喜びと恐怖
狼の牙を咄嗟に躱し、急いで剣を拾う。アンナも後ろに下がりながら杖を拾って詠唱を始めていた。
すぐに別の狼がアンナの方へ走り出し、それを遮るように俺が前に出た。
今自分にできることは、アンナの詠唱の時間稼ぎをすること。そのために自分が前に出てコイツらを迎撃しなきゃいけない。
頭ではそう考えてはいるが、やっぱり身体はそう簡単には動かない。そもそもこうやって剣を振ること自体、前の世界じゃ無かったことだから重くてしょうがない。
そんな時だった。刀身が急に白く輝き始め、同時に自分の身体が軽くなったように感じた。
狼はそれに一瞬怯んだようだが、すぐに向かってきた。剣を振る。首が飛ぶ。その動作が一瞬過ぎて本当に自分の身体か疑わしくなる。
首をスッパリ切ったその剣は返り血を浴びながらも絶えず輝いている。それでも残りの狼はこちらを睨み、唸り声をあげている。
よほど飢えているのか分からないが、気持ちやせ細っているように見えた。
「イヤ!離して!」
後ろの叫び声に目を向けると、アンナがいつのまにか狼に襲われ、倒れていた。杖でなんとか牙を抑えているが、狼の牙がアンナに触れるまでの距離は拳一つ分に近い。
マズイ。急いで駆け寄り、狼の腹部を切り裂く。アンナの息は切れていた。
「大丈夫か?」
「...ええ、なんとか」
すぐに周りの狼の戦闘になり、顔は見えてないが、声がどことなく震えているように聞こえた。切り裂いた狼はリーダー格だったのか、狼の群れはリーダーの見るも無惨な姿を見た瞬間、尻尾を巻いて逃げていった...
....終わったのか? そう思うとフッと力が抜けていくような感じがした。同時に剣も輝きを失い、いつもと変わらぬ血を浴びた剣になった。
その場に座り込んで天を仰ぐ。ああ、やったんだ。俺はやったんだ...! 戦うことがこんなにも怖いとは思わなかった。だけどその分、今こうして生きていることの達成感が心の底から遅れて湧き出してきた。
しばらくボーっと余韻に浸っていて、ふとアンナの事を思い出し、もう一度アンナのところへ駆け寄った。
「大丈夫?」
いまだに倒れたままのアンナは呆然としていて、上の空な感じだった。
だけど、自分が近づくと、ゆっくりと顔を向け、そして段々と顔が赤らみ、目に涙が溜まって、急に俺に抱きついた。
「...ウッ...グスッ...こ...怖かったぁ...」
獰猛な獣、その牙があと少しで自分の身体を噛み砕きそうなあの瞬間を経験したら誰だってこうはなるだろう。
自分は生き残った喜びが勝ったけれど、アンナは死の恐怖の方が強かったらしい。
「ありがとぉ...グスッ...ほんとにありがとぉ...」
しばらくの間、少し子供っぽくなったアンナを宥めることとなった。