2.砂漠の先、海の手前
僕たちは海の近くまで飛んだ。移動した衝撃なのか、お姫様は気を失ってしまったらしい。ぐったりと男の腕に抱かれたまま動かないので、僕たちは地面に座ったまま会話を始めた。
「えっと・・・ミカと誰だっけ?」
「俺か? 俺はタイチ。タイチ・パーカー。」
パーカーか。昔そんな貴族がいたような気がするけど・・・まあいっか。
「僕はパル・ソドム。ルビーになんか唆されたの?」
「いや・・・もうすぐ反乱が起こるからミカを連れて逃げろと言われた。ドーナー家の悪魔が逃がしてくれると言われてあそこへ行ったんだ。その後実際に爆発音が聞こえたから夢中で逃げてきた。」
僕ならそれを唆されたと呼ぶのだけれど、まあいっか。
「ここは南の国だよ。あれは海。」
僕は穏やかに波が寄せては返す海を指さした。飛んできた場所は海から少し離れた砂浜だった。町から少し離れているせいで人影は全くない。
「海・・・これが? まさか。そんなのおとぎ話だろう?」
「実在するんだよ。あっちの国には湖しかなかったけどこれは湖より大きい。果てがないんだってさ。」
まさかと呟きながらタイチは目を見開いてしばらく海を見ていた。どれだけ目を凝らしても向こう岸が見えないことは確認できたらしい。
「南の国・・・初めて聞いたよ。別世界に来たみたいだ。」
「地続きだよ。サマルエラ国の南が砂漠だって言うのは知ってるだろ? この国はその砂漠の先にある。砂漠と海に挟まれた細長い国だよ。魚が沢山取れて食料には困らないからみんな穏やかだ。ここならゆっくり暮らせるんじゃない?」
なんせ僕が余生を過ごそうと狙っていた町だ。
「ありがとう、パル。・・・いえ、パル様。」
タイチがミカを抱きかかえたまま僕に深々と頭を下げた。ルビーの知り合いのくせに礼を言えるなんて良い奴だな。
「パルでいいよ。これから町に移動したいんだけど、服どうしよっか・・・僕はこのままでいいし、タイチも色々脱いだり外したりしたらなんとかなりそうだけど、お姫様がねぇ・・・」
ミカは布をたっぷり使った重そうなドレスを着ている。多少装飾品も外しても目立つことは間違いない。王族にとっては普段着だろうが、この国の人間からしたら信じられないほど着飾っていると注目の的になるだろう。
「・・・夜になってから移動しましょうか。」
「そうだね。この子靴も履いてないし、これ以上歩かせたら気の毒だね。」
僕の言葉にタイチは初めてミカが靴を履いてないことに気が付いたらしい。目を丸くしてミカの泥だらけの靴下を見ていた。この男はドレスの重さもハイヒールの歩きにくさも知らずに一緒に走ってきたようだ。
「・・・タイチは今お金あるの?」
「お金ですか? いえ、全く・・・」
まあ急に逃げてきたならそうだろう。たぶんミカも持っていないだろう。
「この国はね、確かに物価が安いけどタダじゃないんだ。今晩の宿も食料も、金がないなら何も買えない。あんたは体売ってでも金稼ぐ気あんの?」
「俺が!?」
考えたこともないという風にタイチが目を見開く。
「別にミカでもいいけどさ。」
「そんなっ、でも・・・借りられないのか? 必ず返すから。」
「誰が突然現れた怪しい奴に貸すんだよ。」
「でも俺はっ!」
タイチは何かを言いかけて急に肩を落とした。「そうか・・・この国で俺は何者でもないんだな・・・」
「そういうこと。どうする?」
タイチはしばらく困ったように頭を掻いたり遠くを見たりしながら考えていた。ミカはタイチの膝枕でしばらく前から寝たふりをしている。
「・・・わかった。じゃあ、ミカが寝てる間に頼むよ。」
タイチはそう言って何故か服のボタンを外し始めた。
「は?」
「パルが俺を買ってくれるんだろう? 俺は・・・何したらいいかわかんないけど・・・がんばるから・・・」
タイチの声がどんどん小さくなってしょんぼりしていく。
