5.記憶
薬草集め、もといお花集めは佳境を迎えていた。
三人でお昼ご飯を食べた後、再び分かれて採集開始。テレジアは麻袋の残り半分を埋めてしまおうと張り切っていたが、日が傾く午後四時、遂に麻袋が桃色の花でいっぱいになりかけていた。袋の口を縛ることを考えたらこの辺りで打ち止めにした方がいいだろう。
そんなことを考えながら暗い森の中で揺れる白い髪を探す。しゃがみ込み薬草を摘んでいるコレットが視界に飛び込むと駆け寄ろうとした。
――忘れていないでしょうね。
ふと、そんな声がテレジアの頭に響く。
「だれ?」
足を止め、その呼び声に尋ねる。
――あなたは許されないことをしたのよ。
「誰なの? どこにいるの?」
再び問うが、返ってくる言葉はない。耳に届くのは枝葉が体を擦り合わせて奏でられる自然の音だけ。
ふと、足元の木の根元に転がる石が目に入った。何の変哲もない石だ。だというのに、テレジアはその石に視線を縛り付けられた。
呼んでいる。誰かが自分を呼んでいる。誰かが。一体誰が?
「アセ……ナ?」
その音の羅列をテレジアが知っているはずはなかった。けれど記憶の何処かに、片隅に、その大切な友達の名前が焼き付くように刻まれている。
――思い出した? あなたが、いいえ、私が犯した罪を。
違う、自分じゃない。自分の記憶じゃない。この記憶は別の誰かのものだ。これは、この声は。自分は。
「テレーズ……」
テレジアはそっと小さな声でもう一人の自分の名前を呼ぶ。
その途端に少しずつ湧き上がるように記憶が蘇ってくる。城で過ごしたあの楽しかった日々、優しい二人の兄、自分が奪った幾つもの命……。
どれもテレジアの記憶ではない。記憶ではないはずなのに、まるで自分のことのように鮮明に浮かび上がってくる。思い出してしまう。
「テレジアちゃん? お花集め終わった?」
突然声を掛けられてテレジアははっ、と我に返る。
「あ、えっと……はい」
歩み寄って来るコレットに麻袋の中身を見せると「たくさん集めたね」と彼女は頭を撫でる。
「そろそろ日も暮れるし、ツルカさんも呼んで帰ろっか」
コレットのその言葉にテレジアは「はい」と短く答えた。
そうしている間にも消えたはずの記憶がまざまざと蘇ってくる。思い出したくない過去が自分の心を逆撫でしてくる。
忘れるなと、忘れてはいけないと消えたはずのテレーズが耳元で囁くように。
§
その日の夜はアルルの家に泊まることとなった。さすがに皆一日中薬草を集めて疲れているし、夜の移動は危ないとのことで満場一致だった。
その意見にテレジアも賛成だったが、心中はそれどころではなかった。
もう、ほとんどのことを思い出していた。自分がどうしようもないくらいに人を殺したことも、コレットから視力を奪ったことも、兄であるランディを惨殺したことも、大切な大切な友達を、失ったことも。
深夜、テレジアはコレットとレヴォルと一緒に眠るベッドを出ると、夕飯を採った部屋へと降りた。
知っている。この家の間取りも、記憶に焼き付いている。この家で過ごした日々も、『森の魔女』を殺したことも。
「あら、テレジアじゃない。どうしたの? こんな夜更けに」
階段を下りた部屋にいたのはツルカだった。椅子に座り、蝋燭の炎を頼りに本を読んでいるようだった。
「ツルカ……フォン・ネーヴェ」
ゆっくり、確かめるようにその名前を口にする。大切な大切な友達の、アセナの命を奪った目の前の小さな魔女の名前を。
「……テレジア、あなた」
ツルカが彼女の身に起こった異変を口にするよりも前にテレジアはぐちゃぐちゃに交ざり合ってしまった記憶と思考の中で浮かび上がったその疑問を涙と共に吐き出した。
「あたしは、一体誰なの?」