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一、下の中に停滞した泥のような日々

 一 


 この、どうしようもなくやり場のない感情というものに名前を付けるとしたら、どんなものがいいだろう。絶望? いや違う。望みは絶たれてなどいないのだ。友人などいなくても、一生恋人などできなくとも、世界中の誰からも一切の興味さえ抱かれなくとも、俺は生きていく自信はある。この高度にシステム化された現代においては、働いて賃金を得るという意志さえあれば、生命活動を維持することなど簡単だ。しかし、果たしてその状態を「生きている」と形容してよいのかは甚だ疑問ではあるが。



 だから、これは絶望ではない。俺は自殺しようなんてことは一度たりとも思ったことはない。当然だ。時にひどいいじめを受けたわけでもなく、もがき苦しむような病気にかかってもいない。俺はいたって健康体であり、預金口座にもごく一般的な大学生並みの、いやそれ以上の金額が入っている。



 かといって幸福であるのかと聞かれたならば、決してそうではないと答えざるを得ないだろう。何をもって幸福となすのかの尺度など存在しない。ただ、俺は幸福でないと思う。アフリカの貧困地域の、その日食べるものの保証さえない、ガリガリにやせ細って病気にもかかっている子供よりも不幸であるか? それはわからない。俺以外の人間に言わせれば、俺のほうがまだ幸福であると言うのだろう。



 幸福とは相対評価だ。不幸であると思われる状況に長年身を置いていたら、そこから解放されたとたん、それが一般的尺度では依然不幸であるとしても、その人間にとっては幸福となりえる。逆に、大富豪であり豪遊することに幸せを見出している人間が、庶民的な生活に転落したなら、その人間は不幸を感じることになる。



 だから、俺が今感じているこの不幸も、今より幸福な状態があったからそう感じているだけだと言える。高校生の頃の俺は幸福であったのだろうか。少なくとも今より友人はいた。俺に向かって声をかけてくれる人間は少なからずいたように思う。それが俺にとっての幸福の条件であったのだろうか? わからない。だって今は、もはや大学の同級生に話しかけられることなど全く望んでいないし、できるなら誰とも関わらないで過ごしていたいとさえ思っている。



 今、俺が高校時代に戻ったとして、他人と交流を持つ状況に幸せを感じるのだろうか?。変化の原因は大半が、外の環境の変化だ。周囲の人間関係が変異する、引っ越しをする、そんなことで全くの別人に生まれ変わる。



 その点、親元を離れて他県で一人暮らしをすることになった今年の四月で、俺の周囲の人間関係はいったんリセットされた。それ以降、俺は以前の俺とは違うのだ。



 とりわけ、その時点で深くかかわっている人間の影響は、人格形成において大きい役割を担っているだろう。色々な人と関わって、それぞれの色が混ざり合って、その人の色は変化しつづける。



 だが、俺の今の色は限りなく白に近いと言っていいだろう。透明と言ったほうが正しいか。とにかく、ここ数か月まともに人と会話すらしていないのだ。全く知らない誰かが俺の家に押しかけてきて、聞いてもいないのに人生観を俺に長時間語ったのなら、きっと物事の見方がそいつの影響を尋常ではなく大きく受けたものと変異する。そう思うほどに、今の俺には色がない。もうとうに思考さえも放棄してしまって、今は動物的本能に生かされていると言っても、過言ではないような気さえする。



 他人にレッテルを貼ることもない。こいつはこういうやつだ、などと思えるほど深く知った人間すらいない。



 よく、現実ではうまく人と接することができないが、インターネット上であれば、饒舌になれるやつがいる。ちょっと前までは、俺もその類の人種であると思っていた。思いたかった。俺には人を寄せ付けるような魅力がなくて、誰からも相手にされないクズであると、そう認識していたのだ。だが、それさえも、ただの思い込みであったということに気づかされた。他人のことなど、どうでもよい。興味がない。だれか死んだとして、俺はそれを悲しむことができるか? 自信がない。両親くらいだ。アイドルも、女優も、作家も、漫画家も、アニメのキャラでさえ、比較的好んでいるというだけだ。俺には、本当に好きと言えるモノも、人もいない。



 嫌いなものにに対して憎しみという感情を抱くことさえもない。



 社会から逸脱した、という言葉がよく似合うと思う。他人に対する関心を失ったとき、人は社会からフェードアウトする。フェードアウトした人間に対して、社会は興味を示さない。簡単なことだ。そんな人間は、社会的に価値がないのだから。



 そして、フェードアウトした人間などは、もはや脇役にすらなりえることもなく、主人公から最も遠い存在なのだ。



 こんなことを考えるのは何度目であろうか。ふと頭上の時計のバックライトをつけると、時刻は午前四時を回ろうとしていた。もう寝よう。体は疲れているのだ。明日がいい日になりますように。なんて願いが届かないのはわかっている。俺は明日に期待しない。だからだろう。最近、有無を言わさない絶対多岐な睡魔に襲われない限り、俺は眠りにつくことができない。

 


 仮にこれが不眠症であっても、医者にかかるのは面倒だ。そう思って目を閉じて、俺は寝る努力をするのであった。


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