1章 9話 『現実』
だがいくら日が過ぎただろうか、ずっと待っているのに王様はスラムに対して何もしていない。その間ずっと心の中で愚王と罵り続けていたが限界だ。
腹が減った。今日も1日に2回の水分補給の為にテントの外に出て、ウジ虫がわいている井戸に向かう。水を沢山飲めば、多少は空腹を誤魔化せる。
ミリアとフレイアもいつまで待っても僕を見つけに来ない。何をしているんだ愚王も、あの2人も。そんな事を考えていると、老人とぶつかった。
「ふざけるなよ! このクソジジイが!」
「なに、アンタが余所見してたからだろうが」
「黙れよ、掃溜めのウジ虫風情が僕に意見するな! お前が悪いんだから地面に額擦り付けて謝れ!」
僕は老人の顔面を思いっきり殴り飛ばす。ステータス10の腕力では大したダメージも与えられなかったが、老人はバランスを崩して地面に倒れた。
「ざまあみろ、このクズが! そのまま死ね」
老人は何かを言っていたが僕は無視して井戸の水をたらふく飲んだ。そうしてテントに戻ると、体力を消耗しないように再び横になって時間を過ごす。
「リース、リース! なに寝てるの!」
「あ? 講釈女がなんでここに居るんだ?」
気付けば寝ていたようで、外は真っ暗になっていた。そしてテントの入り口では、あの森で1度会った講釈女が心配そうな顔をして僕を覗いていた。
「私との約束を無視して森に来なかった事は今は怒らない。それよりご飯食べてる?」
「お前に関係ないだろ! 視界から消えろよ」
「関係なくない。私はリースの幼馴染だし、あなたの視界からも消えないから」
何が幼馴染だよ、この腐れ女が。こいつもどうせベレニスやエーリカみたいに僕を裏切るに決まっている。心配そうな顔も後で演技とか言い出すんだ。
「僕が信用している女はミリアとフレイアだけだ、それ以外の女は全く信用できない」
「それって魔王討伐パーティーの?」
「それ以外に誰がいるんだよ、頭沸いてんのか」
いつまで待っていても無能な王様はスラムに対して何もしない。なら必然的に頼れるのはあの2人だけで、彼女達に僕を助けさせるしか選択肢がない。
自分の体を奪ったクソに頼ろうとしたのが間違いだった。そもそもアイツが僕から全てを奪ったせいで、こんな地獄のような生活をする羽目になった。
「そうだアイツは僕の敵だった、なら殺してやる」
「ねぇ、なに言ってるの?」
「黙れゴミ女ッ! その不快な声を2度と僕に聞かせるな、僕はあの2人を待ってるんだよ!」
「ミリア様も、フレイア様もここには来ないよ」
「2度と聞かせるなと言っただろッ!」
少女に殴りかかると、彼女はそれを簡単に回避した。そして躊躇しながらも逆に僕を殴り飛ばす。頬に痛みが走り、その勢いのまま床に倒れ込んだ。
なんぜ勇者であるこの僕が、こんな細い体をしたゴミにぶん殴られて負けてるんだ。最上級魔物や魔王すら倒して、今まで敗北した事なんてないのに。
「なんなんだよ、なんで避けられるんだ」
「リースみたいな戦い方を知らない人の攻撃なんて当たらないから、あと落ち着いて聞いてくれる?」
「止めろゴミクズ、お前は何も喋るな!」
「ミリア様は王妃になることが正式に決定されたし、フレイア様はベレニス様と旅に出た」
少女は床に伏せる僕を無視し、頭上から哀れむような表情で言葉を口にした。コイツの言ってる事は聞きたくない、あの2人なら絶対に助けてくれる。
「うるさい、そんな事を喋るな……」
「嘘だと思うなら街に行って聞いてくればいい」
「お前の声を聞いていると吐き気がする」
「私は嘘なんか吐いてないから、ミリア様も――」
「だから喋るなって言ってるんだ! 嘘扱いなんかしてないし、僕に現実を突きつけないでくれ!」
エーリカに拒絶された時にベレニスが嘘を言ってなくて、自分が不当な理由で嫌われてる事は分かってた。それでも探してるなんて妄想を信じたのは、そう思い込まないと精神が崩壊しそうだったから。
