3.人形師の家
本来、かつて〝無名の町〟と呼ばれた町、リヴィエールから南の大森林、もっと言ってしまえばその中にある人形師のアルル・イリーが住む家までは馬車で移動しても一日は掛かるほどに遠い。
町から大森林までは転移魔法陣がないため実際の距離を進むことになる。
しかし今回の移動は馬車ではなく空飛ぶ絨毯。ネーヴェ王国に住まう『創出の魔女』シエラ・カチェルアが発明した魔法道具である。当然馬車よりも早く移動することができる上に、魔術の使えないテレジアやレヴォルのような人間でも容易に扱うことができる、とっても便利な道具だ。
そのおかげか、テレジアたちは日が沈むよりも早く人形師アルル・イリーの元を訪れることができたのだが。
「こんにちは、テレジア」
玄関が開き、その声が耳に届いた途端にテレジアは咄嗟にコレットの後ろに隠れた。
「こんにちは、ツルカさん。来てくれてありがとうございます。アルルさんたちは?」
「ローランはいつも通り狩り。そのうち帰ってくるそうよ。アルルは……少し動くのが大変そうだったからこうして私が出迎えたってわけ」
そして「入りなさいな」と付け加えた目の前の人物こそ、テレジアが苦手とする『氷の魔女』ツルカ・フォン・ネーヴェである。
なぜネーヴェ王国の女王たる彼女がこんな辺鄙なところに……などとテレジアが思っていると、コレットは彼女の小さな頭の上に手を乗せて優しく撫でた。
「お母さんが呼んだの。ごめんね? 黙ってて」
「……いえ、大丈夫です」
別に、テレジアは人見知りというわけではない。ただただツルカのことが極端に苦手なのだ。そんな苦手意識というか、彼女に対する自分の抵抗感を克服して欲しいというコレットの想いは頭に乗せられたその手から何となく感じ取れた。
「とりあえず中に入ろうか」
レヴォルが言うと、まるで思い出したように「そうだね」と返す。テレジアの頭に乗せた手を引っ込め、今度は彼女の小さな手を優しく握る。
その温かな手をテレジアも軽く握り返した。
「久しぶりだな、コレット、レヴォル。それに……テレジアも」
「お久しぶりです、アルルさん」
部屋に通された三人は中で揺り椅子に座っている女性に会釈をしながら挨拶をする。テレジアも小さく頭を下げて「こんにちは」と挨拶。
彼女が人形師アルル・イリーである。テレジアが彼女に会ったのは一度。五年前、アルルがネーヴェ王国を訪れたときだった。そのときに彼女がネーヴェ王国に来ていた理由をテレジアは知らないが、彼女は仕事の関係できたと言っていた。
名の知れた人形師なのだからそういうこともあるのだろう。おまけに彼女はかつて魔女だったらしいのだから、ネーヴェに来ることも頷ける。
「元気そう……で、良かったです」
どこか遠慮がちにそう口にするコレットに、アルルは苦笑いを浮かべる。
「義手と義足はもうほとんど動かんがな」
そうして木製の右腕を左手で摩り、左の義足を右足で軽く叩いた。
その仕草にどこか暗い表情を浮かべるコレットとレヴォルを見て、アルルは短いため息を吐いた。
「なに、きみたちが気に病むようなことではない。もう、二十五年も昔のことだ。それより、少しお茶でもしようか。女王陛下、茶でも入れてやってくれ」
アルルが視線をツルカに向ける。
「あら、人使いが荒いのね」
「今来たばかりの客人に茶を淹れさせるわけがないだろう。かといって私はこの体だ。茶を淹れるくらい頼まれてくれてもいいだろう?」
「はいはい」
そんな風にどこか気怠そうに返事をするツルカに、テレジアは少し勇気を振り絞って「あの」と声を掛ける。
「私がお茶を淹れます……」
「大丈夫よ。あなたも座って待っていなさい」
返ってきた返事に少し肩を落としつつ、やっぱり苦手だと心の中でため息を吐く。
「それで、明日はどう動くんだ? 生憎だが、私は手伝えんぞ」
ツルカが炊事場へ向かうのと一緒にテレジアたち三人が席に着くのと同時にアルルが尋ねる。
「大丈夫です。あ、でもローランさんに手伝ってほしいんですが、いいですか?」
コレットの言葉にアルルは頷く。
「構わん。使ってやってくれ」
彼女の快諾にレヴォルは「ありがとう」と頭を下げた。
「ローランもゆっくり君と話したいだろう」
「そうだな……」
そう口にするレヴォルの表情は少しだけ緩み、どこか嬉しそうだった。
「それじゃあ明日は男女で別れて薬草探しだね。テレジアちゃんは私とツルカさんと一緒だけど、いい?」
首を回し、横に座るテレジアをコレットはその蒼い隻眼で見つめる。
「お母さまと一緒なら……」
ちらりとツルカに視線を向けながらテレジアは小さく答える。仮にツルカと二人きりであれば全力で首を横に振るつもりだったが、コレットがいるのであれば、まあ、我慢しよう。
「決まりだね。それじゃあ明日はそんな感じで」
ちょうどそのとき、テレジアの前に丁寧にティーカップが置かれる。どうやらツルカがお茶を淹れ終わったようだ。
「まったく、女王にお茶を淹れさせるだなんて、ここの人形師はどうかしてるわ」
そんな愚痴が聞こえてくる。確かにとテレジアも思ったが、どこか楽しそうにお茶を配膳しているツルカに対して「変わった人だなぁ」なんて思ったり。
そんな風に思いつつ、テレジアがティーカップの中に角砂糖を一つ、ちゃぷんと音を立てて入れたときだった。
ただいま戻りましたよ、という声が玄関の方から聞こえてくる。
「……すまない女王陛下。もう一杯茶を淹れてはくれぬか。生憎主人は狩りで疲れていて――」
「あー、もうっ! 分かったわよ!!」
今度は本気で嫌がっているツルカを横目に、テレジアは少しだけ甘い紅茶を口の中に含ませた。