漂流
ヒーターは全開だったが、温度は少しずつ下がっていった。外の吹雪の音だけが響き渡って、四人の会話は途切れたままだった。
腕の中でパットと桜花はじっとしていた、ただ体温だけが腕に伝わって全次郎は一つの事しか考えてなかった。それは2人を守る事、死なせない事、それしかなかった。永遠にも感じられる時間でも、目を落とした腕時計の針は動いて時を刻んでいた。
「2時間経った……外は……」
全次郎は独り事みたいに呟く。
「風……弱くなったみたいや」
腕の中からパットは顔を上げた。
「温度……上がってるよ」
桜花はずっとパネルの中の温度情報を見ていた。
「どうやら助かったみたいじゃな……」
浅田目も起き上がった。パットも桜花も全次郎の腕から出た、パネルの温度は少しずつ上昇していた。30分もすると、動かなかった体は動き出した。
「関節がゴワゴワや」
「やっぱり、寒いのは嫌ね」
パットも桜花も屈伸運動をした。
「飛べそうにないな……」
外を見た全次郎は、氷付いた機体に不安を過ぎらせた。
「そんなに氷は厚くないはずじゃが……溶けるのに1日以上かかりそうじゃがな」
まだ吹雪く見渡す限りの氷原に、浅田目の声も沈んだ。しかし更に2時間が経過すると、空は晴れ渡り、風は微風に変わった。そして気温は20度前後まで上がり、体感的には清々しかった。
「あそこ……」
桜花が指差した場所は、白い氷と青い海の境界だった。
「100m無いな」
全次郎には希望に見えた。そして氷を割る方法がないかと考え続けていた。
「機内には使える物は無いようじゃ」
荷室から浅田目が戻って来た。
「考えてました、氷を割る方法」
「わしもじゃ……爆破でも出来れば早いんじゃけど、この機は丸腰じゃ」
全次郎の言葉に浅田目も頭を抱えた。
「出来るで」
パットは明るく言う。
「爆発物なんてないぜ?……バッテリー以外は」
充電パネルを見た全次郎だった。
「バッテリーなんて爆発しても知れてるし、後で漕がなあかんで」
パットは端末を操作しながら言った。
「そうか、あれね」
桜花はパットに微笑んだ。全次郎にも浅田目にも浮かんだ……小さな飛行艇が。
「問題は、爆発の衝撃を大きくするならスピードを出す事やねんけど」
「急降下すればいい」
パットの後ろから、全次郎は急降下した時の衝撃を想像した。
「それがあかんねん、300キロ前後で空中分解するんや」
「速度を抑えて急降下、その分節約した燃料を爆発力にまわせる。二機同時なら、相乗的な破壊効果もある……プログラム次第だ」
パットの言葉に全次郎は言葉を被せる。
「速度を制限しての急降下、目標地点への正確な着弾……制御は風も考慮に入れてやらなあかんな……」
パットはキーを叩きながら呟いていた。見守っていた全次郎はパットの小さな背中がとても頼もしく感じた。そして、その横で頬杖をついて見ている桜花の姿が、何故か心を落ち着かせた。
「どうした、全次郎?」
浅田目の言葉に全次郎は微笑みながら一言だけ言った。
「別に……」
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「プログラム完了や」
「機体は外に出してる、いつでもいいぞ」
パットの言葉に全次郎も声を掛ける。
「ほんなら行くで」
パットはスイッチを入れた。桜花は祈る様に見つめ、浅田目は腕組みをする。
「うまく行くさ」
全次郎は自分に言い聞かせるみたいに呟いた。二機の機体は氷原を滑走の後、急上昇して上空を旋回した。そして、二機は重なる様に急降下を開始した……。
閃光と地響きが全次郎達の機体を覆った、音は一瞬遅れ耳鳴りを伴う。
「やったか……」
「かなりの威力やと思うで」
「機体と海の軸線で爆発、完璧じゃ」
「……あそこ」
桜花が指差した先には海からの裂け目が機体へと続き、砕けた氷が海へと流れ出し、やがて機体は大揺れしながらも海へと導かれた。
「完璧だったな」
「急ぐんじゃ」
「一つ、お知らせがあるんやけど」
パットは笑いながらも、声を沈ませた。
「どうした?」
「バッテリーが持ちそうにないんや……」
全次郎の言葉にパットはすまなそうに言う。
「どれぐらいまで行ける?」
「半分がいいとこや……だから、四発のうち二発を充電用にして……速度は半分やけど……それならなんとか」
「それしかないな」
「さすがパット」
「異存はない」
三人はすぐに賛同する。
「すぐにプログラム変える、待ってな」
パットはすぐにプログラムの変更を始めた。そして10分後、機体はヘナヘナと離水しヨロヨロと飛び始めた……。
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「今にも墜落しそうだな……」
「見て、イルカがいるよ……」
「空飛ぶカメさんやな……」
「力学的に、飛んどるとは言い難いわい……」
順番に呟いた全次郎達だった。そして、そのヘロヘロの飛行は桜花を除く全員を不安にした。そして2時間が経過し、全次郎が胃の痛みを感じ始めた時、パットが最悪の報告をした。
