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初恋の焦心  作者: 細井雪
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後編




 思いもよらぬ告白に、グレースは茫然とした。

 大好きと、そんな熱烈な告白なんて受けたことがない。

 そう思って、違うと気付いた。

 アーサーは今よりももっと子どものころからよく、グレースが遊びに訪ねたときなどはよく懐いてくれて、そのたびに大好きと言ってくれたものだ。

 けれど、あれは子どものじゃれ合いのようなものだと思っていた。

 今の今までずっと。

 しかし、今グレースの目の前で、とても真剣な表情でそう告げたアーサーは、同じ言葉でも子どものじゃれ合いとは思えなかった。

 グレースより低い場所から見上げる視線は、まっすぐにグレースのことを見つめている。


「ぼくはずっと昔から、優しい君のことが大好きだよ。君と結婚できると分かって、こんな嬉しいことはないと喜んだくらいなのに、嫌になるはずがないじゃないか!」


 まっすぐな視線と告白に、グレースは頬に熱が上がるのを感じた。

 友人たちとのおしゃべりの中で、彼女たちの婚約者とのやりとりを聞いても、そういうものなのかと漠然と思うしかないくらい、グレースは男女の恋愛には縁遠かった。

 けれど、こうしてアーサーから情熱的ともいえる告白を受け、それまで縁遠く漠然と思うしかなかったことが、一気に心の奥へと届いた。


「……では、どうして婚約破棄という話になったのですか……?」


 グレースは落ち着かない胸の内をどうにか抑えながら、そうアーサーに尋ねた。

 するとアーサーは、それまでのまっすぐで情熱的な目線を、悲しそうに、そしてどこか悔しそうにさせた。


「ぼくが子どもだから、君は社交界にも出ることができず不憫だと聞いたんだ……」


 グレースは思いもよらない言葉に目を瞬かせた。

 確かに、アーサーがまだ幼いためエスコートを受けきれないグレースは、ほとんど社交界に出られていない。

 どうしても必要のある場などには、父や親戚にエスコートを頼んだりしている。

 しかし、グレースは人の多いところは苦手だったので、社交界に出られないことを残念に思ったことはなかった。


「それに、女性は頼りになる大人の男に惹かれるって……」


 泣きそうな声でそう続けるアーサーに、グレースは慌てて止めに入った。


「アーサー様、誰からそのようなことお聞きになったのですか?」

「噂で……」

「噂……」


 グレースは少し頭が痛くなった。

 誰が九歳のアーサーの耳にそんなことを入れたのだろう。

 だが、同時にグレースも自分たちの婚約に関する噂話に、自分自身も振り回されていたことを自覚した。

 年上の妻に飽きて若い愛人に夢中になるだろうという噂話だって、口さがないただの噂だ。

 どれも本人から直接言われたことではないのに。


「あの、アーサー様は私との婚約がお嫌ですか?」


 そう尋ねると、アーサーは間を置かずに首を横に振った。


「そんなことありえない! ぼくは君と結婚したい!!」


 まっすぐな想いに、グレースはその日、二回目の落ち着かない気持ちになった。


「……良かったです。私も、結婚したいと思っております」


 正直に言えばアーサーのことはまだ恋愛対象としては見ることはできないが、まっすぐな気持ちは嬉しかった。

 何よりも、グレースの言葉を聞いて笑顔を浮かべるアーサーに、胸の内の落ち着かない気持ちは増していく。

 この感情は一体何というのだろうか。

 そう思っていたとき、アーサーが手を伸ばして、グレースの両手をぎゅっと強く握りしめた。

 落ち着かなかった気持ちがいっそう跳ね上がる。


「本当? 大きくなったら、ぼくと結婚してくれる?」


 そもそも両家が決めた婚約関係にある以上、将来的に結婚することは決まっているのだが、まっすぐに見つめながらそう尋ねるアーサーを、グレースは見つめ返して頷いた。


「もちろんです」


 その瞬間、アーサーの青い瞳が優しくグレースを射抜いた。


「きちんとプロポーズするから待っていて」


 アーサーの手が、握ったグレースの手をさらに力強く包み込んだ。


 この婚約破棄になりかけた騒動は、グレースとアーサー、そしてグレースの弟であるジェイムズの三人だけの秘密となり、双方の両親には知られずにすんだ。

 二人が結婚するまで、あと九年――。




*




 ――六年後。


「――グレース」


 階段を下りてきたアーサーは、グレースの姿を見るなり嬉しそうに破顔し、側へと駆け寄る。


「アーサー様」


 グレースのすぐ側に近づいたアーサーは、彼女の細い手を取りその甲にそっと口づけた。

 少し名残惜しそうにしながら唇を離して顔を上げると、グレースと目線の高さが並ぶ。


「お誕生日おめでとうございます」

「ありがとう、グレース」


 今日、アーサーは十五歳の誕生日を迎える。

 グレースとアーサーの誕生日は、毎年双方の家族も交えて祝う習慣となっているため、グレースも家族と一緒に侯爵邸に招待された。

 グレースの両親と弟のジェイムズは、仲睦まじい二人を横目に、侯爵夫妻に招かれて先を進む。

 少し遅れて、グレースとアーサーの二人も並んでゆっくりと歩き出した。


「あとでお誕生日のプレゼントをお渡ししますね」

「君から貰えるんなら、何でも嬉しいよ」

