月のない夜は、君のそばに
ねえ、フェンリル、今日は月が出てないね?
僕、月が嫌いだから、見えなくて良かったなぁ。
なんで嫌いかって? ええとそれはね……。
まあ、いいや。今度教えてあげる。
今日も母さんと会えなかったよ。
本当はさ、僕に来て欲しくなかったのかなって思うんだ。僕を見ると、凄く哀しい顔するでしょ? 子供に会えると、お母さんって嬉しくて抱きしめるんだよ、知ってた?
フェンリルは魔物だから知らないか。魔物ってどうやって生まれるの?
あー、フェンリルとしゃべれたらいいのになぁ。
えっと、何の話をしてたっけ?
あっ、お母さんが抱きしめるってことだった。
僕ね、知ってるんだ。本で読んだからね。
フェンリルは本を知ってる? 色んなことが書いてある物なんだよ。僕の部屋にいっぱいあったんだ。全部は読めなかったけど、でも結構読んだ。ずっとあそこから出られなかったけど、本のおかげで僕、なんでも知ってるんだ。
だからお母さんが抱きしめるってことも知ってる。だって物語のお母さん、子供に会えたら嬉しいって泣いてたからさ。『ミルゲージの冒険書』って本だよ。ミルゲージって子が竜に連れ去られて、家に戻る冒険をする話なんだ。
僕と同じ十三歳だけど、すっごい強いんだ。いいなぁ。僕も強くなりたい。そしたらどこにでも行けると思うんだ。
でも友達は作れないかも。僕、あんまり他の人と話したことないから、ちゃんと話せない気がするんだよね。
あっ、だから母さんも僕とあんまり話してくれないのかな?
ねえ、フェンリル、聞いてる?
わっ! わっ!!
やめてよ、顔は舐めないで。ちゃんと聞いてるの、分かったからさ。
なんか今夜は静かだね。みんな、もう寝ちゃったのかな……。
僕はまだ眠くないよ。フェンリルは……ってまた舐める!
やっぱりお腹の方に移動するよ。だってすぐ顔舐めるんだもん。
よし、ここがいい。フェンリルの毛、ちょっと硬いけどモフモフして気持ちいい。色も好きなんだ。青い色って綺麗だよね。僕、自分の顔は好きじゃないけど、瞳の色だけは気にいってる。母さんも青いから、きっと母さんに似たんだね。
そういえば母さん、僕が思ってたよりずっとエルフに近かった。父上の話だとハーフエルフらしいけど、耳とかエルフそのものだった。目もさ、白いところないし。僕も少ないけど、でも僕の方が人間っぽいよね?
あ、そうか。だからキャラバンのエルフたちは僕のことを嫌うのかな。僕、ここを追い出されたら、どこに行ったらいいか分かんないよ。お金は持ってるけど、初めて外に出たからあんまりよく分からない。ソフィニアって大きな街は一度だけ行ったことある。人がいっぱいいるんだぞ。百人ぐらい。もっとかも。
もう城には戻りたくないよ。せっかく出られたんだから、もう帰りたくない。あんまり……楽しくない……。
公爵夫人、父上の奥さんだけど、その人が僕のこと嫌いで、僕の顔を見るたびに“まだ生きてるの?”って聞いてくるの。
あれ、ヤダなぁ……。
あとね、父上がお留守の時にあの人が知らない人達をいっぱい連れてきてパーティするんだけど、その人達がね……うん、いろいろ……。
でも最近はあんまり酷いことされなくなったかな。昔は酔っ払って、僕を鞭で叩くゲームとかしてたけど。でもあんまり酷いと兄上が止めてくれるんだ。“お前ら、そいつを殺すと公爵に家を潰されるぞ”って。兄上も公爵夫人と同じぐらい嫌いだけど、でも時々優しいところもあるんだ。時々だけどね。
え、なに? 僕の顔になにか付いてる?
あんまり見るなよ。フェンリルの目、ちょっと怖いんだからさ。
あっ、そうか。
フェンリルには僕がどんなところで暮らしてたか話してなかったっけ。
聞きたい?
