6 基礎
カツーン カツーン
ボールを打つ音が響いていた。
ここは、市内にある、有名な卓球センターである。
小学生対象の教室を開いていたり、部活動帰りの中高生や、社会人、中高年までの幅広い層が、このセンターを利用していた。
台数は20台を下らなかったが、いつも埋まっているほど人気があった。
為所と浅野は、センターを訪れていた。
「へぇー、すごい人やね」
浅野が感心したように言った。
為所は、自分が退部したのは、全て小島のせいだと不満を抱えていた。
そこで部を奪い返すために、実力をつけて、有無を言わせない作戦に出ようと考えたのだ。
「やるんか」
受付けのカウンターに立っている中年男性が、二人に声をかけた。
「あ・・とりあえず見学というか・・」
浅野は気遅れしていた。
「まあ、台が空くのは、そうやなあ、あと一時間くらいかかるで」
男性は、後ろの壁に掛けられてある時計を見て言った。
「でも見学なら、なんぼでも見ていったらええよ」
「ありがとうございます」
二人は同時に頭を下げた。
バーン!バシーン!
時折、若い男性たちがスマッシュを打つ時に踏み込んだ足が、床板の音を大きく鳴らしていた。
「あ・・」
そこで為所は誰かを見つけた。
「どしたん?」
「あの人、先輩やわ」
そう、中学の時の先輩である、川上遼子がいたのである。
「へぇー」
「相変わらず、上手いな・・」
為所はポツリと呟いた。
川上は中学から抜きんでた存在で、その実力が買われ、強豪校である中井田高校に特待生として引き抜かれたのである。
川上は、部活が引けたあと、いつもここに来て、部員の梶原真美と練習していた。
二人の練習は、それこそ、ど素人の浅野には、全く意味不明なほど着いて行けなかった。
とにかくラリーの速さは、ボールが見えない程だった。
「すごいな・・」
浅野が呟いた。
「川上先輩な、中学の時から上手くてな。ほんで中井田高校に引き抜きで入ったんやで」
「へぇ」
「当時、私なんか相手にもしてくれへんかったわ」
「そうなんや」
「でも、ええ先輩やったで」
「ふーん」
「練習中はめっちゃ怖いけど、それ以外は優しかったわ」
「そっか」
「真美、ちょっと休憩しよか」
川上がそう言って、二人はラケットを置きロビーに出てきた。
「あ・・」
川上は為所を見つけて言った。
「どうも・・こんばんは」
為所は遠慮気味に頭を下げた。
「いやあ~、久しぶりやね」
川上はタオルで汗を拭った。
「はい、お久しぶりです・・」
「練習しに来たん?」
「いや・・見学・・です」
「そうなんや。まあ、ゆっくり見ていき」
「遼子、お茶でええか」
自動販売機にお金を入れた、梶原が訊いた。
「ああ、うん。この子な、同級生の梶原さん」
「そうですか・・初めまして」
為所が頭を下げると、浅野もつられて頭を下げた。
「初めまして、梶原です」
梶原は頭だけ為所たちに向けて、すぐに取り口に手を入れていた。
サバサバした性格の梶原は、「あんたらも卓球やってるんか」と訊いた。
「やってる、というか・・やってたというか・・」
「なによ、それ」
川上が笑った。
「退部したんです・・」
「へぇー、またなんで」
「まあ、色々とありまして」
「退部したのに、見学に来たん?」
「はあ・・」
為所が口籠っていると、「打ってみるか」と川上が言った。
「ええっ!滅相もありません」
「あはは、ええやん。ラケット持ってるんやろ」
「いえ・・持ってません」
「あら、そうなんや。ほな、私のスペアがあるから貸したるわ」
「いえっ・・そんな・・」
「ごちゃごちゃ言わない!ほら、着いておいで」
梶原が言った。
「そっちの子もやで」
梶原は浅野も誘った。
「えぇ・・」
浅野はさっき、二人のプレーを見ていたので、とてもじゃないが中に入る勇気はなかった。
けれども強引な川上たちによって、為所と浅野は練習場へ足を踏み入れざるをえなかった。
「フォア打ちから行こか」
台へ戻った川上は、ラケットを持ち、為所に声をかけた。
川上からスペアを借りた為所は、呆然と立ち尽くしていた。
「フォア・・」
フォア打ちとは、卓球では最も基本的なラリー打ちのことである。
これを習得しない限り、卓球とはいえないほど基本中の基本なのである。
上位の選手、あるいは全国レベルの選手などは、1000回以上続けるのは当たり前なほどにだ。
「はよ、おいで」
為所は仕方なく台の前に移動し、構えた。
「ん・・?」
川上はラケットを置いて、為所の横へ行った。
「ありゃりゃ」
川上は為所のラケットの握り方を見て、呆れていた。
「これな、指を広げたらあかんやん」
為所は、裏の三本指を、大きく広げていたのだ。
「すみません・・」
「あんた、習わんかったん?」
「あ・・その、サボってばかりでして・・」
「ま、ええわ。これな、指を揃えて。こうな」
「はい・・」
為所はずっと広げて使っていたので、持ちにくそうにしていた。
「後ろの指を広げてたら、フォアはええけど、ショートなんか全くできひんで」
ショートとは、右利きなら体の左側にボールが来た時に、手首を返してラケットを逆方向に向けて対処する打ち方である。
ちなみに、バックともいう。
「わかりました」
「ほな、行くで」
川上は元の位置に戻り、サーブを出した。
「うわっ・・」
為所は、そのスピードに着いて行けず、ラケットを振る間もなかった。
「え・・」
川上は唖然としていた。
そう、川上の出したサーブは、特に速くもなく、ドライブ回転がかかっているわけでもなく、逆にゆっくり送ったつもりだったのだ。
「す・・すみません」
ボールを拾って戻った為所は、ぺこりと頭を下げた。
「あんた・・中学の時、なにやってたん」
「・・・」
「行くで」
川上は更にゆっくりサーブを出した。
為所は、なんとかラケットに当てることはできたが、川上に返すことはできなかった。
振り方も無茶苦茶なのである。
「うーん・・」
川上は手の付けようがないといった風に、困り果てていた。
「あの・・これ・・」
ボールを拾った浅野が、川上に渡そうとした。
「あんたは、出来るんか」
川上が浅野に訊いた。
「いえ・・為所さんより下手です・・」
「ありゃまあ・・」
そして川上たち四人は、またロビーに出た。
「為所さん、あんた基礎がなってないわ」
「・・・」
為所は大きな体を小さくして、縮こまっていた。
「まずは基本をやらんことには、先は無いで」
「・・・」
「それに、変なクセがついてしもてるから、それを直さなな」
「はい・・」
「だからあんたは、マイナスからのスタートやわ」
打ちひしがれた為所は、浅野と共にセンターを後にした。
「しぃちゃん・・大丈夫・・?」
歩きながら浅野が訊ねた。
「私・・こんなに下手やったんやな・・」
「そんなことないって・・」
「なんか・・アホみたい・・」
為所はずっと下を向いて、トボトボと駅に向かっていた。