本当に探してると思ってるなら城の前で待っていればいい。僕はほんの1%でも、彼女達が助けてくれるという可能性を残しておきたかったんだ。
「そうだよ、認める。僕は最初から破滅してた」
「リース……?」
「僕から妄想の希望すら奪って満足か、クソ女」
貧困層の人間と入れ替わって、恋人と思ってた連中からすら助けて貰えない。自力でどうにかしようにも、ベレニスのせいでレベルすら上げれない。
こうやって惨めに飢えながら、地べたを這いつくばって生きるのがこれからの僕の人生だ。何も悪い事をしてないどころか、世界を救ってやったのに。
「もう終わりだ。だから最後に呪いを残してやる」
「ねえ、なに言ってるの?」
「何が王妃だ、ミリア。まずお前から殺す」
僕の体を体を奪った男に手は出せないが、奴の周りにいる人間は全員殺す。エーリカ、フレイア、ベレニス、あいつらも絶対に許さないし殺してやる。
「特にベレニスとエーリカは楽には死なせない」
「ねえリース、もう変な妄想は止めようよ」
「黙れ、さっさと失せろ! 何が欲しいんだよ、ステータスも地位も、僕は何も持ってないんだぞ」
あのゲロ女共みたいに、まだ僕から何かを奪うつもりなのか。ありったけの憎悪を込めて少女を睨むと、彼女は無理やり僕の口にパンを押し込んだ。
「ああ、もうごちゃごちゃうるさい! 食べて!」
吐き出してやろうと思ったが、体は意思とは反して急いで咀嚼するとそのまま飲み込んでしまう。
いつ以来の食事だろうか、口に入ったパンは死ぬほど旨かった。だけど僕がこれだけ罵ったにも関わらず、どこの世界に食べ物をくれる女がいるんだ。
「なんのつもりだよ、何が欲しいんだ?」
「私は別に何もいらないし、何も持ってないってリースも自分で言ったでしょ」
そうかシラを切り通すつもりか。このクソ女が何を奪おうとしてるのか知らない。だがそっちがそのつもりなら、僕も骨の髄までお前を利用してやる。
「じゃあクソ女、僕にもっと飯をくれよ」
「私が持ってた食糧はあれが最後だし買うお金もない。もしかしたら、お父さんなら持ってるかも」
「じゃあ、そいつの所から持ってこいよ」
「ああもう、ムカつくな! ほらリースも来る!」
そう言うとクソ女は僕の腕を掴まえて立たせると、そのまま手を引いてテントの外に出ようとした。女に触られるなんて怖気が走り、抵抗をする。
だが相手の方が腕力があり、そんな物は無意味に終わった。なおかつ何も食べてなくてヘロヘロの僕は、彼女に引きずられて夜のスラム街を歩く。
「おい! 離せよ、気持ち悪いから触るな!」
「うっさい。ご飯食べて体が元気になったら、絶対にもう一発ぶん殴るから」
「やってみろよクソ女、そんな事したら刺し殺す」
「弱っちい癖に。リースの方こそ、やってみなよ」
このクソ女は誰に向かって弱いとほざいているんだ。さっき僕を殴れたから調子づいているなら、お前が避けたのも、僕に当たったのも全部まぐれだ。
そんな事を考えていると急に彼女は足を止め、僕はその小さな背中にぶつかった。顔を上げるとそこはひげ面の男が住んでいる薄汚れた豚小屋だった。
「お前の父親ってまさか、下賎のクソ野郎か?」
「人のお父さんを下賎とかクソとか言わないで」
「ふざけるなッ! 食糧って残飯だろうが、この僕に道端に落ちてるゴミを食べさせるつもりか」
「じゃあ、このまま飢え死にするの?」
そうしていると小屋の前で騒いでいたからだろう、例の残飯男がドアを開けて外に出てきた。僕があれだけ罵ったにも関わらず男の顔に嫌悪はない。
「おお、テアとリースじゃないか! 2人揃った姿を見るのは随分と久しぶりだな。よし入れ!」
「入る訳ないだろ! このイカれジジイ!」
「おいリース。俺はまだ30代だ」
お前の年齢なんざ知るか。そう言おうとするとクソ女に腕を強く引かれ、残飯男の豚小屋にぶち込まれた。勿論抵抗するが、やっぱり力では勝てない。
