⑨異世界のはやり病
異世界からやってきた澤田は、彼がたどり着いた町で魔王に大打撃を受け負傷した女勇者、ハリソンの治療をあざやかにも行う。その医術を傍らで見ていた一人の少女、ネッターは、澤田とハリソンの魔王討伐同盟に感銘をうけ、自分もその手伝いをしたいと申し出る。ハリソン、澤田はその協力を受け入れ、今この3人は異世界に蔓延る醜悪の元凶、魔王を倒しに、始まりの町ビルロートを出発するのであった――
「とうとう始まったわね。私たちの長い戦いが」
遠ざかるビルロートの町の背景を横目に、ハリソンが恰好良く言い出す。
「あー……そうだね」
対し、何か心配そうな声で返事をしたのは澤田である。どうやら彼は、心のどこかでビルロートに思い残したことがあるようだった。
ビルロートを出発したのはいいものの、彼は昨日まで、軽い風邪から重病を抱えた人たちまでを診察していた。そんな患者を医者のいない町に残し、三人は魔王討伐に出発したのだ。そんな澤田を見て、ネッターが不安そうに声をかける。
「どうしました? 澤田さん……元気がないみたいですけど」
「いや、ジャックさん、本当に大丈夫かなぁと思って……。あの人、治療しないともって三年ってところなんだよ」
突然澤田が言い出した不安を聞きいれ、三人の足並みは止まった。
ビルロートのジャック――三十歳にして、難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)に罹患してしまう。非常に珍しい病気で、全身の運動神経が萎縮することで筋肉を動かせなくなり、発症から約五年で呼吸筋までもが麻痺し死に至る。明確な治療法は確立しておらず、呼吸筋麻痺を合併したら人工呼吸器を取り付けなければならない。
澤田はどうやら、そんなビルロートの住民の予後が気になっていたのだ。
「もう! そんなこと気にしてたらビルロートを離れられないわよ!
魔王を倒せるのはもう私たちしか残ってないの。あなたの力は世界に必要なのよ!」
ハリソンの論調が熱くなる。そんなハリソンの言葉は、何か壁があるかのように澤田には届かなかった。世界を救うためとはいえ、一人の命をほうっておいて医者のいない町を出発するのが少々心許ないようである。諭すような論調のハリソンに続いて、ネッターが優しく澤田に声をかける。
「大丈夫ですよ澤田さん。世界を元に戻せば……すぐにジャックさんのところに戻って治療を再開すればいいだけです。きっとそれまでジャックさんは元気ですよ」
ネッターの優しい口調に、それまで下を見ていた澤田の目が少し前を向き始めた。するとしばらく時間をおいてすぐに、何かに縛られていたような彼の顔が緩んだ。
「そうだな。魔王討伐に三年もかかるわけじゃないんだし、一旦ビルロートの人たちのことは忘れよう」
「……何よ、もう」
ネッターの言葉には反応を見せた澤田に、ハリソンは少し怒ったような感じであった。
そんな時だった。
ギギギッギィ!
森の一本道を歩く三人の目の前に、空から何かが低い鳴き声を発しながら落ちてくる。ストン! と地面に落ちたそれは、羽毛のようなものを周囲にまき散らし静まる。
「!?」
三人の目の前に落ちたそれは……腹が裂け、内臓がむき出しになった小型動物の死体であった。
「ひどい……これは?」
急な出来事に怯えるネッターと、臨戦態勢のハリソンの二人を引き留め、澤田が物体の近くにかけよる。近くに落ちている木の枝を使ってよく調べ始めた。
「コウモリだな。こりゃひどい。内臓がパンパンだ……
相当苦しんで死んだんだな」
怪訝そうな顔で近づいてくるハリソンが、その物体を見て驚き言う。
「コウモリ!? これが? もはや、原形が無いじゃない!」
「あぁ。内臓が飛び出てることから考えると、誰かにやられたか、コウモリ同士で殺しあったか……いやその線は低いな。おそらく何か菌によるものだろう」
澤田の言葉に、ネッターもハリソンも、きょとんとした顔をしている。
そして、ハリソンがこう言いだす。
「キン? キンってなんだドクターサワダ。お金か?」
「!」
そういえば、この世界の医療レベルは原始人のそれと同じなんだとビルロートでの出来事で思い出す。
この世界の人間は、細菌やウイルスなど病原菌というものを知らないのだ。だからこそ感染症に対する意識も町全体として薄かったし、菌が人に移ることも知らないのだろう。
「菌は小さな悪魔だ。そう、悪魔……世界で人や動物を何千万何億と殺し、未だ現世に蔓延る悪魔の化身だよ。このコウモリはその悪魔に取りつかれたのかもしれない。
そしてその小さな悪魔は……他のコウモリにも伝染し勢力を増やしていく。もしかしたらヒトにも……」
「! ひぇぇ! 私も内臓飛び出て死んじゃうってことですか!?」
驚き後ずさるネッター。転げ落ち地面に尻もちをつき、どうやら腰を抜かしたようだ。澤田の言葉を聞いてハリソンも、
「悪魔ですって! このコウモリに住み着いているのね!
ならば問答無用! 私がたたっ切る!」
徐に剣を背中から取り出し、地面に落ちていたコウモリの死体を切りつけた。と思うと、パンパンに膨らんだ内臓から血が噴出し、ハリソンの顔に大量の血がかかる。
「! やばいっ ハリソン!」