1章 5話『エーリカ・ロッシュ』
ベレニスが去り際にかけた魔術は、スキル〈隠密行動〉の一定時間付与だった。だが彼女の言葉が正しいならもう1つ魔術がかかっている事になる。
だがそれを気にしている余裕はない。魔術によって〈隠密行動〉が付与されるのは一時間だけ。その間にミリア、フレイヤ、エーリカを探さないと。
「こんな時にスキル気配探知ができれば……」
だが神器とやらの効果によって僕の体を取り戻すのは不可能に近い。だからこれからはハーレムの皆に助けて貰いながら、どこかの田舎で暮らすのだ。
あのリースという僕の体を奪った男が悪事を働いて、エルシア王国が滅びようと知った事ではない。彼等は無実の僕を泥棒扱いして辱しめたのだから。
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エーリカ・ロッシュ 17歳
種 族:人間 性 別:女
レベル:73
H P:800/800
M P:950/950
腕 力:70
魔 力:450
防御力:100
抵抗力:500
敏 捷:15
スキル:回復率(Lv.10)
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因みに最後に見たときのエーリカのステータス画面はこんな感じだった。僕は鑑定で見た主要人物のステータスは可能な限り覚えている事にしている。
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ミリア・ベイティア 16歳
種 族:獣人(猫) 性 別:女
レベル:79
H P:1800/1800
M P:0/0
腕 力:500
魔 力:0
防御力:500
抵抗力:200
敏 捷:50
スキル:腕力(Lv.10)
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フレイヤ・ブロードベント 19歳
種 族:竜人 性 別:女
レベル:90
H P:3000/3000
M P:900/900
腕 力:600
魔 力:400
防御力:950
抵抗力:700
敏 捷:80
スキル:炎の息(Lv.10)火炎耐性(Lv.10)
:疲労(Lv.6)
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ミリアとフレイヤのステータスはこれくらいだった。勿論レベルアップによる変動はあるが、経験値が入る機会がないから多分変わっていないと思う。
世界有数の強さを誇る彼女達なら、日常生活を送る上でこんな貧弱な体になった僕を守れる。とりあえずはエーリカだ、彼女は庭園に居ると聞いてる。
「もし居なければ、それでいい」
それでベレニスが出任せを言ってた事が証明される。そして〈隠密行動〉の効果で誰にも見つからず庭園にたどり着くと、エーリカの姿はなかった。
「やっぱりあの売女の嘘だったんだ」
だが物陰から聞こえてきたのはエーリカと男の声だった。まさかと思いながら物陰を覗くと彼女は、男と楽しそうに、恋人のように笑い合っている。
「エーリカ! なにをしてるんだ?」
「きゃっ、この子供は誰!」
「おい貴様! エーリカさんにそれ以上近づくな」
男はエーリカの一歩前に立つと腰に下げた剣に手をかけた。勇者の体ならこんな奴は素手でも倒せるが、防御力・HP共に10の僕は下がるしかない。
「エ、エーリカと話がしたいだけなんだ」
「黙れ、ここで斬り捨てるぞ!」
「待ってザビン。君は何を私と話したいの?」
エーリカの瞳が僕を見つめている。ここで自分がベントだと明かせば彼女は必ず信じてくれる筈だ。だが、それよりもこの男と何をしてたか聞きたい。
ベレニスの戯れ言が引っ掛かっているのだ。自分でもおかしいと分かっているが、僕はベントだというのを隠してエーリカに質問をしてみる事にした。
「エーリカがここで何をしてるか知りたくて」
「それは貴方に関係ないことだよね?」
「もしかして、この男の人は恋人なの?」
僕が食い下がらないのを見てエーリカは面倒くさそうな顔をする。何で早く違うと言ってくれない。彼女は男の方をチラリと一瞬見て言葉を発した。
「そうだよ、何か問題がある?」
「エーリカさん、そんな事言ったら……」
「ベント様の耳に入っても私が誤魔化せば大丈夫。だって彼、自分の信じたい事しか信じないから」
それはまるで頭を金づちで殴られたような感覚だった。エーリカが僕以外の男と付き合っていて、僕の名前を嫌そうな顔で口にし、僕の悪口を言った。
エーリカはハーレムの中で一番最初に仲間になった女の子だ。僕と彼女は旅をしながら一緒に長い時間を過ごして、ずっと愛情を育んでいた筈なのに。
「ベント……様の事は好きじゃないの?」
「吐き気がするけど、好きであろうとしてる。そうしないと私の心は壊れそうになるくらい痛むから」
そういう呟くと彼女は目を赤くして泣き出した。彼女の言ってる事は意味が分からない、だけど僕の事を好きじゃないというのはよく伝わってきた。
足がガタガタと震えている。もしかしてベレニスの言っていた事は正しいのか。ハーレムだなんだと喜んでたのは、全て僕の独り善がりだったのか。