「今朝ぶりだな、リース」
「いや、あんたと今日会ったのは初めてだけど」
「お前、俺が毎朝に声をかけてるのに気付いてないのか?今日もいつもの所にパンを置いてきたぞ」
「知らないし、お前のゴミなんか食べるか」
そういえば蝿の羽音に混ざって、朝になると何かが聞こえてきた事もあったが、気にした覚えはなかった。あと残飯を置かれようと絶対に食べないが。
「お父さん、リースは何も食べてないの」
「ああ、見れば分かる。いつもの場所の飯は毎日無くなってたから、リースが食べてると思ってた」
「おいクソ女、僕は食べ物を寄越せと言ったんだ。誰がゴミを食わせろなんて命令したッ!」
そうして大声を出すと、目眩を合図にフラリと力が抜け豚小屋の床に倒れた。そうして灯りの下で見たのは、骨が浮き出て痩せ細った自分の腕だった。
「リース、大丈夫!?」
「なんだよ、この腕、なんでこんな……」
気付かない内に体は痩せて衰弱し、立っているのもやっとの状態だったみたいだ。僕はまずはミリアから順に、あの腐れ女共を殺さないとけないのに。
「大丈夫じゃないよな、お前の言ってるゴミも食えなかったせいで沢山の人が死んでるんだ」
「分かった、食べるから早く寄越せよ……」
頭の中が怒りで一杯で、このままだと餓死してしまう事にも気付いていなかった。仕方ない、勇者の僕が特別にこの残飯男からゴミを貰ってやろう。
「おい聞いてるのか? 分かったから持ってこい」
「いやお前は何も分かってないな」
「この僕が最大限譲歩してゴミクズを食べてやるって言ってるんだ! さっさと出せよ残飯野郎!」
「いいかリース、食糧は貴重品だ。俺も他人に分け与えられるほど沢山は持っていない」
「お父さん、その説教は後にしてあげて」
クソ女がそういうと、男は哀れむような目で僕の事をジッと見た。それから僕を軽々と床から起こし、腐った椅子に座らせると戸棚の中を漁りだす。
こんなギシギシと軋む音の鳴る、不愉快な椅子に座ったのは初めてだ。僕は偉そうに説教してきた残飯男の背中を、焦点の合わない目で睨み付ける。
「おい、いつまで僕を待たせてるんだ?」
「無い。俺が持ってた分は全部、昼間ガキ共にあげたんだった。ユルのじいさんなら持ってるかもな」
「はぁ!? お前みたいな役立たずがよく説教できたな。残飯野郎から残飯を取ったら何が残るんだ」
大体こんなふざけた豚小屋に連れて来たのはこのクソ女だ。何がお父さんなら食べ物を持ってるだ。しょうもない説教をされただけで損しかしてない。
「おいクソ女、どうしてくれるんだよ!」
「ユルさんに、お願いして貰ってきなよ」
「じゃあリース、ユルのじいさんの所に行くぞ」
「は? なんで僕も一緒に行く必要があるんだ。あんた1人で行けば無駄な労力が――」
「いいから行くぞ! ほら」
そういうと能無し男は僕の腕を引っ張って小屋を出た。そしてついさっきクソ女にされたみたいに、また夜のスラム街を強引に引きずり歩かされる。
この親子は馬でも手綱で引いて、歩かせてでもいるつもりなのか。2人揃って同じような事をしているのを見るに、やはり下賎の血は争えないようだ。
だがこんなクズ共に文句を言うのも疲れた。僕は男が交渉するのをただ黙って見ていればいい。この掃溜めの連中とは本当ならば口すら利きたくない。
「弱ってるのに説教くさい事言って悪かった。でもリース、ここの街にいる人間はみんな飢えている」
「ゴチャゴャうるさいな、黙れよ」
現に手を引きながら男は歩きながら話しかけてくるけどほぼ無視していた。僕は勇者だし下賎の人間とは違うんだ、気安く話しかけて来ないで欲しい。
「おっす、ユルのじいさん!」
だがその食料をくれるという人の所に居たのは、昼間に殴り飛ばした老人だった。彼は転んだ時に怪我をしたのか、汚ない包帯を頭に巻いていた。
「なんだニルス、そんなガキを連れて」
「こいつ、リースに飯を分けて欲しいんだ」
