1章 31話『洞穴の虜囚(3)剣戟の音』
暴言を吐いても危害を加えられる危険があるだけで、この状況はどうにも出来ない。僕は彼女が連れ去られていくのを、黙って見ているしかなかった。
そうして男の姿が見えなくなると、縛られた両手を地面に叩きつけた。だがその拍子にロープが裂けた音を聞くと、怒りを完全に忘れ自分の手を見た。
「少しだけだが、ちぎれている……」
怪力の持ち主ならともかく、僕の腕力でロープを引きちぎるなんて無理だ。品質が劣化していたという線が濃厚だが、そんな都合の良い話があるのか。
思い当たる節があったけど、今はそんな事を考えるより洞穴から脱出しなければいけない。茶髪はハーロルドとかいう泥棒役の男が来ると言っていた。
「あのカスが来るまでにどうにか解かないと……」
けど10しかない腕力では、切れ目の入ったロープでも中々ちぎれない。それでも少しずつ繊維を裂いていくが、洞穴に向かって足音が近付いてくる。
「クソがっ! 早いんだよ、下っ端のクズの癖に」
ようやく両手の自由を取り戻すと、足の拘束も即座に解きにかかった。しかし泥棒役の男が迫っているのに、思ったよりも結び目が固く時間がかかる。
そうしている内に洞穴の中に足音が響き、自分が好機を逃した事を告げていた。だが例えそうだろうと、僕は意地でもテアの所に行かないといけない。
「あぁ……、危うく逃がしてしまう所だった。お願いだから肝が冷えるような真似をしないでくれよ」
入り口を目を向けると黒いローブ姿の泥棒役が、頭を掻きながら安堵の表情を浮かべていた。男は森を走っていた時とは違って、剣を腰に下げている。
「まず、足のロープから手を離せ。私も面倒を増やしたくないし、君も痛い目には合いたくないだろ」
「どうやって痛い目に合わせるんだよ? 回数切れの魔導石で僕の頭でもブン殴るつもりか、三下が」
「はぁ……私が剣を持っているのが見えないのか」
泥棒役に警戒しながらもロープを解くと、男は鞘に収まったままの剣を振り下ろす。それを地面を転がる事で回避すると、足の拘束が明らかに緩んだ。
今なら立ち上がる事も出来るが、その隙に攻撃されたら全てが水の泡だ。だが現状の這いつくばるような体勢でも、再び転がって回避する事は不可能。
「おい、剣なんかで殴られたら骨が折れるだろ!」
だが幸運な事に、泥棒役は僕の足がどうなっているかに気付いていない。僕はわざと大声を出して注意を逸らしながら、地面に転がっていた石を掴む。
「私も人間だからな。自分をナイフで刺したガキなんかは、骨を折ろうと思うくらいムカつくんだよ」
「あっそ、死ね」
僕は上体を起こす最中に、相手の顔に石を投げつける。そうして悶絶する泥棒役を尻目に立ち上がると、緩みきったロープを靴の爪先で蹴って解いた。
位置的に奴の横を抜けないと外に出れないが、今が絶好のチャンスだった。けど鉄が擦れる音がして二の足を踏むと、男は鞘から剣を引き抜いていた。
「お前、自分が殺されないと高を括っているな。残念だが万が一逃走されそうになった場合には殺してもいいと、ヨナタンから許可を貰っているんだよ」
泥棒役は額から流れる血を手の甲で拭うと、刃をこちらに向けてきた。対する僕は素手で、常備しているダガーも当然取り上げられて持って無かった。
けど逃げようにも、横を抜けようとした途端に背中を切られる。僕は自由になった足で距離を取りつつ、素早く地面から石を拾うと前に構えてみた。
「また石か。その手が2度も通用すると思うなよ」
泥棒役は足を踏み込み、上段に構えた剣を振り下ろした。その斬撃を寸での所で後ろに避けるが、獲物が石ではカウンターはどう考えても決まらない。
男は素早く距離を詰めると、切っ先が下を向いた剣を跳ね上げた。僕は横に飛び退き石を投げようとしたが、間髪を入れずに剣が大きく凪ぎ払われる。
「ああ……鬱陶しい、大人しく殺されて死ねッ!」
また後ろに下がって回避するが、これでは防戦一方で埒が明かない。男の体力が尽きるまで避けるという選択肢もあるが、僕の方が先に切られて死ぬ。
