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1話 黒髪の少女



  天翔山脈より西の全ての地を統べる巨大国家、ガルシア帝国。人口はおよそ一千万人ほどのその帝国は帝国建国の父、高祖イグナスにより建国されすでに300年もの時間が過ぎていた。帝国の頂点に立つ皇帝が相次いで短命だったため、皇帝の親戚である外戚、皇帝の側に侍る宦官により帝国は腐敗し、すでに衰退の一途を辿る。

 そんな帝国には豊かな水量をもつ天下の大河が二本流れている。そのうちの一本、中原と北部を裂く様に流れる大河、バーレンズ川。

 そのほとりにはリューリス村と呼ばれる小さな農村があった。人口は約100人ほどの小さな村、その周りを囲む柵の外側、村の郊外には黄金色の麦の絨毯が広がっている。麦は熟した実を重たそうに傾け、涼やかな風が麦の香ばしい匂いを運んでくる。

 今年の秋は近年珍しく豊作が予想され村の人々の雰囲気は明るかった。

 そんな農村の一角、村を囲う柵と森の間に開けた場所があった。その広場の中央には一人の男が木刀を持ち、立っておりその足元には小さな木刀と小汚い子供がうずくまっていた。男の身長は190cmはあるだろうか、筋骨隆々としたその四肢と逆立った金髪、獣の様に淀んだ瞳、男の風貌は長閑な農村には似合わないほどの殺気を感じさせた。


「はぁはぁ…ぐっ」

子供は7歳ほどで土で汚れた服には血が滲んでいた。

「立て!」

「ぐはっ」

金髪の男が同じような金髪の子供のはらを蹴り上げる。

並の子供が耐えられるはずのない衝撃が金髪の男の子を襲う。

腹部を蹴り上げられたせいか息ができないでいた。

「そんな様子で戦場で生きていけると思うか?お前すぐ死ぬぞ」

「うっうぅ…」

男は少年が知るはずもない戦場の話をし、さも当然の様に死について語る。

男もまた崩れ始めた帝国で地獄を見てきたのだ。

しかし男は少年に対して戦場の厳しさを教えると言った徳昌な心がけをしているわけではない。

ただ、ただ今日は昨晩の博打で負けたから、少年を痛めつけていた。

「聞いてんのかおい…、聞いてるのかて聞いてんだよ!答えろガキ」

「うっ…は…い聞こえて…ます、お父さん」

「もっとはっきり喋ろ!」

父と呼ばれた男は何の躊躇もなく再び自分の息子を蹴りつける。

「ぐっ…はい…ごめんなさい、お父さん」

「ちっしらけたな…おいもう今日の稽古はお終わりだ」

「はい…ありがとう…ございました」

男はこれまでの行為を稽古と呼び、痛めつけられた子供はその事に感謝を伝えた。

その光景はあまりにも異常な光景であった。子供の額から流れる血が滴り、地面に落ちる。明らかに小さな子供が負うべきではない傷だ

「おい…立て!」

何に腹を立てたのか常人には分からないが男は再び木刀を振り上げた。

「旦那様…今日はもう終わりですか?」

すると村の方から現れた一人の女がバルドロメと呼ばれる男に声をかける。

「かあさん…」

子供が血と土で汚れた顔を上げて女を母と呼んだ。

母親であるメリーは息子を視界に入れず夫であるバルドロメを見つめる。

その様子をみた少年は母が自分を助けにきてくれた訳ではない事が十分に伝わった。

その事が身体中の痛みよりも更に痛く、辛かった。

(お母さん……)

