4 衝突
翌日の放課後、杉裏は昨日買った卓球入門書を抱え、急いで体育館へ向かった。
中に入ると、バレー部の一年生たちがネットを張り、ボールを準備し、いつでも練習を開始できる状態にしていた。
体育館の隅に目をやると、卓球部員は、まだ誰も来ていなかった。
杉裏は少しがっかりしながら、倉庫から卓球台をゴロゴロと運んだ。
卓球台は折り畳み式で、キャスターが付いてあり、一人でも運べるが、広げるには最低でも二人が必要だった。
それでも杉裏は、なんとか台を広げようと、四苦八苦していたところに、バレー部の松本が来た。
「杉裏さん、危ないよ」
松本はネットの中へ入り、杉裏を手伝った。
「あ、ごめん。まだ誰も来てへんねん」
「いいのよ。これ、広げるんやね」
「そうやねん」
そして二人は、それぞれ台の端を持ち「せーの」と言って広げた。
「ありがとう、助かったわ」
「ううん。一人でやったらあかんよ」
松本はニコッと微笑んで、ネットから出た。
杉裏は卓球台の両端に、サポートといわれる金具を挟み、それにネットを張った。
金具はネットを張るための道具だ。
そして鞄から物差しを取り出し、ネットの高さを計った。
ルールでは、15.25cmと定められており、杉裏は細かいミリ単位まで計った。
「よしよし、これでええな」
杉裏はラケットを取り出し、本に書いてある通り、正しく握った。
「こうか・・?いや、裏側の三本指は揃えるんやな」
杉裏は本を卓球台に広げ、見ては確認し、を繰り返した。
「えっと、それから~、ああ、そうや、構えや、構え」
杉裏はペンホルダー選手の基本の構えである、両足を肩幅に広げ、少し前傾姿勢になり、ラケットを持つ右手は少し前に出し90度、フリーハンドである左手も、同じように90度にした。
「あっ、なんか経験者みたいやな」
杉裏は自己満足していたが、到底経験者とは思えないほど、不格好なことに気がついてなかった。
「あれ、どうやって台を広げたん」
そこに岩水がやって来た。
「あ、美紀~」
岩水はネットの中に入った。
「松本さんが手伝ってくれてん」
「へぇーバレー部の?」
「そやで」
「いや・・っていうか、杉ちゃん何やってんの」
岩水は、ロボットのように動かない杉裏を見て、変な顔をした。
「ああ、これな、基本姿勢やねん」
「なんのよ」
「ペン型選手のやん」
「なによ、ペン型って」
「これやん、これ」
そこで杉裏は本を差し出した。
「え?卓球入門?」
「昨日な、買ってん」
そして杉裏は「へへへ」と笑った。
「買ったって、どこでよ」
「卓球専門店行ったんよ」
「へぇー」
「なんかな、しわくちゃのお婆さんが、これがええ言うてくれてな」
「あはは、なによそれ」
「店の人やん」
「ふーん」
「それでな、この本、卓球のルールも書いてあるし、初心者向けの練習の仕方とかも書いてるんよ。しかも写真付きやで」
「へぇ」
岩水は本を手に取り、ペラペラと捲っていた。
「んで?こんなん覚えてどうすんのよ」
「昨日も言うたけどさ、やっぱり遊びより、ちゃんとやる方が面白いと思うねん」
「そらそうやろけど、みんなが納得すると思う?」
「する!いや、させる!」
「あはは、アホか」
「まず、私が見本となるねん」
「ふーん」
「でな、私が強くなれば、みんな納得すると思うねん」
「いや、その前に、みんな辞めると思うで」
「えぇ~~!」
「だって、誰も本気でやろうなんて思ってないやん」
「美紀もそうなん?」
「うーん・・私は、まだわからんけどさ」
「なあ~、一緒にやろうやあ~」
杉裏は岩水の腕を引っ張り、駄々をこねる子供のように言った。
「まあ、断る理由もないけどさ・・」
「ホンマ?ホンマに!」
「でも、しんどいんとか嫌やで」
「うん、わかった!」
それから杉裏は、本のページを捲っては、「これがペン、これがシェイク。ペンの選手は攻撃型。シェイクは守備型」などと、にわか仕込みの知識をひけらかした。
説明された岩水は、半分わかったような、わからないような、いわばチンプンカンプン状態で、殆ど聞き流していた。