「馬鹿じゃないの。なんで僕が貴様を買うんだよ。」
「ミカはダメだ! ミカにそんな事させるぐらいなら、俺が・・・」
「いや僕は両方いらないよ。」
「そうか。じゃあ今から俺がちょっと行ってくる。探せば、一人ぐらい・・・」
タイチが立ち上がろうとするのを肩を押さえつけて阻止する。
「あのさ、ここそこまで大きな町じゃないんだから、そんなことしたら一生そういう目で見られるぞ。もうちょっとよく考えろよ。」
「でも俺には体一つしか・・・あ、剣ならあるけど、犯罪はちょっとなぁ・・・」
しょんぼり肩を落とすタイチは、ミカが必死で笑いを噛み殺していることに気がついてない。こう言う時って女の方が頼りになるよな。
「大丈夫だよ、タイチ。」
ミカはそう言って笑顔で起き上がった。でかい耳飾りが一緒に揺れる。なんでこんな大きいもの、目に入らないんだろうな。
「このイヤリングと指輪を売ればちょっとぐらいの現金なら手に入ると思う。売ってきてくれる?」
ミカは金のジャラジャラした耳飾りと、青い宝石がついた指輪をタイチに差し出した。
「もらえないよ。ミカはこれ以上なにも失わなくていい。」
そう言われたミカの目がハートになった。のんきだなぁこいつら。
「でも・・・もう使わないし。今は現金の方が必要でしょ?」
「ダメだ。俺がなんとかするからミカはなにも・・・」
僕は面倒になって話の途中で立ち上がった。ミカに向かって手を出すとミカは大人しく装飾品を僕に渡した。
「今日の宿は探してきてやるからここで待ってて。」
それだけ伝えて僕は町へと向かった。それを何も言わずに見送ってしまうのがこの二人の悪い所だと思う。持ち逃げされたらどうするんだ。
仕方なく僕は宿を予約し、適当なワンピースとサンダルを買って戻った。二人は手をつないで海を見ていた。のんきだなぁ。
「数日分の滞在費にはなったよ。ミカは取り合えずこれに着替えてきて。・・・一人で着替えられる?」
「大丈夫です!」
ミカは元気よく返事して岩場の陰に隠れた。脱ぎ着が面倒くさそうな服だけど、できるというなら大丈夫なんだろう。
「・・・タイチ、この間に話があるんだけど。」
「何でしょうか。」
タイチは改まった口調で返事したが、目はミカがいる岩から離さない。
「この町にはヤスールって右手がない男がいる。しばらく滞在するならうっかり会うこともあるかもしれないけど、関わるなよ。」
タイチは一瞬怪訝な目で僕を見たが、すぐ視線を元に戻した。
「なぜです?」
「小悪党だからだよ。盗み・強請・たかり・詐欺なんかで生きてきた男だ。貴様らなんかすぐにカモにされるぞ。」
「・・・知り合いですか?」
「まあね。ナミの町で飲んだくれてた所を拾ってこの国まで連れて帰ってきてやった。どうも向こうの国で色々やらかして右手を失って帰れなくなったらしい。」
「はあ・・・」
タイチはあまりピンときていないようで曖昧な返事しかしなかった。
「あのさ、お姫様連れてること忘れるなよ。今ごろ城がどうなってるのか知らないけど、絶対ろくな事にはなってないんだから。」
そう言うとタイチの顔がやっと引き締まった。町のチンピラが王族の顔を知っているとは思えないが、この二人が世間知らずの若者だということは見ればわかるはずだ。
「・・・わかりました。俺が守ります。」
タイチがキリッとした顔で言った。ミカが見たらまた目がハートになりそうだが、残念ながら今は僕しか見ていない。返事しあぐねて黙っていると、岩陰からミカが顔を出した。なんだかむず痒いような顔をしながらドレスを抱えて戻ってくる。
「似合うよ、ミカ。」
タイチがにこにことミカを褒めた。確かに水色の簡素なワンピースは意外にもミカによく似合っていた。
「なんか軽すぎて落ち着かない・・・寝巻じゃないんだよね? 外歩いていい服なんだよね?」