「いや、そんな訳ない。本当はベントが好きだろ」
「エーリカさん、もう相手にする必要はない」
「大嫌い! 私はずっと昔からあの人の奴隷なの」
「お前の今の暮らしのどこが奴隷なんだ!」
「黙れっ! エーリカさんをこれ以上傷つけるな」
怒号を上げると男はそれ以上に声を荒らげ、僕を地面に張り倒した。だが正義は僕にある。エーリカの言っている事はおかしい、全て間違っている。
嫌いならハッキリとそう言えばいい。別にハーレムの一員でいる事を強制した覚えもない。それに、いつだって僕を求めてくるのはエーリカの方だ。
「お前は本当はベントが好きなんだ! 本当に嫌いなら何処へでも好きな場所に逃げればいい」
「逃げたいよ、でもあの人に逆らうのが怖いの」
「はぁ? 何を言ってるんだよ」
そうして僕が起き上がると、それを遮るように男が立ちはだかった。その彼の服の裾を掴んで、彼女は涙をポロポロとこぼしながら僕を睨み付ける。
大丈夫だ、と男がエーリカを抱き締めた。彼女は男の腕の中で子供のように泣きじゃくる。一度だって僕には泣きながら縋り付いてきた事はないのに。
「エーリカさんはベントのことを昔の奴隷の主人と重ねて見ているんだよ」
「ベントのどこが奴隷の主人と同じなんだ!」
思わず僕は声を振り絞って怒鳴りつけていた。僕がそんな風に思われてたなんてあり得ない。それになんで僕が知らない事をこの男が知っているんだ。
この男が口からでまかせを言っているに違いない。だが僕を昔の奴隷の主人と同じ目で見ている事を、彼女は否定するどころかウンウンと頷いてる。
「で、でもエーリカはベントに甘えていただろ」
「私は、あの人の求めてる事に答えなくちゃって。だから、あの人が好きな人間になろうとして」
「全部演技してたって事なの? そんな訳……」
だが彼女がこんな病んだ性格だと初めて知った。天真爛漫な姿が素だと思っていた。それは僕が求めていた人格を、奴隷として演じてただけなのか。
よく考えたらあんな惨たらしいな生い立ちをしているのに、僕が優しくしただけで、今までの心的外傷を全て忘れてガラリと性格が変わる訳がない。
「そうだとしても、誰もそんなこと要求してない」
「いいやエーリカさんは、主人の要求を言われなくても実行するように教育されてるんだ」
「だから要求なんかされてないだろ!」
僕は明るくなったエーリカを見る度に、自分が彼女を救ったんだと誇らしい気持ちになった。だから、ずっと彼女に笑顔で明るくいて欲しかった。
その対価として自分の事を無条件で好きでいて欲しかった。彼女が演じていていた人格は理想的な姿で、僕はずっとそうあって欲しいと望んでた。
「……僕は要求して、いたのか?」
違う。仮に僕が心の中で望んでたとしても、それを勝手に行動に移しているのはエーリカだ。頼んでないし、どんな教育されてたかなんて知る訳ない。
そんなの言われないと絶対分からない。エーリカは何も言わない癖に被害者面ばかりしてる。それで一方的に僕を悪者にして、影では悪口を言ってる。
けどそんな彼女の心の問題を、教えて貰えない程度の信頼関係しか築けてないのは誰だ。長い時間を過ごしてきたのにそれに気付かなかったのは誰だ。
僕は彼女の事を一番知ってると自負してたのに。
「ベントの要求に背いて俺と過ごせるほど、彼女は奴隷時代のおぞましい呪縛を克服してきてるんだ」
「それは君のお陰でか……?」
「誰のお陰でもない、彼女自身の力だ。俺はその苦しみを一緒に背負いたいと、ただ側にいるだけ」
「ううん、私、ザビンのお陰で前より辛くないよ」
「そう言ってくれて嬉しい。エーリカさん」
僕は何もケアせず、ただ優しくに接してただけだ。そんな普通の優しさが、奴隷だった彼女には何よりも嬉しい物だと勝手に思い込んでいた。
だけどこの男はエーリカの心の問題に気付き、一緒に向き合って対処している。だから彼女はこの男に心を開いて、弱い部分を曝け出している。
「お前が誰だか知らないがもう消えてくれないか。いたずらに彼女を刺激して何が楽しい?」
「分かったよ。消える、けど最後に聞いていいか」
多分、僕の声は震えていたと思う。ここまで拒絶されて、彼女の心は既にあの男にある。だが、ここで黙って立ち去れば自分に一生の後悔が残る。
「エーリカ。もしベントと、それからハーレムのみんなで一緒に田舎で暮らそうと言われたら――」
「死んでも嫌だ、私はあの人のモノじゃない」
男の服に顔を埋めたままエーリカはそう言うと、彼に支えられ共に背中を向けて去っていく。彼女の憎悪に満ちた言葉が頭から消えてくれない。
「ミリアとフレイア、はもういいか……」
ベレニスの言っていた事を思い出す。奴の言った事は全部嘘だと思う気持ちは変わらない。だけどこれ以上、誰かから拒絶されるのが恐かった。
「僕は悪くない、僕は悪くない、僕は悪くない」
そう呟きながら城を後にする。そうだ僕は何も悪くない。あの女は自分の浮気を正当化する為に、僕を一方的に悪者にして自分の罪から目を背けてる。
城でこんないい暮らしができているのは誰のおかげだ。それに僕がこんなに愛してやったのに、自分が可哀想な悲劇のヒロインだと思い込んでいる。
「そうだ、僕は悪くないんだ」