目頭が熱くなり、泣き出しそうになる少年はその涙をグッと堪えた。

経験上ここでないたら父親に何をされるかわかったものではない事を学んでいたからだ。

「メリーか…あぁもうやめる、こいつも弱すぎてまた稽古中に殺してしまうかも知れんからな」

「そう…なら一緒に戻りませんか?お昼ご飯とお酒はもう用意してありますから」

「酒か!そりゃいい」

バルドロメは大の酒好きであった。

その為、不愉快な息子の事など最初からなかったかの様に機嫌がよくなる。バルドロメはこの従順な妻の事はある程度気に入っていた。

バルドロメとメリーは二人で家に帰ろうとする

その様子をみて男の子はなんとか立ち上がり二人を追おうした。

「おいメリー、こいつになんか言う事ないか?」

「そうですね…アレックス、瓶の水が切れたから水を汲んできなさい」

「お母さん…でも僕…お腹すいた」

「あぁ?なんで俺が稼いだ金で弱いお前の飯を用意しないといけねーんだよ!調子乗るんじゃねぇ!」

「うぐっ」

バルドロメはアレックスを蹴り上げ、まるでゴミの様に転がっていく。

「旦那様…もう行きましょう、お酒もありますから」

「ちっ水汲みやっとけよ」

「は…い」

力なく立ち上がるアレックスに背を向け、バルドロメとメリーは家に向かって歩き出した。

「お母さん…お父さん…なんで、なんでなの」

アルフレッドは離れていく二人に聞こえない様に小さく呟いた。

ただ、両親を求める様に



「うぅっ…いたい…」

小鳥たちの声が響く森の中。

その森の中を這う様に流れる小さな川があった。

そのほとりでアレックスは土と自身の血で汚れたまま、隠れる様に蹲り、すすり泣いていた。

この場所はアレックスにとって唯一、心休まる場所だった。

誰にも知られず、誰にも邪魔されない静かな川のほとり。村人たちからよそ者と呼ばれる一家の中でも、腫れ物の様に扱われるアレックスは隠れる様に、この場所にいつも逃げ込んでいた。

