1章 18話『王都の裏路地にて』
雨でも降りだしそうな曇り空を、豚小屋2階の窓から眺めていた。朝から気分が悪くなるので顔を背けると、テアが遠征とやらに行く準備をしていた。
カバンに荷物を詰め込んで、中には食糧や衣類が入っている。装備は既に済んでおり、革の防具を着て、腰のベルトには安っぽい片手剣を下げていた。
「ははっ、クソみたいな装備だな」
「これでも結構高かったんだけど。というかリースの装備は服と、ギルドから借りたダガーでしょ」
「うるさいな。今、僕の話はしてないだろ」
テアの言う通り自分の装備じゃ誰も馬鹿にできない。武器・防具の数値は確か攻撃力は20で防御力は0。というか防具に至っては何も装備してない。
「可哀想だから何か装備品を買ってあげる。今回の遠征でお金がそこそこ貯まるんだよね」
「お前からの施しなんか誰が受けるか。そんなヒモ男みたいな真似をするなら舌を噛みきってやる」
「うわ。そこまで普通、言う?」
「まあ献上するっていうなら受け取ってやる」
曇天の空に視線を戻すと、装備の重要性に関して暇だから考えてみることにする。武器や防具の数値は使用者のステータスが低くても余り関係はない。
本人が弱くても、数値の高い武器・防具は装備できる。両手剣やプレートアーマみたいな物は、腕力が低いと身に付けても重たくて動けなくなるけど。
「買うなら魔術の効果が付与された軽装備だな」
まあ装備の数値はできるだけ高い方がいいが、そういった物は値段も張る。稼ぐ手段は現状ないし、装備の事は一旦忘れて鍛練に励んだ方が現実的だ。
「ダガーを極めてからまた考えるか」
「長い独り言は終わった? なら準備も終わったし下まで来て見送ってよ。私、頑張ってくるから」
「面倒くさいから無理。大体なんで僕がわざわざ、テアの見送りなんてしないといけないんだ」
鬱陶しい蝿でも払うようにそう言うと、彼女はどこか悲しげな表情を見せた。だがそれも見間違えかと思うくらい一瞬の事で、すぐ普段の調子に戻る。
「はいはい。そんな事、頼んでごめんなさい」
「……仕方ない、ここでなら見送ってやるよ。まあ、下賎の人間なりに精々頑張るといい」
「ふふ、ありがとう。優しいんだねリース」
「おい今の僕のどこが優しかったんだよ。思いっきり罵倒してやっただろうが」
テアは急に機嫌が良くなって微笑んできたが、顔を背けて無視してやった。そうしていると彼女は「そうだ」と何か思い出したのか小指を突き出す。
「なんだよ、その指?」
「今から遠征に行ってくるけど、リースは無茶するから勝手に練習しないって約束して」
前から彼女が遠征に行っている間は1人で練習するなと言われていたが、そんな約束守るつもりはない。だが指切りをさせられたら話は変わってくる。
「別に口約束でいいだろ」
「別にどっちでも変わらないでしょ。私も時間がないから、早く指切りしようよ」
「嫌だ、それはしたくない」
「なんで頑なに嫌がるのか意味が分からないんだけど。そこまで言うなら指切りじゃないとダメ」
もしかして墓穴を掘ってしまったのだろうか。いやとにかく指切りはしたくないし、復讐をする為に鍛練は積まないといけないから約束はしても破る。
「指切りするくらいなら約束はしない」
「してくれないなら、もう何も教えないから」
「クソ! 分かったよ……」
数日間なにもできないのと教師が居なくなるのじゃ、どう考えても前者の方がマシだ。仕方なく小指を合わせると、約束を破ろうとは思わなくなった。
「もう指を離していいか?」
「うん。リース、約束だからね。それじゃあ私、遠征にいってくるから」
「ああ、じゃあなクソ女。約束は守ってやる」
「あとお父さんと仲良くしてよね」
最後に無理難題を残してテアは1階に下りていく。にしても鍛練が出来ないとなると、彼女が居ない間どう過ごせばいのか全く思い付かなかった。
僕は何をする訳でもなく王都の街をブラブラと歩いていた。街の中は2ヶ月後に行われる国王陛下の結婚式典の準備で、大勢の人間が動員されている。
全ての種族と大陸を治める盟主国の王が結婚するのだ。各大陸からは最高権力者達が来賓として招かれる為、兵士達も警備の予行演習には余念がない。
「これじゃあミリアに近付く事も出来ないな」
今の自分じゃミリアを殺せないから、近付くつもりなんか無いけど。別に僕は殺人の下見に来た訳じゃなく、本当に暇だからブラブラしているだけだ。