だが追い詰められるだけの3度の攻防の中で、気付いた事もあった。この泥棒役の男が扱う剣術や体捌きは、僕がテアに教わってる物と酷似している。
「そうだ、確かお前はスラムの自警団だったよな」
「だから何だ、裏切った事でも咎め立てたいのか」
男は剣を中段に構えるが、僕はその間合いに無防備なまま踏み込んで突進を仕掛ける。こんな事をしたら、普通は敵に接近する前に切られて終わりだ。
「馬鹿め、乱心したか」
しかし好機と見て振り下ろされた刃は、こちらを避けるようにして空中を切った。そうして男に走り寄ると、その頭を石で思いっきり殴り付けてやる。
「ガキ……、お前、何をした――」
男が地面に倒れると、僕は自分が拘束されていたロープで彼の手足を縛り上げた。腕力10の攻撃では、彼が気絶している時間はそう長くないだろう。
「お前はもっと剣術の練習をしておくべきだった」
テアは剣術をベースにして、僕にダガーの扱いと体捌きを教えていると言っていた。彼女の師匠であるニルスは、自警団では剣術を教えているらしい。
つまり泥棒役の男と、自分はほぼ同じ動きをしているのだ。そして鍛練をしてないのか男の動きは粗くて、構えを注視すれば次の攻撃が予測ができた。
剣がどう振り下ろされるか把握すれば、切っ先がどんな線を描くのかも分かる。僕はその線に当たらないように走ったので、相手は切れなかったのだ。
「早くテアの所に向かわないと」
しかし素手では心許ないので、洞穴の中を武器がないか急いで探すことにした。泥棒役が落とした剣もあるが、僕の腕力では重いので扱うのは無理だ。
そうして小さな洞穴の中を探してみるが、時間を無駄にしただけで何も見つからなかった。恐らくこことは別に物を保管している場所があるのだろう。
「……そこに私の事を刺したナイフが隠してある」
声の方を見ると目が覚めたのか泥棒役が、岩の陰を顎で指していた。僕は警戒しながらもその場所を探ると、テアが投擲した小型のナイフが出てきた。
「何のつもりだ」
「こんな失態を犯してはヨナタンに殺される。私を見逃してくれるなら、武器の保管場所も教えるぞ」
「その前にテアが居る場所を教えるなら信用する」
「ここを出て南だ。さあ言った、縄を解いてくれ」
泥棒役のお陰でナイフも手に入ったし、テアを探して森の中を歩き回る手間も省けた。僕はそのまま外に出ようとすると、男が叫ぶように声を上げる。
「おい、嘘を吐くのか! 私は正直に話したぞ!」
「お前みたいな裏切り者を信用すると思ったのか」
「確かにニルスを裏切ったが自警団に所属してる奴は、全員この現状に満足していない。金を積まれたら、連中の大半は私と同じ事をするに決まってる」
「ああ、うるさいな! 僕は忙しいんだよ三下!」
「私は金が欲しいだけなんだ。その証拠にナイフを岩の陰に隠して、油断したヨナタンの事を刺し殺すつもりだった。金を奪ったら、お前達を解放――」
面倒くさいので無視して外に出ると、僕は泥棒役の情報通り南に向かって進んだ。アイツは茶髪の制裁を恐れていたが、僕が殺すからその必要はない。
テアの小型のナイフを握りしめると、焦りで自然と足が速くなる。こんなに焦燥感を覚えたのは、1年半ほど前に魔王と戦った時と合わせて2回目だ。
あの時の僕は最上級魔術や禍々しい大剣に、聖剣を構え必死で応戦していた。だが今相手にしているのは人攫いで、別に自分の命が危ない訳でもない。
なのに何故、死を覚悟した時ほどの焦りを感じているのか僕には分からなかった。別にテアが危ない目に合うだけなのだから、自分には関係ないのに。
「冷静に考えてみると僕は何をしているんだ」
僕はあんな茶髪には絶対負けないが、HPが10しかないので何かの拍子で死ぬかも知れない。そうした場合、エーリカ達への復讐が果たせなくなる。
テアからはもう充分にダガーの扱いを教わったから、本来の予定通り捨ててやればいい。クズ薬草を使って、自分1人で鍛練した方が何倍も効率的だ。
だが頭では論理的な答えが出ているのに焦燥感は消えず、足が止まる事もない。そうして森の中を歩いている内に、茶髪の不愉快な声が聞こえてきた。
「まずはその剣を捨てなよ。アンタのステータスが高いのは知ってるから、安心して話が出来ないな」