「どうして…どうしてこんな痛い事するの…なんで…」

アレックスは自身の腕をみる。

半袖の粗末な服から覗く腕は、赤黒く変色し熱を帯びていた。じんじんと疼く傷を冷やす為、川に向かって歩き、川に身を浸す。

アレックスはまるで川が傷の疼きを癒すのを感じていた。

「昔はこんな痛い事されなかったのに…」

アレックスはバルドロメが稽古という虐待を始めた頃の事を思い出していた。

2年の秋、この村に移ってきてからしばらく経った頃、バルドロメは突然木刀を取り、兄と自分は無手という意味不明な状況で始まった稽古。

それ以前からも粗暴なバルドロメは妻であるメリー、アレックス、兄に対して毎日の様に暴力を振るっていた。

しかし現在、毎日のように行われている稽古と比べるとまだ可愛い物であった。

筋骨隆々の大男が振るう木刀は子供を殺すには十分すぎる代物だった。

にも関わらず2年を耐え抜いたアレックス。

アレックスの丈夫さは誰が見ても明らかだろう。

既に兄は、その才を示して小さな木刀を受け取った。現在、無手で嵐の様な暴力を耐えるのはアルフレッドのみになっていた。


秋の肌寒い風が吹く。

風は木々の間を抜けていき、アレックスの頬を撫でる。

「寒くなってきた…そろそろ上がろうかな」ポツリと呟いて川から上がろうとするアレックス。

「何してるの?もう冷たいんじゃない?」

「えっ」

頭上から聞こえてくるのは小鳥のように軽やかな少女の声。

アレックスは声に驚き、少女の方をみる。

「っ……」

可愛らしい少女だった。

年は14歳ほどだろうか、肩まで伸びた黒髪と黒曜石ような瞳が印象的な少女。

アルフレッドはその容姿に目を奪われた。

その視線に気付いたのか少女がふわりと笑う。

「早く上がらないと風邪ひくよ、ほらつかまって」

「う、うん…ありがとう…ございます」

手を差し出す少女。

戸惑いながらアレックスはその手を掴み川から出る。

バシャバシャと水が滴り落ちた。

「はははっへんな言葉使いだね、どういたしまして」

「なにかおかしかった…ですか」

「ちっちゃい癖に大人みたいな言葉使うなって思ってね」

辿々しい敬語を使うアレックスが面白かったのかくすくすと笑う少女。

「ちっちゃくない…です」

「ちっちゃいでしょ、ほら私より背が低いじゃん」

「うぅ…」

さっきからからかってくる黒髪の少女。その様子をみて自分がからかわれている事に気付いたアレックスはとても恥ずかしくなった。

「ねぇ、君名前はなんていうの?」

「え…?」

「だから、名前」

「は、はい…アレックスって言います」

「へーアレックスていうの、私はローラていうのよろしく」

「…?よ、よろしく…お願いします」

ローラと名乗る少女はその返事に満足したのか、うんうんとしたり顔でうなずく。

その一方にアレックスは次々と変わる状況に追いつけず戸惑っていた。

それも致し方ないだろう、村でも家でもアレックスにこんな風に接してくる人物は一人もいない。

アルフレッドにとって好意的に接してくる少女は予測不可能な人だった。

「でこんな所でアリーはなにしてたの?」

「あ、ありー?」

「うん、アリー、だっていちいちアレックスなんて言いにくいでしょ?だからアリーって呼ぶ事にしたの」

舌が疲れちゃうと人の名前に文句を言うローラ。

「そ、そうですか」

「うん、そう」

戸惑うアレックスを無視してローラは次々と喋りかけてくる。

「あ、あと敬語禁止ね、肩凝るもん」

「は、はぁ」

「わかった?」

「わかりました…」

「き、ん、し!」

「わかった…」

「よし、えらい」

「っっ…!」

アレックスの頭を撫でようとするローラ。

そのローラの手をアルフレッドは怯えるように拒んだ。

その様子をみてローラは少し驚いた」

「うわっ…どうしたの」

「え、えっとなんでもないよ…ちょっと頭を触られるのが苦手で」

「ふーん、でこの川でなにしてたの?水遊び?この時期に寒くない?」

「えっとその、ちょっと水遊びをしたい気分になって…」

「アリーって変わってるね」

「………」

綺麗な黒髪を揺らしながらぶしつけな言葉をぶつけてくるローラ。

お淑やかとは正反対のおてんばな少女なのがアレックスにもすぐにわかった。

「ローラこそなんでこんな所にいるの?いつもは誰も来ないのに」

「何か面白い事ないかなーて思ったの、そしたら面白そうなアリーわ見つけたって訳」

ローラが腰に手を当て胸を張る。

するとローラは何か思い付いたのか川に視線を向ける。

「ねぇアリー、この川ってお魚いる?」

「えっとどうだろう、多分いると思うよ」

「よし、じゃあアリー、魚釣りして遊ぼう」

「え、やり方わかんないよ…」

「大丈夫、教えてあげるから!」

ローラはアレックスの手をとり森の中を散策する。

