北の国事変⑥
明け方、山の中で目を覚まして少しびっくりした。草むらで眠ったのは生まれて初めてだ。こんな血の匂いをぷんぷんさせてよく動物に襲われなかったもんだ。まあ動物は悪魔を襲わないか。
大きく伸びをして自分の体を確かめる。服はボロボロだし血で臭いが怪我は全て治してあるので問題ない。疲れが完全にとれた訳ではないが魔力は回復している。よし。
取り合えずドーナー領の町外れに飛んだ。飛んですぐ鉄砲で撃たれた。予想外の攻撃にビックリし過ぎて地面に倒れてしまった。慌てて起き上がり辺りを見回す。町の外れに土嚢が二つ積んであり、誰かがそこから攻撃したらしい。よく見たら少し離れた所に何人か向こうの国の奴らの死体があった。町を守る為の最終防衛線といったところだろうか。
「・・・パル様ですか?」
女の細い声がした。土嚢から少しだけ顔を出してこちらを見ているのはシャルだった。ドーナー家の令嬢が何やってるんだ。
慌てて撃たれた所を治して立ち上がった。
「シャルか?」
無言で頷くのを見て今度はきちんと山の方を確認してからシャルの元へ駆け寄った。とりあえず山の方から人がくる気配はない。
シャルは土嚢の後ろで疲れた様子で座っていた。
「すみません。急に現れたのでびっくりして打ってしまって・・・」
「別に当たってないからいいよ。それよりなんでこんな所にいるんだ? ここ前線だろ?」
「・・・私の唯一の特技なんです。射撃。」
シャルは泣いてるみたいな顔で猟銃を手に笑った。土で汚れた顔には涙の跡がある。一晩、もしくはもっと長い間ここにいたのかもしれない。
「とにかく後ろに下がれ。ここは大丈夫だから。」
「でもお父様がまだ・・・」
「あいつは子をなして義務を果たした。貴様はまだだ。血を繋げ。ドーナー家の血筋を絶やすな!」
シャルは不可解という顔をして僕を見上げた。わかってる。これは僕のエゴだ。だけど姉さんの血筋をここで絶やすわけにはいかないんだよ!
動こうとしないシャルの肩を掴んで屋敷へと強制的に飛ばした。横にいた女が目の前で人が消えるのを見て目を丸くした。たぶんシャルの補助をしていたんだろう。
「貴様も戻れ」
僕はそう言って立ち上がるともう一つの土嚢に近づいた。そちらには男が三人いて、僕を敵か味方か判断しかねているようだった。
「貴様らは念のためここにいろ。なに、すぐ終わるさ。ドーナー家は悪魔に守られているからな。」
精一杯恰好をつけて笑うと、僕は山へと向かった。今日で全て終わらしてやる。
歩いて行って山のふもとにいた連中と合流したが、こちらも僕が敵か味方かわからないようだった。顔と手だけは水で洗ったがそれ以外は全身乾いた血がこびりついているし仕方ないのかもしれない。僕は領主の名を呼ぼうとして、まだ聞いていないことに気が付いた。
「パル様・・・ですか?」
一人の男がそう言って近づいてきた。まるで寝巻のような服を着ながら銃を持っている。見たことあるような無いような男だ。
「状況は?」
「ほとんどの戦闘は終了しております。現在は山に逃げ込んだ敗残兵を捜索しているところです。」
「ならば大声でこう叫びながら歩け”大将も巫女も死んだ。援軍はこない。”とな。」
「本当ですかっ!?」
「ドーナー家には悪魔がついている。我々が負けることはない。」
その場にいた男たちが一斉に雄たけびをあげた。その声に動揺したのか山のあちこちで何かが動く気配がした。大した数ではないし自主的に国に戻る奴もいるだろう。後は任せて良さそうだ。
「領主は・・・湖の方か?」
話しかけてきた男に言うとすすんで領主の元まで案内してくれた。年のころは二十歳ぐらいだろうか。軍服や警備隊の服を着ている人間の中で、黒のTシャツ姿は完全に浮いていた。
「民間人なの?」
話しかけると男は照れたように笑った。
「この服ですか? 本当はドーナー家のお仕着せを着てたんですが、白いシャツは目立つから脱げって言われて・・・確かにただの使用人なんですけど、ドーナー家の使用人は軍事訓練を受けてますから。」
戦場に似合わない笑顔だ。ここで僕はようやくこの男が領主に緊急事態を告げに来た男だと気づいた。みんな寝てないんだな。
湖に近づくと辺りは軍服を着た連中が大量にいた。確かにこの湖に毒でも入れられると国へのダメージは大きいが・・・こっちは楽そうでいいなあ。
Tシャツ姿の男は案の定、軍服に色々疑われて立ち往生している。面倒くさい、もう帰ろうかな。
陽は完全に上り目を凝らさなくても何もかもがよく見えた。見た目の異様さからか僕に直接話しかけてくる者はいなかった。あー風呂入りたいな。もう鼻が麻痺してわからないけど、僕は今かなり臭いんだろうな。
そんなことを思いながらぼんやりしていると、建物から領主が出てきた。ちょっと見ない間に白髪が増えている気がする。表情も険しいし目の下のクマもひどい。
「パル様、ご無事でしたか。」
「うん。一緒に帰ろう。君の次の責任者はどれ?」
「いえ私はまだ・・・」
「何回も説明するのめんどくさいからさ、早く連れてきて。」
領主は少し困った顔をしたが、軍服の男を一人手招きで呼んだ。
「”向こうの大将と巫女は殺した。援軍はこない。”そう言って山を練り歩け。以上。」
「え、パル様・・・」
「あのこちらの方は一体・・・」