老人は僕を殺意がこもった目で睨み付けていた。どうやらコイツはかなり怒っているらしいけど、こんなゴミに怪我させたくらいでなんだというんだ。
「おいジジイ、言いたい事があるなら言えよ」
「ああ言ってやる。お前みたいな暴漢のクズにはパンの一欠片もやらん、とっと失せろ」
「お前の施しなん――」
そう言いかけた時、僕の頭はポカンとグーで殴られた。男が僕を殴ったのだ。罵詈雑言を吐き散らそうとすると、今度は頭を下に押し付けられた。
「リースが怪我をさせて本当に済まなかった」
なんでこんなスラムのゴミに無理やり頭を下げさせられなくちゃいけないんだ。だが文句を言おうと横目で男を見ると、彼も一緒に頭を下げていた。
「ほら、リース! お前もちゃんと謝れ」
「なんでお前も謝ってるんだよ」
「お前は俺の息子も同然だ。だから子供のした悪い事は叱るし、犯した罪は一緒に償ってやる」
そうしてしばらく頭を下げていると老人は「もうやめてくれ」と言った。頭を押さえていた手が無くなり、顔を上げるが老人の表情は釈然としてない。
「僕は悪いとも思ってないからな、ジジイ!」
「こいつにはきつく言って聞かせておくし、治療代も払う。本当に悪かった。帰るぞリース」
また頭を拳骨で殴られると、今度は本気で男に殺意が芽生えてきた。僕を散々侮辱しやがってコイツもベレニスやエーリカのように絶対に殺してやる。
そんな憎悪を込めて睨み付けると、男は再び僕の腕を引っ張って歩いていく。というか一体ここには何をしに来たんだ。僕が飢え死にしそうなのに。
「ふざけるなよ、どうしてくれるんだ!」
「おい」
「なんだよ、クソジジイ!」
「ニルスに免じて許してやる、持ってけ」
老人がそう言って小さな包みを取り出すと、男は申し訳なさそうな顔をして僕の背中を押した。生ゴミを寄こすくらいで偉そうな態度のクソジジイだ。
僕は彼の所まで歩いていくと、一瞬ぶん殴ってやろうかと思ったが黙って包みを受けとる事にした。
「いいのか、じいさん」
「いい。そのガキは今にも死にそうな顔をしてて、餓死でもしたら寝覚めが悪いからな」
「おいリース、ちゃんとお礼を言うんだぞ」
「うるさい、僕を犬みたいに扱うな!」
そんなやり取りを見て老人は笑っていた。この体に入れ替わってから頻繁に向けられる嘲笑ではない。なにか微笑ましい物でもみているようだった。
「多分、幻覚でも見てるんだな……」
「ありがとうユルじいさん、この借りは必ず返す」
「いい。返せんくらいの借りがあるのはこっちだ」
それから男とあの豚小屋に戻る事になった。手の中には老人がくれた食料の包みがある。腐った匂いがするが、こんな物でも食べないと死んでしまう。
「なあリース。俺がなんでユルのじいさんの所に、お前を一緒に連れてきたか分かるか?」
「そんなの知るわけないだろ」
「じいさんと仲良くして欲しかったからだ。勿論、他の皆ともな。暴行してるなんて思わなかったが」
「誰が下賎のクズ共なんかと仲良くするか」
「そうか、まあ時間が解決してくれる」
そう言うと男は笑みを浮かべるが、やっぱり散々罵っているのに怒った様子はない。彼がなんで怒らないのか、僕はほんの僅かにだが少し疑問に思う。
「なあ、なんで貶められても怒らないんだ」
「俺にもそういう時期があったからかな」
何の面白みもない、どうでもいい回答だ。そもそもコイツはさっき殺してやると決めたばかりで、そんな人間の内面を疑問に思ったのが不思議だった。
まあいいクソ女と同じくこの男も、僕をリースだと思って接してくれてるのは好都合だ。ゲロ女達を殺すまで散々利用し尽くして最後には殺してやる。
「あと俺を罵る分にはいいが、暴力を振るった事は本気で怒るからな。あと説教も中断してるだけだ」
「勝手にしろよ、クソ野郎」
「あと幼馴染といはいえ親しき仲にも礼儀あり。テアを怒鳴ったり罵倒したのも怒ってるぞ」
「誰だよ、そいつ」
「……俺の娘でさっきいた奴だよ」




