9 ポッコーン
キーンコーン カーンコーン
終業のベルが鳴った。
「なあ、帰り、どっか行く?」
「お好みでも食べに行こか」
杉裏の横で、クラスメイトが楽しそうに話をしていた。
今日は土曜日、女子高生たちにとって土曜の午後というのは、特別な時間だった。
「私は彼氏とデートやねん~」
別の女子がそう言った。
「いやあ~エッチやなあ~」
「なによ~ええやんか」
杉裏はこの後、練習へ向かう予定だ。
杉裏は羨ましいと思いつつも、先日買ったラバーで打てることが楽しみだった。
「杉裏さん」
松本が声をかけた。
「なに?」
「私ら、この後、練習試合へ行くからね、今日は体育館使わないよ」
「え、そうなんや」
「だから、ボールが飛んでくることもないから、安心して練習できるね」
松本は優しく笑った。
「どこ行くの?」
「小谷田高校よ」
「えっ、そうなんや」
杉裏は校名を聞いて、少し驚いた。
「うん」
「小谷田ってバレーも強いん?」
「強いよ」
「そうなんや」
「なんで?」
「いや、卓球もめちゃくちゃ強いねん」
「へぇー」
「大阪でベスト4やねん」
「へぇ~そら強いね」
「松本さん、頑張ってな」
「ありがとう。でも私はまだ試合には出られへんのよ」
「あっ・・一年やからか」
「そうやね」
「出たいと思わんの?」
「そら出たいけどね、見るのも練習のうちよ」
松本は、少しも気落ちなどしていなかった。
むしろ、練習試合とはいえ、強豪校である小谷田のプレーを目の前で見られることに、嬉しさを感じているようだった。
「見るのも練習か・・」
「良いプレーを見て、盗むんよ」
「なるほど・・」
「あっ、私、もう行かなあかんわ。ほなね」
松本は手を振って教室を出て行った。
そこに入れ替わるようにして、岩水が杉裏を迎えに来た。
「杉ちゃん~」
「ああ、美紀」
「食堂行こか」
「そやね」
二人はその足で学食へ向かった。
「なんかさ、今日はバレー部いてへんらしいで」
歩きながら杉裏が言った。
「なんで?」
「練習試合に行くって」
「へぇー」
「松本さん、試合に出られへんのに、なんか嬉しそうでな」
「そうなんや」
「プレーを見るのも練習やって」
「ふーん」
「偉いなあ・・」
「まあ、ようわからんけど、私らは見るより、やる、やで」
「あはは、確かに」
杉裏と岩水は、食事を済ませた後、体育館へ向かった。
「わあ~なんかシーンとしてるな」
体育館へ入った杉裏は、呆然としていた。
「ほんまや。静かやな」
「さっ、着替えて台を出そか」
いつものように、張られたネットの中に台を準備したものの、二人はどこか違和感を覚えていた。
「あのさ、これ、真ん中へ移動させへん?」
杉裏が言った。
「ええっ、真ん中って、あそこに?」
岩水は中央を指して言った。
「ええやん。今日は、うちらだけなんやし」
「そらそうやけど・・」
「ほらほら、移動させるで」
そして二人は台を体育館の中央へ移動させた。
ポツーン・・
この表現が最も適切だろう。
まさにポツンと置かれた台は、いつもより小さく思えた。
「なんか・・変やない?」
岩水が言った。
「うーん・・そうやけど、広いところで出来るなんて、今日しかないで」
「まあ・・そうやな」
「あれ・・」
そこに小島が入ってきた。
「監督!どうですか!」
杉裏は台を移動させたことを言った。
「なにやってんねん」
小島は半笑いだった。
「今日、ここは全部卓球部のものです!バレー部は練習試合に行っております!」
「あはは、ええんちゃうか」
「監督のお許しが出たってことで、早速練習するであります!」
そして杉裏と岩水は、基礎である素振りを始めた。
「えっとな、それ十五分やったら、次は打ってみ」
小島は床に座って、ノートを見て言った。
「はいっ!」
杉裏は勢いよく返事をしたが、岩水は「なに見てるん」と訊いた。
「練習メニュー、考えたんや」
「へぇー」
岩水は素振りを止め、小島の横へ座った。
「おい、サボんな」
「メニューってどんなん?」
「ええから、素振り」
「はいはい~」
岩水は仕方がない、といった風に立ち上がり、元の位置に戻った。
シュッ、シュッ
何日かかけて素振りだけをやって来た二人は、そこそこ板についてきた。
けれども、それはあくまでも、素人の素振りだということに、気がついてなかった。
やがて十五分が経ち「ほな、打ってみ」と小島が命令した。
「よっしゃ~!」
杉裏と岩水は新しいピン球を手にした。
「あっ・・なんかついたで」
杉裏が手を見て言った。
「ほんまや、しろなってる」
新しいピン球には、白い粉のような物が付着しているのだ。
使っていくうちに、自然と取れるのだが、それを知らない二人は不思議に思っていた。
「あのお婆さんが言うてたやん。なんでもええって」
小島が言った。
「あ、そやな」
「ほな、気にせんと行こか」
そして二人は台に着いた。
「行くで~」
杉裏がサーブと思って出したのは、サーブではなかった。
サーブというのは、自分のコートにワンバウンドさせて送らなければならない。
杉裏が出したのは、相手のコートに直接入れただけのものだった。
ポッコーン
岩水が打ち返した。
ポッコーンという音でもわかるように、真っすぐ打ったわけではなく、ラケットの角度は上を向き、山なりに送り返しただけなのだ。
返球されたボールを、杉裏も同じようにポッコーンと打ち返していた。
「ミスしたらあかんで~」
杉裏は呑気にそう言った。
「あんたこそや~」
岩水がそれに答えた。
この時点で彼女たちは、一切気がついてなかった。
そう、素振りのフォームのことなど全く忘れていたのだ。
これでは素振りの意味がない。
といっても、彼女たちの場合は素人の素振りなので、ある意味、忘れた方がよかったとも言える。
いずれにせよ、前途多難なことには違いなかったのである。