僕は姿勢を低くして声の方向を見ると、木々の向こうの開けた場所に3つの姿がある。まず目についたニルスは、左手に剣を持ったまま静止していた。
茶髪は近付かれるのを警戒しているのか、片手で剣を構え切っ先をニルスの喉元に向けている。もう片方の手はテアの首筋にナイフを突き付けていた。
「俺が剣を捨てたら、お前は大人しく人質を2人とも解放してくれるのか? ヨナタン・ケストナー」
「それはアンタの態度次第だが、他に選択肢なんてないだろ。従わないならテアちゃんはここで殺す」
テアはその少し後方で座らされており、表情はうつ向いていて分からない。僕は小型のナイフを改めて構えると、茶髪の背中が見える位置に移動する。
「別にこれはアイツなんかの為じゃない……」
ここでテアを見捨てた場合、気分が悪くなって今後の行動に支障が出るかも知れない。だから今からやろうとしている事は、全て理に適っているのだ。
「ほら、さっさと捨てろ! ニルスのオッサン!」
取り敢えずニルスは、このまま継続して茶髪の注意を引き付けておいて欲しい。その隙に僕は背後から忍び寄り、ナイフで首筋を掻き切ってやろうか。
「いや危険だ……」
それだとナイフが首筋に届く瞬間、茶髪に自分の姿が視認されてしまう。相手に殺すまでの時間を与えたら、人質の事を道連れにされる可能性がある。
ならばナイフを構えたまま背中に突進して、茶髪を前方に突飛ばした方がいい。テアの首筋から刃物が無くなれば、後はニルスがなんとかするだろう。
「オレ、あんまり気とか長くないからね。言うことを聞かないなら、テアちゃんの片目を抉るけど?」
「……止めてくれ。この剣を捨てればいいんだろ」
「待って、お父さ――」
「テアちゃん、勝手に喋ったら殺しちゃうからな」
茶髪は視線をニルスに向けたまま、片手に持ったナイフを彼女の首筋に押し当てた。彼女も僕に背中を向けているが、赤い線が首を流れるのは見える。
だが動揺するより先に、剣を捨てるのを止めさせないと計画がご破算だ。僕は木々の影から体を出すと、ニルスは表情を全く変えず一瞬こっちを見た。
「ニルスのオッサン? なにモタモタしてんの?」
僕は指文字で『剣を捨てるな』と作り、小型のナイフをニルスに見えるよう掲げた。計画まで伝わったか不明だが、取り敢えず彼は剣を捨てていない。
「なあ、俺だけが武器を捨てるのはフェアじゃないだろ。お前もまずはテアを解放してくれないか?」
「はッ! これが対等な取引に見えんのかよ!」
失敗した場合に危険が及ぶのは、自分ではなくテアだ。僕は可能な限り慎重でなくてはならないのだが、時間を浪費すれば奴は本当に彼女の目を抉る。
姿勢を低く保つと、遮蔽物の一切ない草原を音を立てないように静かに歩き始める。緊張から足は竦んでしまうが、臆する感情は一時的に押し殺した。
茶髪は後ろから迫られているのに、前に注意を向け過ぎて僕に気付く素振りもない。僕はニルスに目配せしながら前に進むと、目的の位置に辿り着く。
「いいから、早く剣を捨てなよ。マジで目抉るぞ」
この位置からの突進なら、人質に危害を加える暇も与えずに刃を刺せるだろう。もっと進めばテアを引き剥がせるが、これ以上の接近は流石にバレる。
「行くか……」
ナイフを前方に構えて足を踏み出すと、僕はそのまま茶髪に向かって突進した。背中に向かって全力で走ると、奴は突然の事にまだ反応出来ていない。
決まった、そう思ったがナイフは茶髪が咄嗟に前方に飛んだ事によって回避された。彼は一瞬だけ振り返ると、失敗した僕の事を満面の笑みで嘲った。
コイツは頭が相当悪いのだろう。前方に移動した事でテアの首筋からナイフが離れる。その隙をニルスは見逃さず、左手に剣を構えて猛攻を開始した。
茶髪はナイフを捨て、剣を両手に持つと歯を食い縛りながら応戦する。彼の動きから見てステータスが高い事が伺えるが、剣術の腕は泥棒役より下だ。
「おいテア、大丈夫か!」
その隙にテアを縛っていたロープをナイフで切ると、彼女は僕に抱き付いてくる。その内に鋼が衝突する音も止んで、見れば茶髪は地面に伏せていた。