「退屈だな……」
今朝テアが遠征とやらに出掛けたので、しばらく豚小屋で残飯野郎と2人で暮らす事が決まった。アイツは全部がムカつくから同じ空間に居たくない。
だから外に出てきたのだが、練習は勝手にしないとテアと指切りしたので何もする事がない。別にそんなのは破ればいいのだが、僕には出来なかった。
「確か……指切りの約束は絶対、だったよな」
子供の頃に両親と住んでいた村で、同じ歳の子供達がそんな事を言っていたのを思い出す。勇者である僕はそんな下民とは関わりを持たなかったけど。
まあそんな話は本当にどうでもいい。どうやって退屈を紛らすか、そっちの方が僕にとって重要だ。
「あ、そうだ。いいことを思い付いた」
死ぬほど暇じゃなかったら絶対にやらないが、自分も残飯を集めてみよう。あの間抜けな残飯野郎よりも、この僕の方が確実に探すのが上手いと思う。
「アイツ、腐ったのとか平気で持ってくるからな。僕が上等なのを見つけて鼻をへし折ってやる」
自分が得意だと思ってる事が、実はそうでもないという事を分からせてやろう。僕は残飯がありそうな汚い路地裏を、下を向きながら歩き回ってみる。
だが見つかるのは豚の餌にもならないヘドロか、ウジ虫が大量に沸いた生ゴミしかない。もしかして素人には分からない穴場があるのかも知れない。
「これじゃあ残飯野郎に有利過ぎる」
そんなズルをするとは、アイツはなんて卑怯な奴なんだろう。それでも下を探しながら歩いてると、なにか硬い物に衝突して地面に突き飛ばされた。
「大丈夫か、少年!」
「大丈夫な訳あるか! 痛いだろクソ野郎が!」
「本当に済まない。怪我はしてないだろうか」
顔を上げると鎖骨の辺りまで金色の髪を伸ばした男が、青い瞳で人の事を見下ろしていた。衝突した硬い物とは彼の鎧で、それは綺麗に磨かれている。
というか今ので10しかないHPが半分以上も削れてしまったぞ。ぶつかっただけで人にダメージを与えるなんて、どんな腕力の数値を持ってるんだ。
本気で痛いし、当たりどころが悪かったら普通に死んでいた。何故こんな思いをしなければいけないと、僕は男を睨み付けながらヨロヨロ立ち上がる。
「アンタ金持ちだろ、何か寄こせよ!」
「済まない。ここに来るまでに、金品は全て使い果たしてしまったから何も持っていない」
「じゃあ、その鎧と剣は?」
「これは私が騎士たる由縁、人に渡してしまう訳にはいかないのだ。悪いが理解して貰えないか」
「どこかの屋敷とかに住んでないのか?」
「住んでいないな」
「じゃあもういい、めんどくさい奴だな」
何か価値のある物を奪おうと思ったが、持ってないなら骨折り損だ。男の真横を今度は衝突しないよう通り過ぎると、彼は低級回復魔術をかけてきた。
「私にはこれくらいの些細な事しか出来ないが、出来ることなら許して欲しい」
「だからもういいって。じゃあな」
そう言って立ち去るが、今の金髪の男に見覚えを感じて立ち止まる。そうして気になって後ろを振り返ってみるが、彼の姿は既に見えなくなっていた。
「まあ、別にどうでもいいか」
それから街中を探し回ってみたのだが、見つかったのはヘドロと汚物の2種類だけ。ゴミを漁るのも精神的にキツいし、この遊びはなんか飽きてきた。
そもそも穴場を知ってるオッサンに有利すぎて、残飯探しは公平な勝負として成立していないのだ。まあ自分の頭の中で勝手に競ってただけなのだが。
「助けてくれ! 殺される!」
「うわっ、なんだよビックリするな……」
そうして帰ろうと薄暗い裏路地を歩いていた時、老人の生々しい悲鳴が耳に響いた。物陰から聞き耳を立てると、他にも若者が居て何かを話している。
「あはは。アンタみたいな害虫がどれだけ鳴こうと、誰かが助けてくれる訳ないだろ」
「こんな裏路地に人は来ない。もし仮に衛兵が来ても、害虫駆除ご苦労様ですって言うだろうな」
「辞めてくれ、ワシが何をしたというんだ」
「生きてるだろ。この害虫が!」
しわがれた声の老人が、若者2人くらいから暴行を受ける生々しい音が聞こえてきた。巻き込まれると厄介なので、僕はその場から立ち去ろうとした。
しかし奇妙な事に暴行現場から響いてくる3人の声、その全部に既視感がある。気になって少し声の方を覗いてみると、生ゴミを踏みつけてしまった。
「あっ、やってしまった……」