「毎年そうおっしゃるから、逆に何を贈ればいいか悩んでしまいますわ」

「あはは。でも、本当のことだから仕方ないよ」


 困った顔をするグレースに、側を歩くアーサーは目を細めて笑う。

 成長期と共に背が伸びたアーサーは、その顔立ちも徐々に少年から青年へと移り変わろうとし、声も低くなった。

 けれど、グレースに向ける視線は子どものころから変わらず、まっすぐなものだった。

 最近、グレースはその視線をこそばゆいと思うようになってきた。

 何といえばいいか分からないが、緊張してしまう。

 アーサーの背が伸びて視線が近くなったせいだろうか。

 昔と変わらないはずなのに、すべてが近くなった気がする。


「グレース? 顔が赤いけど、大丈夫?」

「え、ええ。外が少し寒かったからでしょうか……」

「大変だ。温かいものを持ってこようか?」

「いえ、大丈夫ですわ」


 低くなった声も、グレースの耳をくすぐったくさせる。

 元々グレースに懐いていたアーサーは、グレースが婚約に不満がないことを知って以来、それまで以上に思慕を隠さず伝えるようになった。

 そんな幼い思いは、年月と共に心身が成長するように恋慕へと形を変え、今では多くの婚約している男女と変わらない愛情へと形作られた。

 七歳も年の離れた、十五歳と二十二歳の二人を、知らない人々は心の通わない不幸な婚約だと初めは思うが、直接二人を見ればそれを撤回せざるを得ない。

 なぜなら、アーサーが婚約者を大切な女性として扱い、非常に大事にしていることが明らかだからだ。

 今ではむしろ、二人が結婚できるにはアーサーが十八歳になるまであと三年待たなければならないことに、周囲の方がやきもきするくらいだった。


「みんなが待っていますわ。早く行きましょう」

「ああ」


 踏み出したグレースに、アーサーは歩幅を合わせる。


 あと、三年――。




*




 ――三年後。


 窓の外にはよく晴れた青空が広がり、華やいだ声が風に乗って運ばれてくる。

 その様子を眺めていたグレースは、扉をノックする音に振り返った。


「グレース、ぼくだよ。入ってもいいかな?」

「ええ、どうぞ」


 グレースが返事をすると、扉が開き真っ白な正装に身を包んだアーサーが部屋の中に入ってきた。

 アーサーはグレースの姿を見るなり、その顔を今までで一番嬉しそうな笑顔へと変えた。


「グレース……すごく綺麗だ……」

「ありがとうございます。アーサー様も、とても素敵です」


 アーサーは、はやる気持ちを抑えながら静かに近づくと、純白のウエディングドレスをまとったグレースを上から下まで見つめ、何かを言おうとして、言葉が見つからない様子で自身の顔を抑えた。


「ごめん、グレース。伝えたいことはたくさんあるのに、何も言葉が出てこない……」

「お顔を見れば伝わってきますから、大丈夫です」

「どうしよう、ぼくは嬉しすぎて式の間、君の顔を見ることができないかもしれない……」

「それは大変ですわ」


 グレースはくすくすと笑い声を零した。

 婚約が決まってから十八年、今日ようやく二人は結婚の日を迎える。

 純白のレースを重ねたドレス姿のグレースに、アーサーは優しく甘い視線を惜しみなく注いだ。

 もしもこの場に他に人がいれば、二人の甘すぎる空気に気まずくなって部屋の外に出てしまうくらいだっただろう。

 アーサーは甘い視線をそのままに、少しソワソワした様子でグレースに声をかけた。


「あの……ほんの少しだけ、抱きしめても良いかな……?」


 この三年でさらに背が伸び、子どもの頃の面影も見当たらないくらい立派に成長したアーサーのその控えめな希望に、グレースは目を瞬かせた。

 けれどすぐに笑顔で頷く。


「あまり強くするとドレスや髪型が崩れてしまいますが、少しだけでしたら大丈夫ですよ」

「大丈夫。ほんの少しだけだから」


 アーサーはそう言うと、手を広げてグレースへと近づいた。

 いつの間にかだいぶ逞しくなった腕に囲まれて、グレースは優しく抱きしめられた。


「ようやく、君をこうして抱きしめることができた」


 アーサーは言った通り、洋服が触れる程度に、本当にほんの少しだけ抱きしめて、深く息を吐きながらそう零した。


「婚約中でも、抱きしめるくらいは構わなかったと思いますが……」

「君は男心を分かっていない。こんなにも柔らかくて甘い香りのする君を抱きしめて、我慢できる自信がない」

「まぁっ……」

「やっと、君と結婚できる」


 アーサーはグレースを抱きしめながら、心の底から嬉しそうに告げた。

 その気持ちはグレースも同じだ。

 アーサーは抱きしめていた腕を緩めると、一歩後ろに下がり、グレースの前に跪いた。

 どうしたのだろうか、そう思うグレースに、青い瞳を優しく向ける。


「グレース・ハードウィック嬢。どうかぼくと結婚してください」


 あの日の約束通り、アーサーはグレースに対して自分の言葉でプロポーズをした。

 これから結婚式を迎えるけれど、両家の決めた、それよりももっと昔に先祖が取り交わした約束ではなく、アーサーの言葉にグレースは嬉しくなり、笑顔で頷いた。


「ええ、喜んで」


 その後、二人に祝福の鐘が鳴り響いた――。




結果的に婚約破棄をしていないので、キーワードに婚約破棄は入れていないです。

お読みいただきありがとうございました!

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