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白拍子、闇夜に舞う

 まつりたちを助けたのは同心と岡っ引きだった。奉行所も人斬りに関して、何か手を打たねばならないと夜回りを強化したらしい。だからまつりと征士郎の戦いの喧騒を聞きつけられたのだ。


 初め、奇妙な恰好をしている、怪我を負ったまつりを怪しんでいたが、ことの必死な訴えで誤解が解けた。その後、刀傷を負ったまつりをとりあえず奉行所に連れて行き、牢医者に診せた。


「あいたたた……」

「我慢なさい。もうすぐ縫えるから」


 軽く塗ってから化膿止めを塗る。一連の治療が済んだ後、同心が詳しい話をまつりとことに訊ねた。


「つまり、その武士がお主らに斬りつけたと? いや、その前に一人斬っている……」


 赤松という若い武士は親身になって聞いてくれた。彼は駆けつけたときの同心で、剣術に秀でているらしい。有名な道場の出身でもあるようだ。

 その赤松に人斬りの特徴を告げると、彼の表情が急変した。


「まさか……いや、そんな馬鹿な……」

「……何か心当たりでもありますか?」


 まつりが鋭く訊ねると赤松は「気にするな」と強く言った。それ以上訊くなと言わんばかりだった。


「お主ら女子供が首を突っ込んでいい事件ではない。むしろよく助かったな。そのことを素直に喜ぶべきだ」

「私は傷を負いましたが」

「人斬りと戦おうとするからだ。命があるだけましと思え」


 それから、牢医者にまつりの傷の経過を見てもらって、大したことはないと診断された。

 赤松は帰ってよし。何なら岡っ引きを数人つけてやってもいいと親切で言った。


「いえ、そこまでしてもらうわけにはいきません。お役目もございますし」


 ことが丁重に断ると「お主らを守ることも役目なんだが」と苦笑いした赤松。


「大変お世話になりました。この御恩は決して忘れません」


 ことが笑顔のまま頭を下げると赤松は照れたように頭を掻いた。


「それも気にするな。拙者たちの務めだ」


 ことが住んでいる長屋まで彼女を送った後、まつりは一人、神社に訪れていた。

 彼女はこの後、眠れるとは思えなかった。先ほどまで命のやりとりをしていたのだから。

 その興奮で冴えわたっていた。

 あれが――殺し合い。


「水のすぐれて覚ゆるは――」


 境内の隅で静かに舞い、朗々と歌う。


「西天竺の白鷺池、しむしやう許由に澄みわたる――」


 古の宮廷の五節、淵酔の舞『水白拍子』だ。


「昆明池の水の色、行く末久しく澄むとかや」


 ――あの人斬り、確実に楽しんでいた。


「賢人の釣を垂れしは、厳陵瀬の河の水」


 独特の拍子で足を踏み鳴らし、特徴のある動きで――闇夜に舞う。


「月影ながら漏るなるは、山田の筧の水とかや」


 ――死の恐怖すら楽しんでいた。


「蘆の下葉をとづるは、三島入江の氷水」


 人が作りし美しき乱舞――白拍子の舞。


「春立つ空の若水は、くむともくむともつきもせじ」


 ――私は勝てなかった。


「――つきもせじ」


 踊り終えたまつり。刀傷の影響もあって、熱を帯びた頬が紅潮している。


「……私は弱い。ことさんを守れたけど、人斬りを逃してしまった」


 まつりの全身が震える。

 心がどうしようもなく怖気づく。

 心がどうしようもなく怯えている。

 だけどそれ以上に――わくわくしていた。


 あの人斬りとならばできるかもしれない。命を懸けた舞を演じられるかもしれない。そう思うと笑顔が止まらない。


「私も結局、芸事狂いの白拍子、だったわけですね」


 太平の世に生きているのに、真価を発揮できるのは、極限状態のときだけ。

 白拍子は戦乱の狭間で生まれた一芸。

 死と隣り合わせの状況でこそ――舞が一層光り輝く。


「そして、あなたと同じだったわけですか――」


 見上げた空はようやく白み始めていた。

 夜が明けるのだ。何の変りもなく。


「――母上」



◆◇◆◇



 三日の間、職人町でまつりの姿を見た者はいなかった。

 人斬りに襲われたことは既に噂になっていた。しかし大した怪我ではないことも分かっていた。だとしたらどこかへ行ってしまったのだろうかと考える者が多数だった。


「まつりちゃんだって女の子なんだ。怖くなって当然さ」

「だけどよ、それで良かったじゃあねえか? 命あっての物種だし」


 大人たちはまつりの無事を祈りつつ、そのまま逃げてほしいと思っていた。子供たちの面倒を看てもらえなくなるのは困るが、彼女の安全のほうが大事だ。知り合って間もないが、住人たちはまつりに好意を持っていた。