ぐちゃりと音が響くと、男2人が僕の方に視線を向ける。暴行されてたのは前に残飯を寄こしたジジイで、男の方はマゼルじゃない方とマゼルだった。
「うわ、全員顔見知りかよ……」
「おう、リースじゃないか久しぶりだな」
「こんな所で会うなんて奇遇だね」
男2人は自分を面白い玩具が転がってきたみたいな視線を寄こし、ニヤニヤと浮かべる猟奇的な笑顔に寒気がする。コイツらとは余り関わりたくない。
「流石、人を縛り首にしようとした人殺しだな。ジジイを殴るなんて遊びは僕には思い付かないかな」
「あ? お前、また偉そうな口を叩いたな」
「お前らに偉そうな事言ったらダメなのか」
「ダメだ。前にお前が生意気な口を利いた事をツケといただろ。その分も今から払って貰おうかな」
下民の癖に他人の口の利き方を咎めてくるとか、貴族にでもなったつもりか。そもそもコイツらと、どんな関わり方をしてたらこんな見下されるんだ。
「まあ、どうでもいいか。もう帰っていい?」
「話くらいちゃんと聞いとけよ。今からツケの分と合わせて、リースの事をたっぷり教育してやるよ」
「そうだね。今も反抗的だし、ジジイと一緒に殴り付けて2度とそんな口が利けないようにしようか」
「そうか、僕はお前らに今から殴られるのか」
殴るとか物騒な事を言ってるし、非常に面倒くさい事に巻き込まれてしまった。適当な事を言って会話を引き延ばして、油断をしていた隙に逃げよう。
この2人は人を平気で縛り首にできる異常者で何をしてくるか分からない。戦うとなるとリスクが大きいが、一応懐のダガーは抜けるようにしておく。
「分かった口の利き方に気を付ければいいんだろ」
「いや全然治ってないぞ。ちょっと前みたいに俺達に媚びとけよ。それでも殴るのは許さないけどな」
「リースは妄想のし過ぎて、自分が強くて偉いと思い込んでいるんだよ。スラム出身の癖してね!」
「あ、スラム?」
「あれ? なんでスラムの出身だって事知ってるの? って動揺しないの。反応に期待してたのに」
リースと知り合いだから2人もスラム街の関係者だと勝手に思っていた。だったらコイツらとはどんな知り合いなのか、増々分からなくなってきた。
というか彼らは明らかに僕が逃げることを警戒していて、話していても全然隙を見せない。これはダガーを取り出してしまった方が早いかもしれない。
「けどクソ女と指切りしてしまったからな……」
ベントを含めた5人以外には、ピンチの時と魔物だけしか教えた事を使ってはいけない。あと戦うリスクを考えると、まだ穏便に済ます道を探したい。
「というかリースってスラムの人間なんだよね。なんでずっと隠してたのかな?」
「ぷっ、恥ずかしかったんじゃねぇの」
「勝手に人の心情を妄想しないでくれるか」
「嘘つくなよ。あんなゴミみたいなテントで寝起きしてて、恥ずかしくない訳があるか」
「あっ、そのテントは僕らで潰しちゃったけど」
「アレ、お前らがやったのかよ」
まあコイツらに対して文句を言うくらいなら、壁に向かって喋ってた方がマシだ。というか、いつまでこのゴミ共の話を聞いていればいいんだろうか。
「リースがどこに住んでるのか知りたくて、ちょっと前に尾行したんだよね。少し悪戯しちゃった」
「あと何か可愛い女と歩いてるのも見たな」
「あの娘もしかしてリースの彼女とか? なんか冒険者ギルドで見たことある気がするんだけど」
「その女、コイツの目の前で犯してやろうぜ」
「いいね、それ! 最近勘違いしてるリースがどんな顔をするのか見てみたいな。どうせ――」
「ああもう、うるさいから黙れ!」
なんだかコイツらの話を聞いてると胸くそが悪くなってくる。もう穏便に済ませる気はなくなって、残飯を撒き散らして倒れてるジジイに駆け寄った。
別に放っておいて殴り殺されようと僕の知った事ではないが、なんとなく助けてやろうと思った。別に単なる気まぐれだし、特別な意味は全くない。
「おい、ジジイ。スラム街に帰るぞ」
「もしかして逃げれると思っているのか?」
「ああ、邪魔するなら本気で殺す。お前らだって僕を縛り首にしようとしただろ?」
「殺すだって? リース、あんまり調子に乗って大きな事を言わない方がいいと思うけどなぁ」
そう言ってマゼルじゃない方が伸ばしてきた腕を懐からダガーを抜いて切り払った。奴の腕からは真っ赤な血が吹き出し、悶絶する声が裏路地に響く。
「これはピンチだから約束は破ってない」