不安そうなミカを鼻で笑う。確かに王族にとっては寝巻以下の服だろう。
「この国の流行りは細身のデザインだから。あと派手な色も好きみたいでね、その服は一番地味で安かったんだよ。」
感心している二人に、小さな袋に入れたお金を渡した。
「これは数日分の生活費。そのドレスはたぶん売れないと思うから、これ以降は働かないと生活できないからね。」
ミカの顔が一気に引き締まる。僕は二人を連れて町へと歩きだした。タイチは近衛の上着と剣を外したので白いシャツに黒のスラックス姿だ。ちょっと変だけど目立つほどじゃないだろう。二人とも脱いだ服を丸めて持っていて、手ぶらの僕の後を歩くとまるで僕が引き連れているみたいだ。
「こっちの国もお金は共通で、言葉も共通ってことでいいの?」
ミカの質問に首を傾げる。
「違う言葉ってなに? 国ごとにお金や言葉が違う事なんてあるの?」
ミカはごにょごにょと何かを言って黙ってしまった。変なことを言う子だ。それとも王族しか知らないことでもあるんだろうか。
歩きにくい岩場を抜けるとゆるく凹んだ湾と町が見える。二人がそれを見て歓声を上げた。
「奇麗な町! 思ったより大きい!」
「この規模なら仕事がありそうだ。」
二人はそれぞれホッとしたように笑った。さっきまでいた所からは海と岩場と崖しか見えなかったのでどんな国なのかわからなかったんだろう。
「簡単に説明するよ。そこに崖があるだろう?」
僕が左の方を指すと二人は歩きながら崖を見上げた。高さ20m以上ありそうな高い切り立った崖だ。上から落ちれば死ぬだろう。
「あの崖の上は砂漠になってて、向こうの国の砂漠と繋がってる。つまりこの国は最南端と言われてるハンダル領よりずっと南にあるってこと。」
「・・・なるほど。だから今まで互いの存在を知らなかったんですね。人間は砂漠を超えられないとされてましたから。」
ミカは納得したように頷いている。僕もヤスールにこの国の話を聞いて冗談半分に瞬間移動してみたが、最初は砂漠にばかり着いた。見渡す限り砂だし水気もないし変な動物はいるしで、砂漠が世界の果てなんじゃないかと本気で思ったもんだ。
「向こうの国と同じようにこちらの国もあっちの存在を知らない。ただこの国は海沿いに細長い国で、みんな船に乗って行き来してる。だから旅人自体は珍しくないよ。目立つことしなきゃ大丈夫だから。」
僕の言葉に二人はこくこくと頷いた。近づいてくる町に緊張してきたのかまた顔が強張っている。だがそれとは裏腹に町は長閑なものだった。子供の声や昼食らしき食べ物の匂いが漂い、すれ違う人もこちらを一瞥しただけで通り過ぎていく。町の中心に近づくにつれ、二人の緊張もほぐれた様だ。
「はい。ここが今日の宿。パーカーの名前で取ってるからチェックインしてきて。荷物を置いたらご飯食べに行こう。」
二人は小さな宿を見上げると恐る恐るという風に中に入っていった。そしてしばらくすると走って戻ってきた。
「あの・・・ベッドが一つなんですが。」
タイチの顔が赤い。隣のミカの顔はもっと赤い。
「節約だよ。」
簡潔に説明して目についた食事処に入る。ずっと赤い顔をしてもじもじしている二人の尻目に僕はさっさと遅い昼食を平らげた。これ以上は付き合ってらんない。
「・・・じゃあここは僕の手間賃ってことで払っといてね。ご馳走様。」
それだけ言って僕は席を立った。
「あのっ、ありがとうございました! このご恩は一生忘れません!」
タイチが澄んだ目で僕を見上げる。この男なら本当に一生忘れないんだろうな。
「元気でね。」
僕が笑いかけると二人とも笑って頷いた。店を出るととてもいい天気だった。なんだか良い事をした気がする。
さて、じゃあルビーに借りを返してもらいに行かないと。僕がルビーの為にタダ働きする義理なんてないんだから。




