変わり者から、常識人へ
さて、さて、さて。
やぁやぁ、我こそは彼の者常世に在りける狂い人なりと呼ばれし者、わさびねぎまである。
なんてね、冗談ですよ。
さて、皆さん気になりますよね?
本作の趣旨が、解りませんよね?
私が、何故このような小説?エッセイ?を書こうと思ったか、ですが。
………気紛れに、其れ以外に何もありません。
ははは、驚きますかね?
私としては、皆さまがどう感じ、どの様に解して、どの様に表すのか、知り得ない為に。
とても、とてもコメントで教えて欲しいのですが。
何せ、私には皆様の感じられることについて推察することも、類察することも、洞察することさえ可能ではありませんから、考え始めることさえ出来ないのです。
さて、先ずは変わり者と呼ばれる私が始めに、貴方達に贈る言葉。
何だとお思いになります?さあ、当ててみてください。
正解は………
実は、変わり者は変わり者を演じる事に慣れ過ぎた人種である、と言うことです。
そして、変わり者は他人を無条件に信用し得る者のことであり、非常に人間的な感性を持ちます。
ああ、非常にとは、私が用いるに「常ならぬもの」つまりは、常識的な範疇を超えている、と言う意味合いです。
では、順番に解説を。
先ずは、変わり者の生成過程から見ていきましょう。
① 他人との違いを幼くして実感すること。
他人と自身との違いを幼くして実感することにより自身の中にある才能を見出し、通常の人間より逸早くデジャヴュの流れから逸脱することで、他とはまた違った成長を行います。
他とは違った精神の成熟過程を経ることで全角に少なからず影響は出ます。
これによって未熟ながらも他とは少し違った行動の精神を獲得することによって他との常識的な意見の食い違いなどを発生させます。
つまるところは変わり者であることが処世術であり社交性の証なのです。
小学生の頃に私はどうかを駆け回る事によって面白い人間を演じていました。
他にも喉を締めることで甲高い声を出すことができました。
このように他人と違う自分を演じることによって他人に興味を持ってもらい社交的な一面を表面に出すということが私の小学校時代の社交の仕方でした。
さて、そこで。
このようなことを続けているとどうなってくるのか。
当然私はその頃幼く精神未熟だったがゆえに周りの評価に引っ張られやすいのです。
当然と自分は変わり者であるということを無意識下で強く意識しすぎてしまいました。
この考えをこじらせすぎた結果が中学校時代ステップ2です。
② 常に笑いを顔に浮かべる事によって他人に警戒心を抱かせなくすること、周囲との関わりに一定のラインをかなり強めに引くことによって傷つかず傷つけないこのやり方をよしとしていたこと。
小学校時代にも行っていた周囲とは違う自分を演じることによって車庫を行うというこの側面があまりにも強く出すぎたがために少し困ったことになったこと。
つまりは私は他人と馴染めずにいる少し変わり者と人間で、それによって周りから浮いている状態で思い悩んでいる自分というものを心配する他人に対して社交性を見せていました。
つまり私は今で言うところのぶりっ娘、メンヘラの類だったのです。
いやはやお恥ずかしい限りです。
③ 高校生
とりあえずはこのころになると自身の欠点というものや優れた部分についてつまりは才能について言及せざるを得ない時期になってまいりましたので、自然と自身に対して問いかけを発する機会が私は多くなっていました。
そしてこれによって自己分析を進めた結果私には以上のことが分かりました。
私自身は悪いものといいものを二つに区別することに対して執着を見せる。
上記の事柄については私は曖昧なものを許せない気分であったこと、自身の在り方というものや周りとの違いや社交性などの観点から私はその曖昧な部分について深く深く追求をしたい気分に駆られていました。
そして私は自身の自己分析を進めた結果自身の心の在り方を一つに定めました。
それは《自己完結型の善悪二元論タイプ》です。
自身の中で解釈したことを物事の基準として行動し、全ての行動において間違いと結果的に正しかった行為を記憶しそれを反芻することによって常に選択について責任感を持っていた。
良く言えば自身の行動がもたらす結果について強く恐怖していたとも言えるし、悪く言えば自身の行動がもたらす結果に怯えて自身の性格や趣味嗜好といったものを発露することについて避けていたように思える。
さてこんなところでしょうか。
おそらく私のことについて言語化したとしてもみなさんに理解できるのはこの辺りのことだけでしょうから一旦ここで話を切らせていただきます。
ではここで、 私が実際に行なっていた自己分析方法についての話を進めていきましょうか。
皆さんの性格診断を行います。
《問い①》
貴方は、責任を誰に求めるタイプ?
①自身の行動
②他者の行動
③周囲の環境から見た総合的なもの
《問い②》
貴方は、謝罪について、其れを要求されたとき、どの様に行う?
①責任の所在を明らかにするべく、何かしらの考えを述べつつも謝罪する。
②責任を放棄する、軽視する言動を行う。
③責任を取る者が必要の無いもの、その実効性と生み出す結果について考える。
《問い③》
貴方は、解釈について、何に委ねる?
①他人の考え
②自身の考え
③自身と他人の考えを考慮した斥候案
さて、答えは出ましたか?
では、まず私から。
私は、《他者に対して責任を追求し》《謝罪の際には責任を明らかにしなければ謝罪せず》《解釈は己の立てた解釈のみを基準として行動する》
ほら、私にぴったりでしょう?
といっても、解らないでしょうけれど。
まあ、つまりは。
私は、良く言えば信念の強い、悪く言えば、身勝手な人間であると言うところです。
ほら、解りやすい。
趣味人や、その亜種たる創作家にありがちな性格でしょう?
まぁ、そんな感じです。
年末年始から今までにかけてちょっと忙しい期間が長く続いたのですがリハビリを兼ねて短めの文章を投稿するべくこの作品を書こうかなと思って何を書こうかなと思って適当なことを書いてみました。
くれぐれも今まで書いた事柄は話半分に受け止めてくださいね。
へー、そんなもんか?
ぐらいに留めておくのがベストです。
何故って、変わり者と呼ばれる私と、創作家連中の言葉を信用するなんて愚の骨頂ですからね。
今まで散々自分の強い人を語ってきて話半分に受け止めてねえなんて言ういささか矛盾した主張をしている時点で信用するに値しないでしょうから、この点に関しては常識人の皆さんとも共通した認識を確立できていると思いますよ。
それではまた次回。
さよなら、さよなら、さよなら。