前編
※ざまぁのない元鞘エンドです。ご都合主義なのでどうぞゆるくお読みください。
別話の登場人物と名前が同じになってしまいましたが全くの別人です(申し訳ございません)
「――婚約破棄する!」
グレースは突然のその宣告に驚き、目を丸くさせながら視線を下げて下げて……こちらを見上げてくる婚約者を見た。
なぜか今にも泣きそうな顔をした、九歳の婚約者を――。
***
今年十六歳になる伯爵令嬢グレースの婚約者は、侯爵家の令息で九歳のアーサー・エバンズ。
二人の年の差は七歳。
令嬢側が年下という年の離れた婚約は聞いても、二人のような関係性はあまりなく、珍しいと言えた。
そもそも、二人の婚約の経緯を語るには、数十年の年月を遡らなければならない。
グレースの生家であるハードウィック伯爵家は、自然豊かな領地を有し、細く長く続くのんびりとした家柄だった。
数十年前のある年、アーサーの生家である侯爵家の領地が災害に見舞われ、多くの領民が食べるものに困窮する事態に見舞われた。
その窮地にいち早く手を差し伸べたのが、農作物に恵まれた領地を持つハードウィック伯爵だった。
当時の侯爵は非常に感謝し、そこから侯爵家と伯爵家の縁が始まった。
侯爵は、その縁を子孫の世代まで末永く結びたいと思い、伯爵家の娘に侯爵家へ嫁いでくれることを願った。
のんびりと細く長くやってきた伯爵家にとっては、格上の侯爵家からのその話は非常に喜ばしいことだった。
とはいえ、当時の侯爵家と伯爵家のどちらにも未婚の子どもはおらず、結婚話は次代へと受け継がれた。
しかし、子どもというものは授かりもので、そう上手くはいかない。
次の代では侯爵家と伯爵家のどちらも男子の誕生が続き結婚話は叶わず、さらに次の代で伯爵家に待望の女子が生まれたが、侯爵家側の男子は全員結婚済み……ならばその子どもたちにと思えば今度は両家とも女子の誕生が続いた。
そうしてやっと巡り合ったのが、グレースとアーサーだ。
しかし、それでも七歳の年の差があった。
この国では結婚可能な年齢は十八歳になる。
アーサーが十八歳になったとき、グレースは二十五歳。
貴族の令嬢たちが十五歳ころには婚約者を決め、十八歳になればすぐに結婚し、遅くとも二十歳ごろまでには嫁いでいくこの国の慣習では、二十五歳はあまりにも遅かった。
当然、グレースの両親である伯爵夫妻は我が子の将来を案じた。
我が子は周りの令嬢たちが結婚していく中、二十五歳まで結婚を待たねばならないのだ。
侯爵家の方も、代々引き継がれてきた約束事がようやく果たせるときを迎えたとはいえ、令嬢を思うと気が進まなかった。
しかし先祖が感謝の表しとして提案した結婚の話を反故にするのは、当時の恩を忘れるようなことだ。
両家共に悩んだ末、今後もしも伯爵家に娘が生まれれば再度考えることもあるとした上で、七歳差の二人の婚約が結ばれた。
結果的に言えば、グレースとアーサーの婚約は変わることなかった。
それがまさか、九年後に当人である侯爵家令息のアーサーから、婚約破棄を言い渡されることになるとは――。
***
「婚約破棄……ですか……?」
グレースはアーサーの言った言葉を繰り返した。
自宅の庭を散歩していたら、急に訪ねてきたアーサーに突然そんなことを言われ、理解が追い付かなかった。
しかし、家同士が決めた婚約に関することは、当人たちだけでどうこうするわけにはいかない。
婚約を破棄するにも、両家の両親を交えてきちんと話し合いをすべきだが、こうして二人だけで突然話そうとするところは、九歳の子ども故だろうか。
ただそれよりも、グレースにはもっと気になることがあった。
「あの……なぜアーサー様は泣きそうな顔をしているのですか……?」
グレースは心配そうにアーサーを覗き込みながら尋ねた。
アーサーの澄み渡った空のように綺麗な青い瞳は、今にも涙を落としそうに揺れている。
まだ幼いながらにも、将来有望な貴公子と噂されるアーサーの整った顔立ちには、絶望の色が浮かんでいた。
どうして婚約破棄を言い渡した方のアーサーが、そんな表情をしているのだろうか。
「っ……泣きそうになんかなってない――」
しかし、アーサーは自分の目元を拭うような仕草をしながら、そう否定しかけたそのとき。
「――この、大馬鹿!!」
二人から少し離れた場所から、思わぬ声が飛んできた。
そろって顔を動かすと、屋敷の方角からアーサーより少し背の高い人影が駆け寄ってきて、二人の間に割り込んだ。
一瞬驚いたグレースだが、それが誰だか分かると慌てて声を上げた。
「ジェイムズ、あなたそんな言葉遣い……っ」
「こんな大馬鹿な真似をした大馬鹿を、大馬鹿と言って何が悪いんですか、姉上」
二人の間に割って入ったジェイムズは、グレースの七歳年下の弟だ。
ジェイムズはアーサーより数ヵ月早く生まれ、二人は幼馴染として育った。
しかし、侯爵家と伯爵家という身分の差から、普段のジェイムズはアーサーに対して丁寧な言葉遣いしている。
それが、不敬ともいえるくらい強い話し方に、姉であるグレースは顔を青くさせた。
けれどもアーサーは気にしている様子もなく、むしろジェイムズの指摘にうなだれていた。
