北の国事変③
その日の夕食の席にルビーはいなかった。数年前に目覚めてからルビーは気が向いた時しか食事を取らない。珍しい事でもないので僕は領主とシャルの三人で食事を取ることにした。
「北の山に登ったそうだな。」
領主が食事の合間に静かに言った。
「まあね」
「事前に言ってもらえれば馬でも馬車でも用意するものを・・・」
「ちょっと気が向いたんだよ。馬に問題はなかっただろ?」
「で、で、でも困ります! あれは私の大事な馬なので!」
妙に大きな声でシャルが言った。そう言えば男が苦手とか言ってたな。
「次から気を付けてくれ。それで? 頂上のアレを君はどうみた?」
勇気を振り絞ったらしいシャルをあっさり無視して領主は僕に尋ねてきた。
「・・・貴様にも見えんの?」
「見えるというか・・・透明の壁だろう? まさか君には違うものに見えるのか?」
「壁かぁ・・・触ってないから感触はわかんないけど、僕には魔法のカーテンみたいに見えたよ。誰がやってるかわかんないけどすごい魔法なのは間違いない。あれが出来るような魔法使いの心当たりある?」
魔法使い、と呟きながら領主は食べ物を口に運んだ。貴族特有の会話しながら合間に優雅に食事するというスキルにこの男は長けている。
「かつては魔法使いが沢山いたと聞いているが、今私が知っている限りでは魔法が使える人間は私と娘だけだ。公表はしてないがね。」
「魔法を使えるのを知られたら殺されたりすんの?」
「まさか・・・だが魔法はもうすっかりおとぎ話と化している。奇異の目で見られるぐらいなら黙っておこうという話だ。そう言う人は他にもいるだろうね。」
つまり誰が魔法使いかわからないという事か。本当に強い魔力を持つ者なら自然と滲み出るものだが・・・それすらも周りがわからないのならどうしようもない。向こうから出てくるのを待つ方が早い。
「たぶんあの魔法は北の国からこちらへ向けてかけられたものだと思うよ。だから北の国からは入ってこられたのかもしれないね。」
「・・・つまり、今後もあちらから人が来る可能性があると?」
僕が頷くと領主は顔を顰めて黙った。そう言えばこいつの名前なんだったかな。
食事が終わるとシャルはとっとと部屋へ戻っててしまったが、領主は僕を談話室へ誘ってきた。美味しい酒を飲みながら領主は勝手に喋りだした。
昔、まだ若い時にあの山に登ったことがあるんだ。だけど木に目印をつけても、縄を持って引っ張りながら登っても、いつの間にか必ず同じ場所に戻ってしまうんだ。きっと何かの魔法なんだと思っていたが、まさかこんなことになるとはね・・・あのユマって子が現れた時私は急いで山に登ったんだ。そうしたら昔はあんなに苦労してたどり着けなかった頂上にすんなりたどり着いた。だが透明な壁に阻まれてどうしてもそれ以上先には進めなかった。あの山の何かが変わったんだ・・・
一人で喋っていた領主がそこで急に僕の顔を見た。
「・・・黙っていたがあのユマと名乗った女は、ミコがこの国を滅ぼそうとしていると言ったんだ。君がドーナー家の悪魔だというなら、この謎を解いてくれないか。知っての通り私にはこの領地を守る義務がある。あの山を越えてなにか良からぬものがやってくるなら、私はそれを止めなくてはいけないんだ。」
真っすぐで強い視線に「自分でやれよ」という言葉を飲み込んだ。まあ僕もドーナー家が途絶えるのは嫌だけどさ。
「・・・悪魔に頼み事すると高いよ?」
「構わない。私が出せるものなら全て差し出そう。娘以外。」
釘を指すのが早すぎてうっかり笑ってしまった。
「そこはまあ・・・追々ね。」
「娘以外で頼む。」
しつこい領主に適当に返事をしながらその晩は二人で酒を飲んだ。領主は勝手に妻との馴れ初めを語っていた気がする。あまり聞いていなかったが、領主が惚れぬいて妻にしたものの若くしてあっさり死んでしまったそうだ。どこかで聞いたような話だ。
「娘のシャルは内気な子でね・・・特に一人っ子でこのドーナー家を継ぐのはあの子しかいないせいか昔から変な男がすぐ纏わりついて来て・・・私が見つけ次第すぐ追い払っていたんだが、王立学園では色々不愉快な思いをしたらしい・・・難しいね。いつまでも私がそばにいられる訳じゃないし・・・。」
領主は酔って来たらしく呂律が怪しくなってきた。
「僕にもらってくれって話してる?」
「まさか! 妻がいる悪魔なんて冗談じゃない!!」
「でも僕ならあの子が死ぬまで守ってあげられるよ?」
領主はしばらく唸っていたと思ったらいつの間にか眠ってしまっていた。ドーナー家の人間は酒に強いと思っていたがどうやらこの男はそうでもないらしい。
酒臭い空気を入れ替える為に窓を開けると暗闇の中に花の匂いがした。
花が咲いて散るまでを見る日々が、また始まるのだと思った。




