2.悪魔の最悪の目覚め(パル)
「パル、起きて!」
そんな声と共に何かにお腹を殴られた気がした。いつもならすぐに飛び起きて殴り返すところだが、あいにく長すぎる眠りの後で体が上手く動かなかった。
「もう! 早く!」
聞き馴染のある女の声と共に、体の上にかけていたシーツが取り払われた。石造りの壁の小さな部屋のベッドで僕は眠っていた。先程まで熟睡していたせいで全く状況がわからない。
「にゃんにゃのよ、もー。起きたんでしょう?」
ただ瞬きを繰り返す僕を見かねたのか、グレーの猫が僕の胸に飛び乗って顔を覗き込んできた。猫?
「ここはドーナー家の地下牢、パルは100年以上寝てたの。わかった? わかったにゃら早く起きてよ。」
猫が僕の胸に座ってふてぶてしく言った。この物言いに赤い目・・・
「ルビー?」
久しぶりに出した声は擦れて上手く出なかった。猫は呆れたようにため息をついた。
「寝ぼけすぎでしょー。取り合えず上行こ? 歩けるよね?」
猫は床に飛び降りて僕を見上げた。僕がゆっくり体を起こすと、今まで戸口にいながらずっと黙っていた少年が僕の体を支えてくれた。老人になった気分だ。
「歩ける・・・よ。」
僕はそう言って床に足をつけて立った。体中の色んな骨がパキパキと音をたてた。さすがに体が重い。少年は所在なげに僕に手を貸した方がいいのか迷っている。僕は無視してその横を通り過ぎた。歩けるってば。
部屋の外は廊下があってその先には階段があった。階段の上からは明るい光が差し込んでいる。そうか、ここはドーナー家の地下室だ。そうだそうだ。
僕はゆっくりと階段を上がって促されるままに庭が見える部屋の柔らかいソファへと座った。ちょっと眩しすぎるが直に慣れるだろう。差し出された水をゆっくりと飲み干すと、やっと声がスムーズに出るようになった。赤い目の猫は少年の膝に座ってこちらを見てる。やっぱり僕のよく知っている魔女だった。
「・・・何してんの、ルビー。」
「色々あったの! 後で説明してあげるから早く私を人間に戻してよ!」
ルビーはこちらの話を一切聞かずにゃあにゃあとうるさかったので、摘まんで部屋の外に放り投げた。ルビーは体を捻って奇麗に着地した。そこも猫なんだなと感心した。
「それで・・・貴様の名前は?」
「シャルルです。シャルル・ドーナー、パル様には祖先がお世話になったようで。」
一人になった赤髪の少年はペコリと頭を下げた。なんだかふにゃふにゃした顔をしている。
「悪いけど状況教えてくれる? 僕のことはどういう風に伝わってるの?」
「パル様はドーナー家の守護神だと伺っております。ドーナー家が危機に陥った時に目覚めて救ってくれると。」
・・・そうだったっけ?
「守護神っていうか、僕悪魔なんだけど。」
「はい、承知しております。よろしければこちらをご覧ください。パル様がいらっしゃった部屋の扉に長年貼ってあったものです。」
シャルルはそう言って額に入った紙を差し出した。そこにはこう書いてあった。
”ここにドーナー家の悪魔 パル・ソドム氏が眠る
何人たりともその眠りを妨げること能わず
リチャード・ドーナー ”
「・・・簡潔だね。そうか、リチャードか。」
少しずつ記憶が蘇ってきた。そうか100年経ったのか。この赤髪の子を見るにドーナー家の血筋は守られているのだろう。
「あの・・・失礼ですがルビーとは以前からのお知り合いなんでしょうか。正直俺はルビーの言う事をあまり本気にしてなかったんですけど・・・」
「先に聞きたいんだけど、今この世界に魔法使いっている?」
「魔法使いですか? いえ、会ったことありません。いないと思います。」
シャルルのきょとんとした顔を見て僕は内心ため息をついた。そこから説明しないといけないのか。
「僕とルビーは古い知り合い。僕は悪魔でルビーは魔女。僕が眠ってる間にあの馬鹿女がなにしたのかは知らないけど、あいつも昔は人だったよ。」
シャルルは難しい顔をして黙り込んでしまった。
「僕はこのドーナー家と・・・色々あって、まあ何かあったら守ることも吝かではない。僕はかなり強いからね。大体のことは魔法でなんとかできると思ってくれていい・・・ただし僕は誰の言う事も聞く気ないけど。」
「ルビーを人間にはできないんですか?」
「そんな訳わからん魔法は知らん。」
僕はムッとして言った。人間が猫になるだなんてそんな馬鹿な事やる奴が馬鹿なんだ。自分でなんとかすればいい。
「それで? ルビーが好きな奴って青い目の女? 今いくつ?」
「いえ、男です。目は青いですけど。ユウマと言ってこの国の王子です。俺のハトコでもあって、今俺と同じ15歳です。」
ユーマ、王子・・・やっぱりあの魔女は生まれ変わっても同じ魂を追いかけてるのか。
「はとこって何?」
「えーっと、俺の爺さんの弟とユウマの爺さんの妹が夫婦なんです。二人は子を残さなかったので直接血の繋がりはないんですけど。」
要するに親戚ってことだな。
「・・・風呂入りたいから用意して。」
そう言うとシャルルは戸惑ったように頷いて出て行った。一人になった部屋で僕はぼんやりと窓の外を眺めた。ルビーの気配はもう近くにはない。遠くで微かに人の声が聞こえた。たぶん今は平和な世の中なんだろうな。
今度は何をしようかなあ・・・まだ少しぼんやりする頭で考えた。ドーナー家が無事なことが確認できればもう僕にはすることがない。かといってもう一度眠るのも嫌だけど。
「旅にでも、でようかな。」
一人そう言って僕は欠伸した。