんじゃない? 猫が見た夢だよきっと。」
「気のせいじゃない! 私は天才美少女魔女のルビー! もう、にゃんでこんな事ににゃったの!?」
混乱しているのかにゃーにゃー叫ぶ猫を宥めすかして、俺にはどうすることもできないと告げた。だけどルビーは他に相談相手がいないから黙って聞けと言う。薄々勘づいていたがルビーはわがままだ。
「そんな事言われてもね・・・俺にできることは何もないし、とりあえずユウマの元に帰ろうよ。閉じ込めちゃダメだよ。」
「今、そこどうでもいいから! 早く姿を戻さないとユウマが王立学園に行っちゃうじゃにゃい!」
別にルビーとは関係なく、15歳になった貴族は王城の斜め前にある王立学園に通うことになっている。僕も行くし、王族であるユウマも通う予定だ。
「それが何? ルビーも一緒に通いたかったの?」
「そう! 恋ってそいうものだから!」
ルビーの言葉に俺も混乱した。俺ってやっぱり馬鹿なのかなあ・・・人が何言っているのかわからないことが時々ある。今の相手は猫だけど。
「・・・とにかく俺はユウマの様子を見に行くから。」
俺はそう言って部屋の外に出た。うちから王城へは秘密の道があって、それを通れば割と簡単にユウマの元に行ける。本当は緊急時以外通行禁止だが、俺は許可を得て頻繁にくだらない用事で使っていた。
「ちょっと待ってよ! ドーナー家でしょ・・・ああああああっ!!」
ルビーがひと際大きな声を上げた。通りかかったメイドが困惑した顔で俺を見た。手を振って何でもないと合図をして素早く階段を降りる。ルビーの声は僕以外にはにゃーとしか聞こえないので大丈夫なはずだ。
「シャルル! この家の地下にパルがいるじゃない!」
「パル・・・ソドム?」
「そう! あの男ならにゃんとか出来そう! ちょっと起こしてくる!」
ルビーはそう言うと一階の廊下を走り、地下へと続く重い扉を魔法のように開けた。いや、これは魔法なのだろう。ルビーの小さな体は扉にまったく触れていなかった。
ルビーは躊躇わずに地下への階段を駆け下りていった。放っておけずに俺も恐る恐る階段を降りる。明かりがないので奥の方はほとんど見えない。
「ルビー、見えないから一回戻ろう。ここは来ちゃいけない場所だし・・・」
そう言ってからようやくルビーは何故ここにパル・ソドム氏が眠っていることを知っているのかという疑問がわいた。この地下自体、ドーナー家の関係者以外しか知らない筈だ。人に見せるような場所じゃないからだ。
「うるさいにゃあ」
ルビーの声と共に奥から石が飛んできた。どう見ても石だが、まばゆい光を放っている。
「何これ?」
「いいからこのドア開けて!」
明るい石を手に奥へと進むと、ルビーは一番奥の扉の前に座っていた。子供の頃父にここへ連れてこられた時、怖くて夜眠れなくなったことを思い出した。
この扉の中には悪魔が眠っているらしいのだ。
「やめようよ。ここはダメだよ・・・それに、この扉は開かないはずだよ?」
「開くから! ちょっとやってみてよ!」
「開かないって・・・」
そう言いながらなぜか僕はドアノブに手をかけて内に引いてしまった。まるで自分の体じゃないみたいだった。
扉はすんなりと開いた。
「ほら開いた! パル! 起きて!」
ルビーがそう叫びながら部屋の中に入った。思ったよりも狭い部屋の中にはベッドがあって、人型に布が膨らんでいた。
ひっ
と声にならない悲鳴を上げて俺は明かりを落としそうになった。悪魔だ、悪魔がそこにいる。
「パル、起きて! 早く!」
ルビーはそんな俺にお構いなしに悪魔にかかっているシーツを咥えて床に落とした。思わず顔を反らしてしまう。100年以上も前からいる悪魔だ、干からびた死体があったとしてもおかしくはない。
「にゃんなのよ、もー。起きたんでしょう?」
ルビーの普通に話す声に俺は恐る恐る目を開けた。ミイラではないのか? しばらく待ったが特に物音はしなかったので薄目でベッドの方を見る。紫の髪が見えて、また心臓が大きく跳ねた。
「ここはドーナー家の地下牢、パルは100年以上寝てたの。わかった? わかったなら早く起きてよ。」
「・・・ルビー?」
擦れた男の声に悲鳴がでそうになった。壊れそうな程心臓がうるさい。それでもやっとの思いでベッドを見ると、紫の髪の男はパチパチと瞬きをしていた。干からびてもおらず、目が三つある訳でもなかった。
そのまま見ていると男はゆっくりと体を起こそうとした。あまりのぎこちなさに思わず体を支えてしまった。男の体は暖かくも冷たくもなかった。ただ上等なシルクの服の感触がした。
「歩ける・・・よ。」
男はそう言って立ち上がりよろよろと戸口の方へ歩き出した。ぎこちない動きに手助けした方がいいのか迷う。だが迷っている間に男はどんどん先へと進み、階段を昇って行ってしまった。慌てて後をついて階段を上り、近くの談話室を案内する。明るい所で見る悪魔は少し埃を被っていたが、かなりハンサムだった。
一連の動きを見ていたらしい執事に水と額縁を渡され部屋に入る。男は当たり前のようにソファに座っていた。取り合えず水を男に渡すと男はそれを無言で飲み干した。目の前で動いている喉元を見て、彼が本当に生きているのだと実感した。
領地にいた父が王都の屋敷に着いたのはその日の深夜だった。深夜にも関わらずパル・ソドムは父を出迎え、父はパルの滞在を許可した。父は悪魔を前に終始顔が強張っていたそうだ。
俺はどうやら、伝説の悪魔を起こしてしまったらしい。