2 目標
「なあ、松本さん」
教室で杉裏が声をかけた。
杉裏のクラスメイトである、松本希久は、バレー部に所属していた。
「なに?」
「バレーって、面白いん?」
「なによ~いきなり」
「いつも一生懸命やからさ」
バレー部は、桐花学園で最も優秀な成績を収めていた。
大阪府の大会でも、ベスト8は定位置。
シード校として他校からも、一目置かれる存在であった。
但し、バレー部の目標は、全国大会で優勝することにあり、その意味で監督も選手たちも、大阪でベスト8には一切満足していなかった。
「杉裏さんは卓球部やったね」
「うん」
「面白くないの?」
「そやなあ。遊びって感じかな」
「遊びねぇ」
松本は、少々辟易した。
「私は小学生の時からバレーやっててね、中学でもバレー部やったし、桐花は強いし」
「ふーん」
「全国大会、行きたいのよ」
「しんどいとか、ないん?」
「そらあるけど、それ以上にバレーって楽しいし、目標だってあるし」
「そんなもんなんやなあ」
「杉裏さんだって、目標持ったらどう?」
「目標なあ・・」
杉裏は思った。
今の卓球部は、目標どころか練習さえもろくにしない。
そもそも卓球のルールも知らない。
目標どころの話ではないと。
「私ら、先輩いてないやん」
杉裏が言った。
「ああ・・そうやね」
「だから、何をどうやったらええんか、全くわからんし」
「確かにそうやね」
「知ってる?ルールも知らんねんで」
すると松本は「あはは」と笑った。
「そりゃ、目標どころではないね」
松本はそう言いながら、まだ笑っていた。
「そやねん、笑うやろ」
「あ、ごめん」
「いや、ええねん。ホンマのことやし」
「アドバイスになるか、わからんけどね、まず小さな目標を立てればいいんちゃうかな」
「小さな目標?」
「自分でも達成できる目標のことよ」
「例えば?」
「うーん、私は卓球のことはわからんけど、まずは小さな大会で一勝するとか」
「ええ~~!それって試合のこと?」
「うん」
「そんなん、ムリムリ~」
「ムリかなあ。私はそうは思わないけど」
「なんで?」
「一勝するためには、練習しないといけないでしょ。そしたら練習のメニューとか考えるようになるし、もちろんルールも勉強するようになるし」
「なるほど・・」
「一勝するって結構大変なんよ。でもそれを達成したら、次の目標ができるのよ。これは絶対よ」
「へぇー」
「そしたら、次も次もってなってね、知らないうちに卓球の面白さに憑りつかれることになるよ」
松本はニッコリと微笑んだ。
杉裏は松本の笑顔を見て、バレーボールに対する深い愛情を感じた。
「なあなあ、ちょっと聞いてんか」
放課後、いつものように「ピンポン」で遊んでいた部員たちに杉裏が言った。
「なによ~」
「今、勝負がかかってんねん」
台を使用していた浅野と岩水は、ラケットを乱暴に振りながら返事をした。
「なんなん」
自称、監督の小島が杉裏に訊いた。
「ほら~内匠頭、美紀、そこまで」
杉裏は再び二人にそう言った。
「もう~なんなん」
浅野と岩水は、そこで「ラリー」を止めた。
何事かと、為所、外間、井ノ下、蒲内も、杉裏の言葉に注目した。
そして彼女たちは車座になった。
「なんなんよ」
小島が訊いた。
「あのさ、私の提案なんやけど、とりあえず目標持たへん?」
「何のよ」
再度、小島が訊いた。
「卓球部の目標やん」
「うわあ~・・ウッザ~」
外間が呆れて言った。
「杉ちゃん~、それって部活動みたいやねえ~」
蒲内は能天気に言った。
「ちょい待ち。監督を差し置いて、勝手なことを言うのは許さんよ」
小島はまた「監督」として威圧した。
「ちゃうねん。あのな、このまま遊びでやってても面白くないと思わん?」
「っていうか、杉ちゃんの言う目標ってなんなん」
為所が訊いた。
「バレー部の松本さんに聞いたんやけど、目標を持つと変わってくるって。それで卓球が面白くなって憑りつかれるって」
「ウザイわ。はっきり言うけど、私なんか卓球に興味もないねん。せやけど部活には参加せんとアカンやろ。卓球部に入ったんは、たまたまやねん」
外間は、本当に迷惑そうだった。
いわば仕方なく参加しているだけで、興味もない卓球に加え、目標などと、迷惑以外の何物でもなかった。
「杉ちゃんの案は、ええんちゃうかな」
卓球経験のある為所は、興味を示した。
「ほらほら、また自分が一番になろうと思て」
すかさず小島が突っ込んだ。
「なによ、ええ案と思わん?」
「シャラップ!私が監督や。よって杉裏の案は却下」
「はぁ~・・」と杉裏はため息をつき、視線はバレー部に向けていた。
松本は一年生ということもあり、ボール拾いに専念していた。
「お前ら!そんなレシーブやと、全国大会どろこか、ベスト4にも入れんぞ!」
監督である体育教師の、堤大吾郎が檄を飛ばしていた。
生徒たちは「はいっ!」と勢いよく返事していた。
バシーン!
三年生が打ったアタックのボールが、卓球部のネットのところまで飛んできた。
「うわあ・・またやん・・」
ネットが張られているので、部員たちに直接あたることはなかったが、その威力たるや、大砲が撃ち込まれたかのような衝撃だった。
「あっち向いて打ってくれたらいいのにな」
岩水がボソッとこぼした。
「ほんまや。なんでわざわざこっちやねん」
外間が岩水に続いて言った。
杉裏はネットから出て、ボールを拾った。
「杉裏さん、ありがとう」
そこに急いで松本が走ってきた。
松本は汗を流しながら息を荒くしていたが、その表情はキラキラと輝いていた。
「頑張って」
杉裏はそう言って、ボールを渡した。
すると松本はニコッと微笑んで、持ち場に戻った。
後ろでブツブツと不満を漏らす部員をよそに、大変だと思いつつも、楽しそうにプレーをするバレー部員を、杉裏は羨ましい気持ちで見ていた。