竿の代わりになる枝を用意し、糸を紡いで虫をくくりつけた。

ローラの手際は明らかに手慣れており、あっという間に二人分の釣竿を作り上げた。

「これあげるよ」

「うん、ありがとうローラ、でもこれどうすれば……」

「しょうがないなぁ、見てて」

ローラは手慣れた手つきで竿を振るう。

アルもそれを真似をして糸を垂らす。

太陽の光が反射してキラキラ光る、糸の先はよく見えないが気持ちのいい緩やかな時間が流れている。

そんな穏やかな時間を裂く様にローラはアルフレッドに話しかける。

「ねぇアル、君って村外れの家の子?」

「な、なんで…」

「やっぱりそうなんだね…」

ローラは竿の先から視線を離し俯く。

村はずれに立てられた小さな家そこがアルフレッドの家だった。

この村に来たのは5年前、この村に来た理由をアレックスは知らない。

突然、帝国の官吏に連れられ、村に住み着いたよそ者に村人達は腫れ物の様に扱っていた。

それに加えて、村に連れてきた官吏はこの村の徴税を担っていた点や両親の人柄も、アレックスの家族が村八分に会う理由になっていた。

「こ、ごめん…僕、やっぱり帰るよ」

「座ってて、アリー」

アレックスはローラに迷惑がかかると考え立ち去ろとしていた。

そんなアレックスを止めるローラ。

「座って、大丈夫だから」

「う、うん…」

ローラはアレックスににこりと笑いかけた。

アレックスはローラの隣に座りる。

二人はそれぞれの竿の先を見つめしばらく黙ってた。

「私ね、見てたんだ」

ローラが沈黙を破りポツリと話し始めた。

「なにを…?」

「アリーがお父さんに殴られてる時」

「………」

ローラはアレックスがバルドロメ稽古という名の虐待行為をしている所を隠れて見ていたと告白する。

しかしローラは何かを振り払う様に頭を振り、アレックスの目を見つめる。

「ちがうね…ずっと前から知ってた…アルがお父さんに暴力振るわれている事」

「そうなんだ…」

「ねぇ、腕見せて…」

そう言ってローラはアレックスの袖をまくった。その腕には赤黒い痣が見える。

「痛い?」

「うん」

ローラはその傷に優しく触れた。

アレックスは大人しくローラにされる事を受け入れ、その手の暖かさを感じていた。

「怖かったでしょ…ごめんねアリー、私、怖くて…止められなかった」

「うん…」

アレックスは助けてくれなかった事に対してはなにも感じていない。

そんな期待はずっと前に捨てていた。

(ローラが出てこなくてよかった…父さんがなにするかわからないもん…)

アレックスはローラがバルドロメの暴力を受けなくてよかったと思っていた。

それと同時に、アレックスはローラの気持ちに救われていた。

俯くローラとその姿を見つめるアレックス、そんな二人の間を秋の肌寒い風が吹き抜けた。

「あ、ねぇローラ」

「なに…アリー」

アレックスの声に顔を上げるローラ。その目は涙を抱えてキラキラと輝いている。

そんな表情をアレックスは見ずに竿の先を見つめていた。

ピクピクと動く竿。

「竿が引いてる」

「え?!本当だ!ちょっと待っててお姉さんが捕まえるてあげるから!」

そう言って勢いよく立ち上がろうとするローラ。

その時、小石に躓いてローラが川に落ちそうになる。


「おわぁ!」

「あっ、危ない!」


アレックスはローラを支えようとして手を繋ぐ。

しかしアレックスの痩せた体で支えられるはずもなかった。

ドバンッと大きな音を立てて二人揃って川に落ちる。

びしょ濡れになるアレックスとローラの二人。

「「ふふっあははっ!」

二人はびしょ濡れになったお互いを見て笑い合う。

先程までの重たい雰囲気はまるで水に流された様に消え去っていた。

「おりゃ!」

「おわっやめてよローラ」

ローラはふざけてアレックス に水をかける。

既に、太陽は西に傾き、紅く空を染めていた。

夕日に照らされキラキラと煌くローラ。その黒髪の美しさはまるで星空の様だとアレックスは感じる。

アレックスは誰かと笑い合う事は記憶にある限り初めてだった。

水の冷たいも、風の厳しさも体の奥底、誰も触れられない場所から発する優しい暖かさのおかげで気にならなかった。

「ねぇ!アリー」

アレックスに笑いかけるローラ。西日を背にして眩しい笑顔を向ける。

「なに?ローラ」

「友達になりましょ!」

アレックスは嬉しそうに笑う。

その頬が赤く染まるのは夕日のせいだろう。

ただ二人はまだ子供、世界に抗う事の厳しさもその冷たさも知らない子供だった。

抗う事をやめたアレックス

冷たさを知らないローラ。

そうだとしても、彼ら二人は今はただ笑い合い、この素晴らしき世界の祝福をお互いから感じていた。

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