領主と軍服が口々に質問しだした。めんどくさいって言ってるのに。
僕が領主に正面から抱きつくと、二人はやっと喋るのを止めた。
「ドーナー家には悪魔がついている。僕がいる限り負けることはないんだよ。」
軍服の目が驚きに大きく開かれたのを確認して、僕と領主はドーナー家に瞬間移動した。だが上手く着地できずに地面に転がってしまった。疲れてるんだよ僕だって。
だが飛んだ先はちゃんと屋敷裏の井戸のそばだったので、僕はとっとと服を脱ぐと井戸の水を何杯も頭から被った。固まっていた血が溶けてながれていく。だが何杯被っても血の匂いは取れなかった。
「パル様、すぐに風呂の用意をさせますので・・・」
領主が僕から目を反らして言った。疲れているのか僕の裸に照れているのか。
「待つの嫌だ。僕はしばらく寝るから。後よろしく。」
そう言って屋敷に向かって歩き始めると、メイドの一人が赤い顔で僕にシーツのようなものを差し出してきた。受け取って髪を拭くと白い布はすぐに赤くなった。一応の礼儀として体に布を巻き付けて歩く。これで後は寝るだけだ。三日ぐらい起きたくない。
だが屋敷に入る手前で大事なことを思い出して後ろを振り返った。大人しく後ろをついてきていた領主が驚いたように立ち止まった。
「そういえばさぁ、名前なんだっけ?」
「私ですか・・・? リチャードです。リチャード・ドーナー・・・」
ふーんといいながら僕は屋敷に入り二階へ上がった。向こうの部屋ではシャルが眠っている。僕は自分の部屋に入ると厳重に魔法で封をしてから、布を放り投げてベッドへと潜り込んで眠った。夢も見なかった。
目が覚めると夜中だった。ルビーはいなかった。ルビーなら魔法なんて気にせず部屋に入ってこられるはずなのに。
ゆっくり眠ったせいか割りと気分がいい。寝る前にかけた魔法を解いて外の気配に耳を澄ませた。大体みんな眠っているようだ。あれから何日経ったんだろう。
「風呂入りたいな・・・」
夏だが熱い風呂に浸かりたい。僕は浴室に言って手から水をだして貯めた。そして手を突っ込んで水を温める。爪の間に残っていた血が溶けて流れるのをぼんやり見つめていると、ずいぶん熱いお湯になってしまった。
耳の中や鼻の中からも血の塊が出てきた。どうりで血生臭さがとれないはずだ。髪の毛をお湯につけて天井を仰ぐ。誰かが部屋に入ってきて、浴室の扉の前に立つ気配がした。
「誰?」
「シャルロットです。あの、お風呂に入られるのでしたらこちらで準備いたしますが・・・」
「いらない。それよりシーツ汚れてると思うから換えといて。」
短い返事の後シャルが扉の前を離れた。僕も起き上がって湯を見るとほんのりピンクになっていた。まあこれでほとんど血は落ちただろう。
置いてあった上等そうな石鹸を泡立てて丹念に体を洗った。いい匂いに包まれるとようやく獣から人に戻った気がする。僕は悪魔だけれど獣ではない。
体を拭きながら浴室から出ると、シャルが小さな明かりの中でソファに座っていた。裸の僕を見て顔を真っ赤にして俯いた。
「・・・何してんの?」
「あのっ・・・お話があって・・・」
僕をチラリと見てすぐに俯いてしまった。話しできるような状態じゃないな。僕はため息をついて言った。
「服着るからちょっと待って。」
「いいです! あの、服着なくていいです!」
何言ってんだコイツ。
呆れて物も言えなくなった僕をよそに、シャルはソファから立ち上がって僕の前に来た。胸の前で握りしめた手があからさまに震えている。嫌な予感しかしなかった。
「ずっと、パル様から言われたことを考えたんです。子をなせって・・・でも私には相手がいないから、だから、パル様ならって。」
シャルはそう言うなり抱きついてきた。
------血を洗い流した後で良かった。今の僕は石鹸の匂いをさせたご機嫌な悪魔だ。獣じゃない。
「・・・離れてくれる? 僕にも選ぶ権利がある。」
静かにそう言うとシャルは慌てて僕の体から離れた。羞恥に真っ赤になって震えるその体を、このまま押し倒して僕のものにしてしまえば。
「すみません・・・でした・・・。そうですよね、パル様が私なんかを選ぶわけないですよね。」
ぽたぽたと落ちる涙を拭いながらシャルが笑った。暗闇でそういう顔するとさあ、そっくりなんだよ姉さんに。
「うん・・・出て行って。」
シャルは走って部屋を出て行った。僕もどっと疲れてソファに座った。服を着るのも面倒だ。
「あれぇ? シャルいないの?」
妙に明るいルビーの声が頭上から降ってきたが、顔を上げる元気もない。
「黙れ魔女。相っ変わらず趣味の悪い・・・」
「えーなんでー? 大好きなお姉ちゃんそっくりの他人だよ? 普通抱いちゃうでしょー。」
「他人じゃないだろ。」
「孫の孫の孫ぐらいじゃないの? もはや他人でしょ。」
返事をするのも面倒で僕が黙ると、ルビーは強引に僕の膝の上に乗ってきた。
「じゃあ、あの子を思いながら私とシて見る?」
「・・・ほんと趣味悪いよな。」
そう言いながら僕はルビーにキスをした。他の女のことを考えている男に抱かれたがるのは、ルビーも元恋人のことを考えているからだ。僕たちは最初から最後まで、互いに別の人間を愛している。
「愛してるよ。パル。」
ルビーが赤い目を細めて言った。嘘ばっかりだ。
「僕も愛してるよ、ルビー。」
僕たちは額をくっつけて笑った。