その顔は聞きたいみたいだね。
うーん、どうしようかなぁ……。
今夜はあんまり眠くないし、ジュゼも寝ちゃったからちょっとだけ教えるよ。
僕ね、このキャラバンで生まれたんだって。兄上が前に教えてくれた。“お前はダーフィットってキャラバンから連れてこられたんだぞ”って。赤ん坊の時だけど。
それでね、塔の上にある部屋でずっと暮らしてたんだ。それで……。
ええと、おしまい。
だって僕、あそこからほとんど出たことなかったし。あ、でも一度だけソフィニアに……ってこれはもう話したっけ。
あとは部屋には本がいっぱいある。それから……。
なんかあんまり面白くないね、僕。
そうだ。どうして出られたのか教えてあげるよ。
その前にどうして僕がここから連れて行かれたのか話した方がいいね。
父上が僕をここから連れてったのは、僕を公爵家の跡取りにしたかったかららしいんだよ。兄上はいるけどご病気なんだ。体調が悪い時はずっと寝てる。
でも公爵夫人は僕に跡継ぎになって欲しくなくて、いつも僕のことを怒ってる。父上がいない時とか殺そうとするんだ。時々だけどね。一度毒で死にかけた。あと爆弾みたいなのを引き出しに置いてあった。触ったら爆発する魔法の水晶玉。
触らなかったけどさ。僕、それがなにか知ってたもん。外に出たことないけど、本はいっぱい読んだから、魔法について書いてある本にそれが絵付きで載ってた。エルフが作ってるみたいだよ。狩りとかに使うみたい。普段は水の中に入れてあって、水から出して少ししたら、触ると爆発するんだって。
見つけて、そっとしておいた。でも知らない人が触って爆発したら困るから、父上にはあとで言ったんだ。そしたら知らない赤い目をしたエルフが来て、水をかけて触れるようにして、水の入った瓶の中に入れて持っていっちゃった。
そうだ、あの時初めてエルフを見たんだ!
もしかしたら僕に話しかけてくれるかなって思ったけど、黙って行っちゃった。
毒でも死ななかったのは運が良かったよね……たぶん……。
やっぱり死んだ方が良かったのかな……。
僕さ、時々早く死んだ方が、みんなが喜ぶのかなって思うんだ。
時々だぞ。そんな目で見るなってば。
ええと、どこまで話したっけ? 話すの慣れてないから、ごめんね。
けど今日は人生で一番喋ってる。フェンリルのおかげだね。
だってあそこにいた時は、話す人があんまりいなかったから。兄上だけはたまに僕に色んな意地悪な質問をして、答えないと怒って、でも答えても怒るけど。
公爵夫人は兄上がご病気なのが気に入らないみたい。だからずっと前は食事の時、父上に“子供を作りましょう”って言うんだよ。毎日言ってたんだ。けど父上はそれに答えなくて、そしたら“エディクが死んでからじゃ遅いのよ”って怒り出すんだ。兄上もその席にいることもあったから、ちょっと可哀相だよね?
僕は少し離れたところで食べてたから、あんまり気にならなかったかな。
それにさ、メイドが僕のお皿をすぐ持っていっちゃうから、早く食べないといけなかったし。メイドってなんでいつも怒ってるんだろうね? まるで顔がない人達みたいに、みんな同じ顔に見える。メイドだけじゃなくて、僕の家庭教師だった女性も、もっと小さい頃に僕の面倒を見てた女性も、みんな顔がない人達みたいに表情がないんだよ。
僕があんまり表情ないのは、きっとあの人達に似ちゃったんだと思うんだ。だって僕が一日で一番見る人間って、あの顔がないメイド達ばっかりなんだから。
やっぱり違うか。笑うことがなかったから、笑うのに慣れてないんだ。あと泣くのも疲れたから止めちゃった。部屋の外に出た時は考えない方が楽だったから。
でもさ、ここに来てジュゼと話してたら、僕、ちょっと笑えるようになったと思う。だってジュゼが面白いこと言うんだもん。あとハイヤーさんも。
あの人、人間だよね? ガラスとか食べちゃうけど。
ハイヤーさんの言葉使いって怖いけど格好いい。僕も真似しちゃおうかな。
フェンリル、明日はどっか行こうぜ!
僕を乗せてけよ!
どう? 驚いた?
たまに心の中で真似してるんだ。
城だとさ、“はい、分かりました、父上”とか“お許し下さい”とか、そんなふうに言わないと駄目だったんだ。発音もちゃんとしないと父上が怒られるから。
父上は滅多に怒らないのに、そういうことは怒るんだ。“貴族としての礼儀と品行を”みたいなことを言われる。僕、別に貴族なんかなりたくないのに。公爵家もいらない。
もうフィリップが生まれたから、僕は継がなくても大丈夫だよね?
フィリップって一昨年、公爵夫人が産んだ弟だよ。僕が城から出られたのもフィリップが生まれたおかげなんだ。
でもね、初めは僕、あそこから出たいって思ってなかったんだ。あの子が生まれてすぐに公爵夫人は僕を追い出そうとしたけど我慢してた。だって外の世界が怖かったんだもん。今考えたら馬鹿みたいだよね?
だけど去年ぐらいからまた公爵夫人の意地悪が酷くなって、古井戸に落とされたりして、父上も僕の命が危ないって思ったらしいよ。僕もあそこから出たら、本に書いてあるようなことが経験できるかなって思うようになったんだ。
だれだって死ぬ前に産んでくれた母さんには会いたいよね?
でも……あんまり喜んでないのかな……。
別にいいけどさ……ジュゼとハイヤーさんが優しいから……。
なんか眠くなってきた。フェンリルと一緒にいると、話すのも上手になりそうだね、僕。いつかフェンリルと喋りたいなぁ……。
僕達、凄く気が合うと思う……こんなふうに色んなことしゃべって、時々戦って。僕も戦えるように頑張るんだ……。
そしたらさ、世界中をさ……一緒に……。