「もうバッテリーがあかんみたい……」
「ここまでだな……着水して救難信号を出そう」
全次郎は静かに言った。
「まだ遠いの?」
「まだだいぶ先や」
桜花の寂しげな声にパットも声が沈む……そして機体は着水体制に入った。
「あかん、原因は水滴や」
着水すると電子部品の殆どは機能を停止した。急激な冷凍と解凍は部品のあちこちで水分を発生させ、それは内部にまで及んでいた。
「食べ物、殆どダメ……飲み物は、これだけ」
桜花は数本のペットボトルを出した。
「救難信号は出せたか?」
全次郎は俯くパットに聞いた。
「なんとか出せたけど……今の位置も分らへん」
パットはズブ濡れのパネルを指で触った。
「潮の流れに任せるしかないのぅ」
諦めた様に浅田目は呟く。
夕暮れの海は穏やかで、全次郎は目的を忘れそうになっていた。考えているのは桜花とパット、そして浅田目を無事に陸地へと連れ帰る事……それしかなかった。パットはなんとか位置だけでもと、苦闘していたが電気のない機械なんて飾り以下だった。
やがて夜になり、全次郎達の出来る事は無くなった。闇と静けさ、空腹と渇きは思考する事さえ放棄させようとした。
「綺麗だな……今頃おじいちゃん、何してるのかな?」
窓の外には満天の星、明かりなんてなくても明るかった。その星達に桜花は呟いていた。
「ほんまに綺麗や……」
パットも夜空を見上げる。
「両面テープにビニールシート、明日晴れならなんとか水を確保出来る」
荷室でゴソゴソしていた全次郎は水の確保に必死だった。
「そうじゃな、スコールは期待出きんじゃろう……降っても、ここらは酸性が強すぎて飲んだら腹を壊しそうじゃわい」
浅田目も満天の星空を見上げた。
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日が昇ると全次郎は主翼に登り、両面テープで機内から外したモールで幅1メートル長さ2メートル程のごく浅い囲いを作った。そこに海水を入れ、上をシートで覆った。
「お水、何とかなる?」
覗き込んだ桜花は、水より汗だくの全次郎の方が心配だった。
「多分な」
そう答えたが、朝から頑張ってもコップ半分にもならなかった。それより、炎天下で余計に水分を失った全次郎だったが、桜花には笑顔で答えた。
パットもプロペラを使って発電しようと試みたが、無風という気象の前に成す術がなかった。浅田目はじっと動かず、消耗を食い止めていた。老人の自分に出切るのは、それしかないと……。
しかし、たった1日で全員は疲弊した。海面の照り返しも加わり、昼間の体感温度は軽く40度を越え、浅田目同様に動かないで消耗を食い止めるしかないと自然と悟った。残りの水は、ペットボトル一本になっていた。
2日目の夜は、星を美しいと感じる余裕は無くなっていた。全次郎はぐったりする桜花を見るのが辛かった、何で自分はこんなに無力なのか、どうしてこんな所に桜花を連れて来たのか……自分を呪うしか出来ない全次郎だった。
「お父さん、どうしたの?」
横になったまま、桜花は全次郎を見上げた。
「……ごめんな桜花」
見下ろした全次郎はそう言うしか出来なかった。
「どうして謝るの?」
桜花の瞳は真っ直ぐ全次郎を見つめる。
「お前を危険な事に、巻き込んだ……」
全次郎は俯いた。
「私は後悔してないよ……だからそんな顔しないで……」
桜花の顔は全次郎を優しく包み込んだ。
「…………」
全次郎は言葉が出なかった、パットも浅田目も言葉が枯れていた。
「大丈夫だよ……おじいちゃんが来てくれる」
絶望の中でも、桜花は希望を失ってなかった。その声は自信に満ちて、未来を諦めかけていた全次郎達に見えない力を与えた。
「がんばろ……全次郎」
パットは自分にも言い聞かせるみたいに呟く。
「そうじゃな……錬太郎はきっと来る」
浅田目も友の顔を想い浮かべた。
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「錬ちゃん、救難信号じゃ」
艦橋に立つ錬太郎に、猿田川が声を掛ける。
「どこから?」
前方を見据えたまま、錬太郎は言う。
「それが……」
猿田川は言葉を濁した。
「どうした?」
錬太郎は猿田川に振り向いた。
「二式半艇……平蔵達が乗っとる」
「平蔵達?」
猿田川の言葉に錬太郎は嫌な予感に包まれる。
「全次郎やパット……それに……桜花も」
本当にすまなそうに猿田川は言葉を絞り出した。
「正やん、進路変更するぞっ!」
錬太郎は榎木林に叫んだ。
「かなりの遠回りになる……時間が……」
猿田川は、またすまなそうに言う。
「無理じゃ岩ちゃん、錬太郎の顔を見てみい」
笑いながら榎木林は座標を確認していた。
「すまんな岩ちゃん」
錬太郎は苦笑いした。
「急ごうかのぅ」
猿田川も錬太郎に微笑み返した。
「錬太郎、座標じゃ。機関がブチ壊れるまでぶっ飛ばせ」
また笑いながら、榎木林は錬太郎に座標を渡した。
「待ってろ桜花……」
錬太郎は呟くと、いきなり機関を全開にした……レバーが折れるぐらいに。