「だ、だって……早く解放した方が良いのかと思って……」
「本人の気持ちも聞かずに先走るのが大馬鹿だと言っているんだ。ちゃんと確認したのか?」
「……していない」
二人の間で交わされる会話に、グレースは理解が追い付かず蚊帳の外となってしまう。
そんなグレースに先に声をかけたのは、弟であるジェイムズの方だった。
「姉上。こんな馬鹿な真似をしたアーサーのやつですが、どうか経緯を聞いてやってください」
「え、ええ……」
ジェイムズは呆れた様子ながらも、真剣な表情でアーサーを振り返る。
「姉上を泣かせたら、俺が絶対に結婚なんて許さないからな」
「わ、分かった……!」
ジェイムズにきつく言われたアーサーは震え上がりながらも、真剣な表情で頷いた。
しかし、ジェイムズが立ち去った後、アーサーは何か言いたそうにしながらも、時おり口を開きかけてはまた閉じて言い悩んでいる。
そんなアーサーをみかねて、グレースは少し背を曲げて顔を覗き込んだ。
「アーサー様、少し歩きながらお話をいたしませんか……?」
グレースの言葉に、アーサーはまだ泣きそうな表情を浮かべたまま頷いた。
二人はいつもよりゆっくりと庭を歩いた。
こうして一緒に庭を散歩することはこれまでもあったが、普段のアーサーはもっと穏やかで、今のように俯いていることは珍しかった。
二人は年の離れた婚約関係だが、比較的良好な仲だった。
婚約を結んだ多くの男女と変わらず、定期的に互いの家を行きかって交流を深めてきた。
最近もグレースは侯爵邸に招かれて、侯爵夫人も共に和気あいあいとお茶を飲み、その後はアーサーと庭を歩いて花を愛でたりした。
それなのに、どうして急に婚約破棄の話になったのだろうと、グレイスが思っていた時。
「……ぼく達の婚約が、周囲にどう思われているか聞いたんだ……」
グレースはその言葉に、ああ……と思った。
二人の年の差の婚約は、貴族社会ではわりと知られた話だ。
それが、あまり良い意味でないことをグレースは知っている。
男性にとって若い女性は嫌がられる要素はなくとも、逆に年上の――それも七つ上で結婚するころには二十代半ばとなっている女性は、この国の結婚適齢の年齢からすると年嵩の女性という印象になってしまう。
きっと年下の旦那はすぐに飽きて若い愛人に夢中になるだろう――。
そんな風に噂されていることを、グレースは知っていた。
平凡な日常に飽きた貴族の下世話な噂話だが、的外れでもないだろうということも理解していた。
「そうですか……」
そんな相槌しか返せなかった。
アーサーからしてみれば、誕生と同時に結ばれた婚約だ。
誕生と同時に婚約を結ぶこと自体は珍しくないが、成長すれば婚約の意味を理解していく。
アーサーは、自分の婚約者が七歳も年上ということに気づいたのだろう。
二人の仲は良好だったが、七歳も年上の妻となれば話は別だ。
急に嫌気がさしたのかもしれない。
グレースは、自分が七歳のときに、婚約者だと赤ん坊のアーサーを紹介されたときのことを思いだした。
そのときはグレース自身まだ婚約が何たるかをあまり分かっておらず、すでに弟のジェイムズがいたので、弟が増えたと思ったくらいだ。
少し時が過ぎ、婚約の意味を理解し始めてからも、自分を慕ってくれる幼いアーサーのことを可愛く思っていたので、だいぶ年下ではあったが気にならなかった。
元より、貴族社会では親の決めた婚約が当たり前だったので、疑問に思う余地がなかっただけかもしれない。
ただ、グレースの両親は自分の娘が二十五歳になるまで結婚できないことを心配してはいた。
アーサーの両親である侯爵夫妻も、もしもグレースが年頃になったときに、他に結婚したい相手ができたら婚約の件は考え直すとまで言ってくれた。
決められた婚約ではあったものの、周囲の気遣いもあってグレース自身はそれほど気にしてはいなかったくらいだ。
だが、グレースが周囲から気遣われていた分、アーサーのことも気遣わねばならない。
本人が婚約を破棄したいの言うのならば、両家の両親ときちんと話そうとグレースは思った。
「……ぼくみたいな子どもが婚約者だなんて、君がかわいそうだって……」
しかし、アーサーが続けた言葉に、グレースは首を傾げた。
年上の婚約者をもってアーサーがかわいそうではなく、グレースがかわいそうというのは、聞き間違いだろうかと。
「アーサー様がかわいそうではなく……?」
「ぼくが? なぜ?」
「え……私のような年上の婚約者だから……」
「それがなぜかわいそうという理由になるの?」
「だって……七つも年上ですよ……?」
「知っているよ?」
アーサーも不思議そうに首を傾げる。
金色の髪が揺れて、青い瞳にグレースを映した。
なんだか話がかみ合っていないと、グレースは思った。
そもそも、婚約破棄を言い渡したにも関わらず、アーサーから嫌われている雰囲気はなく、今までもそう感じたことはなかった。
「あの……私との婚約が嫌になって婚約破棄を望んだのではないのですか?」
そう尋ねた瞬間、アーサーは弾かれたように驚いた表情をし、そして大きな声を上げた。
「まさか! ぼくは君のことが大好きなのに!?」
8/17誤字訂正いたしました。