「えらい楽しそうやん」
そこに小島がやって来た。
「おおっ、監督!」
杉裏が冗談交じりに言った。
「杉裏、やっとわかったか」
「監督!是非、これを見てください!」
杉裏は本を小島に差し出した。
「なによ、これ」
「卓球の入門書であります!」
「軍隊か」
「いいえっ!卓球であります!」
「ちゃうやん。その言葉」
「あはは、冗談やって。これな読んでみて」
「これでなにするんよ」
杉裏は岩水に説明したのと、同じ内容を繰り返した。
「ちゃんとやる、ねぇ・・」
小島は不服そうだった。
「な、彩華もそう思うやろ」
岩水は小島の表情を見て、自分と同じことを考えていると察した。
「あくまでも監督である私が決めることや。この本代は、とりあえず部費から負担するわ」
「ええっ!部費で?」
驚いた杉裏がそう言った。
「そやで」
「ということは!ちゃんとやる方で行くってことやんな」
「せっかく買ったもんを、無駄にするわけにはいかんからな」
「さすが監督~~!」
「いや、ちょっと待って」
岩水が言った。
「みんなが着いて来ると思う?」と続けてそうも言った。
「部の方針は監督である私が決める。私の方針に従わんやつは、クビや」
「クビって・・いや、監督ってあんたが勝手に言うてるだけやん」
「部には監督がおらんとアカンって知らんの?」
「え・・」
「監督って、別に先生じゃなくてもええし」
「そう・・なん?」
「野球でもそやろ。選手兼監督っていてるやん」
「ああ~・・」
岩水はあさってのほうを向いて、妙に納得していた。
「まあ?私は専任監督やけどな」
「いやいや、待ってぇな。アカン、騙されるとこやったわ」
「なによ」
「監督がおらなアカンのは、わかった。でもなんでそれがあんたやの、って言うてるわけ」
「他に適任がおらんからや」
「まあまあ~」
杉裏は、たまらず間に入った。
「彩華が監督、ええやん」
「なにいうてんのよ」
「美紀~、私ら選手は練習あるのみ!」
「それにしても、他のやつら、来ぇへんな」
小島が体育館の入口を見ながら言った。
「用事でもあんのかな」
杉裏が訊いた。
「五人とも用事か?あり得んやろ」
小島は吐き捨てるように言った。
するとそこに、為所、浅野、外間、井ノ下、蒲内がそろって入り口から入ってきた。
「あいつら、なんやねん、今頃」
小島は腕を組み、まさしく監督のように振る舞った。
「ちょっと、あたんら、遅いやん」
小島がそう言うと、ネットを潜って五人が入ってきた。
そして為所が「私ら今日限りで退部するから」と言った。
「ええ~~!」
杉裏は思わず叫んだ。
「退部って、どういうつもりなん」
小島が言った。
「あんた、監督でもないくせに、うるさいねん」
為所が反発した。
「はあ?」
「もっと自由に遊びたかったのに、おもろないねん」
「そうか。ええやん、退部を認めるわ」
「ちょ・・ちょっと待ってよ~」
杉裏が二人の間に入った。
「私な、あっ、これ、これな、昨日買ってん」
杉裏は本を五人に見せた。
「ほんでな、ちゃんと卓球やろうって、みんなに言うつもりやってん。だから辞めるなんて言わんといて」と続けた。
「そんなん、ただの本やんか。あんたらみたいな素人に何が出来るんよ」
為所は全く引かなかった。
「素人やから、これ買ったんよ。初心者入門なんよ」
「アホみたい。教えてくれる人がおらんと、なんもできひんよ」
「外間ちゃんたちも、辞めるん・・?」
「うん、辞める。昨日も言うたけど、卓球に興味ないねんもん。しゃあないやろ」
外間が言った。
「おい、杉裏」
小島が杉裏の肩を掴んだ。
「なに・・」
「辞めたいやつは辞めればええ。それだけや」
「そんなん・・アカンて」
「さっさと帰れば」
「言われんでも、そうし・ま・すっ!」
為所が突き放すように言い、五人はネットから出ようとした。
「蒲ちゃん!」
杉裏が蒲内を呼んだ。
「なに・・?」
「蒲ちゃんも、辞めるん・・?」
「杉ちゃん・・ごめんな・・」
蒲内は申し訳なさそうに、下を向いた。
そして五人は体育館を後にした。