10 ラケットケース
―――やがて時も過ぎ、一年生大会は二日後に迫っていた。
杉裏と岩水は、相変わらず「ポッコーン」卓球を続けていた。
小島が考えた練習メニューも、所詮は素人、何の役にも立っていなかった。
それでも三人は、やれるだけのことをやったという、妙な自己満足をする始末だった。
「ああ・・おった、おった」
そこに、なんと、卓球専門店の老女がやって来たのだ。
バレー部の練習に目をやりながら、老女は体育館の端を通り、ゆっくりと杉裏たちに近づいた。
「汀子ちゃん」
ネットの外から老女が声をかけた。
「あ・・ああ~~!お婆さん!」
その声に、岩水と小島も老女に気がついた。
杉裏はラケットを台に置き、急いでネットを上にあげた。
「お婆さん、どうしたんですか!」
杉裏は早く入るように、老女の腕を引っ張った。
「お婆さんて、失礼やな」
老女は冗談めいて笑った。
「私はな、西藤っていう名前があるんや」
「ああ・・すみません。あの、どうしたんですか」
「あんたら、明後日、試合やろ」
「はい」
「これ、持って来たったんや」
西藤は背負っていたリュックを「よっこらしょ」と下そうとした。
三人は慌てて西藤を手伝った。
「それにしても、こんなとこで練習してるんか」
西藤はバレー部に視線を向けながら座った。
「そうなんです・・」
杉裏は小さな声で答えた。
「まあええわ」
そして西藤はリュックの口を開けた。
三人は何事かと、西藤を囲む形で座った。
「あんたらお金ないんやろ。はい、これや」
西藤が出したものは、赤色のラケットケースだった。
「これ・・なんですか」
杉裏が訊いた。
「あはは、ラケットケースも知らんのかいな」
「ラケットケース・・」
「裸でラケットを鞄に入れると、ラケットもラバーも痛む」
「・・・」
「これはラケットを守るケースや」
「でも・・これ、高いんじゃ・・」
「だからこれは、お古や」
「・・・」
「まあ、売れ残りやから、気にせんでもええよ」
「いいんですか・・」
そのケースはラケットが入る程度の長方形で出来ており、上の部分にファスナーがついていた。
中には一枚の板が敷かれ、どうやらその上にラケットを入れるようだ。
そしてケースは三つあった。
「監督さん、あんたの分や」
西藤は小島にも渡した。
「いえ、私はやりませんので」
「ええから、もっとき」
「そうですか・・」
そして三人は「ありがとうございます」と言って、深々と頭を下げた。
「それにしても、うるさいなあ」
西藤はバレーボールの音のことを言った。
「バレー部、強いから、仕方ないんです」
杉裏が答えた。
「それで?あんたら見せて」
「え・・なにをですか」
「あはは、練習に決まっとるがな」
「あ・・はい・・」
「ほら、さっさと台に着く!」
小島が急っついた。
「はいっ!」
杉裏と岩水は、慌てて台へ戻った。
「ほな、行くで~」
杉裏は緊張しながらサーブを出した。
ポッコーン
岩水は何とか返球した。
「ありゃま・・」
西藤は口をあんぐりと開けていた。
そして「よっこらしょ」と言って立ち上がり、台の傍へ行った。
「ちょっとストップ」
そう言って西藤は、飛ぶボールを瞬時にキャッチした。
それを見た杉裏と岩水は、仰天していた。
「汀子ちゃん」
「は・・はい・・」
「あんたの、サーブとちゃうで」
「え・・」
「ラケット貸し」
杉裏は直ぐにラケットを手渡した。
「ええか。サーブいうんは、ここ、まずここにバウンドさせるんや」
西藤は自分のコートを指した。
「ほんで、ボールは手のひらを広げて乗せるんや」
次の瞬間、西藤はボールを10センチくらい上げ、ボールが落下したところでラケットをあてて、相手のコートに送り込んだ。
「わかるか?」
西藤は杉裏の顔を見た。
杉裏は目の前で起こったことが、直ぐには理解できなかった。
サーブを送られた側の岩水も、呆然と立ち尽くしていた。
「おい、岩水!ボールを拾え!」
小島が大声で叫んだ。
「あ・・ああ!はいっ!」
我に返った岩水は、慌ててボールを拾いに行った。
「西藤さんに渡す!」
小島はまた、叫んだ。
「は・・はいっ!」
岩水は慌てて西藤の傍まで行き、ボールを渡した。
「おおきにな。でも、わざわざ渡しに来んでもええよ。放ってくれたらええから」
「でも・・」
「時間の無駄や」
「は・・はい・・」
そして岩水は元の位置に戻った。
「ええか、もっかい行くで」
西藤は杉裏の顔を見た。
そしてさっきと同じことを繰り返した。
ボ~ッと立っている岩水に「打ち返せ」と西藤が言った。
「ええ~~!」
「ええから、打ち返せ」
「はいぃ~」
また岩水はボールを拾い、それを投げて返した。
「汀子ちゃん、よう見ときや」
「はい・・」
そして西藤は同じことを繰り返した。
西藤のサーブは、けっして速いものではなかった。
杉裏たちを、ど素人だと知っているのに、速いサーブなど出すはずがないのだ。
それでも杉裏たちにとっては、ものすごく速く感じたのだ。
当然、岩水は打ち返すことなど出来なかった。
「ほら、汀子ちゃん、やってみ」
西藤は杉裏にラケットを渡した。
「はい・・」
「まず手を広げて、ここにボールを乗せる」
西藤は杉裏の手のひらにボールを置いた。
「はい、上げて」
杉裏はいわれた通りしたが、空振りだった。
「はい、もっかい」
これを何度も繰り返した。
けれども一向に上手くいかない。
「あの・・」
杉裏が西藤になにか訊こうとした。
「なんや」
「私が出してたサーブやったら、ダメなんですか・・」
「あれは、サーブとちゃう。そもそもミスとして相手の点数になるんやで」
「・・・」
杉裏は絶句した。
ここ約一ヶ月、何をやっていたのだろうと。
「サーブが出来ん限り、試合も始まらんのや」
「・・・」
「もうちょっと上達してると思たけどなあ。まさかサーブが出来んとはな」
「・・・」
「まあしゃあない。今更やったところで、試合には間に合わんわ」
杉裏はずっと下を向いていた。
「でも、出るんやろ?」
「はい・・」
「ほな、頑張るしかないな」
西藤はリュックを取に行き「ほな、帰るわ」とネットを出て、体育館の入口へ向かった。
「あの!西藤さん!」
杉裏が呼び止めた。
「なに?」
西藤は足を止め、振り向いた。
「その・・ラケットケース、ありがとうございました!」
そして岩水も小島も「ありがとうございました!」と大きな声で叫んだ。
西藤はニッコリと微笑んで立ち去った。




