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1章 14話『答え合わせ』

 鬱蒼とした木々が生い茂る森の奥で、蜂の不快な羽音がそこら中に響いて鳴り止まない。これが一体どういう状況なのか、答えは記憶の底に存在した。


 死の間際に外敵にフェロモンを噴射し、その匂いが付いた奴を群れで追い掛け回して殺傷する。虫型魔物の中にはそんな習性がある個体もいるらしい。

 そしてキラービーはその習性を持つ個体だった。つまりあの一匹を殺したのは大失敗で、僕を殺そうと蜂がそこら中をブンブンと飛び回っているのだ。


「そんな雑魚の事なんか覚えてるかよ」


 木の陰に隠れながら、今更そんな知識を思い出しても時すでに遅し。勇者の頃だったら中級魔物の習性なんてわざわざ記憶しておく必要なかったのに。


「クソッ、なんで僕はこんな弱いんだ」


 とりあえず状況を整理するとキラービーには勝てないし、大群となると尚更無理。どうにかして逃げないといけないのだが、退路はどこも塞がれてる。

 そこで注視したのは森の中を流れる川。安直な考えだが体に吹き付けられた匂いを落とせば、もしかすると蜂は僕を敵と認識しなくなるかも知れない。


「川に潜って逃げるのもアリだが……」


 川の前にも蜂が1匹陣取っており、奴を倒さなければ川に近付くことすら出来ない。アイツだけなら倒せるかも知れないが、手間取れば囲まれて死ぬ。

 だが陰に隠れていていても相手は匂いで嗅ぎ付けてくる。蜂の挙動は徐々に自分の方に向いて来ており、早く決断しなければ1分も持たずに見つかる。


 ジッっとしていれば、その分だけ自分の首が締まっていく。僕はダガーを握りしめると、やけくそになって川の前で飛んでいる蜂に突っ込んでいった。

 本当は不意討ちでもしてやりたいが、空中にいる敵には刃の短い武器じゃ届かない。だから必然的に相手に攻撃させて自分の間合いに下ろすしかない。


「切り下ろしで殺す」


 切り下ろしだけしか命中しないなら、それしか使わなければいい。しかし敵がどんな攻撃をしてこようと、対応する技が1つしかないのは危険過ぎる。

 というか死ぬほど鍛えた筈なのに、どうして使える技が1つしかないんだよ。そもそも動きもままならず、攻撃すら避けれないのは意味が分からない。


「まあ、そんな事は後で考えるか……」


 色々と思う所はあったが、今は目の前の敵に集中した。もしも敵が体当たりを仕掛けてきて、また回避出来なければ今度こそHPが0になって終わる。

 だが運が良い事にキラービーは尻の針を向けて、自分に向かって滑空してきた。僕は向かってきた蜂の胴体を、さっき殺した個体のように切り下ろす。


 蜂は体を抉られフラフラと突進の勢いを失った。


 そのがら空きになった敵の脇を抜けると、川の中に飛び込む。その間際に多くの蜂が集まっていたのを見たが、水中に潜れば手は出せないようだった。

 それに匂いがなければ敵として認識できなくなるのは正解みたいだ。川に入ってから自分に集まっていた蜂達は散っていき、羽音は聞こえなくなった。



「ああ、気分が悪いな……」


 そうして森の奥から逃げて、いつも鍛練している川辺に戻ってくる頃にはすっかり日が暮れていた。僕は木に背中を預けると少しだけ休む事にした。

 最強だと思っていた自分のダガー捌きや回避は、中級魔物にすら通用しなかった。ずっと休憩も睡眠も取らずに鍛練してきたのに強くなっていない。


 これ以上クズ薬草を使った鍛練を続けても、技量の上達は打ち止めだ。だが魔術でレベルの上がらない自分には、この方法でしか強くなれないのだ。


「だったら、どうすれば……。いや、やることは全く変わらないな」


 技量の上達が打ち止めなら、その限界を超えるまで鍛練を続ければいい。今日からもっと負荷を増やす、そう思い立ち上がろうとするが力が入らない。


 両手を地面につき、ゴホゴホと咳き込むとそこには血が混ざっていた。思い返すと、これだけの長時間クズ薬草を全く食べなかったのは初めてだった。

 ずっと薬草の傷の治癒で症状を抑えていたから気づかなかったが、不眠不休でダガーを振るという無茶を続づけていたから体が壊れてきてるのだろう。


「だから、どうしたんだよ……」


 僕は自分の事を貶めた連中をブチ殺さないといけない。強くなれる方法がこれしかないなら、内側から体が壊れていこうと僕はこの鍛練を続けてやる。


「ねえ、リース。何をしてるの……?」


「あ? 誰だよ」


 今まで人が来た事はないのにと、頭を上げてみるとテアが立っていた。そう言えば最初にこの川辺の場所を知ったのは、彼女が連れてこられたからだ。

 僕だけの秘密基地みたいで気に入っていたのに、クソ女も知っているとか不愉快な気分になってくる。というか鍛練をするからさっさと出ていけよ。


「クソ女……僕を見下ろすな。あと消えろ」


「でも血、吐いてるじゃん」


「お前に関係ないだろ。まだ僕を籠絡するつもりでいるのか、二度と話かけるなって言っただろ」


「嫌だ。リースの命令なんて聞かないから」


 前は大人しく引き下がった癖に、しばらく見ない内により面倒くさくなったな。僕は無視する事にしてクズ薬草を引っこ抜くと、彼女はそれを奪った。