「まつりねえちゃん、どこ行ったのかな……」

「……一緒に遊ぶやくそくしたのに」


 一方、職人町の子供たちはまつりがいなくなったことを素直に悲しんだ。

 優しくて可愛いまつりのことがみんな好きだった。幼い子は淋しいと泣いた。年長の子は何かを悟ったらしく、耐えるような表情となり元気を失くした。

 職人町は灯りが消えたように暗くなってしまった。


 鍛冶屋の興江は自分の店で、ことから詳しい話を聞くと「そうか」と呟いて深く考えた。

 いつになく思い悩む興江を、ことはおかしいと思った。あまり関わりたくなさそうだったのにまつりの安否を気遣っている。


 様子もおかしかった。というのも人斬りが抜いた刀の話になってから急に変になった。

 闇夜でもきらりと光った刀身。そして数珠みたいな模様だったと聞くと、興江は根掘り葉掘り人斬りの容姿や様子を聞きたがった。正直、思い出したくない、むしろ忘れてしまいたい事柄だった。しかも奉行所で何度も話していてうんざりしていた。

 だけど興江がどうしてもと言うので話してしまった。


「まさか、あの野郎……」

「知り合いなのかい? その……人斬りと?」

「それこそまさかだ。俺が知っているのは、そいつの刀だよ」


 刀を打たない鍛冶屋なのに、刀の造詣が深いのはおかしな話だが、興江にしてみれば笑えない事実がそこにあった。


「刀ねえ。あたしはあんたの過去を詮索するつもりはないけど、一つだけ教えておくれよ」

「……言ってみろ。答えられるもんなら答えてやる」

「もしかして、昔は刀を打っていたんじゃないか?」


 その問いに興江は「ああそうだ」と軽く頷いた。

 てっきり否定するか誤魔化されると思っていたことは面食らう思いで「本当かい?」と訊ねる。


「今更隠したりしねえよ。俺は……元刀鍛冶だ」

「まあ、ただの鍛冶屋が頬に刀傷を付けているわけがないと思っていたけど。だったらどうして――」


 ことは辞めたきっかけ、もしくはまつりに刀を打たない理由を問おうとして――興江の悲痛に満ちた顔で俯いたのを見てやめてしまった。今の興江には訊けない。そう思わせるほどだった。


「……なんでもないよ」

「悪いな、こと」


 珍しく謝った興江。それもなんだか物悲しく感じたこと。

 二人の間に嫌な沈黙が流れる。


「ごめんよう……興江さんいるかい?」


 聞き覚えのある声――極道の親分、銀十蔵だ。

 舌打ちしたい気持ちを抑えつつ「厄介な客だ」とことに愚痴って立ち上がる。


「大丈夫かい? あの声、親分さんだろ?」

「だけど出ないわけにはいかないだろう」


 店に出て行くと、銀十蔵が一人で入り口に立っていた。棚に飾られた包丁を珍しそうに眺めている。

 興江の「なんでございましょう?」という問いに手のひらを向けて「いや、実は話があるんだ」と害のないことを示す。顔も笑っていた。


「あのお嬢ちゃん、いなくなったっていうじゃねえか」

「ええ。みんな淋しがっていますよ」

「お前さんはどうなんだい?」


 問われて気づく。

 まつりがいなくなって、刀を打つという己にとって禁忌であることを要求されないのはせいせいする気分のはずだ。しかし何故か時間があったら探しに行こうと考えている。短い付き合いなのにどうしてだろう? 自分も職人町の連中と同じように、まつりの人柄にやられてしまったのだろうか? その可能性は大いにあるが……


「……そうですね、心配しています」


 結果として当たり障りのない返答をした興江。

 その胸中を知ってか知らずか、銀十蔵は意味ありげに口元を歪ませた。


「あのお嬢ちゃんの居所、知りたくねえか?」

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