「おい返せクソ女、刺し殺すぞ」


「こんなの食べたらダメだよ」


「うるさい。これがないと強くなれないんだ、お前如きが邪魔をするな」


「強くなりたいなら私が教えるから」


 ずっと女の顔を見なくて済んで清々してたのに本当に吐き気がする。もう2度と僕を利用しようなんて思わないくらいに、痛い目に合わせてやろうか。


「良いから消えろ、本当に攻撃するぞ」


「ずっと放っておいてゴメン。家に帰ろう、それからリースはゆっくりと休んだ方がいいよ」


「黙れよ。僕はゲロ女共に復讐しないといけないんだ! それを邪魔するならお前から殺してやる!」


「リースが誰かに嫌な思いをさせられたんなら、私も一緒にその復讐を手伝うから」


 この売女め、お前にそんな事をして何の得があるんだ。もう騙そうとしてる事はバレてるのに、まだ演技を続けるなんて怒りを通り越して笑えてくる。

 だけど不愉快な事には変わりない。宣言通りテアを攻撃しようと立ち上がるが、やはり力が入らず地面に這いつくばったまま殺意だけを彼女に向ける。


「いつも思うけど全然恐くないよ、それ」


「黙れッ! 大体お前が僕を助けるメリットなんて何もないだろ。それでも近付いてくるって事は絶対に騙そうとしているんだ。違うなら言ってみろ!」


「メリットなんて何も無いけど――」


「ほら、それだ! 献身的なフリをして、男の事をなんでも肯定していれば簡単に騙せると思ってるんだ! 残念だけど僕は既に1回騙されてるんだよ」


「だから私は――」


「そうやって女だって事を利用して、いままで男を食い物にしてきたんだろ。汚らわしい売女め!」


「だから! 私は女じゃなくて姉だから!」


「はぁ!?」


 このクソ女、何をいきなり意味のわからない事を言っているんだ。女じゃなくて姉だと?苦し紛れの言い訳なんだろうけど、流石に支離滅裂が過ぎる。

 だか彼女を見ても、目も泳いでなければ、額に汗もにじんでいない。ただ長い睫毛を伏せ、優しい眼差しで地面を倒れる僕の事をジッと見据えている。


「ほら、担いであげるから帰るよ」


 テアはしゃがむと、手をこっちに向かって伸ばしてきた。何度も乱暴に払いのけられているのに、それでも手を差し伸べるのは彼女が姉だから……?


「いや、というか姉って何だよ?」


「私達って姉弟みたいなものじゃない? だから弟を助けるのは当たり前なんだよ」


「僕はお前の弟なのか?」


「そうだよ。籠絡とか言ってたけど、姉の事を女扱いしてそういう目で見ないでよね。変態」


 冷静に考えれば、今の自分をわざわざ籠絡して騙す事にこそメリットが無い。テアがずっと献身的に接してくれたのは弟として見られてたからなのか。

 そう言えば入れ替わる前のリースとテアがどんな関係だったのかは聞いた事がなかった。というか、そんな大事な事は言ってくれなければ分からない。


「はっ、そうなのかよ」


「そうなんです」


「肩を借りるだけでいい。自分で歩く」


「私の事、触っても大丈夫なの?」


「お前から手を出したんだろうが。それに姉弟なんだろ、お前の事はもう女とは思わない」


 テアの手を掴んで立ち上がると、彼女の肩に手を回した。そうして2人で足を揃えて歩くと妙な気分になって、なんだか分からないがバツが悪かった。

 別にこのクソ女には全く心を許していないし、僕の心境にもなにか変化があった訳じゃないのに。


「僕が今まで言った事に関しては謝らない」


「本当にクソ女に売女だの、騙すだの散々言ってくれたよね。まあ別にいいけど」


「あと今日は休むが鍛練は1人で続ける」


「だから私が教えるって。大体、切り下ろす型の素振りしか教えてないじゃん。もしかして1ヶ月間ずっと、基礎練習ばっかりやってるの?」


「は!? 他にも練習する事があるのか?」


「当たり前でしょ」


 僕はずっと不眠不休で彼女に教わった素振りだけを続けてきた。だから回避も出来ず、ダガーを切り下ろす攻撃以外があの蜂に命中しなかったのか。


「なんでもっと早く言わないんだよ!」


「リースが2度と話しかけるなって言ったんだけど。私、結構落ち込んでたんだからね」


「知るかよ、お前の都合なんて!」


 素振りだけを死物狂いでやり続けて、自分を最強だと思ってた。これじゃあ僕がまるで馬鹿みたいじゃないか。この事は死ぬまで絶対誰にも話さない。


「本当にリースってクズだよね」


「どこがだよ。そんな事より、明日からもう一回僕に戦い方を教えろよ。これは命令だ」


「体が治ったらね。その代わり何に使ってるのか知らないけどクズ薬草は禁止だから」


「僕の命令に逆らうな!」


「それじゃあ教えてあげない」


「知るか、絶対教えさせてやる」


 よく考えてみれば下賎の人間から姉弟扱いされるなんて、不愉快極まりない筈だ。なのにどうして僕は普通に、彼女を姉として受け入れてるんだろう。


「なんでなんだよ、意味が分からない」


「なにか言った?」


「いや。いいから黙って歩けよクソ女」

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